語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【官僚】政治家操縦術・審議会システムの応用編 ~震災は増税のチャンス~

2012年05月31日 | 社会
 昨年4月14日、第1回「復興構想会議」が開催された。五百旗真・議長は、冒頭の挨拶で、いきなり「増税」を口走った。裏に、会議を取り仕切る財務省がいたことは明らかだ。
 政府のこの種の会議には、庶務担当が置かれる。庶務担当は、会議のスケジュールから議題まですべてを仕切る。仕切る庶務担当の意向によって、議論の内容や結論が如何ようにでも左右される(「庶務権」)。よって、誰が仕切るかがポイントになる。
 復興構想会議は、復興構想会議運営条項第7条において、内閣官房が仕切ると定められた【注】。
 具体的には、被災地復興に関する法案等準備室だ。室長は、佐々木豊成・内閣官房副長官補(財務省から出向)だ。

 会議のメンバーの人選も、「庶務権」が行使された。つまり、財務省に都合のよい人たちが集められた。
 まず、メンバーに身内を送り込んだ。復興税を集中的に議論するための検討部会の大武健一郎・大塚ホールディングス株式会社代表取締役副会長(税務畑の財務省OB)がそれだ。
 他も、財務省の「御用知識人」が多い。しかも、大武副会長を除けば、税に関する専門家がいない。大武副会長に対抗できる人がいない。大武副会長のリードによって部会が進んでいく。財務省は、自分たちの代弁者として大武副会長を起用し、他は反対意見が出ないメンバー構成にしたのだ。
 仮に財務省の意に沿わない意見の持ち主が間違って交じってしまったとしても、彼/彼女が税に詳しくなければ丸め込むのはさほど難しくない。「会議のスケジュール調整」や「会議の説明」と称して接触する際、庶務担当は「ご説明」する。経済に詳しくない有識者は、「ご説明」でコロリとやられてしまう。

 五百旗議長以下、委員たちは決まって復興増税に言及した。しかも、その理由は判を押したように同じ、国民全員で負担しよう、だった。「ご説明」でメンバーの隅々まで洗脳されたことがよくわかる。洗脳されなかった人もいたが、多勢に無勢だった。
 結局、財務省の考える復興構想会議の役割は、増税に世論を持っていくことだった。
 そのため、報告書は6月末までずれこんだ。なぜ6月末なのか。7月はじめになると、前年度税収の係数がわかり、剰余金処理できる数字がわかる。その前に本格的な復興予算の話になると国債増発が避けられない。1,000年に1度の災害だからそれでもよいと国民が考えても、財務省としては国債を発行したくない。その次の三次補正で国債を発行しても、その償還財源で増税に結びつけたいから、二次補正では国債をどうしても発行したくなかったのだ。
 7月までに二次補正できないようにするため、復興構想会議が使われた。会議メンバーの善意を財務省は利用し、二次補正の日程をずらしたのだ。

 財務省は、民主党内にも手を回し、税制改正プロジェクトチ-ム(小沢鋭仁・座長/元環境相)で、復興連帯税の導入を検討させている。
 国民の合意を得やすい復興連帯税を時限増税としてまず導入し、復興が一段落したところで、そのまま社会保障目的に更衣して消費増税になだれ込むのが、財務省の戦略だった。
 更衣戦略は火事場泥棒のようなものだ、と反発と非難を呼び、一時鎮静化したが、昨年6月、復興構想会議が復興財源として法人税、所得税の臨時増税を総理に提言し、再浮上した。

 【注】「東日本大震災復興構想会議の開催について

 以上、高橋洋一(元大蔵相理財局資金企画室長)『財務省が隠す650兆円の国民資産』(講談社、2011)に拠る。

 【参考】「【官僚】政策立案の成功が続く最大のからくり ~審議会システム~
     「【政治】官僚が政治家をあやつるテクニック ~財務省による民主党支配~
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【官僚】政策立案の成功が続く最大のからくり ~審議会システム~

2012年05月30日 | 社会
 政府案は、審議会の答申に基づいて推敲される。
 審議会の事務局は、役所に置かれる。複数の省庁にわたるものは内閣府に、そうでないものは所轄省庁に置かれる。事務局は、最大の権力を握る。霞が関の官僚のいわゆる「庶務権」だ。庶務権によって、審議会を好きなようにコントロールできるのだ。

(1)委員の人選
 委員には、その分野の選りすぐりの学者や有識者が集められる・・・・ことになっているが、実態はお寒いかぎり。
 役所と反対の意見を持つ人は、初めから排除する。人選基準は、(a)考えを同じくする学者、(b)自分たちの言いなりになりそうな人だ。
 学者や有識者は、たとえ自分の見識に自信がなくとも、政府の審議会委員に抜擢されれば箔が付く。断る人はまずいない。専門家でもないのに、声がかかっただけで舞い上がり、引き受ける。その結果できあがるのは、役所の代弁機関となった審議会だ。
 審議会委員のなかには、役所の覚えがめでたくなりたいために、お先棒を担ぐ人もいる。
 <例>中川秀直・元自民党幹事長が埋蔵金に言及すると、まるでわかっていないのに「あれは素人だから」と馬鹿にして、「埋蔵金などない。特別会計の余剰金は必要だ」とあちこちで主張した学者がいた。しかし、2007年、財務省はあっさりと埋蔵金の存在を認めた。梯子を外され、大恥をかいたのは、先頭に立って騒いでいた学者たちだ。そのあたりは財務省もよく心得ていて、重要だと考えている重鎮の委員にはこんな恥はかかせない。梯子を外されたのは、財務省にとって使い捨ての学者だった。

(2)「振り付け」
 1回目の審議会が開催される前に、委員に選ばれた学者たちに対して、役人があらかじめ説明する。役所の思惑どおりに振る舞うよう振り付けるのだ。
 このとき、素人同然の学者のなかには、何を聞いたらよいのか、と訊く人もいる。役人が吹き込むと、熱心にメモをとる。
 <例>内閣府税制調査会で、役人の説明を嬉嬉として聞き、税調で仕入れた情報や理論をまとめて自分の本にしたてあげた学者が、かつて何人もいた。

(3)枠組みの押しつけ
 新しくつくられた審議会の方向性は、最初につくられたドラフトでほぼ決定する。方向性や議論すべき内容を記したペーパーが配布されると、その枠組みを超えて議論を展開するのは、心理的にも難しくなる。このフレームを事務局がつくる。
 事務局は、役所に都合の悪い問題点をわざと落としたり、主張したい論点を強調してドラフトをつくり、審議会の結論を誘導する。
 たとえ、委員のなかに事務局がつくったドラフトとは違った意見をもつメンバーがいたとしても、自らが新たに作成したものをぶつけるまではやらない。せいぜい口頭で反論するぐらいだ。その結果、審議会の議論は役人の意図した範囲から逸脱しないですむ。
 熱心な委員が、役人の考えとは違う意見をまとめてきたら、自分たちの都合のよいように書き直す。
 改竄が無理なほど自分たちの意見とかけ離れている内容だったり、触れてほしくない問題点を議題にのせそうな人がいれば、今度はロジスティックで対抗する。

(4)反対意見の締め出し
 当日予定されている議題に反対意見を持つ人が来られない日を調べて、わざとその日に審議会を設定する。集まったメンバーは皆、賛成だから、議題はすんなり通る。

(5)引き延ばし
 (a)<例>骨太の方針を盛り込ませたくない、と考えると、骨太の方針発表予定日から逆算して、とても間に合いそうもないときまで待って審議会をスタートさせる。
 (b)期限を切らずに、延々と議論させ、結論を先伸ばしにする。
 (c)それでも、意に反する結論が出そうになれば、潰す。「結論が出なかった」といってしまえば、それで終わりだ。

(6)委員の数の水増し
 2時間の審議会をセットした場合、そのうち1時間は役所の説明にとられる。委員が意見を言える時間は残り1時間しかない。30人のメンバーがいれば、一人たった2分だ。こんな短い時間では何も言えない。当然、結論はまとまらない。最後は時間切れになって、「座長一任でお願いする」という動議が出される。座長はペーパーを書くヒマはないので、結局、事務局が好きなようにまとめることになる。

(7)朦朧化
 玉石混淆の議題を数多く用意し、議論をかき回す。議題が多岐にわたれば、焦点が定まらず、これまた結論は出ない。

(8)その他
 審議会の報酬は、1回当たり15,000~20,000円。審議会は2時間ほどだから、時給10,000円だ。意見を述べる時間は数分間だから、実質的に数分間で15,000~20,000円の高給だ。委員20人の審議会ならば、1回当たり400,000円前後の税金が消える。
 地方から上京する学者には、むろん、旅費が支払われる。複数の審議会のメンバーになっている人も多い。彼らのために同じ日に審議会の日程が組まれる。地方の学者には、審議会ごとに旅費が支給される。
 それでも、まじめに仕事をするなら、まだいい。が、役人のつくったペーパーのチェック機能さえ果たしていない。
 <例1>2002年秋、道路公団改革の際、配布された道路需要予測の数値に間違いがあった。この予測は、社会資本整備審議会で延々と議論されて出されたモデル、というふれこみで、予算もそれをベースに要求されていた。しかし、需要予測モデルに明らかなミスがあった。7%も過剰で、正確な予測を基にすると、公共事業の3%カットは計算上達成できる、という結果になった。道路財源を確保したい役人が、意図的に数値を操作したらしい。
 <例2>すでに埋蔵金の存在が明らかになっている時点で、日本有数の立派な学者たちが集まって何度も慎重に審議したはずの財政審で、埋蔵金の「ま」の字も出てこなかった。誰もまじめにペーパーを見てないからだ。
 他の審議会でも<例1><例2>と同様で、体裁を整えるために無駄に税金が遣われているのだ。

 以上、高橋洋一『さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白~』(講談社、2008。後に『さらば財務省! 政権交代を嗤う官僚たちとの訣別』(講談社+α文庫、2010))に拠る。

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【原発】非公開会議による報告書の書き換え ~核燃料サイクル~

2012年05月29日 | 震災・原発事故
(1)内閣府原子力委員会(近藤駿介・委員長)は、審議会等の一つ(2001年1月6日、中央省庁再編)【注1】。
 同委員会には、事務局のほか、現在、小委員会(原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会)、専門部会(政策評価部会・原子力防護専門部会・食品照射専門部会・研究開発専門部会・原子力試験研究検討会・核融合専門部会・新大綱策定会議)、懇談会(市民参加懇談会・国際問題懇談会)が設置されている【注1】。

(2)事務局には、電力会社の出向社員が4人、非常勤職員として採用されている【注4】。原子炉メーカーの社員も【注3】。

(3)原子力委員会は、原子力を推進する最高機関で、原子力政策大綱の改定も審議する【注3】。核燃サイクル問題とあわせて政府のエネルギー・環境会議に複数の改定案を示し、政府は他のエネルギー政策とともに「国民的議論」を経て決める【注3】。
 昨年9月、原子力政策大綱の見直し作業が再開されたが、策定会議メンバー27人は事故前とほぼ同じで、八木誠・電気事業連合会長/関西電力社長、鈴木篤之・日本原子力研究開発機構理事長、田中知・東京大教授/日本原子力学会長ら原子力関係者が目立つ【注7】。

(4)原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会は、原発から出る使用済み核燃料の処理方法を議論し、5月16日の会議で、(a)「全量再処理」(従来路線の核燃料サイクル政策を推進する)、(b)「全量直接処分」(地下へ直接燃料を埋める手法で再処理工場が不要になる)、(c)両者の「併存」・・・・の三つの選択肢を示した【注2】。近く政府の「エネルギー・環境会議」に報告し、今後の政策が決まる【注2】。

(5)事務局は、電力会社など原発推進の側だけを集めた「勉強会」と称する非公開会議を昨年11月から今年4月まで計23回開催した【注5】。
 「勉強会」では、核燃料サイクル政策の見直しを議論する小委員会の審議前に、資料を業者に流していた【注3】。 会合に小委員会から出席していたのは座長のみ【注3】。報告書案は、事業者に有利になるよう書き換えられた【注3】。

(6)4月24日の非公開会議では、核燃料サイクルの方向性をめぐる議論が大詰めを迎えた【注6】。鈴木達治郎・原子力委員会委員長代理/核燃料サイクル技術等検討小委員会座長、日本原燃(青森県六ケ所村で使用済み核燃料再処理工場を運営)、電気事業連合会幹部ら約30人が顔をそろえ、日本原燃幹部は、再処理工場の存続を求めた【注2】。その場で配られた元資料(事務局作成)には、「全量直接処分」について「総費用においては優位」と言い切る表現だったが、5月8日の小委員会の資料では、経済的には「優位となる可能性が高い」と表現が後退し、直接処分よりも全量再処理や併存に優位性があって再処理工場の存続が有利ともとれる表現ぶりに書き換えられた【注2】。
 密室で恣意的な議論誘導がなされている(疑惑)【注6】。事務局を通じて利害関係者が情報を入手し、委員を差し置いて政策を取り仕切ろうとしているのだ(「ムラ」の構図そのもの)【注3】。
 「原子力ムラ」のなれ合い体質が、推進側の最高機関である原子力委員会に温存されていたことが露呈した【注6】。
 近藤委員長は非公開会議に4回出席【注5】。事務局を通じて利害関係者が情報を入手し、委員を差し置いて事業者が情報を間断なく入手できる環境を整える仕組みに、近藤委員長が「お墨付き」を与えたように見える【注6】。

(7)別の委員会に属する浅岡美恵弁護士は、審議が事務局に誘導されたり、実際の議論と事務局がまとめる内容に隔たりがあったりすることを詳細な資料にして提出している。【注3】

(8)<日本はいつまで原子力ムラの横暴を許し続けるのだろうか。今こそ、核燃料サイクルを見直す時である。巨額の核燃マネーは、被災した方々や子どもたちのために活用してほしい。>【注8】

【注1】「原子力委員会」【ウィキペディア】
【注2】記事「核燃再処理、評価を有利に修正 非公開会議で原子力委」【朝日新聞デジタル記事2012年5月24日18時03分】
【注3】社説「原子力委員会―この反省のなさは何だ」【朝日新聞デジタル記事2012年5月25日00時50分】
【注4】記事「電力業界の原子力委出向見直し 細野原発相が表明」【朝日新聞デジタル記事2012年5月25日11時49分】に拠る。
【注5】記事「「あいさつしただけ」 原子力委員長も非公開会議に出席」【朝日新聞デジタル記事2012年5月25日13時50分】に拠る。
【注6】記事「原子力委、推進派だけで会議 批判噴出、政権火消し躍起」【朝日新聞デジタル記事2012年5月26日03時00分】
【注7】記事「事故後も組織そのまま 役割一変、薄れる存在意義」【朝日新聞デジタル記事2012年5月26日03時00分】
【注8】武藤北斗(会社員、大阪府茨木市、36歳)「核燃サイクル 今こそ見直せ」 【朝日新聞デジタル記事2012年5月29日03時00分/朝日新聞「声」欄】
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【原発】ガレキ処理はなぜ進まないのか ~環境省の「環境破壊行政」~

2012年05月28日 | 震災・原発事故
(1)広域処理の「根拠」
 事実上、「災害廃棄物の処理等の円滑化に関する検討・推進会議」(昨年3月下旬に開催)で決定され、早くも42都道府県(岩手・宮城・福島・茨城・沖縄を除く)に環境副大臣名で受け入れを打診した。
 この会議は、環境省や国土交通省の局長らで構成されている。広域処理の法的枠組みも、マニュアルもない。閣議にも諮っていない。
 環境省によれば、根拠は旧・厚生省が1998年に作成した「震災廃棄物対策指針」だ。指針にいわく、「被災都道府県からの要請があった場合、または被災状況から判断して必要と認める場合には、全国的な要請等を行う」。要するに、役人が勝手に判断していたのだ。
 ゴミ処理は、自治事務として市町村に独自の権限が与えられている。国が自治体に協力を要請すること自体、慎重でなければならない。しかも、国と地歩の話し合いは欠如していた。
 それでも、福島第一原発事故がなければ、丸く収まっていたかもしれない。しかし、民主党政権が事故対応の不手際で国民の信頼を失う中、広域処理への危惧の念が急速に広がっていった。

(2)密室で決まった福島「県内処理方針」
 環境省は、汚染レベルの高い福島県のガレキ処理については、県内処理の方針を打ち出した。お墨付きを与えたのは、有識者会議「災害廃棄物安全評価検討会」(昨年5月15日に発足)だ。今年3月までに計12回開催されたが、すべて非公開。環境省ホームページに、箇条書きの議事要旨(発言者名を伏す)、配付資料の一部を掲載し、内々に議事録を作成していたが、環境NGOから情報開示請求があるやいなや、第5回以降は作成をとりやめた。
 有識者会議の処理方針(昨年6月19日了承)は、大きく2つ。
 (a)木くずなどの可燃物は、新たに放射能対策を講じなくても、既存の焼却炉で焼却可能。
 (b)放射性セシウム濃度が8,000Bq/kg以下の不燃物や焼却灰は最終処分場に埋め立て可能で、8,000Bq/kg超については一時保管。
 (a)の可燃物については、「十分な能力を有する排ガス処理施設」という条件を付けた。「十分な能力」とは、ダイオキシン対策で整備された「ろ布式集じん機(バグフィルター)のことだ。
 しかし、ダイオキシン対策が放射能汚染に通用するのか。ところが、有識者会議は、ガレキを実際に焼却炉で燃やしたデータがないまま、放射性物質とは無関係の実験などを基に「バグフィルターで放射性セシウムをほぼ100%除去できる」と結論付けてしまった。
 (b)の埋め立て処分については、8,000Bq/kg以下であれば、最も影響を受けやすい処分場の作業員でもICRPが一般の人の年間限度として示している1mSvを下回る、と環境省は主張する。
 しかし、原発廃炉時に排出される廃棄物の安全基準が100Bq/kg以下であるのと比べると、灰を普通のゴミと同じように埋め立てる基準が8,000Bq/kg以下では、いくら何でも高すぎる。処分場の浸出水処理施設では、セシウムは取り除かれずに、周辺環境が汚染される危険もはらんでいる。
 ・・・・密室会議では、こうした疑念をぶつけようがない。蚊帳の外に置かれた自治体や住民の不安は募るばかりだ。

(3)受け入れ反対はNIMBYか
 ゴミ問題だけでも厄介なのに、今回は放射能の問題も加わっている。首都圏のゴミ施設でも、焼却灰から8,000Bq/kgを超える放射性セシウムが検出された。首都圏のゴミも相当汚染されているのだ。被災地の、汚染されたゴミを燃やして大丈夫か。
 (2)で指摘したような国民不在の意思決定、政策立案プロセスがある。「広域処理ありき」。それを推進するための「焼却ありき」。
 福島の放射能汚染ガレキが「焼却OK」であれば、それ以外の地域はもっと無防備に「焼却OK」となる。だが、おおもとの「福島モデル」が疑問だらけなのだ。
 静岡県島田市は、県や環境省の担当者も交えた住民説明会を開いたが、反対派住民が「行政は都合のよいデータしか出していないのではないか」と質問しても、行政側jは「安全」の一点張りだった。
 環境省による広域処理キャンペーンの中で、地元受け入れに反対する住民はNot In My Back Yard(NIMBY)扱いをされるようになった。原発は、立地の地域社会をズタズタに引き裂く。地域社会は反対派と推進派に分断され、多くの場合、カネと権力を握る推進派が力ずくで反対派をねじ伏せてきた。広域処理も強引に進めれば、原発の二の舞になりかねない。しかも、広域処理は、被災地とそれ以外で対立の構図ができつつある。対立構図を作っているのは国だが、その自覚も反省もない。

(4)そもそも広域処理は必要か
 「復興の足かせ」論は、広域処理の大前提だ。
 しかし、ガレキがあるから復興が進まない、という話は被災地から出ていない。復興の課題としては、住宅再建、雇用確保、原発事故の補償が先に列挙される。
 ガレキの多くは、津波被害を受けた沿岸部の仮置き場に積まれている。沿岸部は、地盤沈下などによって当面は使用できないケースが多い。どのように活用していくかについては、復興計画などで青写真が提示され始めた頃だ。仮置き場への搬入率は、今後家屋などの解体で生じるものを除けば、100%だ。広域処理キャンペーンでは、ガレキの巨大な山の写真が多用されているが、大半は仮置き場でしっかりと管理されている。町中がガレキに埋もれているわけではない。 

(5)地元の提案を「門前払い」
 ガレキ処理が滞っているのは、現地での焼却や再利用が遅れているからにほかならない。阪神淡路大震災で発生したガレキ量と今回とはほぼ同じだ。ところが、震災後1年の処理率は、阪神淡路が5割、今回が6.7%だ。
 明暗を分けたのは仮設焼却場だ。阪神淡路では兵庫県内7市町に34基設置された。最も早いものは震災後3ヵ月、遅くとも1年後には稼働し始めた。一方、今回は、仙台市を除く被災市町から処理を受託した宮城県は、20基程度の整備計画を立てたが、1基目が試運転に入ったのは今年3月下旬。岩手県では、宮古市に2基、釜石市に2基整備したが、本格稼働は4月になってからだ。
 しかも、環境省や県の「お役所仕事」が被災地の足を引っ張った。岩手県は、ガレキ専用焼却炉の建設を求める陸前高田市(同市のガレキは県内最大の100万トン)を「門前払い」にしていた。県の担当者いわく、「環境アセスメントの手続きなどで2、3年かかる」。
 戸羽太・陸前高田市長の提案は国会でも取り上げられたが、具体化しなかった。戸羽市長は、<なにがしかの動きがあると思ったが、県に問い合わせれば『環境省はやる気はない』。環境省に聞けば『県から正式な反しは来ていない。話があれば当然検討する』という始末だった。やる気のない人たちだ。とにかく新しいことには挑戦したくない。環境省と県は責任をなすり付けあっている>と怒りをあらわにする。

(6)代替案はないのか
 受け入れに前向きな自治体が増えているようだが、首長の同意が得られても、住民は納得しない。先行き不透明な広域処理に固執し続ければ、ガレキ処理がますます遅れかねない。米軍普天間基地の移転問題の二の舞となる。どうせ簡単には進まないのだから、仕切り直してはどうか。
 (a)本当に放射能の汚染度が低いのであれば、もっと現地の処理量を増やせばよい。ガレキ用焼却炉を県外に造るくらいなら、現地に造ればよい。移送の費用がかからなくて済む。分別が徹底されていれば、木材などはチップ化して燃料に活用する。コンクリートのガレキは道路や堤防などの復興土木事業に再利用すればよい。
 (b)ガレキの汚染度が高ければ、当然、移動させてはならず、現場での焼却や安易な埋め立てもご法度だ。国が集中管理しなければならない。
 焼却施設や処分場は、3・11以前から情報をまともに公開してこなかった。日本の環境行政の実態は、焼却炉の排ガス規制で基準が設けられているのが窒素酸化物、ダイオキシン類など5項目にすぎず、有害物質の99%が放置されている点を指摘すれば十分だろう。
 広域処理問題を契機に、ゴミ処理全般に厳しい目が注がれつつある。住民不在は許されない。環境省の「環境破壊行政」の転換へとつながるなら、一連の騒動は無駄ではない。 

 以上、佐藤圭(東京新聞特別報道部)「がれき処理はなぜ進まないのか? ~広域処理が突き付けた環境行政の課題~」(「世界」2012年6月号)に拠る。
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【官僚】財務省が消費税を握って放さない理由2つ ~地方より国が優先~

2012年05月27日 | 社会
 消費増税は社会保障に使う・・・・財務省は民主党政権を傀儡にしてそう主張するが、理論的にありえない【注】。

(1)社会保障の原則
 社会保障の2大原則(①所得の再配分、②給付と負担の明確化)に反する。 

(2)国税として消費税を固定化 ~財務省の狙い1~
 消費税と所得税の性格からして、消費税を社会保障財源にするのはおかしい。
 (a)所得税
   受ける便益(行政サービス)に関係なく、負担能力に応じて課される「応能税」で、普通は国税として徴収される。社会保障は、国全体の広域にわたる業務なので、国がやるべきことだ。所得税を財源の一部にあてるのは間違っていない。

 (b)消費税
   受ける便益(行政サービス)にの対価として課せられる「応益税」の性格をもつ。よって、地方に納めてこそ活かされる。基礎サービス(細かいところまで住民のサービスを行う)をするのは地方なので、地方税にするのが望ましい。消費税は、景気にあまり左右されない。この特徴からしても、地方の財源にふさわしい。
   そもそも、消費税が国税になっているのがおかしい。消費税は、フランス大蔵省が発明したのだが、徴税コストが安いうえ、大きな税収が得られる優れた税なので、財務省が安定財政収入を確保するという建前で握って放さないのだ。消費税を社会保障目的化すれば国税として固定化できる・・・・これが財務省が主導する「社会保障と税の一体改革」の狙いだ。

(3)地方分権の否定 ~財務省の狙い2~
 近年、新たな国の形として地方分権が議論されている。大きな政府をスリム化するためにも取り組まなければならない改革だ。
 2008年4月、自民党国家戦略本部が道州制案をまとめたとき、地方分権に伴って必要な国から地方への財源移譲は、少なくとも15兆円要する、となった。本当に地方が自立するには、20兆円の資金移転が必要だ。
 これだけ巨額を移譲できるのは、消費税以外にあり得ない。道州制に移行するときには、その基幹税として消費税を国から地方に税源移譲すべきだ。
 その消費税を社会保障目的税にするとは、地方分権はやらない、できない、と言っているに等しい。じつは、財務省の意図はここにある。

(4)社会保障の運営の効率化
 社会保障を「社会保険方式」として運営し、消費税を財源にする場合も、道州制を導入したほうがよい。
 国と地方の役割分担が重要だ。
 (a)年金・・・・保険としての機能を活かすため、全国をカバーする。⇒国
 (b)医療・介護・・・・人口1,000万~2,000万人程度の道州を単位とするほうが、地域特性を活かして効率的な保険が運営できる。⇒地方

 しかし、「社会保障と税の一体改革」案は、地方分権と社会保障改革との関係について、ほとんど言及されていない。
 東日本大震災に対しても、東北州をつくって復興にあたるのが正しい。しかし、東北州をつくると、大幅な財源移譲が必要になる。すると、現在の国税で吸い上げて地方に配分する方法がまずいことが明らかになってしまう。で、東北のためになる東北州の議論を避けて、中央集権的方法で復興しようとしている。財務官僚は、自分たちの権限確保に一生懸命で、東北のことなど考えていない。だから、「社会保障と税の一体改革」では、地方分権の話をまったくしないのだ。

 【注】論理的におかしい。「【経済】「消費増税は社会保障に充てる」という説明のトリック」参照。
    矛盾点は、「【経済】不公平な課税を放置したままの増税 ~「増税原理主義」批判~」参照。

 以上、高橋洋一(元大蔵相理財局資金企画室長)『財務省が隠す650兆円の国民資産』(講談社、2011)に拠る。
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【官僚】利権拡大の常套手段「専務理事政策」 ~天下りとエコポイント~

2012年05月26日 | 社会
 官僚の最大のメリットは、天下り先の確保・拡大だ。
 業界には、ありとあらゆる業種区分で職能団体がある。
 <例1>銀行業・・・・全銀協、全国地方銀行協会、第二地方銀行協会。
 <例2>鉱業・・・・日本鉱業協会、日本砂利協会、石灰石鉱業協会。
 <例3>建設業・・・・全国建設業協会、全国中小建設業協会、日本鉄道建設業協会。

 これらの団体は、監督官庁の天下り先でもある。理事長・理事は、たいてい業界の民間人が非常勤で務めているが、常勤の「専務理事」は役人OBと相場が決まっている。
 専務理事は、産業政策が行われるとき、業界と役所の調整連絡役を務める。
 じつは、役所が産業政策をやりたがる最大の理由は、この業界団体の専務理事ポストにある。政策が有効であろうとなかろうと、専務理事ポストを天下り先として確保したいために、産業政策を行うのだ。
 業界側からすれば、天下りを受け入れる代わりに業界に便宜を図ってもらう、ということになる。

 専務理事は、役所の折衝を担当するといっても、仕事らしい仕事をしているわけではない。要は、事業者団体に寄生して甘い汁を吸っているだけだ。それでいて、時折口を出してくるから始末が悪い。
 事業者団体は、業者が集まって情報交換する場で、カルテルにつながりやすい。そのため、事業者団体も公正取引委員会の取り締まり対象となる。審査に出かけると、専務理事が出てきて、「私どもは無色透明ですよ」と、取り締まりに抵抗する。専務理事の出身省庁との力関係では、それ以上公取委が介入するのは困難だ。
 政権が制度設計が必要な大きな政策をやるときも、専務理事政策の出番だ。
 <例>エコポイント(2009年に麻生太郎政権が行った追加景気対策の目玉の一つ)。

 エコポイントは、消費を促すために作られた、とされる。
 しかし、消費を促したいなら、もっと簡単な方法がある。所得控除だ。所得申告時にエコカーや省エネ家電の購入代金の領収書と保証書を添付すれば減税される、といったやり方にすればよい。この場合、わかりにくいエコポイント制はいらない。余計な人件費、事務経費もいらない。
 もっと簡便な方法は、追加経済対策の予算の大部分を減税にまわすのだ。そのほうが消費につながる。

 だが、あえて七面倒な制度をつくり、役人が間に入って配分する方式にしたのは、彼らが利権拡大を狙ったからだ。
 エコポイントの対象になる省エネ製品は、統一省エネラベルがついているものに限られた。では、このラベルはどこが出しているか。財団法人「省エネルギーセンター」(経産省と資源エネルギー庁の外郭団体)だ。
 認証制度と減税を結びつければ、認証機関のグレードはアップする。中立性も高まる。認証制度は一ますます役立つ、とされる。だが、日本の他の国で大きく違うのは、認証機関だ。他の国では、民間団体が認証するケースが多い。他方、日本では政府が抱え込み、認証機関が役人の天下り先になっている。そして、天下った専務理事が、認証機関の実権を握っている。
 認証機関を天下り専務理事が実質的に仕切る仕組みにしておくと、他の役人OBが民間メーカーへ天下りする道が開ける。
 <例>資源エネルギー庁の役人が民間メーカーに天下るときに、一定基準を満たす省エネラベルの製品には税制上の優遇措置をつける、といった言い方をする。税の恩典を受けられれば、メーカーも大きなメリットを得られるので、喜んで役人OBを受け入れる。
 かくのごとく、認証機関の専務理事政策は、役人にとって一粒で二度おいしい。

 エコマークも同様の仕組みになっている。エコマークの認証は、財団法人「日本環境協会」の「エコマーク事務局」が行っている。製品やサービスにエコマークの表示を許可し、代わりに使用料を徴収する。集めた資金で助成金を交付している。この「日本環境協会」の常務理事の一人は、元・環境省大臣官房審議官だ【注】。

 【注】「「日本環境協会」役員名簿」役員名簿。

 以上、高橋洋一(元大蔵相理財局資金企画室長)『財務省が隠す650兆円の国民資産』(講談社、2011)に拠る。
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【エネルギー政策】失敗続き、税金ムダ遣いの経産省 ~サンシャイン計画~

2012年05月25日 | 社会
 1973年の第一次オイルショックを機に、エネルギー問題とそれに付随する環境問題を抜本的に解決するため、長期エネルギー開発計画が開始された。「サンシャイン計画」だ。
 基本方針には、<新エネルギーについて、1974年から2000年までの長期にわたり総合的、組織的かつ効率的に研究開発を推進することにより、数十年後のエネルギーを供給することを目標とする>とあり、太陽、地熱、石炭、水素エネルギー技術の4つの重点技術の研究開発が産官学によって進められた。
 1978年には、サンシャイン計画に関連して、省エネルギー技術の開発を目的とした「ムーンライト計画」が発足。
 1979年からは、地球環境技術開発にも着手した。
 当時、これらの計画を策定し、所管していたのは通商産業省工業技術院(現・独立行政法人産業技術総合研究所)だ。
 大プロジェクトだけに、予算規模は半端ではなかった。1992年までに、サンシャイン計画に4,400億円、ムーンライト計画に1,400億円、地球環境技術開発にに150億円が注ぎ込まれた。 

 成果はどうか。
 (a)太陽熱発電・・・・日照時間の長さから香川県仁尾町(現・三豊市)に、①平面ミラーによるタワー集光型太陽熱発電装置と、②曲面ミラーとパラボラミラーによる集光型太陽熱発電装置とが設置された。が、出力が計画値を大幅に下回ったため、結局、廃棄された。お粗末なことに、失敗した原因はしっかり究明されていない。
 (b)地熱発電・・・・1977年、岐阜県焼岳で、高温岩体発電(地下に高温の岩体が存在する箇所を水圧破砕し、水を送り込んで蒸気や熱水を得る)の実験が開始されたが、これまた成果らしい成果をあげていない。

 民間の研究開発なら、結果がでなければ計画は打ち切りになる。
 が、工業技術院は、1993年、前記3つの計画・体制を一体化し、「ニューサンシャイン計画」を発足させた。最大限の努力を織り込んだ場合の技術ポテンシャルとして、2030年の日本のエネルギー消費量の3分の1、二酸化炭素排出量の2分の1の削減に貢献することが期待された。
 当時、この計画の実施に必要とされた研究開発費は、1993年から2020年までに1兆5,500億円(550億円/年)と見込まれた。
 結果は、これまた計画倒れに終わった。だから、原発事故後、今さらのように再生可能エネルギーの促進が叫ばれているのだ。
 しかも、ニューサンシャイン計画は完全に打ち切りになったわけではない。その名はなくなり、予算規模は縮小したが、いまも関連の独立行政法人、特殊法人には関連予算が注ぎ込まれている。

 SPEEDIとサンシャイン計画に共通するのは、いずれも危機を口実に開始された点だ。
 霞が関は、東日本大震災も、最大限に利用しようとするだろう。 

 以上、高橋洋一(元大蔵相理財局資金企画室長)『財務省が隠す650兆円の国民資産』(講談社、2011)に拠る。
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【原発】事故直後に東京から逃げ出した経産官僚たち ~官僚の利権~

2012年05月24日 | 震災・原発事故
 3・11から1週間ほどたち、霞が関では、経済産業省を中心に、旅行ブームが起きた。役人や政府の仕事をしている関係者が、3月19日に始まる3連休のあいだ、家族旅行をしたのだ。なかには、遠く南の島まで出かけ、バカンスを楽しんだ人までいた。
 しかも、経産省内では給油マップまで出回っていた。
 当時、震災によりガソリンの供給に支障が出ていた。首都圏ですぐに給油できるガソリンスタンドは限られていた。そういう状況のなかで、石油業界を所管する経産省の役人という立場を利用し、給油マップを作成して、被曝を逃れようと西へ西へと車を走らせた役人がいたら、国賊ものだ。

 こうした役人たちが進める原子力行政は、国民の安全など前提としていない。
 あの原発事故の原因がハッキリと分かっていないまま、しかも地震学者の警告には目もくれないで、原発を再稼働しようとする。しかも、その再稼働によって責任が生じないよう、姑息な手を打つ。
 2006年9月、原子力安全委員会は1978年の指針を改定し、原子炉の耐震設計に係る新たな審査基準を発表した。このなかに、「残余のリスク」という聞き慣れない表現が登場する。
 原発は推進したいが、事故が起きたときの責任は取りたくない経産省の官僚による苦肉の表現だ。起こり得る事態の想定レベルを引き下げるために考え出された。つまり、事故が起こる可能性を承知の上で、事故が起きたときは言い逃れするために捻り出した方便がこの奇妙な表現だ。いかにも霞が関の役人らしい悪知恵だ。

 原子力行政が国民の安全など二の次にしていたことは、SPEEDIがまったく役立たなかったことからも明らかだ。
 SPEEDIは、スリーマイル島原発事故をきっかけに開発が決定し、1980年度に日本原子力研究所(現・独立行政法人日本原子力研究開発機構)において、気象研究所の協力の下、開発が始まった。
 翌年、基本開発を終了した。
 ついで、実用化のための調査、整備が1984年度後半から始まり、1985年度後半から文部省(現・文部科学省)所管の原子力安全技術センターが運営している。
 3・11後、SPEEDIのデータが原子力安全委員会から初めて発表されたのは、事故後1週間以上経った3月23日だ。それも、各地で測った放射線量をもとに原発からの放出量を逆算し、放射線量の積算値を地図上に示した「過去からの予測」だった。
 発表しなくても、適切な危険区域が設定されていれば、まだよかった。しかし、形式的な同心円状の区域設定になった。SPEEDIのデータを使えば、飯舘村に対して、もっと適切な対応がとれたはずだ。
 なぜ、このような役立たないシステムができあがったのか。
 開発に着手して30年以上経つにも拘わらず、予測できない予測システムしか作れなかったのは、そもそも実用化が目的ではないからだ。
 霞が関にとって意味があるのは、SPEEDI開発そのものではなく、それに関連する天下り先をつくること、そしてそのための予算をいかに分捕るか、だ。
 霞が関には、民間のように、完成度の高いシステムをできるだけ短時間で実用化する、という発想はない。むしろ、時間がかかればかかるほど予算を分捕り続けられるので開発スピードが遅いほうが好都合だ、とすら考える。これが官僚の発想なのだ。
 そして今、日本原子力研究開発機構では第三世代のSPEEDI-MPの開発が進められている。SPEEDIの開発・運用に113億円もの予算が注ぎ込まれている。

 政府が立ち上げたプロジェクトは、長々と基礎研究を続け、実用化までにはなかなか至らない、というのが一つの定型になっている。
 1974年7月にスタートした「サンシャイン計画」もそうだ。

 以上、高橋洋一(元大蔵相理財局資金企画室長)『財務省が隠す650兆円の国民資産』(講談社、2011)に拠る。
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【官僚】数字のトリック ~消費増税の根拠~

2012年05月23日 | 社会
(1)消費増税の理屈
 財務官僚たちは「増税ありき」の数字の操作はお得意で、財政タカ派から出てくるペーパーには数字のトリックが何ヵ所もある。これは、自民党政権の下でも同じだった。
 2007年10月17日、経済財政諮問会議で次のような試算が提示された。会議で配布された資料「給付と負担の選択肢について」は、A4用紙で18枚。試算の期間は、2025年までの18年間。その時点の政府目標では、2011年には14兆3,000億円の歳出削減が実現している。これを前提に、社会保障・名目成長率の条件を変えて複数のケースを列挙していた。
 それによれば、最悪の場合、2025年度に消費税をおよそ17%に引き上げなければならない。
 (a)最も悲惨なシナリオ・・・・名目成長率を2.1%に設定し、社会保障の給付は今のレベルを維持した場合。2025年には、保険料などの国民負担を今より上げても、財政再建に必要な国の基礎的財政収支(プライマリー・バランス)は24兆円の赤字になる。GDP比にして4.6%分が必要となる。そして、赤字分を税収で埋めるには29兆円もの増税が必要で、これを消費税率アップで対応すると、実に消費税17%に達する。
 (b)最も楽観的なシナリオ・・・・楽観的に見ても8兆円の増税が必要だ。

(2)試算に隠されたトリック
 (a)計算期間の長さ・・・・18年間とは長すぎる。18年もの間には政権も変われば、今の制度にも検討が加えられる。経済学のテクニカルな観点からしても、「マクロ計量モデルの長期試算はできない」のがエコノミストの常識だ。長期にわたると、その間に消費行動や投資行動が変わるので、モデル自体に必ず構造変化がある。
 マクロ計量モデルで計算できるのは中短期、せいぜい5年まで。
 だが、財政タカ派には、何が何でも2025年までの長期間で計算する必要があった。その理由は、(b)以下のトリックを見ていけば分かる。

 (b)歳出の増え方・・・・明らかにおかしい。ペーパーに歳出の試算方法が記されているが、社会保障費以外の歳出までもが増加すると仮定している。<例>人件費は賃金上昇率で増加し、公共投資も名目成長率で増加させる、という。
 そもそも、社会保障は歳出のうち3分の1にすぎない。残り3分の2にしても、公務員人件費や、ムダがまだあるとされる公共投資などを伸ばそう、というのだ。無駄な歳出を徹底的に削るのが、財政再建の一歩ではないか。
 高橋洋一の試算によれば、社会保障は5年間で伸ばしつつも、他の歳出を削減することによって、全体の歳出を抑えることが可能だ。実際、小泉政権の5年間で、公共投資は年7%削減し、3割以上も少なくなった。名目成長率に比例して公共投資の歳出を増やす理由はどこにもない。
 試算には、無駄遣いをやめるという前提がすっぽり抜け落ちているのだ。

 (c)名目成長率の低さ・・・・2006年は3~4%を前提としていたが、2007年は2~3%と、いつの間にか設定が低くなっている。たかが1%低いだけでも、2025年までの長期となると、大きな違いが生じる。おおまかに計算して20年間で2割減、GDPは100兆円ほど、税収も20兆円くらい少なくなる。すなわち、税収をかなり低く見積もっていることになるのだ【注1】。

 (d)金利の設定・・・・国家にとって財政再建とは、借金を全額返すことではない。公債残高のGDP比を減らすことだ。2007年現在、日本は名目GDPが500兆円で、公債残高が800兆円。借金は1.5倍だ。
 公債残高のDP比を改善するためには、2つの条件が必要だ。①基礎的財政収支を黒字にする。②できるだけ、成長率が金利より高くなるようにする。
 成長率より金利が高くなると、公債残高の利払いも大きくなるので、名目成長率が伸びていても借金は増えてしまう。逆に成長はしているけれど金利が低いという状態になれば、財政再建は加速度的に進む【注2】。
 この時の諮問会議は、金利のほうが必ず成長率より高いという仮定を採用し、名目成長率が3.2%のとき長期金利は4.5%、名目成長率が2.1%のとき長期金利は3.6%としている。つまり、成長率と金利の差は常にマイナス1.3~1.5%程度となる。【注2】の数式で計算すると、もうひとつの項目のプライマリー収支がゼロで均衡していても、必ず財政赤字は増えていく。現状維持するのでさえ、プライマリー収支で2%の黒字を達成しなければならない。
 財政タカ派は、この設定を「過去の金利と成長率の関係から堅実な前提とした」と説明している。しかし、1960年代から2000年代までの日本は、金利のほうが成長率より高いけれども、ややという程度で、イコールに近い。ここにこそ、財政タカ派が期間を2025年までにした理由がある。現実の成長率と金利がほぼイコールである以上、短期ではその差をマイナス1%以上と仮定するのは無理がある【注3】。したがって増税という結論は出てこない。
 財政タカ派にとって財政再建は二の次、彼らはどうあっても増税が必要だ、という結論を導き、消費税率をアップしたいのだ。
 
 【注1】この時点では、リーマン・ショック(2008年9月)はまだ発生していない。
 【注2】(公債残高÷GDP)の改善=(基礎駅財政収支黒字÷GDP)+(名目成長率-金利)×(公債残高÷GDP)
 【注3】リーマン・ショックも東日本大震災も経験していない時点での話だが、議論の骨格は今も生きている。

 以上、高橋洋一『さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白~』(講談社、2008。後に『さらば財務省! 政権交代を嗤う官僚たちとの訣別』(講談社+α文庫、2010))に拠る。

 【参考】「【政治】官僚が政治家をあやつるテクニック ~財務省による民主党支配~
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【政治】官僚が政治家をあやつるテクニック ~財務省による民主党支配~

2012年05月22日 | 社会
 政官闘争において、官僚はどういうテクニックを用いて抵抗してきたか。

(1)役所内部
 (a)情報操作・・・・官僚が持っている情報源を基盤にして大臣を揺さぶる。
   ①大臣に必要な情報を提示しない。
   <例>国土交通省、扇千景大臣。大臣説明のペーパーは絵が多くて文章が少ない2~3枚の紙(「ポンチ絵」)を提示し、大臣に分かった気にさせて、細かいところで官僚の自由裁量を増やすための手段にした。
   ②大臣に仕事の意欲を削ぐほどの大量の情報を提示する。
   ③「霞が関文学」・・・・難しい法令用語などを駆使し、煙にまく。
   <例>天下りの斡旋に関して、「斡旋を禁止する」ではなく、「営利法人に対する斡旋を禁止する」と書く。こう書けば、反対解釈によって「独立行政法人に対する斡旋は禁止しない」となる(「真空切り」)。

 (b)時間操作・・・タイムスケジュールの主導権を握ることで、大臣の判断に大きな影響を与える。
   <例>大臣の海外出張時などの空白期に、わざと重要政策を発表する。既成事実を押し戻すのは困難だ。

 (c)状況操作・・・・(b)に類似。政治家に対してサービスを手厚く提供して籠絡するテクニックもここに含まれる。
   <例>大臣と官僚の判断が食い違うことが予想される場合、利害関係者の調整をすべて済ませた上で、「大臣、この案件は関係者すべてが同意しています」と報告する。状況が固まっていると、大半は官僚と妥協してしまう。かくて、官僚主導で仕事が進むのだ。

 (e)「ヘトヘト作戦」・・・・(a)~(c)を結晶させたもの。相手を肉体的に疲労困憊させた上で議論の主導権を握る。財務省の得意技の一つ。
   <例>疲れやすい夜間に仕事を入れる。

 (f)事務局・・・・「庶務権」を発揮する。(a)~(c)を遺憾なく発揮する方法。
   <例1>審議会の事務局権限を握った霞が関が、審議会の議論の方向性を、最初に作るドラフト(案文)でほぼ決定してしまう。役所の都合の悪い問題は、わざと落とし、主張したい論点を強調し、審議会の議論を誘導するのだ。
   <例2>当初予定している議題に反対意見を持つ委員が来られてない日を調べて、わざとその日に会議を設定することで議題をすんなり通そうとする((b)の応用)。
   <例3>審議会委員の人数を増やす。審議時間が短くなり、議論はまとまらなくなって、最後は「座長一任」になる。座長は報告書を書く時間などないので、結局、事務局が取りまとめることになる。

 (g)法令違反(逆賊)のレッテル貼り・・・・大臣の進めようとしている政策が現在の法秩序に抵触、矛盾するなどと指摘して大臣を圧迫し、ひいては恫喝、脅迫する。
   <例>鳩山由起夫は、首相当時、政治資金問題を抱え込んだ。政治資金問題は、政治資金規正法のみならず税法に関する問題で、これを摘発するかどうかは当局のさじ加減一つだった。鳩山は、結局、公務員制度改革を先送りにした。ちなみに、「一般に“スネに傷のある”政治家は、役人にとっては扱いやすい存在だ。キズ口を広げるか、糊塗するかは当局の判断一つ。鳩山政権がこんなことで操られないように」と渡辺喜美・みんなの党首は、注意を喚起した(鳩山は結局操られた)。

 (f)自爆テロ・・・・意図的に不祥事をマスコミに流し、大臣の責任問題に発展させる。
   <例>厚生労働大臣に反感を持つ厚労官僚が、年金不祥事をわざとマスコミにリークする。自分たちも責任追及される一方で、最終責任者=大臣にはさらなる責任追及が及ぶ。大臣を追い落とすきっかけを作ることができる。

(2)役所外部
 マスコミなどへ情報提供して世論操作する。業界団体や地方自治体を煽って政治家に圧力をかける。キーパーソンや主要政治家への根回しにより分断工作する・・・・。対象別に分けると、主なものは次の5つ。ことに(a)は、原発事故において「大本営発表」と揶揄、批判される素地となった。

 (a)マスコミ関係
   官僚と記者クラブ記者とは日常的に付き合いがある。幹部と記者は頻繁に接触し、さまざまな情報が流れる。だから、官僚が操作しようと思えば、自分たちにネガティブな情報をたやすく流すことができる。
   官僚はマスコミに情報を流すことで操作している、という指摘の背景は、
    ①マスコミ産業は、日々新たな情報を必要としている。
    ②大新聞・テレビ(既存のエリート・マスコミ)に対する小規模週刊誌、ネット・フリージャーナリストなどの反乱、
    ③大新聞・テレビの労働条件の良さに対する世間の反感。
    ④大新聞・テレビの無責任さに対する政治家の苛立ちのようなもの。
    ⑤【最大の要因】エリート・マスコミと官僚は、学歴や文化が近く一体化(「政官財情」)していて、霞が関のスポークスマンに成り下がっている、という見方が強まっている【注】。

 【注】マスコミ操作の目的は、官僚機構にとって有利な状況・世論を作り出すことだが、話をややこしくするのは、東大法学部出身者を核とするエリート人脈による世論形成だ。官僚機構、日本銀行、経済界、学会、マスコミなどあらゆるところにネットワークを張る複合体の人脈があって、東大法学部出身者を核とするエリート人脈が政策の相場感を作っている(「政官財情」の日本支配)。

 (b)著名な有識者
   (a)と同様。大学教員などの有識者の権威、オピニオン支配力などは大きい。官僚は、学識者へもさまざまに働きかける。

 (c)業界団体
   役所に都合の悪い政策が推進されようとする場合、官僚は業界団体や地方自治体に働きかけて、彼らか地元の政治家や有力政治家に圧力を加えるよう仕向けたりもする。ただし、これは自民党時代の話で、政権交代後、相当変化した。

 (d)地方自治体
   (c)に同じ。

 (e)国会議員
   特に政治家同士の分断工作。政治家は、基本的に個人事業主で、バラバラだ。個人の属性としても、上昇意欲や強烈な野心があり、プライドも半端ではない。何よりも権力闘争の中で生きているため、表面的にはどれだけ仲良く見えても、何とか他の政治家を蹴落として自分が権力の座に近づきたいと考えている。ここが官僚にとって狙い目となる。嫉妬を煽り、議員同士が組まないよう、分断工作を行うのだ。

 以上、中野雅至『財務省支配の裏側 政官20年戦争と消費増税』(朝日新書、2012)に拠る。
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【原発】信用危機 ~銀行取り付け騒ぎと原発再稼働~

2012年05月21日 | 震災・原発事故
 5月5日、日本の原発がすべて停止した。
 この状態で電力がどの程度足りるのか。足りないのではないか、と思う一方、実は足りるのだと言われると、これを否定できる情報を持っていない。
 政治的な利害からして、現在、自分の責任で原発運転再開の許可を出せる自治体首長はいない【注1】。

 マネー論的観点に立てば、この問題の本質は銀行の取り付けのような「信用」の問題だ。
 原発稼働容認論者は、原発の安全性と放射能の害が致命的に深刻というほどでないことを科学的な根拠で説得しようとする。しかし、大多数を説得するに至っていない。
 原発稼働否定論者の実質的な反対根拠は、科学的な危険性の議論である以前に、原発関係者に対する「不信」のように見える。原発事故の後の情報開示の問題が大きな理由だろう。原発を監督・管理する関係者が発表する情報も、信じられていない。

 原発の再稼働を進める場合、直接的には、多くの人々の「精神的コスト」が問題だ。現在、このコストが莫大なのが現実だ。
 これは、銀行に取り付け騒ぎが起こって、さらに中央銀行や政府の信頼性も「信じると損をさせられるのではないか」と疑われているような状況に似ている。
 <例>日本のバブル崩壊後の金融不信。エンロン事件の後の会計不信。
 いわば、最大手メガバンクである東京電力が取り付けに至り、他行である他電力に波及した状況だ。

 原発再稼働には、科学的な説得以前に、どのような情報発信なら(<例>誰が言うなら)人々が耳を傾けるか、という問題を真剣に考えるべきだ。
 <例>現政権やこれまでの原発関係者では、目下、何を言っても信用されまい。制度や公的組織をつくり替えても、原子力ビジネスに経済的な利害を持っているかもしれないと思われる人(専門家を含む)の発言は、反対派ばかりでなく、懐疑的な中間派の人々からも疑いの目で見られるだろう【注2】。
 このあたりの事情は、債権発行体から手数料をもらう格付け会社のビジネスモデルが信用されないのと同じ構造だ。原発問題はサブプライム問題にも似ている。

 今夏、電力が足りなくなる場合でも、「精神的コスト」は無視できない。値上げや節電などの我慢を選ぶ国民は少なくあるまい。
 会計不信やサブプライム問題は、根本的な解決にほど遠いながらも、時間の経過や不良債権処理と資本注入などで緩和された。
 しかし、「原発取り付け」には、出口が見えない。このままでは、監督者=政府まで含めた不信の「半減期」は長くなりそうだ。

 【注1】原発再稼働容認の意向を国に伝えた時岡忍・おおい町長は、その創業会社が関西電力と密接な関係にある。今も役員をつとめる鉄工会社「日新工機」は、原発関連の工事を8年間で4億6800万円分受注し、うち関電からの直接受注が3億円を超える。【「緊迫 大飯原発再稼働/判断に注目のおおい町長/創業会社は関電と親密」(「しんぶん赤旗」2012年5月18日)】
 【注2】だから、ストレステスト意見聴取会でも、当の原発メーカー関連企業からお金をもらっている委員たちとの利益相反が厳しく追及されたのは当然だ。【「【原発】再稼働の安全は誰が判断するのか ~専門家の偏向~」】

 以上、山崎 元 (経済評論家)「信用危機としての原発問題 ~マネー経済の歩き方No.450~」(「週刊ダイヤモンド」2012年5月26日号)に拠る。
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【原発】再稼働の安全は誰が判断するのか ~専門家の偏向~

2012年05月20日 | 震災・原発事故


 原発再稼働には技術的判断が優先されねばならないが、今はその最悪のタイミングだ。なぜなら、
 (a)福島原発事故原因の検証が終わっていない。
 (b)地震や津波の規模や被害の大きさについて、見直しが始まったところだ。
 (c)苛酷事故の際の放射性物質の様態や影響緩和策の効果について評価されていない。
 だから、保安院も安全委員会も技術的に安全だと明言していない。この段階で、再稼働という政治的判断を行うのは最悪だ。
 これらの技術的評価がきちんとなされた段階で、今後原発をどうするかについて根本的議論を行い、国民的合意形成を図っていくべきだ・・・・。

 保安院、安全委員会、それらをサポートする専門家たちは、「安全というお墨付き」を与えるべきではない。その逆に、彼らが提示すべきは、安全に関する正確な情報と技術的な検討結果だ。原発はどこまで安全なのか、どういう条件で危険な状態になるのか、事故を起こした場合の被害の想定はどれほどなのか・・・・。
 そして、市民が専門家と同じテーブルに座って、市民の常識を専門家の常識にぶつけるのだ。専門家は、安全かどうか、再稼働是か非か、を決める当事者ではなく、地域住民、日本国民が判断する際の技術的知見を提供する助言者と考えるべきだ。
 専門家は、すべての技術分野に詳しいわけではない。一色の意見ばかり聞いていると、自分では確かめたことがないのに間違いないことだと思い込んで、批判的精神を失ってしまう。そういう弊害を専門家は抱えこんでいる。
 ストレステスト意見聴取会でも、当の原発メーカー関連企業からお金をもらっている委員たちとの利益相反が厳しく追及されたのは、当然だ。
 だからこそ、素人からの率直な疑問が、専門家が抱えている弊害を破ることになるのだ。

 技術は価値中立的なものではない。
 ある技術や施設が安全かどうかという技術的評価や技術予測も、客観的・中立的なものではない。むろん、それらの評価や予測は、客観的な科学的認識の裏付けがあってなされる。しかし、必ず、評価をする人の考え方や立場性が入らざるを得ない。都合の悪い事実や知見を隠したり歪めて評価するのは論外だが、そうでなくても、不確実な知見をどう判断するかという際に、その技術を担う人や集団の価値観や立場性が反映されざるを得ない。
 技術は、物を作るか否か、どう作るのか、その判断を迫られる実践概念だ。予測という行為も判断が必要だという点において似た概念だ。ものごとのすべてが分かっていなくても、ものを作る、予測するということが必要になる。
 よって、原発に限らず、不確実な要素をどうみるかというグレーゾーン問題に直面する。断片的な客観的認識ににもとづいて物が作られたり、予測されたりするとは限らず、その不確実さの度合いによってグレーゾーンの幅は大きくなる。よって、価値判断の入る余地が大きくなる。工学は物作りのための学問だから、その価値観になじんだ専門家は、物を作ることを重視する。加えて、工業会に身を置けば、物作りが自分の飯の種だ。企業のエンジニアが、「この物を作れない」と言えば、無能か反会社人間と見なされよう。よほど勇気がないと、作らないという選択はできない。
 <例>2002年、東京電力のひび割れ隠しが発覚した。原子炉再循環系配管とシュラウドのステンレス鋼に応力腐食によるひび割れが分かっていたにも拘わらず、それを隠して運転し続けていることが告発されたのだ。東電社長の首が飛び、東電の全原発17基がすべて止まった(2003年5月)。告発者は、GE関連企業のケイ・スガオカ・検査員だった。遺憾ながら、東電あるいは関連企業の社員は、その事実を知りつつ、誰もそのことを公にする勇気と倫理観を持ち合わせなかった。ここに、日本の電力会社の陰湿な企業風土が見てとれる。そして、原発エンジニアあるいは研究者の置かれた悲惨な精神状況を知る【注】。
 技術者や工学研究者が、まともに真実に向き合おうとするならば、自らの立場を相対化して、より公正な立場に立つ努力をするしかない。
 残念ながら日本社会では、原発業界に限らず、企業では、そういう主張はたやすく通らない。主張を貫くには、さまざまな闘いが必要になるだろう。

 【注】例えば、「原発>検査員の告発「泊原発の検査記録改竄」 ~隠蔽の組織的構造~」。


 以上、井野博満(東京大学名誉教授)「市民の常識と原発再稼働 ~安全は誰が判断するものなのか~」(「世界」2012年6月号)の「(1)核心の見えないAIJ事件報道」に拠る。
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【原発】米国の核の傘の下で脱・原発は可能か ~原発維持の側の論理~

2012年05月19日 | 震災・原発事故
 脱・原発(依存)を進める人は、その対極にある原発推進/維持の考え方を知っておく必要がある。
 ここでは、米国の核の傘との関係で、日本の原発を今より減少させつつも2割程度は維持すべきだ、とする意見を見る。

 戦後日本の原子力の歴史は、米国の原子力政策受容の歴史だった。
 1953年、アイゼンハワー大統領が国連演説で「原子力の平和利用」を宣言し、そのための国際管理機関の設置を提案した。これは、ソ連の核武装によって「核兵器の独占」が崩れ、しかもソ連および英国の原子力発電プロジェクトが先行していたことへの焦燥感がもたらした宣言だ。
 米国で「平和のための原子力」プロジェクトが動き出し、1955年には「原子力平和利用博覧会」が東京で37万人、全国で100万人以上を集めた。米国主導だったが、読売新聞が協賛、社主の正力松太郎の肝いりの企画だった。日本政界で原子力平和利用の推進役になったのは中曽根康弘・元首相だった。
 1957年に日米原子力研究協定調印、同年、原子力基本法制定、米国から20基の原子炉を購入する契約が交わされた。以後、日本は米国の期待どおりに、米原子力産業の市場の役割を果たしていく。
 戦後日本は、「軍事的には米国の核の傘」の下に生き、「民生用の原発においては米原子力産業の市場」として機能してきた。

 だから、福島原発事故の深刻化を受け、米国は首相官邸に「エネルギー省、NRC、海軍の原子力専門家など」を派遣、事故対応ため日米協議を繰り返した。水素爆発が続き、最も緊迫した3月下旬、米国の一部のメディアには軍事的に日本を再占領しても事態の収束を図るべしという「強制介入論」までが登場した。
 ところが、いつの間にかそうした議論は消えた。その後、米国側は沈黙し続けている。日本側も、GE社の原発製造者責任を含め米国側責任者を国会等に参考人として呼び説明を求めるでもなく、不可解な沈黙を続けている。メディアもそうした問題意識を提起することはない。何故か。
 米国は「原子力ルネッサンス」に動き出したのだ。今、2基を新設許可し、現有の103基を更新・リライセンスする方針だ。原子力の新設にとって逆風となりつつあるのは、北米産出量を拡大させている安価なシェールガスとの競合、フクシマ事故に伴う安全コストの増加、石炭火力における高効率のコンバインドガスタービン導入による相対的な原子力の競争力低下だ。
 日米の原子力における関係は、この6年間で劇的に変化した。米国が33年間も商業用原子炉をつくらなかった間隙を衝く形で、日本が世界の原子力産業の中核主体になってしまったのだ。日本が原子力産業の主役となり、「日米原子力共同体」とでもいうべき構造に浸っている。このことの自覚を欠いた議論は空虚だ。
 実は、米国のフクシマの推移に対する沈黙の背景には、「日米原子力共同体」構造が横たわっている。また、米国が原発新設に踏み込む前提にも、この構造が埋め込まれている。
 よって、日本人が「脱・原発」を議論するにも、被害者然とした受け身の姿勢ではなく、自らの生業を問う当事者責任意識が求められる。我々は、米国のエネルギー専門家の重い問いに、真剣に答えなければならない。すなわち、「米国の核の傘に守られながら、しかも日米原子力共同体に身を置きながら、日本は『脱・原発』を選択できると考えるのか?」

 ドイツはなぜ「脱・原発」に歩みだせたのか。
 (a)外交・安全保障面での努力の積み重ね・・・・冷戦期に核戦争への緊迫感に満ちていた体験を踏まえ、冷戦後、ドイツは冷戦型脅威を払拭する努力を重ねてきた。1993年には米軍基地の縮小と地位協定改定を実現、NATOの東方拡大やロシア政策を通じてロシアの脅威を極小化し、安全保障面での対米依存を相対化させてきた。また、EU統合への努力を続け、近隣諸国との相互信頼の醸成を迂氏手、エネルギー政策の選択幅の拡大に努めた。ドイツを取り巻く国境を超えた送電網により、電力供給不安が起きても相互融通が可能な体制ができあがった。
 (b)政治システムにおける地方分権・・・・徹底した地方分権の上に成り立つ連邦制のドイツでは、原発立地の合意形成が容易ではない。それが1990年代以降、1基も新設できなかったことに帰結している。
 (c)産業側の事情・・・・シーメンスは自社の技術力への自信もあり、技術的自立志向が強く、対米産業協力の軛に縛られることなく原子力に取り組んできた。2001年から仏・フラマトム(現・アレバ)との提携で次世代原子炉の共同開発と海外展開をめざしてきたが、受注が少なく、2009年には提携を解消して撤退した。自分の国に展開することのないプロジェクトを海外に売り込むことの限界を示した。

 エネルギー政策は、「国家の戦略意思」だ。それぞれの国が自らの置かれた状況を熟慮し、国民合意の下にいかなる選択も可能だ。日本としても、地政学的制約と積み上げてきたエネルギー政策を直視し、ぎりぎりのバランス感覚で的確な戦略を描きださねばならない。
 原子力政策に係る日本の選択肢は、次の3つ。
 (1)米国の核の傘の外に出て、「脱・原発」をめざす。 →現実に実現する可能性は低い。 
 (2)米国の核の傘に留まって、「脱・原発」を進める。 →さまざまな矛盾を生む。
 (3)核の傘を段階的に相対化し、そのため原子力の基盤技術を維持・蓄積する。
 原爆の登場からの歴史を再考しても分かるように、核と原発とはどこまでも表裏一体だ。だから、寺島実郎は、多くの「脱・原発」の論調に非武装中立論」にも通じる虚弱さを感じる。中東、米国、欧州、ロシアとエネルギーをめぐる厳しい国際的緊張を生身で目撃してきた者として、日本のような「技術を持った先進国」は、多様なエネルギー供給を確保するバランスのとれた「賢明なベストミックス」を志向すべきだ、と。日本の選択肢のうち(3)を選択し、「非核のための原子力」(平和利用)に徹し、日本の発言基盤を「技術力」に絞った上で、グローバル・ガバナンスに貢献することが賢明な選択だ、と寺島は考えるのだ。

 以上、寺島実郎「戦後日本と原子力 --今、重い選択の時 ~能力のレッスン第122回~」(「世界」2012年6月号)の「(1)核心の見えないAIJ事件報道」に拠る。
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【消費税】その欠陥構造 ~政府案では所得分配の公平性を保てない~

2012年05月18日 | ●野口悠紀雄
(1)給付付き税額控除
 消費税の負担率は、低所得者ほど高くなる(いわゆる「逆進性」)。これに対処するため、政府の増税提案では「給付付き税額控除」【注1】を行うことになっている。 
 (a)これは奇妙な対処法だ。本来、消費税の枠内で対処できる問題【注2】なのだから。ところが、日本の消費税には欠陥【注3】があるため、逆進性の問題を消費税の枠内で処理できず、別の税(所得税)の助けを借りなければ課税が完了しない。つまり、所得分配に係る公平性の点で、消費税は所得税に劣っている。政府は、なぜ所得税ではなくて消費税を増税するのか?
 (b)実務的にも、政府提案は不完全だ。
   ①納税していない人(営業所得や資産所得を得ている人の一部)の所得を捕捉できない。よって、非納税者に一律に給付金を交付することとすれば、所得分配上の問題が起こる。
   ②「マイナンバー制度」を導入しただけでは、非納税者の実態を把握できない。そのためには綿密な調査が必要であり、長い時間を要する。増税が計画されている2014、2015年のうちに実態は把握できまい。よって、給付金の交付は、「バラマキ」とならざるをえない。

(2)軽減税率方式の問題点
 (a)生活必需品に対する軽減措置は、本来は軽減税率方式【注4】を採用すべきだ。しかし、日本の消費税にはインボイス【注5】がないので、軽減率税方式を採用できない。消費税は多段階売上税なので、最終的な売り手を非課税にしただけでは、仕入れに含まれた消費税の影響で小売価格は上昇する。小売り段階の課税において、仕入れに含まれる消費税を控除(仕入れ税額控除)する必要がある。このためにインボイスが必要なのだ。
 (b)日本の消費税では、仕入れ税額控除は「帳簿方式」で行っている。仕入れに含まれている消費税額は、納税者の自己申告に任せている。過大申告の恐れがある。今でも過大申告があるかもしれないが、税率が低いので余り深刻な問題とは考えられていない。しかし、税率が高くなれば、問題になる。それでも、標準税率が適用される場合には、納税額が減るだけなので、許容の範囲内だ。しかし、軽減税率の場合、還付することになる場合が多いので、過大申告は許容できない。仕入額を調査することになれば、多大の努力が必要になる。インボイスがあれば、調査しなくとも正確な納税が行われるから、軽減税率適用にはインボイスが不可欠だ。

(3)非課税方式の問題点
 日本では、医療・介護、住宅家賃などが非課税だが、仕入れには消費税がかかっている。その分、介護などのコストが上がる。上がった分は、現在の仕組みでは、消費者に転嫁されるか、最終販売者が負担している。いずれも不都合だ。
 (a)転嫁される場合は、非課税なのに、消費増税によって価格上昇が生じる。「便乗値上げだ」と批判されるだろう。医療・介護などの財については消費税の負担を求めるのは適切でない、と非課税にされているのに、その目的が実現されない。
 (b)転嫁されない場合、販売者が負担することになる。非課税品は消費税の課税が行われないから、仕入れ税額控除を求めることもできないからだ。しかも、消費税を取引業者が負担するのは、消費税の趣旨に反する。
 どちらの問題も、これまでは低い税率(5%)だったから許容されていたが、10%になればそうはいかない。この問題は、「給付付き税額控除」方式では対処できない。インボイスが不可欠だ。
 もっとも、インボイスが導入されても非課税業者がいると、うまく機能しない。取引の中間段階で非課税業者がいると、インボイスを発行できない。また、小売り段階が非課税業者だと、仕入れ税額控除ができない。医療・介護などに消費増税のしわ寄せが行かないためには、非課税方式を止め、軽減税率方式を採用しなければならない。

 【注1】納税者には所得税額から一定額を控除し、控除しきれない人や所得税を納めていない人には給付金を払う方式。
 【注2】欧州の付加価値税では、食料品などの生活必需品に対して、軽減税率またはゼロ税率を適用する。
 【注3】日本の消費税には、欧州の付加価値税のようなインボイスがない。世界で多段階売上税を導入しながらインボイスを導入していないのは日本だけだ。
 【注4】取引の最終段階(小売り段階)で税率を標準税率より低くする方式。
 【注5】取引の各段階で売り手から買い手に渡される書類。売上げに含まれる消費税の額が表示される。買い手は、消費税納税の際に、インボイスを税務署に提示し、そこに記載されただけの消費税額を自らの納税額から控除する。「【消費税】インボイスを欠く消費税は欠陥税」「【読書余滴】野口悠紀雄の、消費税増税による財政再建は可能か」参照。

 以上、野口悠紀雄「逆進性に対処できぬ欠陥構造の消費税 ~「超」整理日記No.610~」(「週刊ダイヤモンド」2012年5月19日号)
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【社会保障】グローバルな賭博師の餌食となる公的年金 ~AIJ事件の本質~

2012年05月17日 | 医療・保健・福祉・介護
 AIJ事件について、マスコミは見当違いの問題ばかり騒ぎ立てた。
 (a)浅川和彦・AIJ社長の報酬は多すぎる。
 (b)浅川社長ら企業幹部が意図的に運用損を隠し、みせかけの利益で客を騙して釣っていたのなら、詐欺罪が成立するのではないか。
 (c)社会保険庁OBが天下りしている。
 (d)被害企業側は、どれも厚生年金基金に加盟していた。被害はこの基金の損失として現れる。こうした被害の補償や救済はどうなされるべきか。

 問題の本質は、こうだ。

(1)金融ビッグバンが残した惨禍
 1996年から2006年まで、橋本政権から小泉政権までの間に金融制度改革が推進された(「金融ビッグバン」)。銀行、証券、保険の業域区分が廃され、業域を超えた金融取引が認められた。外国金融資本の日本市場への進出と活動も、日本の金融資本の外国市場における同様の行動も、自由化された。旧い投資顧問業法では認可制だった投資顧問業も、新しい金融商品取引法(2006年制定)の下で「投資運用業、投資助言・代理業」とされ、緩い登録制になった。新法では、客がリスクを承知で任せた博打なら、その代理人が損を出しても罰せられない。
 浅川社長は、グローバルな賭場に小さな賭け金を運んでいったにすぎず、それを容赦なくかっさらっていった大物たちは、租税回避地の秘密の闇に隠れて、誰にも見つからない。すべてルールどおりで、違法性はない。
 では、国民の知らぬ間に日本の金融システムがこんな世界に巻き込まれた責任は誰にあるのか。
 国会で、浅川社長に詐欺罪を着せようとして、くどくどと同じ質問を繰り返す議員たちこそ、金融ビッグバンなどと浮かれてきた彼らこそ、諸悪の根元だ。

(2)ギャンブルに走った公的年金制度
 厚生年金基金が、なぜグローバルなギャンブル金融市場のワナに引っかかる結果となったのか(これを重視するのがまともな報道感覚だ)。
 この制度の根幹が危機に瀬している。その危機の一環が、今回の出来事だ(多くの厚生年金基金が深刻な事態に立ち至った)しかし、政府もメディアも、そのような問題の捉え方がまるでできていない。
 1965年、厚生年金基金法が改正、翌年施行され、従業員1,000人以上の企業は「厚生年金基金」組合をつくり、厚生年金保険と同様の方法で集めた保険料をそこに集め、独自に運用してよい、ということになった。厚生年金から離脱、国への納付義務を負わなくなった。単独型(1社で1組合)、連合型(系列グループで1組合)、総合型(同業種多社協同で1組合)の3タイプがある。企業が自社だけの健康保険組合をつくり、国の健康保険制度から離れていったのとそっくり同じことが生じたのだ。どちらも財界の強い要望があり、自民党政府が同意し、旧厚生省もたくさんの天下り先ができるため協力してできた改変だ。
 健保について言えば、優良企業が抜け、負担力の弱い企業が残った政府管掌健保が赤字になるのは必然だった。
 1960年代半ばは、高度成長の登り坂の途中で、定年退職者は当分少なく、若い従業員が加速度的に増加する時期だった。年金支払いは少なく、積立金は累増した。銀行貸し付けより低い金利の貸し付け、有数の観光地に事実上の社員保養所を建設することもできた。法により収入比例部分の運用は国のそれの「代行」とされ、その部分は国の場合より3割程度増やすように義務づけられたが、基金を持つ企業にとっては高金利時代はそれでも得だった。
 その後、確定給付制度が導入され、その最終給付額が確定できれば、独自の企業年金・退職金と合体、退職金の合理化をすることも可能になった。
 さらに、バブル崩壊後には、確定拠出型(日本版401k)年金が出現した。掛け金だけを確定、それを本人の運用に任せ、損も得も当人の自己責任という仕組みも導入された。公的年金制度としては異様な仕組みだが、根幹はやはり公的年金制度の一翼なのだ。 
 そして、悲劇がやってきた。バブル崩壊・ゼロ金利時代の到来だ。「代行」部分に国より3割多い給付額など到底出せない。1割程度でもよくなったが、それもできない。
 リスクの多い株式や外貨建て資産での運用は、かつての年金制度では厳しく規制されていた。だが、それも日米金融協議で撤廃され、ハイリターンを目指そうとなったら、カネの流れはいきおいハイリスクに向かう。日本の市場慣れしないカネを餌食にしようと、外国金融機関の吸引力も強まる。大きな、強い年金基金はまだしも、底の浅い、小さな年金基金がその流れに抗しようとしても、翻弄されるだけだ。かくて、AIJ事件が発生した。

(3)対策
 野田政権が真っ先になすべき仕事は、年金改革を口実にした消費増税などではない。ここまでガタガタにされた公的年金制度を国民の利益に適うものへと復元することだ。
 市民公共の財を博打のネタと化す姿なきグローバルな賭博師たちに退場してもらわねばならない。日本だけではなく、米国の貧しい「99%」、ギリシャの自殺者、スペインやイタリアの失業者、途上国の飢えた子も、みな「1%」のギャンブラーの犠牲者だ。
 対処法は簡単だ。野放しのインターネット取引では証拠が残らない。そこで、一定額以上の資本が国境を越えるとき、それを誰に送ったかの記録を送出・受領双方の国に義務づける国際協約をつくればいい。姿が掴めれば、しめたものだ。こうした制度がないままでは、EU中央銀行やIMFのせっかくの増資も、日本の消費税も、“盗人に追銭”に終わる。
 世界の地政学的情勢をこのように大きく捕らえ直す視点が、ようやくメディアに出現し始めている。

 以上、神保太郎「メディア批評第54回」(「世界」2012年6月号)の「(1)核心の見えないAIJ事件報道」に拠る。
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