語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

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書評:『お葬式 ハプニング編』

2010年01月31日 | ノンフィクション
 マルティン・ハイデガーは、人間を「死へ向かう存在」だと定義した。
 庶民の立場から人間を定義するならば、「生涯に一度は葬式をしてもらう存在」となろう。

 葬式は生きている者が行う。よって、ビジネスの対象になる。
 葬儀専門の司会者というものがある。あまり聞かない職種だが、少なくとも関西には何人かいるそうだ。著者もそうだった。
 もとは結婚式の司会者だった。結婚式の司会がやれるなら、葬式の司会だってやれるだろう、と声がかかり、両方兼任するようになった。
 しかし、「花嫁はすべて才媛、花婿はすべて秀才」といった美辞麗句を白々しく口にするのにだんだんと耐えがたくなって、結婚式のほうは廃業してしまった。
 爾来、葬式ひと筋に20年間。計4千件、年平均200件の司会をつとめた、という。
 これだけ数をこなすと、逸話にこと欠かない。

 たとえば、一家の大黒柱、働き盛りの40年輩の男の葬儀。
 「出棺のときに流してほしい」と、遺族から故人愛聴のテープをあずかった。
 一同涙にくれる中、近親者の手により棺が玄関から出てきた。
 この時とばかり、著者はデッキのプレイ・ボタンを押した。
 すると、「各馬、ゲートインから一斉にスタート・・・・本命穴馬かきわけて・・・・」
 ん?
 最初けげんな顔で聞いていた親族、参列者の間にしのび笑いが広がり、やがて爆笑の渦となった。
 当時はやりの歌「走れコータロー」である。故人は競馬ファンなのであった。
 厳粛であるべき葬儀から涙は一掃されたが、怒っている人は誰もいなかった。

 あるいは、また、さる村一番の長老、享年98歳の葬儀。
 カラオケ好きな故人の遺志をくみ、読経の時間を短縮してもらって、賞品付きのカラオケ大会となった。
 「読経を短くしてくれ」と頼まれて承知する僧侶も僧侶だが、葬式とはかくあるべきものだ、と著者はいう。
 なんとなれば、葬儀は生き残った者が故人に対する思いを尽くす場だからだ。主役は遺族であり、余人は脇役である。僧侶といえども同断。
 「だから、私は故人の思いに対して、臨機応変に対応するように心がけている」と著者。

 臨機応変は、次のような機会にも発揮される。
 夫を亡くした30代なかばの奥さん、火葬場で釜(火葬炉)の中にはいりこみ、出てこない。
 「途中で、お父ちゃんが生き返ったら、熱いのにかわいそう。私も一緒に焼いて」と泣き崩れたまま、どうしても説得に応じない。
 必死になった著者は奥の手を使った。
 「ご主人は3日間ドライアイスに包まれています。ドライアイスは炭酸ガスの固まりです。元気な我々でも10分とたたないうちに窒息します。病気で弱っていたご主人がどうして生き返りますか」
 未亡人さん、これでコロリと納得。
 「相手が異常な時には正常な理論は通じない。異常な相手を納得させるには異常な理屈を当てはめるしかない」と著者は総括する。
 「異常な状況に対する正常な反応は、異常な行動をとることである」と、精神科医ヴィクトル・フランクルは、アウシュヴィッツ収容所の体験からこう述べた(『夜と霧』)。深刻さの度合いはちがうが、帰するところは同じ哲学である。

 葬儀は、死者よりも生者のためにある儀式だ。本書を読むと、あらためてそう感じる。
 職業柄、聞いてわかりやすい、柔らかな語り口。それでいて、芯のとおった職業意識で貫ぬかれている。葬儀でわきまえておくべき常識も自然に頭にはいるから、一読しておくと、いざという時にあわてないですむ。

□小杉哲兵『お葬式 ハプニング編』(朝日文庫、1994)
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書評:『にっぽん部落』

2010年01月31日 | 社会
 本書は、きだの部落(ムラ)論としてもっともまとまった著作である。きだが、それまで書いてきたエッセンスが詰まっている。
 部落の言葉遣いを取り込んだ饒舌は、きだのエッセイの大きな魅力である。ただ、本書は新書という紙数の制約上、また仏訳を意識して書かれたため、いつもの伝法な語り口はいくぶん抑制されている。
 抑制された筆致ではあるが、部落の民を「英雄」と呼ぶのはかわらないし、その行動の数々が、きだが耽読したホメロスやヘロドトス、あるいはきだが専攻した古代社会学の知見から考察される点はかわらない。この考察によって、一見小さな状況における特殊な行動と見えるものが、普遍性を帯びてくる。念押ししておくと、きだのねらいは理論の適用になく、あくまで観察にある。

 部落(ムラ)は、村と異なる。ムラ八分は部落八分のことで、川向こうの隣の部落に引っ越すだけでも成立する。ちなみに、部落八分は、火をだすな、盗むな、のごとき部落四戒を破った場合に適用される罰則である。いじめとは全く異なる社会システムである。

 「日本社会は異質な二つの社会で成り立っているように見える」と、きだは言う。部落制のある社会とそれがない社会(都会)との二つである。両者の裂け目は大きいと見てるのだが、都会の中にも部落的要素がある。というよりは、きだの部落論は、そのすべてではないにしても、日本人の小集団の社会学として普遍性を獲得していると思う。
 例えば、部落には世話役(親方)いる。世話役が纏めることのできる数は、ふつう10ないし15軒前後である。よって、部落が大きい場合には組(呼称は地域によって異なるらしい)に分かれる。
 こうした観察は、現代社会、政治的派閥から企業の組織にも適用できるのではないか。

 あるいは、また、義理とは万国共通に「おれも遣るからおまえも寄こせ(Do ut des)」である、ときだは喝破する。
 ここから「聞く義理はない」のごとき表現が生まれる。これも、また、今でもどこかでつぶやかれているような気がする。

□きだ みのる『にっぽん部落』(岩波新書、1967)
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書評:『アルコーリズム』

2010年01月31日 | 医療・保健・福祉・介護
 なだ いなだは、1964年、国立としては日本初のアルコーリズム専門治療施設(国立久里浜病院東六病棟)の責任者となった。
 当時、治療法はおろか、アルコーリズムとは何かが、医療従事者にもよくわかっていなかった。看護職員や家族に説明しなければならない。患者に、自分がどんな病気にかかっているかを自覚させなければならない。
 よいテキストがない。
 ないから、自分で書こう。
 こうしてできた啓蒙書、実用書が本書である。

 1966年に初版が出て以来、医師にも患者にも33年間にわたって読みつがれてきた。
 文庫化にあたって、統計をはじめ、随所に手が加えられている。文庫化からさらに10年たったが、いまではネットでも必要な資料をもとめることができる。
 いや、資料はおおすぎるくらい多い。さればこそ、本書からアルコーリズムに対処する基本的な考え方をたしかめたい。

 アルコーリズムは、いかにして生じるか。
 ごく図式的にいえば、一日に清酒に換算して3合から4合を毎日飲みつづけ、10年間たつと、平均的な人間は手指のふるえや幻視など(振戦譫妄)をおここすようになる。
 身体に病的、慢性的な変化が生じるのである。

 アルコーリズムは、いつ生じるか。
 コップに水を一滴づつたらしていくと、いつかは縁をあふれ出る。あふれだしたら、顕在患者となる。
 その一滴前、十滴前がすでにアルコーリックである。
 一人の顕在患者の背後に、十倍の潜在患者がいる。

 アルコーリズムは、社会の文化・伝統・習慣の中で生きている人間の病気である。
 たとえば、フランスでは、昼夜をわかたず、食事ごとにぶどう酒を飲む。国民一人あたりの年間飲酒量は、他の国に比べてダントツに多い。肝硬変による死亡率が高い。他方、酩酊を恥ずべき行為とみる社会の空気がある。
 ひるがえって、日本では、腹をわった話をかわす時に、酒の力を借りることがおおい。
 無礼講の社会的慣習もある。
 時たまの飲酒で酩酊して反社会的行為におよんでも、酒のなせるわざと寛大に許される。
 他方、勤務中に酒気を帯びるのは厳禁である。
 そして、2002年(平成14年)には、道路交通法改正により、酒気帯び運転の基準が厳格になり、違反の罰則はきびしくなった。酒酔い運転も厳罰化された。

 朝酒・昼酒は、酒なしではいられなくなったことを意味する、とされる。
 わが国では、朝酒ほどうまい酒はない、と旅先でいっぱいやったりする習慣がある。
 施設や法律は、それぞれの国の事情に応じたものでなければならない。
 アルコーリズムには、心の病気と身体の病気というふたつが含まれる。
 アルコーリックが毎日飲み続けるのは、飲まずにはいられないからである。アルコールにとらわれているのだ。この心の病気(嗜癖)に、身体的なとらわれが加わり、離脱症状(酒が体から減りつつあるときに生じる症状)をともなう身体的な病気としての中毒に進んでいく。肝硬変・食道癌・膵臓炎などの内科的疾患も出てくる。

 アルコーリズムは、国民の身体的健康を損なう点で重要だが、社会的影響のほうが大きい。
 無断欠勤、傷害・暴行や器物破損、交通事故、借金は、家庭を崩壊させるし、社会的地位を喪失させ、経済的な破滅につながる。
 中川昭一前財務大臣のG7における失態は、国民の記憶にあたらしい。

 アルコーリズムの治療は、糖尿病の治療に似ている。
 糖尿病患者は一生食事療法を守らねばならない。
 同様に、アルコーリックは一生断酒をつづけなくてはならない。
 断酒は、日常の治療行為なのだ。日常の治療行為を守っているかぎり、社会生活を送ることができる。
 入院は、通過点にすぎない。
 病院の外でのケア、ソーシャルワーカーの活動が重要になる。
 だが、日本では、ソーシャルワーカーの仕事に対する理解がじゅうぶんではなく、その地位が確立されていない。実績を積みつつあるが、まだまだ評価は低い。
 なお、病院の外での治療には、断酒グループが大きな役割をはたしている。

 日本人のアルコール消費量がかつてのヨーロッパの人なみになった今、アルコーリズムの社会的影響、対策の必要性はますます高まっている。
 治療法、治療にあたっての経験的知恵、公衆衛生との関わり、対策とその財源の案まで、アルコーリズム対策の原点を本書で確認することができる。

□なだ いなだ『アルコーリズム -社会的人間の病気-』(朝日文庫、1999)
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書評:『テロリスト』~マルティン・ベック・シリーズ~

2010年01月31日 | □スウェーデン
 本書は、マルティン・ベック・シリーズの最終巻にしてシリーズ最高作。
 小さな事件(銀行強盗と誤認逮捕)から大きな事件(政治家暗殺)まで、大小の事件が次から次に続いて、警察小説たる資格を十分に示してはいる。
 だが、本書の妙味は、すくなくとも面白さの大きな部分は、事件の解決よりも、警官たち群像の描きわけにある。

 まず、主人公ベック。 ユーモアと知性による問題解決、つねに現場の第一線にたって一般市民と直接的な関係をたもつ姿勢、人々と対話する能力とその結果たる第一級の尋問技術、すぐれた記憶力、頑固さ、論理的な思考能力、徹底した調査。
 あるいは、フレデリック・メランデル警視。卓越した記憶力の主、電話あしらいがたくみで、「勤務中はたいていパイプをいじくりながら書類とにらめこをしており、席にいないと思うと必ずといっていいくらいトイレにいる」
 どことなくおかしみを誘う性格描写だが、奇矯という点では、身長196センチ、体重112キロの巨漢グンヴァルト・ラーソン警視にまさる者はいない。要約しにくい性格なのだが、あえてひと口でいえば奔放。遠慮なく思うところを口にするから、上司はもとより同僚から煙たがれている。だが、意外とまっとうな考え方をする人物なので、上流階級出身でありながら自分の生家を嫌って船員、そして後に現職に就いたのもそれが原因だった。
 北部ラップランドのアルイェプローグ出身、いつも赤い鼻をして寡黙な、つまり一見冴えないエイナール・ルンがラーソン唯一の友人であった。二人は、そろってアルイェプローグで釣りざんまいの休暇をすごしたりする。口にだして言わずとも互いの考えが読めるという点で、かってのベックとコルベリの関係に近い。

 そう、人物の描きわけは、単に個性の強調ではない。人間関係の描きわけでもある。
 つまり、組織の中の人間関係であり、同時に目的達成的な組織の枠をはみだす人間的な部的である。この人間的な部分は、ベックたち部下から蔑視され、本書のいたるところで狂言まわしをつとめるスティーグ・マルム警視長にも与えられている。
 「長い歳月のあいだに、彼は自分でも知らぬうちに、あらゆる微笑のサンプルを一揃い身につけていた。いま披露に及んだのは、愛想笑い、ないし追従笑いというやつだろう」

 著者は、このシリーズで10年間にわたるスウェーデン社会史を描こうとした。批判的に。
 批判過剰な面があって、「スウェーデンの他の空港の例に漏れず、アーランダも都心を遠く離れたところにある。陰気な空港である。スウェーデンに期待を抱いてやってくる観光客たちに、しょっぱなから冷水をぶっかける役割は十分に果たしていた」というあたりは、やり過ぎという気がする。
 初夏の空港は、さっぱりしたよい感じなのだ。すくなくとも、本書刊行直後にスウェーデンを訪れた私たちの目にうつったアーランダ空港は。
 だが、こうした批判が盛りこまれているがゆえに、登場人物は自律的な動きをしている。わが日本のミステリーにありがちな、ストーリーに従属する人形ではない。

 警察組織に対する批判は、三人に代表される。
 やっていられない、と組織から早期退職したレンナルト・コルベリ。疑問を抱きながらも組織内で黙々と能力を発揮するベック。公然と批判を口にしてはばからないラーソン。
 この三人は思想的に血縁関係にある。さればこそ、ベックはコルベリと以心伝心の仲だった。ベックはラーソンの粗野さを嫌っていたが、本書の終わりちかく、つまりシリーズの掉尾ちかくで独白する。
 「マルティン・ベックは、じっとラーソンの顔を見つめた。この男の言動に慣れるまでに五年間かかった、と彼は内心考えていた。さらに五年間かかって、やっとこの男がわかってきた。もう五年間たてば、われわれはきっとお互いが好きになれるだろう」

 要するに、主な登場人物は孤立していない。一方に家族があり、他方に友情があり、共通の目的のために協働する同僚がいる。互に嫌いあっているはずの殺人課の同僚たちにも人間関係の深まりが見られるのである。
 本書は、四半世紀へた今でもスウェーデンの代表的ミステリーであり続けているのは、単なる謎ときにとどまらず、組織人の人間学としても読みごたえがあるからだ。
 このシリーズによって描かれるスウェーデン社会はじつに暗い。犯罪にスポットライトをあてているから暗くみえるのは当然だが、犯罪者をふくめ、当時高福祉がうたわれていた社会のいたるところに孤独な人間が登場する。
 もしかすると、スウェーデン人の孤独がマルティンベック・シリーズの隠れたテーマであるのかもしれない。そして、孤独に対処する術の探求も。

□マイ・シューヴァル/ペール・ヴァルー(高見浩・訳)『テロリスト』(角川文庫、1983)
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書評:『パリふんじゃった 花の都の奇人たち』

2010年01月31日 | ノンフィクション
 まるでモーパッサンの短編小説を思わせる話が列記される。
 モーパッサンとちがって、実話である。
 たとえば、「Ⅱガレの家具に秘めた恋」。

 ポーランド系ユダヤ人のピタル氏、故国でナチに捕らえられたが、脱出してパリに潜んだ。戦後、ありとあらゆる仕事をこなし、寝る間をおしんで働いた結果、実業家として大成する。
 40歳を過ぎてカトリーヌと出会い、1年間の交際の後、二十歳近く年下の彼女と結婚した。
 睦まじい仲が続いたが、ピタル氏が60歳を過ぎたあたりからカトリーヌの放蕩がはじまる。最初の出奔。やつれ果てて帰ってきた彼女を、それでも愛していたピタル氏は何も言わずに許した。
 だが、3年後、二度目の、そして最後の出奔が起きた。そして、カトリーヌは金庫の現金をすべて奪って逃げた。
 ために、ピタル氏は破産する。債務を清算するために、彼に親切だったオーブル夫妻に別荘を安く譲った。
 オーブル夫妻は、別荘の地下室に、近代フランスの最高の名工エミール・ガレの家具一式を見つけた。それだけで別荘の一軒が買える高価な品である。新婚まもない幸せな頃、ピタル氏がカトリーヌに贈ったものであった。
 オーブル夫人は、南仏に移っていたピタル氏に連絡した。返事にいわく、
 「知っていたが、今の自分には何の価値もない。マダムの手と心でガレの家具を、ふたたび生きた価値のあるものに甦らせてください」

 著者は、本書刊行当時、在仏25年間の建築家であった。齢50をすぎて、過去に、ことに30代なかばに出会った畸人たちを回想したのが本書である。
 奇人と呼ぶのは本人たちに失礼かもしれない、彼らには彼ら自身の人生を生きる自由があるのだから。・・・・著者は、あとがきで、そう断る。
 これは思いやりだろうか。いや、彼ら自身の人生を生きる自由は、同時に、自由の結果は彼ら自身しか引き受けることはできない(他人に責任転嫁できない)、という厳しさを含む。じじつ、ピタル氏は破産をカトリーヌのせいにしていない。ひとたびカトリーヌを選択した自分が責任を負うべきもの、と覚悟している。
 こうした厳しさは、日本では・・・・稀れにしか見られない、と思う。よくも悪くも、日本人は「甘えの構造」にとっぷり浸っている。

 要約では省いたが、著者自身、こうした奇人たちと交渉をもっている。その関わり方がよい。すこぶる人間味に満ちている。
 本書は、いっぷう変わったパリジャンあるいはパリジェンヌを語って、おのずから著者自身の人となりを髣髴させる。

□尾嶋彰『パリふんじゃった 花の都の奇人たち』(文藝春秋社、1995)
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書評:『ラフカディオ・ハーンの耳』

2010年01月31日 | 批評・思想
 『ラフカディオ・ハーンの耳』は、比較文化学者によるハーン論集である。
 『大黒舞』『ざわめく本妙寺』ほかの論文をおさめる。写真、図版を多数収録。

 収録論文の一、『耳なし芳一考』は、ハーンの短編『耳なし芳一』を芳一、阿弥陀寺の住職、平家の亡霊の三角関係においてとらえる。
 阿弥陀寺は平家の怨霊をなだめるために建立されたが、僧侶だけでは民衆を守りきれず、琵琶法師の手を借りなければならなかった。つまり、琵琶法師は楽師である前に民間祈祷師であり、地神の怒りを鎮める盲僧として共同体に属する存在だった。
 しかるに、阿弥陀寺の風流を好む和尚は芸術上のパトロンとして芳一を独占してしまった。
 芳一も経済的保障を優先して、無意識のうちに共同体を裏切ったのだ、うんぬん。

 といった書き出しから、この物語における聴覚優位に着目し、原典の『臥遊奇談』に記される「耳きれ芳一」をハーンが「耳なしEarless芳一」へ変えた点を追求する。
 併せて、聴覚から視覚へ転換する際の怪奇性(般若心経を全身に書かれたために亡霊は耳しか見えない、その耳をもぎとる場面)、琵琶法師たち漂泊の芸能民と寺院との癒着に係る歴史的考察、柳田国男に拠りつつ逃竄説話(魔性にとらわれた人間が身体の一部を譲りわたして帰る話、たとえばこぶとり爺さん)への位置づけ・・・・といった多様な観点からも論じる。

 民俗学や歴史学を援用しながら作品を透視する作業の延長に、ハーンの姿が炙りだされてくる。
 それは語る女に執着するハーンである。
 妻セツをはじめ、横浜のマッサージ師といい、松江の大黒舞の一座といい、神戸の門づけといい、ハーンが日本紀行の中でとりあげた街頭芸能者は女性に偏っていた、と著者は指摘する。
 彼女たちを通じて日本文化の暗部に踏み込んでいった、と。
 教壇の上からもっぱら男子学生に対して、ハメルーンの笛吹き男のように「奇妙な笛を吹きならす笛吹きである自分にも耐えなければならなかった」ハーンにとっては、耳なし芳一は「日本に来てはじめてみずからを投影できた芸能者であっただけではなく、ハーンが求めても求められなかった悦びに浴しえた、羨むべき芸人でもあったのである」

 さらに、著者は、ハーン作品のうち少なからぬ数が「おしどり」や「雪おんな」などの「魔性の女」、あるいは「宿命的な女性」に捧げられていると指摘し、『耳なし芳一』もこの系譜に属するという。
 だとすると、著者が推定するように、ハーンの心は阿弥陀寺の和尚よりも「老女」や泣きわめく女官の側に置かれていたことになり、この短編は悠々自適するディレッタントである和尚の勝利と見るわけにはいかない。
 『耳なし芳一考』の末尾は、カフカの寓話『セーレーンの沈黙』と比較し、周囲に「心地よい雑音」があふれかえっていたハーンの幸福を説く。しかし、やや唐突な印象をまぬがれない。
 とまれ、一短編を素材に日本の伝統的文化の一端から一文学者の個性まで滔々と論じて、じつに刺激的で面白い。

□西成彦『ラフカディオ・ハーンの耳』(岩波同時代ライブラリー、1998)
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【読書余滴】組織の中で人はどう変わるか ~集団の心理学~

2010年01月31日 | 心理
 『集団の心理学』には、管理社会における個性の喪失、という問題意識があって、この観点から著者が重要と思う問題に紙数が割かれている。
 具体例、ことに実験が多数紹介されていて、興味深い。じつのところ、「興味深い」では片付かない重い実験がある。

 たとえば、「模擬監獄実験」。
 ジンバルドは、新聞広告に応募のあった75名の中から24名の学生を選び出し、半数を看守役に、残る半数を囚人役にふりわけた。契約期間は2週間である。被験者はいずれも中流家庭出身、身体的にも精神的にも成熟し、かつ安定していて、反社会的行動に走ることはない、と推定された。
 しかるに、2日もたたないうちに暴動が起きた。
 囚人(役の被験者、以下同様)は囚人服を脱ぎ捨て、独房に閉じこもって叫び、看守(役の被験者、以下同様)を罵った。
 看守は消火器を用いて囚人の暴動を鎮圧した。
 一度暴力をふるうと囚人は著しく受動的となり、抑鬱傾向を示し、自己嫌悪感を吐露するようになった。看守は囚人の自尊心を傷つけ、脅迫しはじめ、凝ったテクニックを用いて囚人の結束を壊し、互いの間に不信感をまいた。
 36時間後、囚人の一人は情緒障害、思考混濁を起こし、「釈放」された。
 4日目、囚人の二人がひどい情緒障害を起こして「釈放」され、さらにもう一人の囚人がサイコソマティックな発疹を起こし、彼も「釈放」された。
 5日目、囚人は個人としても集団としても著しい崩壊の徴候を見せはじめ、現実との接触を失った状態となって、受動的になり、扱いやすい状態となった。
 他方、看守は囚人たちをますます苦しめ、いよいよサディスティックにふるまうようになっていった・・・・。
 暴力やサディズムは、集団の中で権力の側に立つとき発生する。

 イェール大学のミルグラムによる「アイヒマン実験」も紹介されている。
 「記憶に関する実験」という名目で被験者が集められ、一方は教師役、他方は生徒役にふりわけられた。被験者は、新聞広告及びダイレクト・メールに対する応募者の中から、職業、年齢層が偏らないよう選ばれた。
 生徒(役の被験者たち、以下同様)がまちがった答えを出したとき、教師(役の被験者、以下同様)は罰を与えなければならない、と教師には説明された。
 生徒は実験がはじまる前に椅子に縛りつけられ、手首に電極をつけられる。教師の前の机には送電気のスイッチが横に30個並んでいる。15ボルトから450ボルトまで30段階のスケールになっている。375ボルトのスイッチには危険と記され、残り2個には不気味な××の印しがつくのみ。
 教師は次のような問題を読みあげる。「青い/箱」、「よい/日」、「野生の/鴨」。対の言葉を生徒に記憶させ、テストするのである。
 ところが、どうしたわけか、生徒はまちがってばかりいる(実は生徒はサクラなのであった)。
 75ボルトあたりまでは生徒は特別な反応を示さないが、90ボルトになると独言みたいにブーブー言う。105ボルトあたりまではその状態が続くけれども、120ボルトになると大声で苦痛を訴える。135ボルトになると苦しそうなうめき声になり、150ボルトになると「もう実験はやりたくない」という絶叫になる。180ボルトになると生徒は「痛くてたまらない」と絶叫しつづけ、270ボルトでは苦悶の金切り声になる。330ボルトになったところで生徒の反応はなくなる。
 実験の前に精神科医が予想したのは、生徒がはっきりと「やめたい」という150ボルト以上には(良識が抑制するはずだから)進まないだろうし、300ボルトまでいくのはせいぜい4%、最高水準までいくのは千人に1人だろう、というものだった。
 実験の結果は予測を覆した。
 40名の教師の6割にあたる25名が最後の450ボルトまでショックを与えつづけたのである。
 この実験は、ふつうの人間が集団の中で一定の役割をになうと、(個々の良識による歯止めがきかないままに)いかに残忍になりえるかを実証した。

 遺憾ながら、本書には引用文献、参考文献、索引がついていない。この点、講談社新書は中公新書ほど親切でない。
 ちなみに、「アイヒマン実験」に係る原典は邦訳されている。スタンレー・ミルグラム(岸田秀訳)『改装新版 服従の心理:アイヒマン実験』(河出書房新社、1995)がそれだ。

【参考】磯貝芳郎『集団の心理学』(講談社新書、1983)
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『大岡昇平全集 1』(筑摩書房、1996)

2010年01月30日 | ●大岡昇平
  ※解説:大岡昇平以前の大岡昇平  西川長夫

第1巻 初期作品
  ○セザンヌ ジャック・リヴィエール
  ○訳詩三篇 ジャック・リヴィエール
  ○ランボオ ポオル・クロオデル
  ○タルチュフ懲罰 アルテュル・ランボオ
  ○「アルマンス」に序す
  ○ブルターニュ紀行 アンドレ・ジイド
  ○青春
  ○横光利一氏の『母』
  ○『樹のない村』と『幼き合唱』
  ○『自然と純粋』讃辞
  ○批評家ジイド
  ○作家の倫理の問題
  ○アンドレ・ジィドの転向に就いて
  ○河上徹太郎の文章に就いて――覚書
  ○アンドレ・ジイド『ドストエフスキー論』
  ○アラン『散文論』祝辞
  ○「リアリズム文学の提唱」に就いて
  ○ジイドの流行
  ○破片
  ○短編小説に就いて
  ○『春琴抄後語』の読後感
  ○『M・子への遺書』ほか
  ○不安について
  ○スタンダール
  ○スタンダール――テエヌ
  ○伊藤富士雄『村の人々』
  ○年頭平凡――新年号を読んで
  ○森山啓の『知識階級と文学』ほか
  ○能動主義・新浪漫主義について 〈アンケートに答へて〉
  ○ジイドと横光利一――純粋小説とは何か
  ○小野さんの印象
  ○肉体の問題――永井龍男氏『ある男の帰宅迄』
  ○『アンリ・ブリュラアルの生涯』
  ○「ルナアルの日記」
  ○古谷綱武――『横光利一』祝辞
  ○スタンダアル(一七八三 ― 一八四二)
  ○小説の面白さについて
  ○『赤と黒――スタンダアル試論の二――』
  ○鎌倉通信
  ○小説の問題
  ○わが国の近代文学
  ○武藤貞一『戦争』
  ○ポール・ド・クルーフ『死と闘ふ人々』
  ○フランソア・モオリヤック『イエス伝』
  ○ジョセフ・ケッセル『流弾』
  ○農民作家小説集『平野の記録』
  ○大仏次郎『雪崩』
  ○スタンダアル『ナポレオン』
  ○小林秀雄『現代小説の諸問題』
  ○小林一三『次に来るもの』
  ○杉山平助『新恋愛論』
  ○チャーチル『世界大戦』
  ○答――杉山平助氏へ
  ○『赤と黒』のモデル
  ○女流作家のナルシシズム
  ○武藤貞一『日支事変と次に来るもの』
  ○現代の文学青年を論ず
  ○新しき雄弁について
  ○伊藤整『青春』
  ○ステファン・ツワイク『知性と感性』
  ○訳序〔アラン『スタンダアル』〕
  ○スタンダアル『ラシーヌとシェイクスピア』
  ○編輯後記〔『季刊鞦韆』〕
  ○アランの文体について
  ○近代人の典型――『チェルリイニ自叙伝』
  ○マキアヴェルリ『君主論』
  ○〔スタンダール『アンリ・ブリュラール伝』訳序〕
  ○マキアヴェルリとヒットラー
  ○スタンダアル『ハイドン』解題
  ○スタンダール『ハイドン』について
  ○ティボーデ『スタンダール伝』後記
  ○訳序〔バルザック『スタンダール論』〕
  ○バルザック『スタンダール論』解説
  ○試聴室
  ○各社特輯レコード
  ○ポピュラーセクション
  ○軽音楽のレコード
  ○ビゼーのこと――附 ベルトの美しき娘――
  ○メンデルスゾーン「洋琴協奏曲ト短調」
  ○テルフンケンの軽音楽二組
  ○『交響曲イ長調』について
  ○スタンダアル アラン
  ○アンリ・ブリュラール伝 スタンダール
  ○ハイドン
    ・序 一八一四年版
    ・有名なる作曲家ハイドンに関する手紙
    ・モツアルトに関する手紙
    ・献辞 ドリイニイ夫人に
  ○スタンダール伝 アルベール・ティボーデ作
  ○スタンダール論
    ・スタンダール論 バルザック
    ・バルザックへの手紙
    ・「パルムの僧院」のマルヂナリア
    ・「パルムの僧院」の断片
    ・「パルムの僧院」の起源
  ○赤リボン
  ○あぢさゐ
  ○お菓子
  ○吾輩は犬である
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『大岡昇平全集 2』(筑摩書房、1994)

2010年01月30日 | ●大岡昇平
  ※解説:『俘虜記』のエチカ 柄谷行人

第2巻 小説Ⅰ
  ○俘虜記
    ・捉まるまで
    ・サンホセ野戦病院
    ・タクロバンの雨
    ・パロの陽
    ・生きている俘虜
    ・戦友
    ・季節
    ・労働
    ・八月十日
    ・新しき俘虜と古き俘虜
    ・演芸大会
    ・帰還
    ・附 西矢隊始末記
  ○靴の話
  ○食慾について
  ○俘虜逃亡
  ○西矢隊奮戦
  ○ミンドロ島誌
  ○比島に着いた補充兵
  ○サンホセの聖母
  ○海上にて
  ○出征
  ○暗号手
  ○襲撃
  ○敗走紀行
  ○女中の子
  ○歩哨の眼について
  ○山中露営
  ○ユー・アー・ヘヴィ
  ○忘れ得ぬ人々
  ○齋藤君の思い出

  【参考資料】
  ○真藤君の思ひ出
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『大岡昇平全集 3』(筑摩書房、1994)

2010年01月30日 | ●大岡昇平
  ※解説:想像の地平との出会い 辻邦生著

第3巻 小説Ⅱ
  ○野火
  ○野火(初出導入部)
  ○武蔵野夫人
  ○わが復員
  ○愉快な連中
  ○神経さん
  ○再会
  ○妻
  ○帰郷
    ・姉
    ・家
    ・帰郷
  ○女相続人
  ○母
  ○父
  ○来宮心中
  ○一寸法師後日譚
  ○動物
  ○鷹
  ○停電の夜
  ○清姫
  ○振分け髪
  ○沼津
  ○釣狐
  ○車坂
  ○逆杉
  ○黒髪
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『大岡昇平全集 4』(筑摩書房、1995)

2010年01月30日 | ●大岡昇平
  ※解説:未完と中断の裏側 黒井千次著

第4巻 小説Ⅲ
  ○酸素
  ○ハムレット日記
  ○化粧
    ・面影
    ・犬のいる家
    ・玉井巡査の疑問
    ・生きている過去
    ・ほくろの美学
    ・ぬかるみ
    ・帰宅
    ・化粧
    ・正午
    ・それから
    ・抗毒素
    ・街角
    ・夜の冒険
    ・源蔵の宿
    ・最後の機会
    ・影の部分
    ・暴力
    ・休みの日
  ○黒い太陽
  ○漂う湖
  ○月光
  ○啓吉の反省
  ○大きいのと小さいの
  ○パターンの人生
  ○蜘蛛の糸
  ○好色の戒め
  ○美人
  ○裸婦
  ○一つの死
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『大岡昇平全集 5』(筑摩書房、1995)

2010年01月30日 | ●大岡昇平
  ※解説:大岡昇平における推理と戦争 吉田熈生著

第5巻 小説Ⅳ
  ○雌花
  ○夜の触手
  ○お艶殺し
  ○春の夜の出来事
  ○驟雨
  ○真昼の歩行者
  ○秘密
  ○闖入者
  ○疑惑
  ○雪の上の呼び声
  ○ゴルフ殺人事件
  ○最後の告白
  ○緑の自転車
  ○夢
  ○夕照
  ○シェイクスピア・ミステリ
  ○妻の証言
  ○不充分な動機
  ○黒い眼の男
  ○狂った自白
  ○扉のかげの男
  ○無罪
  ○誤判
  ○サッコとヴァンゼッティ
  ○長い歯を持った男
  ○あなた
  ○エリザベスの謎
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『大岡昇平全集 6』(筑摩書房、1995)

2010年01月30日 | ●大岡昇平
  ※解説:祖型としての推理小説 平岡篤頼著

第6巻 小説Ⅴ
  ○事件
  ○歌と詩と空と
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『大岡昇平全集 7』(筑摩書房、1995)

2010年01月30日 | ●大岡昇平
  ※解説 「花影」について 中村稔

第7巻 小説Ⅵ
  ○花影
  ○雲の肖像
  ○午後の誘惑
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『大岡昇平全集 8』(筑摩書房、1995)

2010年01月30日 | ●大岡昇平
  ※解説:反復と平面 蓮実重彦著

第8巻 小説Ⅶ
  ○保成峠
  ○檜原
  ○天誅
  ○挙兵
  ○天誅組
    ・脱藩
    ・草莽
    ・船中書取
    ・天誅
    ・武市半平太
    ・公子登場
    ・勅使東へ行く
    ・再会
    ・帰郷
    ・庄屋屋敷
    ・旋風時代
    ・同志の人々
    ・浪士人別
    ・生麦事件始末
    ・木屋町三条
    ・挙兵上京
    ・挙兵まで
  ○吉村虎太郎
  ○将門記
  ○姉小路暗殺
  ○高杉晋作
  ○竜馬殺し
  ○渡辺崋山
  ○マテオ幻想
  ○島
  ○凍った炎
  ○ナポレオンの眼
  ○思い出すは桜丸
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