語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】ガレキに含まれる「死の棘」 ~アスベスト禍と放射能禍~

2012年10月31日 | 震災・原発事故
 (1)阪神・淡路大震災(1995年)から17年。順調に復興したかに見える神戸で、肺の奥に突き刺さった微細な繊維、アスベスト(石綿)が牙をむき始めている。ガレキ処理に関わった人が相次いで、アスベストに起因する癌、中皮腫を発症しているのだ。
 吸引後、十数年から40年たって発症するのがアスベストのリスクだ。

 (2)2008年3月、震災時の解体作業でアスベストを吸ったため中皮腫になった、と訴えた兵庫県内の男性(30代)を姫路労働基準監督署が労災認定された。震災時作業による労災認定の初ケースだった。
 2009年5月、芦屋市の男性(80)が労災認定された。中皮腫と診断されたのは2007年。彼は、1995年10~11月、解体作業で現場監督を務めた。
 2012年8月、宝塚市の男性(故人)も労災認定された。彼は、1995年2月から2ヵ月、工務店でアルバイトし、解体工事に携わった。2011年1月、中皮腫と診断され、同年10月に物故した。享年65。
 同じ月、兵庫県内の男性(70代)も神戸東労基署から労災認定されたことが判明した。3年近くガレキ処理に携わった、という。
 2012年5月、明石市環境部の男性(48)は、県立がんセンターで中皮腫の診断を受けた。2011年の暮れ、下腹部にしこりができ、見る間に大きくなった、という。ゴミ収集が仕事だが、震災当時、ガレキの処理業務に奔走した。
 労災認定などで表面化する被害だけで5人。その背後で、解体、ガレキ収集、運搬、処理などの復旧・復興に関わった数多くの労働者が、次々とアスベスト禍に倒れている。

 (3)阪神・淡路大震災発生1ヵ月後から夏ぐらいまでにかけて一斉解体が始まった。無数の業者が神戸・阪神間に集まり、神戸だけでも100件、兵庫県内で200~300件の解体が同時進行した。
 アスベストの有無を確認する方法さえ、現場では確立されていなかった。
 公費による解体が決まったのは2月下旬。それが浸透したのは、4月頃だ。アスベストを除去しながらの解体は、通常の倍程度の費用がかかる上に、工期は2~3ヵ月ずれる。「一日を争う生活安定に向けた取り組みの中で、どんどん大量解体が進んだ」
 兵庫県や神戸市が解体工事に関する指針を出したのは4~5月だ。その頃にはすでに5~6割方、解体が終わっていた。「住民への注意喚起、情報提供、現場での飛散対策など、根幹となる課題は積み残されたまま解体は収束した」
 「アスベスト対策は最初から大きくつまづき、問題の困難さが浮き彫りになった」「震災に伴う各種の環境問題の中で、最も社会問題化したのはアスベスト対策である」【元神戸市環境保全部長の論文、1998年】

 (4)アスベストの有害性は戦前に認識され、戦後も1970年代に国際機関が発癌性を指摘した。
 ところが、日本は規制が決定的に遅れ、使用が原則禁止されたのは2004年になってからだ。利便性と価格の安さに加え、潜伏期間が長いため、問題がなかなか表面化しなかったのだ。国や経済界は「管理して使えば安全」と使用を推奨し、1,000万トンを消費した。
 アスベストの安全神話は原発の安全神話と同じ構図だ。被害の様子も放射能とアスベストは似ている。チェルノブイリ原発事故では、26年経った今でも子どもを中心に甲状腺癌が多発している。

 以上、加藤正文(神戸新聞経済部次長)「がれきに含まれる「死の棘」」(「世界」2012年11月号)に拠る。

 【参考】
【震災】東北沿岸の化学汚染 ~カドミウム・ヒ素・シアン化合物・六値クロム・ダイオキシン~
【震災】もう一つの海洋汚染 ~PCBとダイオキシン~
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【原発】必要な汚染地図がない日本 ~ベラルーシの放射能安全研究所長が視察~

2012年10月30日 | 震災・原発事故
 (1)アレクセイ・ネステレンコ・ベラルーシ国ベラルド放射能安全研究所長【注】が初来日し、10月18日、福島県を視察した。
 視察先は、福島市(駅~渡利地区、花見山)、伊達市(小国地区)、飯舘村だ。
 小国小学校(伊達市小国地区)のプール横のフェンスの下は27μSv/時だった。この学校には、特定避難勧奨地点に指定された家から通学してくる児童もいる。通学バスの降り場は10μSv/時を超えていた。
 想像以上に汚染度が高い。想像していたのは、最大でも1μSv/時だった。【ネステレンコ所長】
 1μSv/時は、東京都や千葉県でも検出される。

 (2)もっと細かい汚染地図を作って判断していくべきだ。日本は人口密度が高いし、建物も密接している。必要な汚染地図が日本にはない。【ネステレンコ所長、10月20日、自由報道協会における記者会見】
 保護者がもっと知識を持って、子どもたちを守っていかねばならない。誰かが言う「安全」を信じず、自分の責任で判断するように。【同】
 食品検査は、国の検査だけに頼らず、民間の測定所を増やすこと、複数のデータを比較すること。福島県産だけでなく、他地域の食品も検査すること。給食も、まとめて計測するのではなく、一食材ごとに計測し、汚染されているものを排除すべき。平均値で判断すると、薄まってしまい、意味がない。【同】

 【注】チェルノブイリ原発事故後、ベラルーシ科学アカデミー核エネルギー研究所が圧力により閉鎖された。その後、国から独立した民間の放射能研究期間としてベラルド放射能安全研究所が立ち上げられた。

 以上、おしどりマコ「必要な汚染地図がない日本」(「週刊金曜日」2012年10月26日号)に拠る。

 【参考】
【原発】文科省、意図的に低い放射線量を公表か ~福島~
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【原発】大飯原発を止めないためのロジック ~言葉のトリック~

2012年10月29日 | 震災・原発事故
 (1)「脱原発依存」も「脱原発」も似たような言葉でいて、なかみが違う。
 「脱原発」は、その時期が何時であるかはさておき、基本的には原発をゼロにすることだ。
 他方、「脱原発依存」は・・・・
 原発以外が99%なら、原発依存ではない。2%でも原発依存ではない。10%になると2桁になって大きな感じがするが、そうなると「1割」という。1割だったら原発依存ではない、と。2割というと微妙になるから、その間の15%・・・・みたいな感じで、15%に落ち着かせようとする。15%ならギリギリ「脱原発依存」と言える、という感覚なのだ。
 しかし、今後新しく2基作ると15%になる。そこになんとか落ち着かせたい、というのが民主党の基本路線だった。

 (2)ところが、官邸前デモがものすごくインパクトがあった。8月22日に、デモの中心者に首相が会った。異常な事態だ。異例ではなく、異常だ。官邸前に人数を集めれば総理と面会できる、という前例を作ったのだから。直接民主制的な官邸前デモを明らかに気にしている。
 複合的にいろんなことが起きているので、相乗効果にもなっている。例えば、大阪市のエネルギー戦略会議の「大飯原発を再稼働させるな」。維新の会のバックにある世論を意識して、細野豪志・原発事故担当相(当時)は橋下徹・大阪市長に会いに行ったとき、「この安全基準は暫定的なもの」だと言わざるを得なかった。
 飯田哲也・環境エネルギー政策研究所長が、保守王国の山口県知事選で、あれだけの得票を集めた。原発問題への関心の高さを見せつけた。
 少なくとも、脱原発と反対を向いていると思われたら選挙で勝てない。たださえ民主党は次の選挙ではボロボロになると言われているのに、それにトドメを刺してしまうのではないか、という恐怖感が今ものすごい勢いで高まった。
 かくて、心にもないことを言い出した(民主党のお家芸)。「原発ゼロにする」と(9月3日)。

 (3)これから大きな争点になる可能性があるのは、大飯原発の再停止だ。
 節電要請期間は9月7日に終わった。しかも、夏場でも電気が足りることがはっきりわかった。だから、すぐ止めて、もう一回安全性をゼロから全部確認し直すべきだ。使用済み核燃料、核のゴミもちゃんと見通しを立てないと動かすのはダメだ。
 ところが、再稼働するときは、「この基準は暫定的なものだ」と言っていたのに、8月頃、野田首相は「大飯の再稼働については、安全ということを我々はしっかり確認しました」と言った。始まる前と今では逆になっている。
 国会が閉鎖中、政府は9月11日、原子力規制委員会設置法附則第2条を援用し、原子力規制委員会の人事案を閣議決定した。
 かくて規制委がスタートし、田中俊一・規制委委員長は言った。「大飯原発に活断層があるということがはっきりしたら運転を止めます」
 逆に言えば、活断層があるということが証明されるまでは動かす、という意味だ。
 斑目春樹・原子力安全委員会第8代委員長でさえ、「今までの安全基準はデタラメだった」と言った。かつ、仮に動かすとしたら、本当の安全を確認するためにはストレステスト二次評価まで全部やらないと安全だということにはならない、とも言っている。
 しかるに、田中委員長は、節電期間が終わっても、活断層があるというハッキリした証拠が出てくるまでは動かす、と言っている。
 さらに言えば、活断層があることを断定するのは難しい。大飯の場合、最終的に誰が評価するかによって判定が分かれる可能性がある。ハッキリした証拠にならない可能性がある。
 これまでの安全基準は、電力会社の都合に合わせて作られて、保安院がそれにお墨付きを与えたものにすぎなかった。【国会事故調における斑目第8代委員長の証言】
 だから、規制委の新委員長は、まず安全基準をゼロから見直す、と言わねばならない。すると、安全基準は、「活断層だったら作ってはいけない」から「活断層の活断層の可能性が極めて低いところにしか作ってはいけない」に変わるはずだ。その場合、大飯はダメとなる。
 ところが、田中委員長は、昔の安全基準をベースにして、活断層だと言えないなら止めない、と言っている。

 (4)他の原発再稼働の論理
 安全基準見直しはじっくり時間をかけてやる、と規制委は言い出す可能性がある。
 それまでは従来の安全基準でやる、ということになれば、ほとんどの原発が動き出す可能性がある。
 全部動かして、1年か2年か3年か経った頃、安全基準をこのように見直した、と発表するかもしれない。その頃には事故の記憶が薄れているだろう、と政府は期待しているのだ。
 2~3年経って厳しい安全基準ができても、新基準で全部見直してダメだったら廃炉というバックフィットはできない(今の法律では)。今の法律では、そういうふうにすることも「できる」であって、「しなければならない」とは書かれていない。
 すると、昔政府がこれでよいと言ったのだから、その基準を後から変えるのは財産権の侵害だ、とか言って、「ではなるべく早く適合させるように、10年以内に」とかいう条件で結局動かすことになる可能性がかなりある。

 以上、古賀茂明「既存政党が掲げ始めた「原発ゼロ」は、どこまで嘘なのか?」(「SIGHT」2012年秋号)に拠る。
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【原発】集団告訴第二陣、ただ今7,600人 ~受付締切は10月末~

2012年10月28日 | 震災・原発事故
 (1)福島第一原発事故の刑事責任を東京電力に問う集団告訴は、第一陣(福島原発告訴団1,324人)の告訴状が、8月1日、福島地方検察庁に受理された【注】。

 (2)第二陣の告訴人は、第一陣とちがって福島県民に限定されない。10月22日現在、全国から加わった告訴人が7,600人となった。
 事故から19ヵ月以上経って、今なお誰ひとり刑事責任をとっていない。「原発ムラ」を支える東電、国、御用学者らの責任を追及する刑事告訴・告発は「私たちの思いを伝える絶好の機会」・・・・と申込みがあい次ぎ、受付開始から2ヵ月で7,000人を突破。陳述書には、
 <福島在住の大学生の息子の身を案じ、3・11以後、長期にわたり凄まじい恐怖を味わった。子孫にまで続く不安を生涯にわたって抱えることになった。関係者の刑事責任を強く問いたい!>【東京・50代女性】
 <私の叔母は福島に住んでいる。私にとって東北は特別な土地である。原発事故により、空気や土壌は放射能汚染され、我々は被曝者となった。福島を返せ! 子供達の健康を返せ! 日本を返せ!>【東京・40代の女性】

 (3)反響の大きさに、告訴団は、当初予定していた受付締め切り期日を急遽10月15日から10月31日(必着)に延長した。
 告訴団事務局は、北海道から九州まで、全国各地にある。詳しくは、福島原発告訴団まで。

 【注】
【原発】福島県民、東京電力を集団告訴 ~勝俣東電会長の逃げ切りを阻止~
【原発】福島県民はなぜ刑事告訴告発をしたか ~告訴団長は語る~
【原発】検察、告発20件を棚ざらし ~誰も責任をとらない原発事故~
【原発】地検、福島事故に係る刑事告発・告訴を受理

 以上、山村清二(編集部)「」(「週刊金曜日」2012年10月26日号)に拠る。     ↓クリック、プリーズ。↓
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【震災】南海地震で死者32万人、という予測の政治的理由

2012年10月27日 | 震災・原発事故
 (1)国の二つの有識者会議は、8月29日、南海トラフ沿いで起きるとされる巨大地震の被害想定を発表した。東海地方が大きく被災する最悪クラスでは、東日本大震災の1.8倍の1,015平方キロが津波で浸水。国が2003年に出した想定の13倍に及ぶ323,000人が死亡、中部電力浜岡原発も水につかる 【注】。
 翌30日、新聞もテレビも大騒ぎになった。

 (2)(1)は、今までとは少しやり方を変えた予測だ。今までは、過去に実際にあったものをベースにして、それと同じ地震に対する備えをしようという考え方だった。宝永大地震(1707年)をベースにして、それと同じ規模の地震が起きた場合、死者6~7万人、という数字を出していた。
 (1)は、そうではなく、もっと大きな地震があり得る、最悪の状況を考えてみよう、というものだ。さまざま悪条件を重ねて最大の数字を出した。
 防災は国が責任を持ってやる、住民は国の言うことを聞いて、国に守ってもらえばよいという発想だった、今のリスクコミュニケーションは、まず情報を、最悪の場合を含めて住民に出す、という考え方だ。最初はパニックが起こったり、不安だ、心配だ、という声も出てくる。いろんな要望や不満も出てくる。こうしたらどうか、というアイデアも出てくる。 
 全部出してもらって、行政と住民とで何をどこまでやるかを話し合う。その中でコストの話もする。「これをやるためにはこっちを我慢する」「そのためには増税する」といったところまで議論していく。住民から、「お金がかかりすぎるのは困るから、これに関しては自分たちがやれるのではないか」「こういうやり方をすればお金がかからないではないか」とか、そういう知恵をみなで出す。現場ごとに状況が違うから、各地域ごとにアイデアを出してもらってやっていく。
 そうやってできた対策のほうが、効果的で、コストが安くて、かつ実施するときに住民が一体となって、非常によい対策になる、という考え方だ。
 死者32万人という発表は、そこに舵を切る第一歩だと捉えると、非常によいことだ。

 (3)ところが、「政府はこの発表を元にしてこの冬までに総合対策を決める予定」らしい。わずか4ヵ月で。もっと時間をかけて、いろんな対話をしながら考えたほうがよいのだが、そういうプロセスはない。
 では、なぜ死者32万人というおおげさな数字を出したのか。
 自民党は、6月に、国土強靱化基本法案を出した。10年で200兆円かける、と言った。公明党は10年で100兆円と言った。国土強靱化基本法案に書いてあるのは、防災・減災だ。加えて、消費税増税法案の修正案の中に、消費税を増税すると財政に少し余裕ができるから防災・減災にもっと金を使おう、と書いてある。
 つまりは、公共事業をやろう、ということだ。堤防、避難道路を1日も早く作ろう、ということで、補正予算にどんどん出てくるし、来年度の予算要求にもどんどん出てくるだろう。

 (4)原発も、地震と同じく、起こるかもしれないし、起こらないかもしれない事態に備えなければならない。地震、津波、テロ。原発にテロ対策がないのは、世界中で日本だけだ。
 日本では、原発事故による避難対策はしなくてもよい、ということになっている。だから今、大飯原発で事故が起きたら、周辺住民の避難に何の備えもない。大飯原発の周辺の道路は狭い。地震でズタズタになって、原発事故が起きて死の灰が降るときに、住民はまず逃げられない。
 こういう原発は、米国では廃炉だ。
 昔、ロングアイランドに原発を作ったが、作っている途中でいろいろな基準が厳しくなった。避難路の確保、住民の避難は事故発生後何時間以内・・・・ロングアイランドは島だから、船で救出しなければならない。その時ハリケーンが来ていたらどうするか、みな見殺しになる。それで、原発が完成して燃料棒を入れようかという時期に廃炉が決まった。
 実は、米国では、そういう安全基準がどんどん厳しくなっていて、バックフィットで、昔に作った原発も新しい基準で動かす事になっている。無理なら廃炉だと。それで今、60件くらい訴訟が起きているらしい。
 米国では、NRC(米原子力規制委員会)とか原子力規制当局が、国民の側に立って厳しくやっているから、訴えられる。日本では、国民には訴えられても、電力会社には絶対に訴えられない。
 だから、そういう人たちが作っている安全基準がどういうふうになっていくかを、我々はよく見ていなかくてはならない。ずっと言い続けなくてはいけない。 

  【注】記事「南海トラフ地震、最悪なら死者32万人 国が被害想定」(朝日新聞デジタル記事2012年8月30日03時00分)

 以上、古賀茂明「既存政党が掲げ始めた「原発ゼロ」は、どこまで嘘なのか?」(「SIGHT」2012年秋号)に拠る。
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【原発】原子力規制庁、メディアを検閲し、公安警察を要請

2012年10月26日 | 震災・原発事故
 (1)原子力規制庁は、9月25日、日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」【注】編集部に対し、同庁が主催する記者会見への参加を拒否することを通告した。「特定の主義主張を持つ機関の機関誌はご遠慮いただきたく」云々。
 通告は口頭でなされた。やりとりの中で、「フリーランスの記者も、掲載されている記事を確認し、特定の主義主張であれば、会見への参加をご遠慮願う」とも(検閲=憲法違反の疑い)。

 (2)9月26日の記者会見で、この件に係る質問が出た。
 フリーランスの主義主張を確認するようなことはない。それまでの実績を見て報道を事業として営んでいるかで判断する。「赤旗」は政党の機関紙なので、報道を事業とする趣旨ではないと判断した。【佐藤暁・原子力規制庁公聴広報課長】

 (3)9月25日には「特定の主義主張が問題」としながら、翌日には「政党機関紙だから」と理由を変更した同庁は、この後にも見解を二転三転させた。
 9月27日、規制庁は同紙編集部に対し、「会場の狭さ」を理由に改めて会見参加を拒否した。しかし、実は26日には席に十分な余裕があった。
 さらに10月1日、規制庁は同紙編集部に対し、昨年開かれていた政府・東京電力統合対策室合同記者会見に参加していたかどうかの「実績」を参加条件にしてきた(同紙は、この会見に何度も参加している)。

 (4)(1)~(3)の無軌道な原子力規制庁の態度について、「朝日」「毎日」「産経」「東京」などの各大手新聞も取り上げ、問題を指摘した。
 10月2日、「しんぶん赤旗」の会見への参加を認める、と同庁はようやく発表した。発表の中で、「我々の透明性が後退したといわれるのは心外だ」と開き直った。

 (5)原子力規制委員会は9月19日に発足した。その事務方である原子力規制庁が最初に規制したのは、原子力行政ではなく、原発を持つ電力会社でもなく、市民に情報を発信するメディアであった。

 【注】同紙は、昨年7月、九州電力の「やらせ」メールをスクープした。今年7月、都内で開かれた「さようなら原発10万人集会」では号外を作成し、解散地点で配布。用意した25,000部がすぐ無くなった。なお、規制庁による「赤旗」締め出し事件について報じた「赤旗」電子版は、アクセスが異例の30,000件近くに達した。【成澤宗男(編集部)「「昔は警戒されていたのに」脱原発市民の支持を得る赤旗」(「週刊金曜日」2012年10月19日号)】

 以上、渡辺真(フリーランス編集者)「主義主張を理由に『赤旗』を排除しようとした規制庁」(「週刊金曜日」2012年10月12日号)に拠る。

   *

 (1)毎週水曜日、原子力規制委員会の会議が開催されている。同庁は、この傍聴者などを監視するため、公安警察を要請していた。
 この事実は、10月10日に判明。
 会場に配置されていたのは、東京都「麻布警察署から来た」と名乗る私服警官。耳にはイヤホン、胸には傍聴者やメディアとは異なる赤いストラップの入館証を下げ、会議室の出口付近に待機し、メディアや傍聴者を確認しては逐一メモし、時折、廊下に出て無線で報告していた。
 傍聴者の数人が気づき、「あなたは誰ですか?」と詰め寄ったところ、「規制庁の要請で来ている。それ以上、話す必要はない」「自信を持って仕事をしている」と回答。一時、押し問答になった。

 (2)田中俊一・原子力規制委員会委員長は、会見で、「全然知らなかった」と要請が事務方の判断だったことを説明。
 庁舎内の秩序維持という観点から、警察署に対して警備を依頼している。公安警察が私服である理由は、「制服だと威圧感を与えるため」だ。【森本英香・原子力規制庁次長】

 (3)傍聴者の監視問題では、今年7月、保安院が大飯原発の断層調査をめぐる専門家会議の傍聴希望者に係る情報を警察に提供した可能性が指摘されている。森山善範・保安院原子力災害対策監が、記者会見で、警察から詳細な説明を差し控えるよう要請を受けたことを明らかにした経緯がある。
 規制庁のモラルが問われる。規制庁のトップが池田克彦・前警視総監であることも関係がある可能性が高い。【青木理・ジャーナリスト】

 以上、白石草(NPO法人OurPlanet-TV(代表理事)「公安警察が傍聴者を監視 ~原子力規制庁が「秩序維持」を理由に要請」(「週刊金曜日」2012年10月19日号)に拠る。

 【参考】
【原発】天下り容認の規制庁人事 ~民自公修正談合~
【原発】無責任体質は変わらない ~原子力規制庁~
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【原発】除染予算1兆規模を一人当たり980万円の移住費に

2012年10月25日 | 震災・原発事故
 (1)効果も不透明な除染事業に、政府はこれまで9,331億円の予算をつけた。来年度も、環境省が6,468億円を概算要求している。
 計1兆5,800億円もの巨額の除染利権を生んでいる。しかも、これには中間貯蔵施設や最終処分場などの事業費は含まれていない。
 2014年度以降は、それまでの成果を見て除染を続けるかどうかを検討する。【環境省除染チーム】

 (2)半減期30年のセシウムは、公共事業が減った大手ゼネコンの「長期安定収入」と化すのか。
 今後も、中間貯蔵施設、最終処分場の造成・建設・管理、放射能汚染の運搬などを含めて除染関連事業は続く。長期にわたり数十兆円ともいわれる。
 業者は、不透明だろうが何だろうが、とにかく技術開発をやっている姿勢をアピールする必要があるのだろう。9月、東京都内で、「環境放射能除染・廃棄物処理国際展」(主催:環境新聞社)が開催され、①アレバと三菱、②日立GEニュークリア・エナジー、③ウェスティングハウス・エレクトリックを傘下に置いた東芝・・・・の3大グループに加え、大手ゼネコンの鹿島建設(福島第一原発を建設)、前田建設(増え続ける放射能汚染廃棄物=指定廃棄物に的を絞った)、大成建設、清水建設、大林組など、日本の原発54基に関わった企業が出展した。

 (3)チェルノブイリ原発事故では、結局、その費用と労力に合わないとの判断で除染は打ち切られ、「汚染地帯からの移住」が選択された。
 福島県の被災地でも、除染に期待する声は少なく、移住費用を求める声が出ている。
 福島県内に避難している16万人に1兆5,800億円を「移住費用」として一律配分するなら、一人当たり980万円(1世帯なら世帯員数分が合算される)を支給してもお釣りがくる。 
 1兆5,800億円のほとんどを大手ゼネコンなど土建業者に回すより、よほど「被災者に寄り添った復興」になるのではないか。

 以上、本誌編集部「1人当たり980万円の移住費を支給してもおつり」(「週刊金曜日」2012年10月12日号)に拠る。

 【参考】
【震災】原発>除染費用100兆円を10兆円に圧縮する法
【震災】原発>兆円単位の除染に群がる海外企業
【震災】原発>20km圏の大半は居住不可能
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【税】富裕層の海外移住は失敗続き ~海外の隠し資産の摘発~

2012年10月24日 | 社会
 (1)厳しくなる相続税負担、財政の破綻懸念、放射能の危険など、高まる“ジャパンリスク”に嫌気がさし、祖国を見限る富裕層が昨年来、急増しているといわれる。複数のメディアも、ここ最近、富裕層の海外移住が増加していることを取り上げ始めた。

 (2)ところが、事態は想定外の方向に進んでいる。
 「日本に帰りたい」「子どもの国籍を日本に戻したい」・・・・都心に事務所を構える大手税理士法人に、そんな相談が舞い込み始めたのは、今年に入ってからだ。いずれも日本人の富裕層からだ。流れに乗って日本を脱出し、移住したのはよいが、結局、慣れない海外生活に耐えられず、帰国を願い出る富裕層が出てきているのだ。ブームの足元では、早くも「逆転現象」が起きているのだ。

 (3)富裕層が海外移住する最大の理由は、相続税対策だ。日本の相続税は最大50%。いくら巨額の遺産があっても、3代続けば財産がなくなる、といわれる。さらに、日本政府は相続税の適用範囲を広げ、最高税率の引き上げまで打ち出している。
 日本の相続税の対象からはずれるパターンは、大きく2つ。
  (a)財産を渡す親と、受け取る子が共に5年以上海外に住む。
  (b)子だけが海外に出る。国籍も日本以外に移す。

 (4)富裕層が移住する候補地として注目されているのは、相続税がゼロの国・地域だ。<例>香港、スイス、シンガポール。
 香港は、昨今の日中関係の緊迫化で、カントリーリスクが意識され、敬遠される傾向にある。
 スイスは、距離の問題に加え、黄色人種はどうしても下に見られてしまう。
 よって、富裕層の間で特に人気となっているのが、政治的にも安定し、同じアジアのシンガポールへの移住だ。シンガポールは、相続税がゼロであることに加えて、資産の運用益にかかるキャピタルゲイン課税もゼロ、所得税は最大20%、法人税17%(一律)、さらに、教育、医療といった生活水準が高く、治安もいい。世界の富裕層が続々と拠点を移している。<例>エドゥアルト・サベリン(Facebookの共同設立者)、ジム・ロジャーズ(世界的な大物投資家)、鈴木洋・「HOYA」CEO・・・・中野美奈子・元「フジテレビ」アナウンサーも。
 ただ、シンガポールは小国なので、今後も高い経済成長を維持していくには限界がある。オフィス賃料や家賃は上昇の一途だ。そこで注目されているのが、同国北部に隣接するマレーシア・ジョホール州で進む「イスカンダール計画」だ。シンガポールの3倍の地域に、高級住宅地、教育機関、テーマパーク、工業団地などの都市開発が進んでいる。すでに同州から橋を渡ってシンガポールに通勤する人は1日10万人に上る。今後は、国境をまたいだ考え方でシンガポールを捉え直すことが重要だ。【小林昇太郎・船井総合研究所 経営コンサルタント】

 (5)しかし、実際に移住するとなると、話は別だ。高齢になって初めて海外に移住する場合、病気などになると途端に弱気なって帰国を望むケースが増加している。5年間の間に家族関係が大きく変わることもあり、移住に失敗する富裕層が後を絶たない。
 留学経験のある子が拠点を海外に置くなど、ビジネスが関連してくれば移住の成功率は高まる。しかし、相続税逃れが移住の第一目的では、成功するのは難しい。
 さらに、今年に入ってから、海外移住自体のハードルが高まった。シンガポールへの移住は資産さえあれば簡単だった。純資産12億円のうち半分の6億円をシンガポール国内で運用すれば永住権を申請できた。しかし、この制度は今年4月をもってストップした。

 (6)香港やシンガポールに銀行口座を開設する富裕層が増えているが、日本で買えない金融商品を購入できると勘違いしている富裕層が少なくない(勘違いを利用した詐欺も増えている)。海外投資をしたいだけならば、ネット証券を使えばいい。香港などにオフショア口座を開設しても、日本の税法が適用される。メリットは限られている。

 (7)国は法人については税率を下げる方針だが、国税当局は個人が保有する1,500兆円の金融資産を税収に変えたい、と考えている。
 「国外財産調書制度」は、2013年末からスタートし、5,000万円超の資産を海外に保有する場合、報告義務が発生する。富裕層が隠し持ちながら表に出ることのなかった海外のグレーなカネに包囲の網が張られた。
 日本から海外に100万円以上送金すると、金融機関から税務当局にレポートが上がる。が、この仕組みができたのは、バブル崩壊後。バブル期には巨額の資金が海外に流れた、とされる。申告が義務化されることで、5,000万円超の海外資産を持つ富裕層が、それを表に出すかどうかの決断を迫られている。
 この制度では、最悪の場合、懲役刑が待っている。

 (8)「国外財産調書制度」に限らず、国税当局は海外資産に対する監視の目を強めていて、抜け道は徐々に通用しなくなりつつある。
 日本とスイスは、2011年末、租税条約の改定に合意した。スイス当局は、日本から情報提供の要請があれば、国内の金融機関に顧客情報を照会して提出する義務を負うことになった。スイスの「安全神話」は過去のものとなった。
 “お金持ち包囲網”は狭まる一方だ。

 以上、記事「お金持ちの失敗から学ぶ資産運用の裏側と投資哲学」(「週刊ダイヤモンド」2012年10月20日号)に拠る。
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【尖閣】内田樹×高橋源一郎の領土問題・考 ~国内問題~

2012年10月23日 | 社会
 (1)領土問題について、マスメディアは報じないのが一番いい。

 (2)戦中派は、領土問題の話になると、「千島でも尖閣でもあげちゃえばいい」と言う。「あれだけひどいことをしたんだから、全部あげればいい」と。
 戦中派は意外にそうなのだ。だから、領土問題を起こしているのは、戦後の2代目だ。親の財産を食いつぶしている奴らが。

 (3)領土問題についてマスメディアが報道しないことが2つある。(a)戦争。(b)外交交渉。
 (b)は、基本的に「五分五分の痛み分け」だ。両方の国民が共に等量の不満を感じる。だが、それができるのは、両国の統治者が、政権基盤が極めて安定していて、圧倒的な国民的な支持がある場合に限られる。そういう強い政治化しか外交交渉での譲歩はできないから、力のない政治化には外交はできない。譲歩したとたんに引きずり下ろされるから。
 もう一つの解決方法である(a)という選択肢は、今回の場合もあり得ない。竹島も尖閣も。外交交渉ができない人間に、戦争ができるわけない。戦争は、「どう始めるか」でjはなく、「どう終わらせるか」がカンどころなのだから。外交的譲歩ができない人間に、戦争を終わらせる手立てがあるはずがない。
 2004年に胡錦濤とプーチンが中露国境を確定させた。その時点では両者とも国内を完全に掌握していたからだ。
 今、領土問題が炎上しているのは、日本側にも中国・韓国側にも外交的譲歩ができる強い政治家がいないからだ。
 中国も、ナショナリストがあれだけ跳ね上がるのは、中央の統率力が落ちているからだ。
 韓国も、李明博大統領の支持率が2割くらいに落ちていたのが、竹島上陸で何ポイントか上がった。そういう政権末期のパフォーマンスだ。日韓関係をあれだけ悪くして、自分の支持率を4ポイント上げても差し引き勘定は合わない。
 周恩来の「戦時賠償を放棄する」(日中共同声明、1972年)も、小平の「領土問題は棚上げする」(1978年)宣言も、どちらも安定した政権基盤がある政治家にしか言えない。
 李明博、胡錦濤、野田佳彦では、その点に無理がある。外交交渉の当事者たちが誰も「譲歩カード」を引く力がないから、チキンレースで突っ走るしかない。だから、領土問題は国内問題なのだ。

 (4)尖閣諸島を問題にしているのは、香港の活動家だ。彼らは、前には共産党批判をやっていた。中国で何か話題があると、ワーッと行く人たち、ということでよく知られている。
 反日運動で騒がれるのは、中国政府にとってもおいしくない。騒ぐのは格差が広がっている地域、政府に対するフラストレーションが溜まっている地域だから、中国政府としては抑えたい。

 (5)こんなところで反日の気運が盛り上がるのは困る、というのが中国政府の思惑だったが、野田政権になってから変わった。野田政権が対中国、対韓国へのツメの甘さで、外交的なバグを出し始めた。バグが出れば、向こうも対応せざるを得ない。そういう循環が始まった。
 石原慎太郎がいけない。尖閣が問題化したのは、石原が変なことを言い出してからだ。地権者から土地を買うと言い出して、中国も何か行動せざるを得ない。石原は、どれくらい日本の国益を損なっているのか、自覚しているのだろうか。
 小平は外交的に譲歩して「領土問題は棚上げ」した(1978年)。にもかかわらず日本はその信頼を裏切った、ということになる。
 領土に固有性はない。それは政治的幻想だ。
 中国も、領土問題でインドと揉め、ロシアともめ、今ではフィリピンとベトナムと日本でもめている。「固有の領土」というのが存在しないから、こういうことになるのだ。そういう無用の摩擦が起こるのは、要は中国国内の統治の問題なのだ。

 (6)マスメディアは報道しないが、北方領土も竹島も尖閣も、全部ステークホルダーは3国だ。当該国プラス米国。米国は、北方領土も竹島も尖閣も、日本をめぐる領土問題が解決しないことを求めている。当事者が3ヵ国いる問題を2ヵ国交渉でやっているのだから、まとまるはずがない。まして、「出席しないステークホルダー」が問題を解決しないことを求めているのだから。
 米国は、日中、日韓、日台がいずれも軍事衝突に至らない程度に対立していてい、相互に不信感を抱いていて、信頼関係を築いて同盟ができない程度にしておきたい。東アジア共同体ができて、米軍基地が東アジアから撤退を要求されるのが、米国にとって「最悪のシナリオ」だ。だから、領土問題が恒にくすぶっているのは、米国の西太平洋戦略上歓迎すべき条件なのだ。だから、領土問題解決のために米国が力を貸すことはあり得ない。
 国内問題として解決するわけがないし、解決を米国が望んでいない。よって、領土問題は解決しない。

 (7)竹島と尖閣では若干違うが、ごく簡単に言うと、どちらの言い分にも理がある。
  (a)「先占の法理」・・・・「先占の法理」を特に日本が言っているが、「先占の法理」自体おかしい。これは帝国主義時代になってからできた論理で、これ自体盗人たけだけしい論理だ。例えば、ネイティブ・アメリカンが住んでいるところを「先占の法理」で国の領土だと宣言して、植民地にできる。「先占の法理」を主張できるのは国家だけで、国家を持っていない民族は、それより昔から住んでいても権利がない。メチャクチャな話だ。
  国民国家という概念は、17世紀のウェストファリア条約からのものだ。そんな近代的な概念で4,000年前からの土地の問題を決めよう、というのは土台無理な話だ。
  昔からどちらが支配していきたか、という話になると、両方でどんどん記録を出してくる。中国が『魏志倭人伝』を出してきたら、どうする気かね? 親魏倭王は朝貢し、魏の皇帝の地方長官に冊封されている。中国が、邪馬台国をお返し願いたい、と言ってきたらどうする?

  (b)条約問題・・・・尖閣問題だと日清講和条約、竹島問題だと日韓併合条約。「脅迫されてサインした」と一方が言い、他方が「でも契約書にあんたのサインが残っている」という争いだ。条約締結時に何があったかが問題になってくる、という歴史の問題だ。例えば、日韓併合条約は、実質的に頭にピストルを突きつけられて韓国がサインしたようなものだ。

  (c)米国の問題・・・・米国が竹島や尖閣をどこの領土と認識しているか、分からない。日中韓が勝手にやってくれ、という。もめた状態に置いて、解決しないほうが米国にとって利益が大きい。

 内田樹×高橋源一郎「領土問題は国内問題である」(「SIGHT」2012年秋号)に拠る。

 【参考】
【尖閣】諸島「領有化」の歴史と法理 ~琉球の実効支配~
【尖閣】諸島「領有化」の歴史と法理 ~日清戦争・十五年戦争~
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【原発】地権者、震災ガレキ焼却灰受け入れを拒否 ~島田市~

2012年10月22日 | 震災・原発事故
 (1)静岡県島田市は、東日本大震災に伴うガレキ受け入れを表明している【注】。
 島田市は、この2月、受け入れたガレキの試験焼却を実施。さらに5月に、ガレキを焼却した分計16トンのガレキの焼却灰を処分場に持ちこみ、シートで覆った。

 (2)処分場のある島田市坂本地区の住民や周辺の茶畑農家は反発。「原発事故後、持ち込まれた生活ゴミからもセシウムが検出されている。ガレキの焼却灰が持ち込まれれば、水道用に使われている付近の大井川がさらに汚染される」

 (3)処分場を所有する地権者も、3年ごとに行われている市との土地賃貸借契約が切れる3月末前に、島田市が「生活ゴミ単独では契約しない」という姿勢を示したため、「島田のゴミは受け入れるが、汚染されたガレキの焼却灰は認められない」と、新たな契約を拒否した。
 島田市はしかし、8月の契約交渉時にも、震災ガレキの処理を実施することを前提とした覚書を提示した。よって、現在まで両者は土地賃貸借契約を締結していない。
 だが、島田市は「契約は継続している」と主張。「理解を求めたい」(=市の言うことを聞け)と、生活ゴミの搬入を続けている。
 地権者側は、看板を掲げた。「10月1日より、この土地への立入を禁止します」
 しかし、島田市の搬入は止まらない。ために、地権者は処分場にロープを張って阻止。「土地賃貸借契約書をまだ交わしていないのに、市が勝手にガレキの焼却灰を持ち込んだ」と抗議。

 (4)静岡県は、10月18日にも、岩手県の震災ガレキ46トンを島田、静岡など4市に搬入する予定だ。

 (5)岩手県は、1日1,000トンのガレキ処理能力がある、とされる。広域処理は、多額の税金を費やしてわざわざ遠方に搬入し、セシウムを拡散するだけだ。静岡県内では、広域処理に抗議し、中止を求める署名運動が起きている。  

 【注】
【震災】がれき受け入れの利権 ~島田市長と産業廃棄物業者~
【震災】原発>亡国の日本列島放射能汚染 ~震災がれき広域処理~
【原発】ガレキ処理はなぜ進まないのか ~環境省の「環境破壊行政」~

 以上、成澤宗男(編集部)「市が一方的に焼却灰を搬入 ~地権者との土地賃貸借契約は未締結のまま~」(「週刊金曜日」2012年10月19日号)に拠る。
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【食】日本の玉ネギ生産を左右する米国モンサント社ら

2012年10月21日 | 社会
 (1)いま、農家が栽培している玉葱は、大部分がF1種(First Filial Generation、一代交配種)だ。
 F1種は、異なる2つの遺伝系統の両親から作られる雑種だ。雑種一代目は、形や味などの品質が均一にそろう。また、環境に対して抵抗力が強い「雑種強勢」も現れやすい。これを利用すれば、病気が少ない、生育が早い、収穫量が多い、など様々な利点を持つ農作物を人工的に作り出せる。
 F1種の見た目がよい野菜は、消費者に売れる。農家も、少ない労力で安定した収穫が得られるF1種を歓迎する。傷みにくいタマネギを開発すれば、輸送に便利だから流通業も歓迎する。
 かくて、従来の固定種タマネギは廃れ、大量生産に向くF1種が市場を席巻した。

 (2)だが、より需要の高いF1種を作るには、バイオ技術を含めた高度な掛け合わせ手法が必要になる。雄しべがなくて花粉を作れない(雄性不稔)など、自然界では淘汰される遺伝子さえ、人の都合で利用する。
 通常の農家仕事では取り扱い困難だ。
 そこで、各農家は、種作り専門の種苗業者からF1種の種を仕入れるようになる。しかも、F1種は一世代鍵rの特性があるから、農家が同じ野菜を作りたいなら、育てたタマネギから採種せず、再び種苗業者から種を購入しなければならない。永久に。

 (3)作物栽培の前提となる種の生産が、農家の手を離れてしまった。
 農家は作物を作るだけで、種苗業者が農家を牛耳るのだ。
 種苗業者は、大規模に作付けて、たくさん売れるものしか作らなくなる。

 (4)日本国内の種苗業者の多くが、F1種の交配と生産を海外に委託している。
 世界の種苗業界は、最大手で米国資本のモンサント社を中心に、競争の渦中にある。
 F1種を作るのにも、原種は欠かせない。各国の育種メーカーが持つ種と技術は、いま熾烈な買収攻勢にさらされている。
 現代の農業は、世界規模で進む「種を買う」システムの中で成り立ち、そこから後戻りできない。

 (5)「種を買う」システムから逸脱したタマネギを作るには、その種を農家は自分で採り続けるしかない。
 例えば、板東達雄、北海道入植者の5代目。祖父の代から100年以上、札幌の中心地から来るまで30分の距離の農場で、札幌黄のタマネギを自家採種してきた。今も。
 明治期、札幌農学校に赴任したブルックス博士が、それまで日本で作られていなかったタマネギを持ち込んだ。彼の指導で栽培が始まるタマネギ「イエロー・グローブ・ダンバース」は、札幌の農家を中心に作られ、札幌黄の名で道内、さらに全国へと広まった。国内のタマネギ生産の5割以上を占める北海道で、札幌黄は長らく生産現場を支えた。
 しかし、札幌黄は1970年頃をピークに、生産量が減っていった。代わって登場したのがF1種だった。
 大量生産に向くF1種は市場を席巻し、従来の固定種タマネギは滅亡寸前となった。

 以上、木村聡(フォトジャーナリスト)「たねを採る農業 ~満腹の情景 第10回~」(「週刊金曜日」2012年10月5日号)に拠る。
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【社会保障】まるで足りない介護職員 ~介護職員の賃金~

2012年10月20日 | 医療・保健・福祉・介護
 (1)2025年には、団塊世代がいっせいに75歳以上になる。5人に1人が後期高齢者になる。その時に必要な介護職員数は、221万人~255万人と試算されている(社会保障国民会議)。

 (2)介護職員は年々増えてきたが、低賃金が響いて離職も多く、2010年には早くも減少に転じた。
 介護職の離職率は、直近2年間で17.8%から16.1%に低下したが、処遇が改善されたからではない。辞めたくても不況でほかの働き口がなく、「去るも地獄、残るも地獄」だ。【入野豊・東京介護福祉労働組合監事/ケアマネージャー】
 介護老人保健施設の介護士職員、人手不足の施設から催促され、産後2ヶ月で夜勤シフトを月6回も組まれたりする。看護師には2交代制であれば月4回を目安に夜勤時間を制限するルールがあるが、介護職員には何ら規制がない。加重労働、急変する高齢者に心身をすり減らすように働いても、月給は額面で20万円にも満たない。

 (3)日本介護クラフトユニオン(NCCU)の「処遇改善調査」(2011年)では、組合員の平均賃金を職種別年収で見ると、
  (a)訪問介護員・・・・2,601,000円(月給制)
  (b)施設系介護職員・・・・2,803,000円(月給制)
  (c)【参考】サラリーマン・・・・4,090,000円【国税庁、2011年】
 介護労働安定センターによれば、職種別平均月給は、
   ①訪問介護員・・・・188,975円
   ②サービス提供責任者・・・・224,791円
   ③介護職員・・・・195,247円
   ④看護職員・・・・264,395円
   ⑤介護支援専門員・・・・254,527円
   ⑥生活相談員or支援相談員・・・・237,230円
   ⑦全体・・・・216,086円
 管理職も好待遇とはいえない。東京都のある訪問介護事業所長/介護福祉士(34歳)は、所長歴10年だが、基本給226,450円、所長手当が28,000円、計254,450円だ。しかも、管理業務のほか1日5件前後、訪問介護に入るため残業も多い。
 ヒラの訪問介護員の労働時間は、利用者の急な入院や死亡で穴が空きやすいから、月によって70~120時間のバラツキが出てしまう。そのしわ寄せは、当然、非常勤職員にいく。報酬もその分、下がる。
 医療機関の看護助手は、配膳、備品の消毒、患者の移動、事務職員の欠勤の際はカルテも作成するが、診療報酬の看護補助加算は1人当たり年間200万円くらいなので、正職員採用に結びつかない。

 (4)厚生労働省は、人材確保のため、
  (a)2009年度に介護報酬を3%引き上げ、月額賃金2万円アップをめざした。
  (b)2009年10月~2011年度末に限り、全額国費の「介護職員処遇改善交付金」を制定し、賃金改善計画の策定を行うなどを条件に、一人当たり15,000円を交付した。・・・・しかし、効果は限定的だ。交付金の使途は一時金扱いが多く、ベースアップにはなかなかつながらない。経営者側からは、「交付金も介護報酬も時限的なもので、すぐに梯子をはずされるかと思うと、基本給は上げられない」「過去の介護報酬のマイナス改定の赤字を補填するので精一杯」という声も上がる。
  (c)2012年度から、介護報酬に「介護職員処遇改善加算」が新設された。・・・・しかし、事業所がその加算を申請すれば、利用者負担として跳ね返る。自己負担増を避けるため利用を手控えることになれば、もくろみどおりの処遇改善にはつながらない。

 (5)制度上の問題もある。2012年の介護報酬改定で、「生活援助」の時間区分が見直され、訪問介護員の働き方を大きく変えつつある。これまで「生活援助」(掃除・洗濯・炊事・買物)の最短区分は60分未満だったが、今改正で45分未満に短縮された。その結果、
  (a)利用者
    ①利用の減少 <例>今まで1日2回の訪問が1回に抑制され、食事も1回に減った。
    ②バイオチェックが手薄になった。
  (b)訪問介護員
    ①利用の減少に伴い、訪問介護員の収入が減少。
    ②今までなら、訪問介護員は利用者と会話しながらその状態を観察できたが、その余裕がなくなった。
    ③ただ黙々と家事するだけで手一杯となり、やりがいが奪われる。

 以上、小林美希(ジャーナリスト)「制度開始10年で従事者減 まるで足りない介護職員」(「週刊ダイヤモンド」2012年10月20日号)に拠る。

 【参考
【社会保障】介護職の離職率を減らす試み
【読書余滴】野口悠紀雄の、日本経済回復の方向づけ
【経済】財政再建と介護(1) ~曲がり角に立つ介護産業と日本の雇用~
【経済】財政再建と介護(2) ~将来の労働事情~
【経済】財政再建と介護(3) ~新しい介護産業~
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【原発】福島県民でなくとも東電に賠償請求できる ~茨城県の事例~

2012年10月19日 | 震災・原発事故
 (1)原子力損害賠償紛争審査会は、2011年8月5日、「原子力損害の範囲の判定等に関わる中間指針」を出し、同年12月に追補、今年3月に第二次追補が出た。
 中間指針は、あくまで最低基準で、それを理由に東電が賠償請求を拒むことはできない。【原子力損害賠償紛争解決センター(文部科学省が設置)】

 (2)東電の請求書作成資料には、福島県からの避難者以外に、県外在住者が記入する欄がない。

 (3)茨城県牛久市在住のK氏は、今年3月、自宅の除染費用などの賠償を請求するべく東電・福島原子力補償相談室に電話した。応対した女性相談員いわく、
 「福島県外の個人で賠償を求めてきたのはあなただけです」
 「みなさん多少の不自由は我慢しています」
 「政府の作った原子力損害の判定に関わる中間指針では、茨城県の個人は賠償の対象外です」

 (4)K氏は、今年4月、原子力損害賠償紛争解決センターに和解の仲介を申し立てた。
  (a)紛争の問題点・・・・賠償を承りません、と東電に言われた。
  (b)生活費が増加した分の賠償・・・・浄水器(20数万円)、除湿乾燥機、掃除機、放射線量計、除染作業用具、雨水タンク、など。
  (c)その他に要した費用の賠償・・・・放射線検査や除染のための費用。
  (d)精神的損害への賠償。
  (e)土地家屋の価値が下がったことへの賠償。
  (f)(b)+(c)=458,981円。

 (5)5月末、東電側の弁護士から「答弁書」が送られてきた。
  (a)結論部分はこうだ。除染以外は、すべて「損害賠償をしない」という内容だ。
   ①生活費が増加した分の賠償・・・・否認する。
   ②その他に要した費用の賠償のうち除染のための費用・・・・認否は留保する。
   ③精神的損害への賠償・・・・否認する。
   ④土地家屋の価値が下がったことへの賠償・・・・否認する。
  (b)除染以外はすべて「損害賠償をしない」理由として東電側は次の3点を挙げ、中間指針に基づいて賠償するべき損害にはあたらない、と結論づけている。
   ①居住地(茨城県牛久市)が中間指針第三にいう「政府による避難等の指示があった対象区域」ではない。
   ②中間指針追補にいう「自主避難等対象区域」でもない。
   ③申立人らは避難をしていない。
  (c)除染費用の認否を留保する理由としては、<「中間指針第二追補 第4 除染等に係る損害について」において、「必要かつ合理的な範囲」の除染費用が損害賠償の対象となります。ところが、現時点では、国も自治体も、除染についての合理的な範囲、金額、負担の基準等を検討中であり、その基準等の公表はされておりません>とある。
 
 (6)第1回口頭審理、7月上旬、於紛争解決センター・・・・東電側は若い男性と弁護士が出席。「答弁書」の主張を繰り返すだけだった。若い男性は自己紹介しない。K氏が「まったく謝罪がないのはおかしいですね」と問うと、社長が記者会見で言っている、ここは謝罪の場ではない、とさっさと引き上げた。

 (7)その後、紛争解決センターが提案した。
  (a)K氏は、生活費増加分や精神的損害を取り下げる。
  (b)東電は、牛久市が「汚染状況重点調査区域」になっているので「一定の範囲の賠償」をする。
 結局、東電は、紛争解決センターの仲介案を飲む形で、次の「除染費用」約8万円を(損害賠償ではなく)「和解金として支払う」ことに同意した。
   ①庭木の剪定・枝葉の処理。
   ②除染後のゴミの処分。
   ③ポリバケツやデッキブラシ、作業衣、など。

 (8)自治体が委託した業者による除染に関しては、国の補助がある(2011年12月22日施行の「放射線量低減対策特別緊急事業費補助金取扱要領」)。
 しかし、個人が実施した除染に関しては、補助金が出ない。個人実施の除染への補助金は検討中【環境省放射性物質汚染対策特措法施行チーム】。
 (7)のK氏の事例は初耳。個人の実施した除染についても一定の賠償を行うなら、まずは東電がホームページなどでその請求の仕方を含めてきちんと公開すべきだ。【牛久市環境政策課放射能対策室】
 ちなみに、「汚染状況重点調査区域」には全国で104の自治体が指定されている。

 以上、片岡伸行(本誌編集部)「福島県人でなくとも東電に損害賠償を」(「週刊金曜日」2012年10月12日号)に拠る。

 【参考】
【震災】原発>賠償を拒否する東電側の理屈 ~裁判~
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【尖閣】諸島「領有化」の歴史と法理 ~日清戦争・十五年戦争~

2012年10月18日 | 社会
 (承前)

(4)「分島改約」という主権の放棄
 (a)1879年6月、グラント・米国前大統領が清朝政府からの依頼に応じ、日清間の調停を行ってから事態は変化した。翌1880年8月18日から同年10月21日まで、北京で日清間交渉が行われた。
 (b)琉球問題での譲歩、別方面での利益獲得・・・・をグラントから勧められていた日本は、李鴻章の意向を探るべく竹添進一郎を事前に派遣。同年3月26日に竹添・李会談が実現した。竹添は口上書を提出した。
  ①琉球南部諸島(先島諸島)が日本を領有すると台湾(中国の属国)を脅かそうとする勢いがあるように見える。李鴻章が争っている理由がここにあることがようやく分かった。
  ②日本に西洋と動揺の内地通商権を与えるなら、日本も<琉球の宮古島と八重山島を中国の領土と定めて、両国の国境線を引いても構いません>【「日本竹添進一郎説話」】。
  ③李鴻章はしかし、②を「ドサクサ紛れの要求」だとして拒んだ。
 (c)井上馨・外務卿は、宍戸・特命全権大使に与えた「談判手続内訓状」で、依然として「分島」と「改約」の「抱き合わせ」を堅持するよう命じた。なぜか。関税自主権回復の新条約を米国と調印していた(1878年7月)が、領事裁判権・協定関税の相互承認といった日清修好条規中の変則な不平等性を改正しなければ、米国が条約改正後に「最恵国待遇」を発動する危険があったからだ。
 (d)追い風になったのは、露清間の領土問題だった(サンクトペテルブルグで当時交渉中)。日露に「挟み撃ち」されることを恐れる清朝は、当初から日本に妥協的だった。交渉の結果、宍戸は1880年10月、2島の清領化と引き換えに欧米なみの最恵国待遇や内地通商権を認める内容の条約改正案に合意し、調印を待つだけになった。
 (e)しかし、清朝内部交換から、この案への批判が出てきたため、調印が少しずつ引き伸ばされていった。露清間交渉が解決し、「挟み撃ち」のリスクが大きく低下したのだ。・・・・以降、調印を催促する日本側と、のらりくらりと引き延ばし策を図る清朝側との対立、という構図がしばらく続く。「分島改約」の構想は、御破算になった。 

(5)資源確保のための「分島」撤回
 (a)先島諸島の主権は日本に残った。ただし、その原因は、日本の「毅然たる対応」などではなく、同意に達していた改正条約に清朝が調印しなかったことに由来する。
 (b)先島諸島が経済的利益のために、日本政府に主権を危うく遺棄されそうになった事実は重大だ。外務省のいわゆる「固有の領土」は、先島諸島の「分島」政策を無かったことにしたい欲望が隠されている。
 (c)清朝は、1880年代、軍事力で日本より優勢にあった。対露外交が一段落して以降、経済的に自立不可能な先島諸島のみを領有するより、琉球の親清朝的な旧勢力の回復を、つまりは「外藩」としての琉球の維持をめざすほうが、日本に対する安全保障という意味でも合理的と考えるようになっていた。 
 (d)日本も、井上馨・外務卿が榎本武揚・駐北京公使に宛てて1885年5月16日付けの英文電信を送った頃には、「分島改約」に関心を失っていた。欧州植民地主義の東漸、先島諸島における石炭産出という事情が背景にあった。
 (e)同年4月20日の榎本武揚・李鴻章会談でも、榎本は先島諸島における石炭産出に言及し、鶏龍と石炭脈がつながっているのかもしれないと述べ、しかも「宮古諸島」を「我が属島」と明言している【「榎本公使李鴻章ト対話記事」】。
 (f)欧州の植民地政策にしても、井上らの最も念頭にあったのは、前年まで行われていた清仏戦争だ。この戦争の戦場の一つがまさに台湾北部の鶏龍で、ここも炭坑で有名な場所だった。この時点で日本が恐れていたのは、清朝のみならず、欧米列強までもが台湾はおろか、琉球諸島まで浸蝕してくることだった。

(6)尖閣諸島の領有化
 (a)安全保障、天然資源確保・・・・という観点から先島の領有継続が決まると、次に周辺海域で他国より先に未発見の島嶼を見つけ、占有権を確立して日本領にしておくことが必要になった。その結果、未開拓の無人島として確認されたのが、大東諸島と尖閣諸島だった。
 (b)大東諸島は、①定住可能な水資源があったこと、②中国大陸や台湾から一定の距離があったことから、占有権の論理にしたがい、1885年に日本領として宣言された。
 (c)尖閣諸島はどうか。大東諸島の日本領編入と同じ1885年9月22日、西村捨三・沖縄県令が山県有朋・内務卿に宛てた上申で、「『中山伝信碌』(徐葆光・清朝来琉冊封使の著)に載っている釣魚台・黄尾嶼・赤尾嶼と同じものではないかという疑いがないわけではございません」として、占有権を主張すると微妙な緊張が走る可能性を示唆し、そのうえで、日本領であることを告げる国標を立てよう、と伺いを立てた。山県は、井上馨・外務卿と協議のうえ、同年12月5日に井上と連名で西村に国標建設却下の命令を下した。
 (d)日本にとって、当時、尖閣諸島に関して配慮すべきは、欧米列強ではなく、海軍力で日本に勝る清朝だった。北洋艦隊は7,000トン級の戦艦を複数所有し、まだ4,000トン級しか持たない日本海軍と比べ、その海軍力の差は歴然としていた。
 (e)だが、1880年代前半の「分島」政策放棄により、先島諸島の周辺島嶼を逆に、なるべく日本の主権下に置こうという狙いが生まれていた。
 (f)尖閣諸島とその周辺地域を用いる水産業者を管理する必要があり、1890年になると、沖縄県知事から尖閣諸島の所管官庁を定めたい、という伺いが届くようになる。しかし、それでもなお、国標設置(=領有化)には踏みきれず、大東諸島とは正反対の道を歩むこととなった。
 (g)1893年11月2日、奈良原繁・沖縄県知事が、漁業取り締まりのための標杭設置をまたもや中央政府に要請した。日清戦争直前のこと。沖縄県当局は、日清戦争のドサクサの中で尖閣諸島問題の解決を図ったのではない。とはいえ、日清の軍拡競争で緊張が走る中、琉球諸島の主権をめぐる争いは、大東と尖閣に達した時点で、すでに沸点に達していた。
 (h)1895年1月4日、日本の戦勝が決定的な局面で、尖閣の日本領編入が行われた。その背景には、あくまで先島諸島(=沖縄県)の一部として扱いたい日本側の意向が強く影響していた。

(7)結論
 (a)尖閣諸島に国標を設置するまでの間、日清間で尖閣諸島問題が話し合われたことは皆無だった。
 (b)清朝からすると、清朝は沖縄県設置に反対した(沖縄県の帰属を争った)。よって、琉球海域に存在する尖閣諸島について、自国領だとわざわざ独自に述べる必要はなかった(尖閣諸島に限った帰属問題の議論を出す必要はなかった)。尖閣諸島の帰属問題と沖縄の帰属問題とは同じ位相にある問題だった。
 (c)日本は、先島諸島放棄を企画した(中国は企画していない)。
 (d)(b)を一挙に解決したのが日清戦争だ。日清戦争の結果、台湾が日本に割譲されたので、沖縄の帰属問題も考える必要のない問題となった。日本政府は沖縄問題を国内問題として扱ったため、下関条約でも尖閣諸島はおろか、沖縄の帰属自体が全く触れられなかった。法理的な意味での沖縄の帰属問題は棚上げされてしまった。しかも、尖閣諸島もまた、割譲の対象としてではなく、ぎりぎりのタイミングで沖縄県の管轄に編入されたため、下関条約の議論から抜け落ちてしまった。
 (e)十五年戦争後、沖縄は米軍の占領下に置かれ、その後日本に返還されたため、法理上の帰属問題は議論の場もないまま今日に至った。法理的な決着がついていないから、日中双方とも自国領だと主張する法理が構築可能だ。そのため、尖閣問題は消え去ることがない。しかも、それは、沖縄現地に歴史的主体性が存在していることを必ず無視する形で行われている。
 (f)(b)と(c)が不可視されることで、尖閣諸島は「固有の領土」たる地位を手に入れる。だから、外務省の説明には、この2点の説明がない。
 (g)尖閣の歴史(1885年以前)を見ないと、沖縄帰属問題に係る法理上の不一貫性が曖昧になる。「固有の領土」という題目がひたすら唱え続けられることになる。歴史に目をつぶれば、国威発揚の領土ナショナリズムが幅をきかすだけだ。民主党政権の前には「対話」があった。いま、対話のチャンネルが閉ざされたまま、題目を唱え続けるだけだと、法理上の問題が残る。尖閣諸島問題は解決されない。

 以上、羽根次郎「尖閣問題に内在する法理的矛盾 ~「固有の領土」論の克服のために」(「世界」2012年11月号)に拠る。

 【参考】
【尖閣】諸島「領有化」の歴史と法理 ~琉球の実効支配~
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【尖閣】諸島「領有化」の歴史と法理 ~琉球の実効支配~

2012年10月17日 | 歴史
【尖閣】諸島「領有化」の歴史と法理 ~琉球の実効支配~

(1)「固有の領土」の言説と脱歴史性
 (a)<尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない,単にこれが無人島であるのみならず,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上,1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。>【外務省ホームページ「尖閣諸島の領有権についての基本的見解」】
 (b)(a)は歴史性を欠く。言及すべきなのに全く触れられていない問題が2点存在する。
  ①領土編入までになぜ10年(1885~1895年)も費やしたか。これが漏れているため、沖縄県が行った「標杭」設置の要請が、中央政府に却下された経緯が見えてこない。
  ②清朝政府が、沖縄の帰属問題について当時再三抗議を行っていた。
 (c)(b)-①について、「標杭」設置が中央政府内部で最初に議論されたのは、1885年ではない(要注意)。実は、1885年9月22日、西村捨三・沖縄県令が山県有朋・内務卿に対して行った上申において、「国標などの件につきご指示をお願い致します」と伺いを立てたのが初見だ。そして、政府部内で山県と井上馨・外務卿との間で議論された結果、同年12月5日、却下する旨通達された。「日本固有の領土であることは歴史的にも明らか」【外務省】であるはずの尖閣諸島の領有化がなぜ却下されたのか。
 (d)【参考】1885年10月21日付け書簡、発:井上馨、受:山県有朋・・・・井上は、ここで尖閣諸島が「清国の国境にも接近」しており、各島の中国語名もあることなどを根拠に、「国標を設置して開拓などに着手するのはまたの機会に譲」るべきと述べる。尖閣諸島の領有化が清朝を刺激することを外務省は強く警戒していた。これは日清戦争開戦まで始終日本側が気にしていたことだった。

(2)伝統中国における版図観
 (a)1871年に締結された日清修好条規の相互不可侵条項(第1条)にいわく、「両国に属したる封土も、各(おのおの)礼を以て相待ち、聊も侵越する事なく永久安全を得せしむべし」。
 (b)(a)は何を意味するか。1875年に当時紛糾中の挑戦問題のために渡清した森有礼と李鴻章が行った会見に遡らねばならない。
  ①森有礼は、朝鮮はインドと同様、中国の属国ではない、と主張する。朝鮮は朝貢を行い冊封を受けているだけにすぎず、中国は朝鮮から税を徴収せず、その政治に関与しないため、属国とは見なせない、云々。
  ②これに対し、李鴻章は次のように主張する。朝鮮は中国に属すること数千年、これを知らぬ者はいない。「属したる封土」(日清修好条規第1条)の「土」という字は中国の各省を指し、これは内地であり、内属している以上、徴税し、政治に関与する。一方、「封」という字は、朝鮮などの国々を指し、これは外藩であり、外属している以上、税や政治はこれまでその国に運営を任せてきた。森のいうように日本の臣民が「属したる封土」には朝鮮を含まれていないと考えているならならば、「将来、条約を改正した時に、“属したる封土”の部分の下に“18省及び高麗、琉球”という文言を書き添えるべき」だ。
 (c)清朝は、「封土」=国土であり属国も「外藩」として「中国」の一部を構成する、と解釈していた。こうした観点に立てば、琉球もまた清朝の「外藩」だった。故に、尖閣諸島への標杭建設は琉球問題へと拡大しやすく、井上馨はそれを恐れていたのだ。
 (d)日本の主流の沖縄認識に沿って考えると、
  ①1872年 第一次琉球処分・・・・琉球王国という国家が琉球藩(外藩)になった。明治政府の沖縄関連業務は、外務省から内務省へと移管された。
  ②1979年 第二次琉球処分・・・・廃藩置県が断行された(琉球藩→沖縄県)。
  ③1872年以後も尚泰・琉球藩主は清朝に対して、朝貢・冊封・正朔の「3つの手続き」を依然受け入れたため、清朝にとって琉球の変化は深刻なものとは映らなかった。むろん、薩摩藩侵攻(1609年)以降、琉球王国が実質的には薩摩藩の強い影響下にあったことは広く知られているが、このことは「3つの手続き」を踏む限り属国に干渉しない清朝政府の対琉球関係と鋭く矛盾することはなかった。「琉球=属国」という名分がまだ動揺する段階ではなかった。

(3)「日本人」と「琉球人」 ~台湾出兵における官人の対応~
 (a)「琉球=属国」という名分が最初に動揺したのは、台湾出兵事件のときだ。
 (b)事の発端は、琉球漂流民殺害事件(1871年)だ。宮古島官民合計69名が、暴風のため台湾南端に漂着。うち54名が、地湾現地の先住民に殺害された。1874年、領民保護と先住民への報復を理由に、明治政府は現地に派兵し、先住民地域を攻撃占領した。
 (c)1871年と1874年の間に、第一次琉球処分があったことは示唆的で、少なくとも日本国内では、琉球藩設置によって琉球藩民=日本国民とする出兵正当化のロジックが構築されていた。
 (d)その一方、日本政府は、攻撃対象の先住民地域を「無住の地」と見なし、「中国」と関連がない、とする立場に立った。清朝中央政府に対する十分な協議を重ねることなしに軍事行動を展開したのだ。
 (e)こうした「不意打ち」は、清朝中央政府を強く刺激した。柳原前光・全権公使が李鴻章と面会した際、李は柳原を詰問した。李は要するに、1871年に殺害されたのは琉球民であり、しかも琉球は清の属国である以上、日本が介入する理由はない、というのだ。
 (f)出兵を「義挙」と認める和睦条約を北京で調印した後、大久保利通は三条実美・太政大臣に宛てた報告で、沖縄の帰属問題が始終敏感な問題であったことを示唆する。「これによって、いくらかは琉球が我が国の版図である形跡を表しました。しかしながら、いまだはっきりとした結論を得るには難しく、琉球の帰属をめぐり、各国から異論が持ち出されることが無いだろうとまでは言いきれません」・・・・列強の介入を懸念しつつも、排他的主権を沖縄に確立しようとする意志が表れている。
 (g)台湾出兵の翌年(1975年)5月、明治政府は琉球藩に対し、清朝との朝貢-冊封関係の廃止と、明治年号の使用を命令した。・・・・琉球の属国としての地位は、朝貢・冊封・元号(=正朔)の「3つの手続き」が核心だったから、日本側のこうした動きに対して何如璋・駐日公使は激しい非難を浴びせた。何公使には、清朝が仮に琉球を放棄すれば次は台湾と朝鮮が狙われる、という安全保障上の危機感があった。
 (h)日本政府の意図的な遷延戦略のため何公使の怒りは空回りし続け、日清間交渉は時日を空費した。日本政府の「決める政治」は功を奏し、1979年3月、琉球の廃藩、沖縄の置県が強行された。かくて、沖縄への排他的主権を正当化するための実効統治の実績が積み重ねられていった。

 (続く)

 以上、羽根次郎「尖閣問題に内在する法理的矛盾 ~「固有の領土」論の克服のために」(「世界」2012年11月号)に拠る。
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