語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

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書評:『クライシス・フォア』

2017年05月19日 | ミステリー・SF
 『リモート・コントロール』の続編。
 主人公ニック・ストーンはSASを退役し、英国秘密情報部のフリーランスの工作員となった。「給料をもらって政府高官が拒否権を行使する作戦を実行する」正規のK(工作員)ではなく、さらに汚い仕事を日給いくらで請け負う。
 『リモート・コントロール』の事件で養子同然の関係となった9歳の少女ケリーと楽しい船旅に出航する直前、呼び出しがかかる。1998年4月のこと。かつてシリアにおける隠密作戦を共にした上官、CIAテロリズム対策センターに派遣されていた連絡官セアラ・グリーンウッドが失踪した。その探索が今回の任務である。残された手がかりを追ううちに、オサーマ・ビン・ラーデンを黒幕とするテロ活動が浮かびあがる。
 題名のクライシス・フォアは、ホワイトハウスの地階の一室で、非常時には大統領をはじめとする政府高官はここへ避難する。テロはホワイトハウスで炸裂するらしい・・・・。

 本書の見どころは二点ある。
 第一に、細部のリアリティである。たとえばセアラを捜して一味の基地を探りあて、観測する。その観測から侵入に至るまでのこまごまとした描写は、経験者でなければ書けない。尾籠な話だが糞の始末から、侵入者つまり主人公を発見したテロリストの反応まで。
 第二に、特異なキャラクターの持ち主セアラと主人公との関係である。肉体的魅力もたっぷりだが、知的意志的。鍛え抜かれてはいるが、どちらかというとお人好しの主人公と好一対で、これが急テンポのアクションに複雑な味つけをもたらして読者を愉しませる反面、悲劇的な結末の伏線となる。

 立花隆は、戦争では民族性・国民性・科学技術・文明のすべてが凝縮して表れるから戦争に係る知識は現代人にとって必須の教養だ、と喝破している(立花隆・佐藤優共著『ぼくらの頭脳の鍛え方』、文春新書、2009)。テロまたは対テロの活動も同様だろう。
 ただ、戦争には隠された部分が多いが、テロまたは対テロの活動はいっそう隠された部分が多い。フィクションの形でしか書けないものもある。
 本書刊行当時、「2001年9月11日の米同時多発テロを予見していた驚愕のサスペンス!!」と帯の惹句にあった。出版界の機敏さを示して余りある。
 しかし、本書の事件を9・11に限定する必要はちっともない。本書は、実際にあったか、あり得べきものと想定されたテロまたは対テロの活動をフィクションの形で白日の下にさらした作品である、と思う。細部の詳しさが意義あるゆえんである。

□アンディ・マクナブ(伏見威蕃訳)『クライシス・フォア』(角川文庫、2001)
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書評:『リモート・コントロール』

2017年05月16日 | ミステリー・SF
 ニック・ストーン、37歳、英国秘密情報部の工作員、はワシントンへ出張し、帰途、旧友ケヴ・ブラウン(米国麻薬取締局勤務)宅を訪れる。そこで待ちうけていたのは、ブラウン一家の惨死体であった。隠れて生きのびた少女ケリー(7歳)を救いだし、本部へ電話する。だが、不可解なことに本部は連絡を断ち切った。宿のテレビは、ニックを殺人かつ誘拐の犯人と報道した。そこへ襲ってきた謎の男たち。ねらいは、ケリーにあるらしい。
 ホテルを転々としながら、ニックは逆襲に転じる。
 SAS時代の元同僚の支援を得てIRA暫定派の根拠地にしのびこむ。首尾よくコンピュータからデータを抜き出すが、別行動をとった協力者は殺害された。二人も、ふたたび襲撃される。
 しぶとく闘うニックのまえに待ち受けていたのは、麻薬密売に関与するIRA暫定派であり、なぜかニックたちを追う米国麻薬取締局であり、そして自分が属する英国秘密情報部の味方とは思えない行動であり・・・・。

 巻きこまれ型のスパイ小説といってよいし、黒幕追求型の探偵小説といってもよいが、犯罪者に対する犯罪で大金をせしめるスリルもあって愉しい。それ以上に愉快なのは、ニックと少女ケリーの息の合ったかけ合いである。

  「そのジーンズ。格好悪い。パパみたいにリーヴァイスの501 をはけばいいのに」
   この窮状に、こんどはファッション警察までおれを追求するのか。

 こうしたユーモアがところどころに顔を出して、血なまぐさい闘争に涼風をもたらす。
 著者アンディ・マクナブは、英国陸軍特殊部隊(SAS)の元軍曹で、SASに関するノンフィクションを2冊出している【注】。この軍歴が、銃器の扱いから侵入の道具立てまで細部のレアリティを保証している。

【注】
 『ブラヴォー・ツー・ゼロ SAS兵士が語る壮絶な湾岸戦記 』
 『SAS戦闘員 最強の対テロ・特殊部隊の極秘記録』

□アンディ・マクナブ(伏見威蕃訳)『リモート・コントロール』(角川文庫、1999)
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【旅】三次の霧 ~松本清張『神々の乱心』~

2017年01月28日 | ミステリー・SF
 <庭に向かった広縁側の戸はまだ入れてなかった。障子の窓ガラスは部屋の湯気や煖気に曇って一面の霧となり、その中に近いところは庭の立て雪洞(ぼんぼり)の明りがあちこちに滲み、山間の下には遠い三次の灯がかたまって茫々と霞んでいた。
 春子が立って障子の傍に寄り、懐紙を出して曇ったガラスを拭った。
「だめです」
 ふり返って笑った。
「外が霧なんですの」
 泰之は眺めて、
「渓底(たにぞこ)の灯の上に山の夜霧が流れる。仙境だな」
「ほんまにきれい」
 と、まさ子。
「明日の朝おめざめになったら、朝霧でいっぱい包まれています。ここがまるで雲の上にあるようです」
「ここは霧が名物ですか」
「夏は鵜飼い。秋の暮れから春さきにかけては霧です。川が三つも流れていますから」
「霧は万物を霊化しますね」
「不浄を隠します。悪人も霧の中に」>

□松本清張『神々の乱心』(上下)(文藝春秋、1997/後に文春文庫、2000)
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【ミステリーの雑学】北極海の氷が解けて日本の漁業が終わる

2016年12月11日 | ミステリー・SF
 <「いえ、地球温暖化に関しては笑い話では済まなくなってきているのです」
 伊東が興味深そうに頷く。
「近い将来、大変なことになりますか」
「実は、北極海が危ないのです。昨年の夏、北極上空をノルウェーの政府関係者と一緒に調査飛行したのですが、何と、氷の半分近くが解けて海面がポツポツとため池のように現れているのです」
「北極海の氷が解けるって、しかし冬は凍るのでしょう」
「冬は確かに凍ります。しかし、夏にあのような状況になったのはこの数年ということで、年々、夏の解けている部分の面積は広がっているというのです」
「解けてもまた凍ればいいような気がしますが、違いますか」
「北極が凍っていれば白い氷原となって、太陽の光を80パーセント以上反射してくれるのだそうです。しかし、そうでなければ海は太陽光によって熱を吸収し、より北極圏の氷が解けるのです。そうなれば地球上の海面水位は上昇し、地球上で沈んでしまう国家や地域が増えてしまうことになりそうなのです」
 黒田は地理的、科学的な情報にも常に関心を払っている。
「なるほど。一旦解けて広がった氷水は元には戻らないのですね。あと何年くらいで北極海の氷は解けてしまいそうなのですか」
「15年持つかどうか」
「わりと近い未来ですね」
 伊東は静かにため息をついた。
「シロクマは絶滅するでしょうし、世界の海流が大きく変わる可能性があります。特に北半球の寒流は一気に弱くなり、暖流が北海道辺りまで勢力を保って上ってくることになるでしょう」
「日本の漁業が終わってしまいますね」
「そういうことですよ」
 伊東の読みは的確だった。
「実は今でも東京湾の魚が釣れなくなったと、常連の釣り師、中島師匠が言っているんですよ。最初は中国や台湾の船が日本近海で大量に獲っているからだと言っていたんですが、どうやら南の方から来た獰猛な魚が、元からいる魚を食い尽くしているからかも、という話もありましてね」
 カウンターから敏ちゃんが話に加わった。
「その可能性は否定できませんね。それにクジラが増えすぎています。ノルウェーはいまだに商業捕鯨を続けていますが、クジラをもっと減らさないとイワシやニシンが激減してしまうと漁師が嘆いているそうです。日本は立場上、大きな声では言えないようですが、水産資源を守るためにも誰かが言い出さなければならない時が来ているようです」>

□濱嘉之『ゴーストマネー』(講談社文庫、2016)
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 【参考】
【ミステリーの雑学】中国式乾杯 ~白酒(パイチュウ)~
【ミステリーの雑学】外逃した汚職官僚の「キツネ狩り」 ~中国公安部~
【ミステリーの雑学】カードの個人情報漏洩 ~防止法は~
【ミステリーの雑学】EU崩壊の序章 ~フランスにおける次回のテロ~
【ミステリーの雑学】フランスの原発 ~テロのターゲット~
【ミステリーの雑学】紙幣が流通する期間は何年間か?

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【ミステリーの雑学】中国式乾杯 ~白酒(パイチュウ)~

2016年12月11日 | ミステリー・SF
 <白酒(パイチュウ)は、中国の穀物を原料とする蒸留酒である。主原料から高梁酒(カオリャンチュウ)ともされている。白酒のアルコール度数は50度以上が当たり前だったが、近年はアルコール濃度を下げた38度の白酒が主流になっている。(中略)
 中国の公式晩餐会で乾杯の酒と呼ばれた、五穀すなわち高梁・トウモロコシ・粳米・糯米・小麦から作られた五粮液(ウーリャンイェー)が最高の白酒といわれていた時代があった。
 (中略)ややとろみを感じる透明の液体が乾杯用に使われる小さいグラス、小酒杯に注がれた。
 黒田はグラスを鼻先に持っていくと香りを味わった。
「いい香り」
 主人が笑顔で黒田の仕草を眺めている。
 黒田はグラスに静かに口をつけ、ほんの少し含んだ。数秒の間味わうと、そのままおもむろにグラスの中身を咽喉(のど)に流し込んだ。その後大きく息を吸って息を止め、ゆっくりと鼻から息を吐いた。
「美味しいなあ」
 そう言うと黒田は主人に向けて杯を逆さにして、飲み干したことを示した。
「お客様は本当にお好きなんですね。でも最近はその仕草をする人は少なくなりましたよ」
「ほお、乾杯の時もやらなくなりましたか」
「そのようです。中国の乾杯が酒の強要と思われるのを避けるためかもしれませんが、白酒が乾杯に使われないようになってきましたね」
 時の流れというものか。>

□濱嘉之『ゴーストマネー』(講談社文庫、2016)
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 【参考】
【ミステリーの雑学】外逃した汚職官僚の「キツネ狩り」 ~中国公安部~
【ミステリーの雑学】カードの個人情報漏洩 ~防止法は~
【ミステリーの雑学】EU崩壊の序章 ~フランスにおける次回のテロ~
【ミステリーの雑学】フランスの原発 ~テロのターゲット~
【ミステリーの雑学】紙幣が流通する期間は何年間か?

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【ミステリーの雑学】外逃した汚職官僚の「キツネ狩り」 ~中国公安部~

2016年12月11日 | ミステリー・SF
 <「中国もクレジットカード社会になりつつありますからね」
「とくに若い世代はカードのキャッシングをよく使う」
「ですか」
 中国銀聯(ぎんれい)カードは世界一発行枚数が多いクレジットカードと言われている。発行枚数は45億枚を超えているらしい。このカードは銀行のキャッシュカードを兼ねたデビットカードで、中国国内の銀行に口座を作れば自動的に発行される。中国人にとっては、本来クレジットカードを持つことができない低信用の者でもこれを手にすることができる。
「銀聯カードは日本のATMから現金を引き出せるのですか」
「一部のATMだけだが可能だ。今回被害にあったフレンドマートのATMでは、限度額が原則20万円なんだ」
 銀聯カードの暗証番号は6桁だから、銀聯カードによるキャッシングの場合には、世界のほとんどのクレジットカードが4桁で動作が止まるのに、ATMが銀聯カードを認識すると6桁を打ち込むまでは画面が変わらない。
「ATMマシーンも銀聯カードの使用を意識した作りになっているわけですか」
 今や世界中の先進国が、中国マネーを呼び込もうとしているのかもしれない。
「世界中で銀聯カードで金が引き出されているということですか」
 黒田は頷いた。
「今後、中国国内でATM不正引出しの犯罪が起こる可能性もありそうですが」
(中略)
 中国には、中国人民銀行の他に中国農業銀行、中国建設銀行、中国銀行、中国工商銀行の四大銀行がある。そしてこの四大銀行で中国全体の資産の8割を集めている。
「一般国民からすれば、どうせ損をするのは国家でしかないというところだろう」
「国家イコール共産党幹部、という図式なのでしょう」
 憎しみが極限まで達したときに何が起きるのか。
「それにさらに火を付けたのがパナマ文書の影響だ。今回のパナマ文書が出てきて、習近平の名前が取りざたされたことが大きな問題になりつつある」
(中略)
「中国当局は国内の報道だけでなく、海外メディアの報道についても神経をとがらせている様子で、すぐにインターネットの閲覧をできなくしたようですが」
「中国国内ではね」
 ただ、最近の標準的な富裕層の多くは子弟を海外に留学させているから、ネット情報を国内でいくら消しても、知ることができる者は確実に増えていた。
「情報の逆輸入は容易になりましたから」
「それを共産党幹部は一番恐れていると言って過言ではないな。おまけに愛人にはアメリカで子供を産ませているわけだから、その連中もまた賄賂社会の裏側を知り尽くしている」
「アメリカに愛人を置いている幹部はいつでも本国脱出ができるように準備しているわけですね」
「アメリカ国籍を持った子供の父親として居住権を獲得できるからな。そのための金も徐々に持ち出して周到に準備を進めているんだ」
「もし、中国国内で暴動と言うか、反政府活動が起こるとすればいつ頃なのでしょうか」
「それは何とも言えない。中国政府だって指をくわえて待っているわけではない。兆(きざ)しを見つけた段階で徹底的に潰していくだろうし、脱出を企てている幹部連中はトップを目指しているわけじゃないから、適当な時期に金を押さえてしまえばいいだけだ」
「なるほど。不正蓄財による財産の没収ということですね」
「そのために多くの公安要員をキツネ狩りと称して海外に送っているんだ」
 キツネ狩りとは、海外に逃亡した汚職官僚を追跡する作戦のことで、2013年に開始され、既に400人を超える汚職官吏が拘束されている。
 中国人民銀行によると、1990年代半ばから国外に逃亡した官僚や国有企業の職員は1万6千人を超え、持ち出した金額は15兆2,000億円にもなるという。中国政府は、フランス、オーストラリア、カナダなどの主な逃亡先相手国に、回収資産の一部を与えることを条件に、横領資産の回収で協力を得ている。2015年1月、国家公安部は2014年後半の「キツネ狩り成果」として、全世界69の地点から、689人のキツネを逮捕したと発表した。その際、10年以上の外逃生活を続けていたものが117人いたことを明らかにしている。>

□濱嘉之『ゴーストマネー』(講談社文庫、2016)
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 【参考】
【ミステリーの雑学】カードの個人情報漏洩 ~防止法は~
【ミステリーの雑学】EU崩壊の序章 ~フランスにおける次回のテロ~
【ミステリーの雑学】フランスの原発 ~テロのターゲット~
【ミステリーの雑学】紙幣が流通する期間は何年間か?
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【ミステリーの雑学】カードの個人情報漏洩 ~防止法は~

2016年12月11日 | ミステリー・SF
 <「クレジットカード会社のデータにどのようなプロテクトをかけることができるかだな」
「EMV仕様のカードと、磁気ストライプ式のカードはどう違うのでしょうか」
「栗原、もっと勉強しないとな」
 EMV仕様とは、一般的な外部端子付ICカードの物理的・機能的条件等を規定した国際規格金融分野向けに必要なICカードと端末の仕様を規定したものである。
「磁気ストライプ式カードは、いわゆる普通のIDカードのようなキャッシュカードですよね」
 磁気ストライプは読み取り機の磁気ヘッドに接触させ、スライドさせることで読み取ることができる。磁気ストライプカードはクレジットカードやIDカード、交通機関の切符などによく使われている。
「そうそう」
「SuicaとかPASMOはどちらになりますか」
「あれは非接触式のICカードだ」
 非接触式カードとは、カード内部にアンテナを持ち、外部の端末が発信する弱い電波を利用してデータを送受信するICカードのことである。
 接触式ICカードと違って読み取り端末に接触させなくても処理が可能なため、振動やほこりが多い環境での運用に適している。また、カードを抜き差しする手間がないため、高速な処理が必要な鉄道やバスの決済処理には非接触式カードが使われている。
「非接触? 自動改札などを通過するとき1秒以上タッチするように案内していますよね」
「あれは非接触式カードであることを、あえて利用者に知らせないためのアナウンスなんだ」
「知りませんでした」
「以前、バッグの底に非接触式カードを入れたまま、自動改札を通過できるから便利だなんて言われた時期があった・しかし、そのICカードデータが電車内でスキミングされる被害が増えて、結果的にバッグメーカーがその生産を中止した」
「犯罪者は狙ってきますね」
 スキミングとは、カード犯罪で多く使われる手口の一つで、主に磁気ストライプカードに書き込まれている情報を抜き出し、全く同じ情報を持つクローンカードを複製する犯罪である。そして、ICカードでも非接触の場合には、そのカードの磁気に記録されている各種データを、カード情報を読み取る機能を持ったスキマーと呼ばれるスキミングマシンによって盗み取ることができた。
「非接触式ICカードの怖さがそこにあるんだ。だから入金金額の上限は2万円に制限されている」
「私のPASMOはクレジットカード機能も付いているんですが」
 ポケットからカードを取り出した栗原は心配顔だ。
「非接触式カードと併用されているクレジットカードは、クレジットカード部分には通常のEMV仕様が付けられているんだよ」>

□濱嘉之『ゴーストマネー』(講談社文庫、2016)
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 【参考】
【ミステリーの雑学】EU崩壊の序章 ~フランスにおける次回のテロ~
【ミステリーの雑学】フランスの原発 ~テロのターゲット~
【ミステリーの雑学】紙幣が流通する期間は何年間か?
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【ミステリーの雑学】EU崩壊の序章 ~フランスにおける次回のテロ~

2016年12月11日 | ミステリー・SF
 <「ところで、海外研修中のレポートを幾つか見せてもらったよ。唸らされるものが多かったけれど、イギリスのEU離脱の観測はなるほどと思ったよ」
 小山田は何度も頷いてみせた。
「自分の目と足で現地をつぶさに見て回れば自ずと出てくる帰結でした。経済と教育レベルが低い東欧諸国がこぞって加盟し、トルコまで加盟しようとしている現状を考えればわかります。EUの理念である政治平等と経済統合は発展途上国にとっては都合が良いでしょうが、限られた先進国にとっては、まさに主権の喪失にほかなりません」
「主権の喪失ね。なかなかうまい表現だ」
「EUからはギリシャ、スペイン、イタリアが脱退する可能性が高いですが、意外とフランスもあり得るかもしれません」
「へえ、フランスかい」
 小山田が素っ頓狂な声をだした。
「フランス国内でこれ以上難民によるテロが発生した場合、必ずEU脱退の声が自然発生的に湧き上がってくると思います。この時がEU崩壊の序章となると思います」

□濱嘉之『ゴーストマネー』(講談社文庫、2016)
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【ミステリーの雑学】フランスの原発 ~テロのターゲット~
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【ミステリーの雑学】フランスの原発 ~テロのターゲット~

2016年12月10日 | ミステリー・SF
 <「確かにフランスはドイツとイギリスの間にある国で、しかも農業国という点でアフリカのイスラム原理主義者の間ではターゲットになっているのだろう」
「食物を輸出できる国はヨーロッパではフランスだけだ」
「フランスのどこをターゲットにすると思う?」
「ターゲットとしては原発かフランス空軍か」
「ISILに最も多く参加している国がチェニジアと伝えられている。そしてフランスからの電力輸入なくしてドイツの工業は成り立たないんだ。ジュンはフランスという国をどう思っている?」
 クロアッハの質問に黒田が大きく溜息をつく。
「フランス革命によって自由を手に入れた国ではあるが、それ以前の王制当時の遺産で生きている国という感じかな」
 黒田の目にはフランスは大きな魅力のある国とは映っていなかった。
「なかなか鋭い見方だな。観光立国を謳っておいて未だ人種差別も根深い」
(中略)
「西側諸国が最も気を付けなければならないのは、ISILにフランスの原発をターゲットにさせないことだ。彼らは必ずそこを狙ってくる。それもドイツに一番近い原発を」
 悪夢のような話である。クロアッハは続けて言った。
「一番危ないのはカットノン原子力発電所。フランス第一の規模であるグラヴリーヌ原子力発電所に続く、フランス第二の原子力発電所だ」
「それがドイツ国境近くにあるのか」
「フランス北東部のモゼル県にある。施設はモゼル川の西あり、ドイツのペルルからわずか10キロの位置だ」
(中略)
「フランスは世界一原子力発電の割合が高い国で、全発電量の77パーセントを原発に頼っている」
「ウランスはウランの供給源を政情の安定したカナダやオーストラリアに頼っている。ウランは一度輸入すれば数年間使うことができるからな。原子力を準国産エネルギーと位置づけている」
「もともとフランスは優秀な核科学者を多数輩出していたな」
「そうだね。19世紀に初めて放射線を発見したアンリ・ベクレルをはじめ、放射性元素や放射線の研究で知られるキューリー夫妻などだ。戦前からフランスの原子力研究は、原子炉設計のみならず、半導体製造や医療応用など基礎研究から応用研究まで早い時期から原子力エネルギーの運用に貢献していたんだ」
「だから誰も文句を言えない。悪魔のエネルギーでありながら永遠のエネルギーでもあるからな」
「もし、カットノン原子力発電所か、フェッセンアイム原子力発電所で事故やテロが発生すれば、世界の経済は根底から揺らぐことになる」
 これはヨーロッパだけの危機ではなく、まさに世界経済に大打撃を与える悪夢なのだろう。黒田は思わず眉をひそめて聞いた。
「フェッセンアイム原子力発電所というのは」
「フランスのオー=ラン県フェッセンアイムにある原子力発電所だ。施設はアルザス大運河の西岸にあり、南へ40キロ行けばスイスのバーゼルがある」
「バーゼルはスイス唯一の“貿易港”だな」
「そう、バーゼルはスイス第三の都市で、ドイツとフランスとスイスの三国の国境が接する地点だ。大型船舶が通航できるライン川最上流の港を持つ最終遡行地であることまではあまり知られていないがね」
 クロアッハが笑いながら答えた。
「そのバーゼルまで影響を及ぼすとなると確かにヨーロッパ経済を揺るがすことになるな。ISILだけでなく、イスラム原理主義の狂気がそこまで進まないことを願うだけだよ」
「『狂気は個人にあっては希有なことである。しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である』だな」
「ほう、ニーチェか」
「イスラムの下層市民が爆発するのを事前に阻止することが先進国の使命になってくるな」>

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【ミステリーの雑学】紙幣が流通する期間は何年間か?
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【ミステリーの雑学】紙幣が流通する期間は何年間か?

2016年12月10日 | ミステリー・SF
 <銀行をはじめとする各金融機関は、利用者から預かった紙幣のうち当面使用しないものを、日々日本銀行本支店に持ち込んでいる。日本銀行当座預金に預け入れるためだ。こうして銀行券が日銀に戻ってくることを、環収という。>

 <1万円札の寿命は、およそ4年から5年程度だという。銀行券が再流通に耐えられるか否かの判断は自動鑑査機が行う。廃棄となる銀行券は、自動鑑査機に組み込まれたシュレッダーにかけられ、1.5ミリ×11ミリの大きさにまで細かくされ、処分されるという。>

 <「そうだ、普段は100枚単位で裁断されるらしいが、(後略)」>

 <かつては回収した紙幣を溶解設備で溶かし、段ボールやティッシュペーパーの材料の一部などに再利用していた。古びた紙幣の最終処理はすべて本店で行っていたらしい」>

 <いや、現在では7割程度、住宅用の建材や固形燃料などにリサイクルされているんだよ。それ以外の裁断屑は、一般廃棄物として各地方自治体の焼却施設において焼却処分されている」>

 <「1万円紙幣1枚は約1グラムとして、(1,500億円の重量は)15トンだな。(後略)」>

 <「日本の紙幣には靱皮(じんぴ)繊維のミツマタや、天然繊維の中で最も強く弾力のあるマニラ麻の葉脈繊維など、特殊な原料が使われている。そのため特に普通紙にリサイクルするのは、なかなか難しいと聞いたことがあります。また、紙幣の塊を焼却するのは意外と大変だそうです。普通紙より紙幣は水分量が多いからと言われています」>

 <「(前略)世界の紙幣の中で物理的に最も強度があるのはアメリカドル紙幣。次が日本紙幣だということです」>

 <「シークレットサービスですが、設立時の本来の任務は、偽造通貨の取締り、様々な不正経理犯罪、個人情報窃盗の捜査、地域犯罪における科学捜査情報の提供だったのです。(後略)」>

 <寿命が過ぎたお札は、年間およそ3,000トンあると言われていますから、数にして30億枚が廃棄されていることになります。これがすべて1万円札とすれば、1年で30兆円相当の紙幣が棄てられているのですか・・・・」>

□濱嘉之『ゴーストマネー』(講談社文庫、2016)
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【本】感情は客観的で知性は主観的という逆説 ~『アルジャーノンに花束を』~

2015年12月27日 | ミステリー・SF
 『アルジャーノンに花束を』は、まず中編小説(1959年)として世に送られ、ヒューゴー賞を受賞した。ついで、書きあらためられた長編小説(1966年)に、ネビュラ賞が与えられた。
 世界各国の老若男女多数から支持された、SFの傑作である。

 本書の主題は、日本語版文庫への序文に明らかである。
 すなわち、知識/教養は「人と人との間に楔を打ちこむ(障壁を築く)可能性がある」から、学校や家庭で「共感する心というものを教えるべきだ」
 愛情を欠いた知能は、精神的道徳的な崩壊をもたらし、神経症ないしは精神病すらひきおこす、と主人公は小説の中でいっている。人間関係を排除する心は、暴力と苦痛にしかつながらない、と。

 主人公、チャーリー・ゴードン(32歳)は、知的障害者【注】である。全編の言動から推定するに、発達遅滞の程度は、「裸の大将」で知られる画家、山下清よりもやや重い。
 亡伯父の親友の保護下で、パン屋で働いていた。地域の子どもからからかわれ、同僚からあなどられつつも、その正直、暖かさ、率直、思いやりを愛する「ともだち」がいた。

 ビークマン大学がチャーリーを被験者として選び、かしこくなる手術をする。
 効果は驚異的だった。急速に知能が伸び、術後1か月で大学生と対等に会話をかわすにいたる。
 だが、よいことばかりではない。善悪の識別が可能になったため、あらたに葛藤が発生したのである。
 チャーリーは、同僚が店の金をくすねる現場を見つけた。不正を糺して「ともだち」を失うか、知らぬふりをしてよき保護者の損害を見過ごすか。ばかにしていた男のめざましい知的成長に、同僚たちはいらだち、敵意をつのらせる。
 チャーリーは馘首された。

 知能はどんどん高まり、天才の域に達する。多数の言語、数学、物理学、経済学、地質学、ありとあらゆる知識を吸収していく。
 術後3か月たった。自身の症例が報告される学会にチャーリーも参加した。ここで学者たちの無知、無能を知り、チャーリーは愕然とする。
 学者たちは、居心地が悪くなった。天才となったチャーリーの学者たちに対する関係は、学者たちの知的障害者に対する関係と同じなのだから。

 学者たちは、チャーリーを単なる実験の対象としか見ていなかった。天才である今の自分も知的障害者であった頃の自分も人間であることはかわりがないのに、学者たちが注目するのは今の自分だけである。
 不満を抱いたチャーリーは、学会から逃げ出す。
 彼の手術に先立って被験体となったねずみ、アルジャーノンとともに。

 チャーリーは孤独だった。
 恋人はいた。チャーリーに暖かな目をむける教師アリス・キニアンがそれだが、知能の高まりにつれて、アリスはついていけなくなった。
 チャーリーの知識を求める心が、アリスの愛情を排除してしまうのだ。
 知的な自由をもちながら人々と感情を分かちあえる方法を、チャーリーは見つけることができない。

-------(以下、ネタばれを回避したい方はとばしてご覧ください)-------
 アルジャーノンがおかしな行動をとるようになってきた。
 チャーリーは、ある予感を抱いて、研究に没頭する。「人為的に誘発された知能は、その増大量に比例する速度で低下する」という結論がでた。
 戦慄。
 アルジャーノンは死んだ。
 術後7か月め、チャーリーの退行がはじまった。
 やがて、すっかり元の知的障害者にもどったチャーリーは、手記の末尾に記す。「ついしん。どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやてください」

 この追伸、涙なくして読めない、と或る友人は漏らした。
 同感する人は少なくあるまい。
-------(以上、ネタばれを回避したい方はとばしてご覧ください)-------

 このSFは、読者にさまざまの考察を強いる。
 たとえば、知性と感情との関係について。感情は客観的であり知性は主観的である、と三木清は通念に逆らって独特の見解を示したが、本書を念頭におくとわかりやすい。三木のいう「客観的」とは、多数に分かりやすい、というほどの意味である。そして、「主観的」とは、多数に理解されにくく孤独な立場に身をおく、といった意味だ。
 あるいは、超高齢社会の今日的な疾患、軽度認知障害(MCI、Mild Cognitive Impairment)について。認知症ほど知られていないが、知的障害は発達期(おおむね18歳まで)に生じるのに対し、軽度認知障害は成人に生じる。また、知的障害は知的能力の獲得に遅れがあるのに対し、軽度認知障害はひとたび獲得した知的能力が減少する。こうした相違があるものの、両者の感情面は損なわれない。むしろ、敏感でさえある。この点に注目すれば、本書、チャーリーの一代記は、児童のキュアまたはケアに関わる人にも、高齢者のキュアまたはケアに関わる人にも(当事者にも)、多くの示唆をあたえてくれる。

【注】
 「知的障害」は、医学的にいえば精神遅滞で、日本にしかない行政用語。従前の用語、「精神薄弱」は差別感を助長するという理由で、1999年施行の「精神薄弱の用語の整理のための関係法律の一部を改正する法律」に基づき、関係法令が一斉に改正された。

□ダニエル・キイス(小尾芙佐訳)『アルジャーノンに花束を』(ハヤカワ文庫、1999)
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書評:『三十九階段』

2013年12月29日 | ミステリー・SF
 南アフリカのブールワーヨでひと財産を稼ぎ、ロンドンへ戻って3か月目の5月、リチャード・ハネー、元鉱山技師、37歳はすっかり退屈していた。気候は不快、出会う人々の会話はいただけないし、娯楽は気の抜けたビール同然ときている。名所見物には飽き、劇場や競馬場は見つくした。
 クラブで読んだ新聞に、ギリシア首相カロリデスの記事があった。彼こそ第一次世界大戦の危機を救う最後の切り札だ、うんぬん。
 その夜、アパートの自室に入りかけたハネーの前に、やせて油断のない目つきの男が立ちはだかって言った。
 貴君を冷静な人と見こんでお願いがある。戦さを起こし、どさくさに革命を企てる無政府主義の一味がいるが、そのもくろみをぶち壊したのがカロリデス。その彼を無政府主義者が始末しようとしている。6月15日、彼が訪英するときに暗殺される。その方法を自分は知ってしまった、うんぬん。
 ハネーはいくぶん眉唾の思いでスカッダーと名のる謎の男を自室にかくまうが、半時間のうちにインド駐留英軍の、現在休暇中の将校に変装した彼の演技は堂に入ったものだった。
 そして4日目の夜、外出先から帰宅したハネーは、心臓を長いナイフに串刺しにされたスカッダーを発見した・・・・。

 本書は、推理小説、スパイ小説の古典であり、このジャンルのその後の原型となった。角川文庫にも訳書がある(『ザ・スパイ』、1967)。
 まきこまれ型スパイ小説である。
 だが、巻き込まれるのは三好徹的な一介の市民、日々汗をして働く市民ではない。イギリス中産階級の、ただし長期休暇中の有閑人である。
 時代はベル・エポックの名残をひく第一次世界大戦前夜。
 されば、全編におおらかさがただよう。たとえば「3 文学好きの宿屋の亭主の冒険」あるいは「4 自由党候補の冒険」。「5 眼鏡をかけた道路工夫の冒険」では、飲んだくれの道路工夫に変身したりもする。変装というものはその役割に没入することだ、と語ったローデシアの老スパイの言葉を引用しつつ。

 そして、敵の一味に追われつ横断するつスコットランドの田園地帯が冒険に彩りをそえる。
 そう、スパイを捕捉するスパイ小説だが、じじつスカッダーの手帳に記された暗号を解いたり、変装を見破ってスパイを摘発したりもするのだが、主人公の気分は退屈な日常に活をいれる冒険だ。

 危機を活力(運転する車が渓谷に落ちてもへこたれない)と才知(初対面の議員候補からヨイショの演説を頼まれて器用にこなす)で切りぬける。観察眼(まったくの別人に変装したスパイの親玉をほんのちょっとしたそぶりから見抜く)と推理力(断片的な覚書から正しい結論を導きだす)にもめぐまれた主人公は、その後量産される冒険小説の主人公の典型の一つとなった。
 しかし、背景をなすおおらかさな時代とスコットランドの自然は、後世の有象無象がよく模倣できるところではないだろう。

 本書を最初に映画化したヒッチコック作品は、いま見るとさすがに古めかしいが、傑作の噂が高い。その後、なんどもリメイクされたが、見るにたえる作品は、ドン・シャープ監督による1978年版(英)くらいだ。

 ジョン・バカンは、1875年生、1940年没。英国の弁護士、軍人、政治家、評論家、歴史学者、実業家として多方面で活躍した人物。「実業家を自分の職業とし、書くことを娯楽とし、政治は自分の義務とこころえる」とはジョン・バカン自身の弁。カナダ総督在任中に事故死した。

□ジョン・バカン(小西宏訳)『三十九階段』(創元推理文庫、1959)
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書評:『斧』

2011年01月25日 | ミステリー・SF
 「パルプ・ノワール」と文春文庫が銘打つシリーズの一冊。フィルム・ノワールが本になると、「パルプ・ノワール」になるらしい。
 本書は、犯人が最初から一人称で登場する点で倒叙ものミステリーに似ているが、古典的ミステリーには不可欠の「悪は滅び善は栄える」たぐいの道徳は本書にひとカケラもない。かと言って、ピカレスク・ロマンの系譜にも入らない。自律的なエネルギーに満ちている古典的な悪党と比べると、主人公バーク・デヴォアは、永六輔の「普通人名語録」的普通人である。

 バークは、大学卒業後陸軍に徴兵され、満期除隊後バスの運転手を2年間、パルプ会社の販売部長を4年間、生産ラインの主任を16年間勤めた。いま、失職してから1年に近い。家族に妻と大学生の娘、高校生の息子がいる。
 前職とほぼ同じ職種、同じ待遇を求めて職を探すのだが、求人件数に対して求職者が多すぎた。面接を受けては一顧もされぬ、という経験がたび重なる。 そこで、主人公は自分と同等の経歴、資格の持ち主を殺してまわることにした。競争相手がいなくなれば自分が採用される、というわけだ。

 おそるべき短絡的思考だが、著者はこの安直な論法で最後まで読者の興味を持続させるから才筆と言わねばならぬ。
 もとより小さな波乱も用意されている。わけはわからないけれども夫が変貌したのにおそれをなした妻は浮気するし、息子は貧しさゆえに犯罪に走る。バークは妻の慫慂によってカウンセリングを受けざるをえないし、警察と交渉しなくてはならない。職がないのに夫であり父親であることは実に辛い。

 しかし、これらは脇筋であって、主題はしっかりと堅持されている。
 主題は犯罪ではない。働きたいのに職のない状態、収入のない状態である。リストラ、賃金カットが世にはびこる昨今、雇われて働く者には身につまされる話だ。

 「貧乏人は貧窮のきわみにいたると何をすればよいかを知っている」とパール・バックは言った。かくて、『大地』の貧民たちは蜂起して金持の家を掠奪した。
 しかし、バークは徒党を組まないし、モッブ状況に巻きこまれることもない。
 斧をふるったラスコーリニコフは回心して大地に接吻したが、神が死んだ時代に棲息するバークは、大地に接吻することもない。

□ドナルド・E・ウェストレイク(木村二郎訳)『斧』(文春文庫、2001)
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【読書余滴】本をタダで入手する法、E・S・ガードナー、プライベート・バンク

2010年11月13日 | ミステリー・SF
 毎年11月に、わが市では2日間にわたって「本の市」が開催される。
 場所は、地元の図書館。図書館の廃棄本を放出するのだ。市民も不用な本を持ち寄る。
 会議室にズラリと並べられた本は、どれでも持ち帰ってよい。ご親切なことに、段ボール箱やセカンドハンドの紙袋は、主催者が提供してくれる。
 ふだん静かな図書館の会議室は、このときばかりは押すな、押すなの盛況だ。芋を洗うがごとき、という形容がふさわしい。
 土曜日なのだが、ネクタイの紳士もチラホラと。
 若い主婦らしきは、絵本や児童向けの本を熱心に漁る。
 若い女性がけっこういる。窓際のパイプ椅子にすわって、秋の日差しをあびながら読みつづける佳人もいる。絵になる光景だ。
 おじーさん、おばーさんはもっと多い。持てるの? と心配になるくらい、壁際で紙袋に詰めこんでいる。だいじょうぶ、持てるのだ。両手にいっぱい本を抱えて帰路につく。

 図書館は、あまり大きくない。開架式書架は1階だけだ。閉架式書架をふくめて蔵書できる数は限られている。市議会で問題になっているが、抜本的な対策はまだ講じられていない。
 だから、惜しい本が廃棄される。たとえば、中央公論社の世界の名著。あるいは、筑摩書房の現代日本文學体系。こうした全集こそ、図書館に末永く備えておくべきではあるまいか。

   *

 昨年は、動物行動学を何冊か拾いあげたが、今年は食指の動くものは余りなく、天沢退二郎の一巻くらいだった。
 ミステリーに掘り出し物があった。図書館の蔵書印のないハヤカワ・ポケット・ミステリーが、ごっそり持ちこまれていた。E・S・ガードナーが20冊余り。3分の1は、A・A・フェア名義のバーサ・クール&ドナルド・ラム・シリーズだ。

 ガードナーの著作は、長編140冊、短編450編以上。長編の内訳は、メイスン・シリーズ80冊、クール&ラム・シリーズ29冊、検事ダグラス・セルビー・シリーズ9冊、その他のミステリー8冊、ノンフィクション14冊である。長編は1933年の『ビロードの爪』以降だから、1970年に逝去するまで37年間に年間平均3.8冊を書いたわけだ。
 ペリー・メイスン・シリーズは、初期に佳作が多い。メイスン・シリーズはスピーディなテンポが身上である。スピーディなテンポは、登場人物の社会的機能に焦点をあてることで生じる(メイスンの場合は弁護士という社会的機能)。登場人物の速度ある動き、明快さ、筋・人物像・題名のパターン化・・・・ガードナーの創作テクニックは、ひとたび確立された後、生涯変わらなかった。「推理小説界のヘンリー・フォード」というガードナー評は、量産そのものについて言われたのだろうが、量産の仕方についてもあてはまる。
 謎解きに主力が置かれて人物像が希薄になるメイスン・シリーズにくらべると、クール&ラム・シリーズは個性が強く打ちだされている。だが、両シリーズとも、一匹狼の、時には荒っぽい胆力と狡猾なまでの知恵だけを武器に、公権力や金力と対峙する点で共通する。
 さわれ、さわれ、去年の雪、いま何処。米国のハードボイルドは、いま何処。

   *

 11月13日付け朝日新聞によれば、2008年に死去した冲永荘一・帝京大元総長が15億円分の金融資産をリヒテンシュタインの銀行に残していたことが判明し、次男の冲永佳史学長らが過少申告加算税を含めて4億円を追徴課税された。
 リヒテンシュタインは、タックスヘイブンの一つ。くだんの銀行は、プライベート・バンクだろう。
 野地秩嘉『スイス銀行体験記 -資産運用の達人 プライベート・バンクのすべて-』(ダイヤモンド社、2003)が「本の市」にまざっていた。

 プライベート・バンクは、裕福な個人客を対象に資産の管理をする金融機関である。大きく分けて二つの役割がある。第一、カストディ(custody)と呼ばれる資産の管理。第二、運用に係る相談業務。業務に対する報酬は、手数料である。その特徴は、5つある。
 (1)個人資産家の財産の長期的な管理・運用に特化した金融機関である。
 (2)複数の国に支店を置く。国家が滅びるリスクも想定しているのである。
 (3)系列金融機関の金融商品を押し売りしない。日本のプライベート・バンク・サービス(部)とは、異なるのである。
 (4)簡単に取引できない。客の身元は厳しくチェックされる。
 (5)客の秘密は厳守される。

 (1)について補足すると、プライベート・バンクは戦乱の17世紀にスイスで生まれた。長期的に安全に資産を守ることを目的として。だから、おカネの貯蔵所であって、それ以上のことはしない。商業銀行とは異なるのである。もっとも、付随するサービスが多々あり、ことにスイスの寄宿学校に留学させるとき威力を発揮する。
 世界各国からカネが集まれば、株式や債券の情報も集まる。スイスの金融機関は、世界のビジネスに投資するようになった。国際的な投資だが、シンプルなものだった。ちなみに、運用はプライベート・バンク名義で行う(金利が優遇されるし、匿名性が保たれる)。
 プライベート・バンクの投資、運用のしかたが変わったのは、1980年代後半からだ。当時、米国は大不況だった。銀行や証券会社をリストラされた従業員が多数いて、彼らは自分で仕事を作るしかなかった。新しくできた仕事が投資顧問業(インベスト・アドバイザー)だ。顧客の相談にのりながら、新しい金融商品を開発する仕事である。それまで、スイスのプライベート・バンクと英国のマーチャント・バンクを除けば、個人資産の運用アドバイスを行う産業はなかった。スイスのプライベート・バンクは、米国のファイナンシャル・アドバイザーと組むことで、運用能力を高めた。スイスのプライベート・バンクは変わった。
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書評:『盲人の国』

2010年08月26日 | ミステリー・SF
 SF短編集である。
 たとえば、表題作の『盲人の国』では、主人公ヌネスはアンデス山脈の某所に迷いこむ。
 そこでは、代々すべての住民が盲人であり、壁の塗り方や衣類の繕い方にチグハグな一面があるものの、総じて安定した社会生活が営まれている。この国では、見える人とか盲人という言葉はない。ヌメスは、目で見えるものを住民に解説すると、正気ではない、劣っている者とみなされた。恋におちるが、視覚を取り除く手術を受けることが結婚の条件とされた。ヌメスは、「盲人の国」から脱出する・・・・。

 わが国に似た噺がある。落語『一眼国』は、『盲人の国』よりももっと辛辣である。
 ある香具師が一眼国のうわさを聞きつけ、教えられた方角へ道を辿った。数日歩くと、果てが知れない原っぱにさしかかった。大木が一本、どうやら例の場所がここらしい。木の下まで行くと「おじさん」と声がかかる。見ると、一眼の子どもだ。シメタ、と追いかけ、捕まえたと思ったら、真っ暗な穴に墜落してしまった。正気づいたところはお白州。「面をあげよ」の指図に顔をあげると、正面の奉行も一眼。いわく、「御同役、これは珍しい、こやつ二ツ目である。さっそく見せ物にいたそう」

 これら寓意性にみちた小説/噺にはいろいろな解釈をほどこすことができる。
 第一は、ストレートに解釈するなら、視覚が欠損してもそれなりに普通の生活を営むことができる、という思想である。事実そうなのだ。ただし、H.G.ウェルズ(1866年生、1946年没)の生きていたころにはノーマライゼーションという言葉はなかったし【注】、当然その思想は普及していなかった。ましてや、バリアフリーもユニバーサルデザインも登場していなかった。この意味で、『盲人の国』はSFであり、しかもH.G.ウェルズらしく当時としては先進的な思想を盛り込んだ、ともいえる。
 第二は、価値の相対化でもある。視覚的欠損のある集団の中では、視覚をもつ人はマイノリティになり、「劣っている者」となる。要するに、人数の多寡が正否を決める。視覚的欠損を別のものの寓意、例えばソクラテスを死刑にしたアテネの住民とするならば、「劣っている者」はソクラテスとなる。H.G.ウェルズの現実観察の眼のたしかさを示すが、これはこれで怖い思想である。

 【注】デンマークで、世界で初めてノーマライゼーションという用語をもちいた法律ができたのは1959年である。

□H.G.ウェルズ(阿部 知二訳)『盲人の国』(『ウェルズSF傑作集2 世界最終戦争の夢』所収、創元文庫、1970)
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