語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】民族問題講義(3) ~トルキスタン~

2016年03月02日 | ●佐藤優
(1)ムスリム共産主義者
 帝政ロシア時代、中央アジアは一つの単位で、トルキスタン(トルコ系の土地)と呼ばれていた。近代的な民族意識はなく、遊牧民は血縁に基づく部族意識、農耕民は定住するオアシスを中心とする地理意識、そして遊牧民と農耕民の両者はスンニー派ムスリムという宗教意識を有していたい。言語は、トルコ系言語とペルシャ系言語の双方を話すバイリンガルも多かった。
 ロシア革命は、西欧に波及しなかった。ドイツ、ハンガリーで起きた革命は、短期間で鎮圧された。
 レーニンは、革命の潜在力として、中央アジアやコーカサスの少数民族に目をつけた。少数民族には、ムスリムが多かった。ムスリム・ コミュニストという奇妙な概念が生まれた。奇妙な、というのは、二つの概念は矛盾するからだ。プロレタリアートの観点からすれば、民族には意味がない。被抑圧民族の観点からすると、階級区別は意味をもたない。
 ソ連は、歴史的にみれば、民族を階級が凌駕することで維持され、民族が階級を凌駕することで崩壊した。

(2)トルキスタンの分割
 レーニンの思惑は成功した。成功しすぎた。ジハードに燃えるトルキスタンの人々の力に、マルクス・レーニン主義が凌駕されそうになった。
 そこで、スターリンは、1930年代に、トルキスタンをタジキスタン、ウズベキスタン、キルギス、トルクメニスタン、カザフスタンの5つの民族共和国に分割した。タジキスタンのみがペルシャ系民族、残余はトルコ系民族と規定された。

(3)トルキスタンの分割がもたらした矛盾
 しかし、これらは上から人為的に作られた民族である。したがって、ことにタジキスタンとウズベキスタンとの関係が捻れた。サマルカンド、ブハラはウズベキスタンに属するが、歴史的にはペルシャ系言語を話す人々が過半数を占め、習俗もタジク人に近い。「民族境界画定」に無理があった。
 捩れは、ウズベキスタンとキルギスの関係にもある。
 キルギス北部の住民は、遊牧民の系統で、カザフ人と親近性がある。他方、キルギス南部のフェルガナ盆地の住民は、農耕民の系統で、ウズベク人に近い。フェルガナ盆地は、東端がウズベクとキルギスに分割され、さらにホジェンドを領有するタジクがからんで、このあたりの国境線は複雑に入りくむ。
 フェルガナ盆地は、もともとシルクロードの中の非常に豊穣なオアシスで、帝政ロシア時代は穀倉地帯だった。もっとも強力なムスリム集団がいた。ところが、ソ連時代、モノカルチャー政策によって綿花のみが栽培された。綿花は大量の水を必要とする。生態系を無視した灌漑により、土地が痩せ、ソ連崩壊後は綿花栽培をやめても元の穀倉地域には戻らなかった。ソ連時代の産業連関が崩壊し、フェルガナは極貧地域に陥った。
 そこへイスラム原理主義者が入りこみ、貧困、社会不安を背景に、この勢力の影響が急速に高まった。フェルガナ盆地では、罌粟の栽培が組織的に行われている。麻薬販売に従事する犯罪組織が、イスラム原理主義過激派と結びついている。

(4)強制移住
 スターリンは、トルキスタンの分割だけではなく、強制移住によって、民族問題をさらにややこしくした。
 独軍が北カフカースから撤退後、1943年末から44年春にかけて、チェチェン人、イングーシ人、カラチャイ人、バルカル人、カルムィク人などを「対独協力」の言いがかりをつけて、北カフカースから強制移住させた。クリミヤ奪回後の44年5月には、クリミヤおよびその周辺の黒海沿岸からクリミヤ・タタール人、ギリシャ人、ブルガリア人、アルメニア人などを追放した。さらに、トルコに接するグルジア南部から、ムスリム系のメスフ人(メスヘチア・トルコ人)、クルド人、ヘムシル人(イスラーム化したアルメニア人)などを、対土協力への危惧から追放した【注1】。
 1989年、商売下手のウズベク人商人が商売上手のメスヘチア・トルコ人【注2】商人に因縁をつけた。殴り合いから、たちまち死者何十人もの殺し合いに騒ぎが広がった。非常事態が宣言された。騒擾は連鎖的に波及し、ウズベク人に不満をもつキルギス人が加わって、3千人の死者が出た。フェルガナ盆地は疲弊した。そこへ、米ドル札をアタッシュケースに詰めこんだアルカイダの連中が入りこんできた。これは、ナゴルノ・カラバフ紛争の余波である。

(5)ウズベキスタン
 トルキスタンの民族問題をややこしくしたのは、スターリンだけではない。歴代の書記長も関与した。たとえば、ブレジネフ。
 ソ連時代、中央アジアの共産党第一書記には地元の民族が、第二書記にはロシア人が据えられることが多かった。腐敗とコネ政治が蔓延し、ソ連を停滞させる原因になった。
 特に、ウズベキスタンでは、ブレジネフ時代にラシードフ第一書記の一族を中心に部族政治が行われた。力をつけすぎた。ラシード・マフィアがブレジネフ一族、ことに娘婿のチェルバノフ(ソ連内務省第一次官)と結びつき、利権構造をがっちり築きあげた。
 アンドロポフ時代に粛正された。ゴルバチョフもその路線を継承したが、タジク人を登用するという「禁じ手」を使った。ウズベキスタンの中枢部からずん粋なウズベク人を追放し、サマルカンド出身のイスラム・カリモフ(現在の大統領)を据えることで共和国の活性化を図った。
 サマルカンドは、歴史的にはタジク系の都市である。1920年代には住民の80%がタジク人だった。ところが、1930年代になると、住民の75%が自分はウズベク人と考えるようになった。アイデンティティが変化したのである。しかし、ペルシャ系のタジク語の使用は変わらなかった。
 カリモフは、ウズベク語がうまく操れなかった。上手なのはロシア語で、その次がタジク語だった。ウズベキスタン独立後、演説できるレベルまでウズベク語力を向上させた。しかし、タジク系大統領に対するウズベク系エリート部族の反発があって、ウズベキスタンの潜在的不安定要因になっている。
 独立後、米国がカリモフの後ろ盾となった。石油も金も埋蔵されているし、ここを押さえれば中国を背後から抑えることになる。ということで、カリモフがどんなに人権を弾圧しても目をつぶった。しかし、2005年、米国はウズベクに対する見方を変えた。やりすぎだ、と。すると、こんどはモスクワが支持した。カリモフも、米国に距離を置くとともに、中国に歩み寄った。

(6)市民層の欠如
 中央アジア諸国では、ソ連崩壊後、一方では部族を中心とするエリート集団が権力を握り、他方では社会経済的困窮ゆえにイスラム原理主義が拡大している。
 欧米型市民社会を建設しようとする知識人が強権的な大統領に対して講義活動を行い、社会に騒擾を作りだしても、それを政治革命に転換しえる市民層が育っていない。
 ソ連時代には、まがりなりにも市民層が存在していた。民族意識を共産主義というイデオロギーで乗り越えようとした。グラジュダニン(市民)という言葉が肯定的な文脈で用いられた。この市民層は、伝統的な部族社会に吸収されるか【注3】、イスラムに対する帰属意識を強める方向に分解しつつある。この結果、既存権力が打倒されても、その後の主導権は有力部族かイスラム原理主義者が担うことになる。しかし、両者とも国家全体を掌握できるほどの力はない。だから、国家が分裂するのである。
 このことは、1990年代のタジキスタン内戦で明らかになった【注4】。 現在のタジキスタン政府は、有力部族と原理主義者の寄り合い所帯だが、タジキスタン領フェルガナ盆地はイスラム原理主義者が勢力をはり、中央政府が実効支配できない。

 【注1】この段落は、「『民族浄化』という言葉について」 による。
 【注2】スターリンによって、メスヘチア(グルジアのトルコと国境を接するあたり)からフェルガナ盆地へ強制移住させられた。
 【注3】トルクメンは、中東世界と中央アジア世界の交錯点である。中東のひとこぶラクダと中央アジアのふたこぶラクダの両方が棲息する土地は、世界中でトルクメンしかない。トルクメン人は、勇猛な民族で、略奪などを生業の中心に置いた。トルクメンは、鞏固な部族社会で、北朝鮮以上に統制がきつい。トルクメニスタン共和国の現大統領ニャゾフは、個人崇拝の独裁体制を採る。タリバンの指導者、オマールと親交があり、アルカイダ系の影響力が強い。それでいて、この国は永世中立国である。ソ連崩壊後、中央アジアはみなメチャクチャな状態になっている。みな、1988年初頭に起きたナゴルノ・カラバフ紛争に遠因がある。
 【注4】1988年、ナゴルノ・カラバフ紛争がタジキスタンに飛び火した。1988年2月または3月、ドゥシャンベ(タジキスタン共和国の首都)に流言飛語が流れた。ナゴルノ・カラバフ紛争で追われたアルメニア人がドゥシャンベへ避難し、ために住宅が不足する・・・・。街で衝突が起き、軍隊が出動した。反対派を殺し、皮を全部剥いで吊るした。戒厳令が敷かれ、1989年から全面的な内戦に入った。

□佐藤優『国家の謀略』(小学館、2007)
□佐藤優/魚住昭『ナショナリズムという迷宮 -ラスプーチンかく語りき-』(朝日新聞社、2006/後に朝日文庫、2010)
□佐藤優(聞き手斎藤勉)『国家の自縛』(産経新聞出版、2005/後に扶桑社文庫、2010)
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 【参考】
【佐藤優】民族問題講義(2) ~ソ連解体の始まり、ナゴルノ・カラバフ紛争~
【佐藤優】民族問題講義(1) ~アゼルバイジャン~
【読書余滴】世界の常識に反するトルコの政策 ~『漂流するトルコ』補遺~


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