語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【原発】「エネルギー・環境に関する選択肢」の欺瞞 ~0%、15%、20~25%~

2012年07月31日 | 震災・原発事故
 「原発ゼロの会」は、超党派の国会議員9人で作る【注1】。
 7月11日の会合で、次のことを行った。
 
(1)「東京電力の経営形態に関する提言」の発表【注2】
 内容は、原発事故における東電の経営責任を明確化するため、同社を会社更生法に則って破綻処理を行う、等を求める。
 家庭用電気料金の値上げが予定され、1兆円の公的資金が早ければ7月末にも投入される。この値上げ分の総括原価に、原発の原価償却費や賠償対応費用等も算入されている点を「原発ゼロの会」は指摘。東電の経営責任があやふやで、合理化も不足している一方、「事故のツケを電気料金に転嫁する姿勢だけが明確」と批判し、再考を求めた。具体的には、5点を提言する。
 (a)電力料金の値上げ幅の大幅圧縮。
 (b)破綻処理による経営責任の明確化。
 (c)発送電の東電からの分離と売却。
 (d)独立を前提とした分社化の推進。
 (e)賠償・除染費用には上限を設けることなく、国の責任で必要な額の資金注入を行う。

(2)「エネルギー・環境に関する選択肢」の検証
 政府のエネルギー・環境会議が6月29日に示した「エネルギー・環境に関する選択肢」についても検証。2030年までに原発依存度を0%、15%、20~25%の3つのシナリオから選ぶ、とする国家戦略室の説明に対し、批判が飛んだ。
  ●「15%」は既存原発の更新、増設をしない限りあり得ない数字。【浅岡美恵・気候ネットワーク代表】
  ●再生可能エネルギーを単なる経済負担としてしか捉えていないのはなぜか。【阿部知子・衆議院議員(社民党)】

 【注1】阿部知子(社)、近藤昭一(民)、逢坂誠二(民)、河野太郎(自)、長谷川岳(自)、加藤修一(公)、笠井亮(共)、山内康一(み)、斎藤恭紀(き)。【原発ゼロの会公式ブログ
 【注2】「東京電力の経営形態に関する提言

 以上、古川琢也(ルポライター)「超党派「原発ゼロの会」が提言 東電は責任をとり破綻処理を」(「週刊金曜日」2012年7月20日号)に拠る。

   *

 政府は今、将来の「エネルギー基本計画」作成のため、「エネルギー・環境に関する選択肢」に対するパブリックコメントを8月12日まで受け付けている。6月に「総合資源エネルギー調査会基本問題委員会」がまとめた3つのシナリオについて意見を政府に伝えるものだ。
 この「選択肢」が、問題だらけだ。

 (1)シナリオは、2030年までに原発依存度を①0%、②15%、③20~25%の3択とする。これだと、中間をとって両極(①と③)の間に誘導される心理が働きかねない。
 (2)国会戦略室が作成した意見募集用の資料には、①では「より大きな再生可能エネルギー、省エネが必要」「省エネ性能が劣る製品の販売制限・禁止」等と大きな制約条件があるかのように記述されている。他方、大飯原発再稼働前は日本の全原発が停止していた事実が無視されている。
 (3)資料には、また、「原発依存度を可能な限り減らす」と政府の方針が明示されているものの、②の選択は原発のいっそうの再稼働と稼働率上昇を前提としている。「40年運転制限」の原則を適用すれば、原発の新設もあり得ることになる。
 (4)③は②よりもさらに多くの原発新設が必要になり、政府の方針と矛盾する不適格な選択肢だ。
 (5)福島原発事故とそれに伴う莫大な賠償などの費用に関する説明がない。

 7月19日、国会内で開かれたパブリックコメントに関する政府との意見交換会では、環境団体のメンバーなどから厳しい批判が続出。
 ●全原発が停止した状態でも支障がなかった以上、直ちにゼロにする選択肢を設けるべきだ。
 ●シナリオをまとめた「委員会」の委員長が、なぜ原発建設と関係がある新日鉄の会長なのか。
 ●原発事故で16万人が避難している現実が何も反映されていない。

 以上、成澤宗男(編集部)「選択肢に批判集中「エネルギー基本計画」 原発依存度15%に誘導か」(「週刊金曜日」2012年7月27日号)に拠る。

   *

 「エネルギー・環境に関する選択肢」に対するパブリックコメントの手法は、明らかに不公平だ。野田政権が、民意は誘導できる、と傲慢にも考えていることが明らかだ。
 意見聴取会で配布する「エネルギー・環境に関する選択肢{概要}」に目立つ誘導、トリックを使ったイカサマ議論は以下のとおり。

 (1)選択肢①0%、②15%、③20~25%のうち、①では「省エネ性が劣る製品の販売制限・禁止を含む厳しい規制を広範な分野に課し、経済的負担が重くなってでも、相当高水準の再生可能エネルギー、省エネ、ガスシフトを実施する」とある。細かい。しかもネガティブ記述だ。ちなみに、②、③にはネガティブ記述はない。
 (2)②と③には原発を動かすという選択肢なのだから、当然、再び原発事故が起きるという想定があり得る。そのコストが明示されていない。・・・・ように見えるが、国家戦略室によれば、pp.7-8に、とても小さなフォントで「原発の社会的費用は1.7円/kWhを下限として試算」がそれだ、という。明らかに表示内容の重要性を無視し、リスクの表記が不公平だ。
 (3)③では、「(原発の)新設、更新が必要」と明示されているが、②には原発の「新増設が難しい状況にあるという実情を踏まえた数字」のみ。結局、新規増設するのかしないのかの重要な点が明らかではない。・・・・国家戦略室によれば、原発新規増設は「あり得る」。このシナリオを出すための試算では、新規増設なしの場合もあり得るが、新規増設2基で依存度17%までは②の範囲内にあることを国家戦略室は明らかにした。そうならば、「新規増設もあり得る」と正確に明記すべきだ。このままでは混乱をもたらす。

 以上、吉田有里(国会議員秘書)「エネルギー政策を選ぶ資料が実に誘導的かつ情報が不公平 これでは「イカサマ議論」だ」(「週刊金曜日」2012年7月27日号)に拠る。

   *

 現在、資源エネルギー庁が全国11ヵ所で行っている意見聴取会。2030年の総電力に占める原発の割合について広く国民の意見を聴く(と称する)目的で行われている。
 7月16日、名古屋で行われた意見聴取会で、「個人として参加した」(と称する)岡本道明・中部電力原子力本部××課長が原発を擁護し、放射能の直接的な影響で亡くなった人は一人もいない、とうそぶいて、国民を憤激させた。
 くだんの岡本いわく、経済成長と安全・命は別ものではない。いわく、経済が冷え込み、消費が衰退し、企業の国際競争力が低下すれば、福島事故と同じことだ。いわく、0%シナリオを選択したら家庭電気料金が2~3倍になるが、それでいいか。

 ちなみに、この意見聴取会では、國丸貴紀・日本原子力研究開発機構が、やはり20~25%シナリオを支持する発言を行っている。
 その前日、仙台で開かれた同会でも、岡信慎一・東北電力企画部長、関口哲雄・東北エネルギー懇談会専務理事/東北電力OBも、原発推進の立場かtら20~25%シナリオを支持する発言を行っている。

 放射能の直接的な影響で亡くなった人はいない、なんて言えば、かえって反発を買うことは誰でもわかる。「それでもエネルギーとして原発は必要です」と下手に出て意見を言うのが普通の感覚だ。常識から相当ずれている。彼らは、原発がないと経済が冷え込み、日本がダメになるというが、ダメになるのは電力会社であって、日本経済ではない。原発はもはや不良債権なのだ。自分の会社がダメになるのと日本がダメになるのとを混同しているのではないか。そもそも、意見聴取会を開いて何の参考にするのか。結果を尊重する気はあるまい。なぜなら、世論は圧倒的に0%支持なのだからだ。【金子勝・傾向義塾大学教授】

 以上、記事「原発ポチたちの貧困なる「想像力」について」(「週刊現代」2012年8月11日号)に拠る。
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【原発】規制委員会委員長候補は「原子力ムラ」の中心人物

2012年07月30日 | 震災・原発事故
 原発の安全と規制を一元的に担うのが原子力規制委員会だ。経産省原子力安全・保安院が原発の推進と規制の両面を担うことの矛盾と弊害から脱するために新設される。国からの独立性を保つため、環境省の外局に置かれる「三条委員会」だ。その人事は、国会の同意事項となる。
 その実務を担う原子力規制庁の職員は、経産省などからの出向だが、5年が経過すれば出身官庁に戻さない「ノーリターン・ルール」が適用される【注】。「内実は経産省と一緒」という批判をかわすためだ。しかし、先行きの不透明さが危ぶまれている。
 部屋が変わったからといって、それまで原発を推進してきた人たちが考え方を変えて働くとは考えにくい。その意味で規制委はマイナスから出発するようなもの。【伴英幸・原子力資料情報室】
 規制委の職権は、原発事故が起こった際の緊急対応のみならず、原発再稼働の是非、40年廃炉基準の見直し、放射線モニタリングなどの専門的な領域にまで及ぶ。 
 
 ところで、政府の人事案は、
  ●委員長(任期5年)・・・・放射線物理を専門とする田中俊一・高度情報科学技術研究機構顧問
  ●委員(任期2~3年)・・・・中村佳代子・日本アイソトープ協会プロジェクトチーム主査、更田豊志・日本原子力研究開発機構原子力基礎工学研究部門副部門長、大島賢三・元国連大使、島崎邦彦・地震予知連絡会会長。

 とりわけ問題とされているのは、田中俊一・委員長候補。彼は、東北大学工学部原子核工学科卒業後、日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)に入所。2004年、同機構副理事長。その後、内閣府原子力委員長代理(2007~2009年)を歴任。要するに、「原子力ムラ」の主流を歩いてきた。
 福島原発事故後、飯舘村に泊まりこみ、除染に取り組んだが、この活動に否定的な見方もある。
 田中は、故郷で暮らすのが一番良いという“美談”の下で除染に取り組んでいる。低線量被曝に対する認識が甘い。原子力賠償紛争審議会では、自主避難者への賠償に最後まで抵抗した。【坂上武・「福島老朽原発を考える会」】

 福島事故に何を感じ、それを国会の場で、委員選任の前に候補者本人たちに聞いてみたい。国会はそのためにあり、国会事故調報告書の精神はそこにある。【吉井英勝・衆議院議員(共産党)】

 7月21日、NGO「FoE Japan」、eシフト(脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会)、エネシフ・ジャパンなどは、人事案に抗議の声明文を出した。
 7月24日、金子勝・慶應義塾大学教授やマエキタミヤコ・サステナ代表らが人事案に意義を唱える緊急記者会見を開き、人選の再考を求めた。

 【注】ただし、「原子力ムラ」は抜け道を用意している。【「【原発】秘かに進行する全原発再稼働計画」】

 以上、野中大樹(編集部)「「原子力村」の中心人物・田中俊一氏が規制委員長候補に 政府案に再考を求める声広がる」(「週刊金曜日」2012年7月27日号)に拠る。     ↓クリック、プリーズ。↓
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【消費税】財務官僚の華麗なる天下り ~生涯で8~10億円の稼ぎ~

2012年07月29日 | 社会
 事務次官、国税庁長官経験者らの退職金は7,000万円。天下り、「わたり」をうまくやれば、生涯で8~10億円を稼ぐ。
 大武健一郎【注】は、国税庁長官時代、「先輩の資産を辞めるまでに調べ上げてやる」と語り、実行した。

<例1>磯邊律男
 東京国税局長のときの1976年、故・児誉士夫の脱税摘発の総指揮を執り、後の田中角栄・元首相の逮捕につなげた。
 国税庁長官を1980年に退官後、日本損害保険協会副会長(財務省OBの指定ポスト)などに天下り。1983年に博報堂社長、1994年に会長。2003、2004年は相談役だが、推定年間給与収入はそれぞれ3,121万円、2,126万円。このときすでに80歳を超えていた。

<例2>土田正顕
 大蔵省銀行局長のときの1990年、地価上昇を抑えるため、不動産業などへの銀行貸し出しを抑制する総量規制を発動。しかし、住専を規制対象から除外したため、後の住専問題の原因を作り、批判を浴びた。
 国税庁長官を1993年に退官後、国民金融公庫副総裁に天下り。住専問題の渦中で引責辞任。しかし、わずか2年の「みそぎ」の後、証券保管振替機構理事長への「わたり」に成功。さらに2年後、東京証券取引所長、翌年には社長に就任。2003年には推定年間給与収入3,739万円。社長時代に得た収入だけで1億円を軽く越す【東証関係者】。翌年死去。

<例3>濱本英輔
 国税庁長官を1994年に退官後、日本損保協会副会長、北海道東北開発公社総裁、日本政策投資銀行副総裁など「わたり」を繰り返した。2003年にロッテグループ副社長、2004年にロッテ球団社長。2003年の推定年間給与収入は1,892万円、2004年は3,347万円。

<例4>長岡實
 現役時代は「大蔵のドン」と異名をとる。
 大蔵事務次官を1980年に退官後、日本たばこ産業社長、東京証券取引理事長など5回以上「わたり」を繰り返した。中でも資本市場研究会理事長は8年半務めた。2003年の推定年間給与収入は3,663万円、2004年は3,479万円。退任時は83歳だった。

<例5>吉野良彦
 現役時代は、平気でウソをつける頭のよさから「ワル野ワル彦」と呼ばれた。
 大蔵事務次官退官後、国民金融公庫総裁、日本開発銀行総裁を経て、81歳の今も公益財団「トラスト60」の会長だ。

<例6>斎藤次郎
 現役時代の1942年2月に細川護煕・首相(当時)が突如発表した「国民福祉税構想」を、小沢一郎と仕掛けて大物次官と呼ばれた。
 大蔵事務次官を1995年に退官後、大蔵省財政金融研究所顧問、研究情報基金理事長などを歴任。東京金融先物取引理事長を経て、2004年に同社長(財務官僚の天下り指定席)。2003年の推定年間給与収入は3,593万円、2004年は3,222万円。
 なお、2009年10月、天下り根絶を掲げたはずの鳩山由起夫内閣によって日本郵政社長に抜擢され、強い批判を浴びた。

<例7>国税庁長官の天下り先からの推計年間給与収入の例 ~2003年分~
 寺村信行(1997年退官)・・・・2,348万円(当時・国家公務員共済組合連合会理事長)
 竹島一彦(1998年退官)・・・・2,983万円(在職中・公正取引委員会委員長)

<例8>財務(大蔵)事務次官の天下り先からの推計年間給与収入の例 ~2003年分~
 小川是(1997年退官)・・・・5,427万円(当時・日本たばこ産業会長、イオン社外取締役)
 武藤敏郎(2003年退官)・・・・2,517万円(当時・日本銀行副総裁)

 【注】「【消費税】増税推進する財務官僚の高給・天下り・脱税 ~大武健一郎~

 以上、森下香枝/國府田英之(本誌)「消費増税推進する財務官僚 天下り「ウハウハ高給」を暴露する!」(「週刊朝日」2012年8月3日号)に拠る。
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【消費税】増税推進する財務官僚の高給・天下り・脱税 ~大武健一郎~

2012年07月28日 | 社会
(1)大武健一郎の経歴
 (a)東大経済学部卒。
 (b)1970年に大蔵省(当時)入省。1976年から2年間、厚生省(当時)年金局年金課で年金を、大蔵省では主税局ひと筋で竹下内閣の消費税(3%)施行など、20年間近く税制改革に携わった。他に例のない「税と年金のスペシャリスト」【財務省関係者】。在職中から、「税と社会保障の一体改革」と「国民総背番号制」を唱え、講演で全国行脚。
 (c)2005年7月、国税庁長官(2004~2005年)を退官。まず商工組合中央金庫副理事長へ天下り、ついで大塚ホールディングス代表取締役副会長、TKC全国会会長、税務大学校客員教授、人事院公務員研修所客員教授などを歴任。ベトナム簿記普及推進協議会理事長、ベトナム国税庁顧問にも就任し、テレビ、ラジオへの出演、新聞や経済誌にコラムなどを執筆するなど30以上の肩書きを持つ。
 (d)民主党のマニフェストの中の「税と社会保障の一体改革」「税制改正」などの項目についてアドバイザーを務めた。東日本大震災復興構想会議検討部会の委員も務め、復興財源、臨時増税などの提言も積極的に行った。

(2)収入 ~
 (a)給与(手取り)と支出【注1】
   2002年 給与13,071,448円、支出20,669,528円、収支差額▲7,598,080円
   2003年 給与12,091,943円、支出21,606,745円、収支差額▲9,514,802円
   2004年 給与12,787,250円、支出18,572,041円、収支差額▲5,784,791円

 (b)給与外収入【注2】 ~脱税(疑い)~
   1991年 3,563,000円、確定申告無し (当時・主税局調査課長)
   1992年 4,574,000円、確定申告1,879,995円 (当時・主税局税制2課長)
   1993年 4,882,000円、確定申告1,282,221円 (当時・主税局税制1課長)
   1994年 4,880,500円、確定申告1,380,609円 (当時・主税局総務課長)
   1995年 4,836,300円、確定申告無し (当時・主税局審議官)
   1996年 3,226,000円、確定申告無し (当時・大阪国税局長)
   2002年 7,362,419円
   2003年 9,154,755円
   2004年 6,812,500円

 【注1】大武の通帳に拠る。
 【注2】1991~1996年は、大武の手帳メモに拠る。<例>「92年3月14日藤井ひろひさ:5万円」「94年11月4日下京納税協会:20万円」など。
     2002~2004年は、大武の通帳に拠る。

(3)天下り先の給与
 <例>大塚ホールディングス代表取締役副会長・・・・1億2,000万円

(4)恫喝
 2012年6月29日(金)午前10時、「週刊朝日」誌が大武にインタビューするに当たり、大武側には弁護士のほか、国税庁幹部(大武が長官時代の国税庁長官官房人事課課長補佐、現・東京国税局)のWが同席した。Wは、弁護士以上に口を挟み、「国税庁長官を務めた人間の申告漏れとなれば、大きな問題となります。よく調べてから記事にしてもらわないと」と、丁寧、かつ、高飛車なもの言いを繰り返した。

 以上、次の記事に拠る。
 森下香枝/馬場勇人(本誌)「元国税庁長官に脱税疑惑」(「週刊朝日」2012年7月13日号)
 森下香枝/馬場勇人(本誌)「減益国税幹部が記事差し止め「恫喝」一部始終」(「週刊朝日」2012年7月20日号)
 森下香枝/國府田英之(本誌)「消費増税推進する財務官僚 天下り「ウハウハ高給」を暴露する!」(「週刊朝日」2012年8月3日号)
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【原発】リスクとデインジャーを混同する野田首相 ~国際社会から「バカ」にされる日本~

2012年07月27日 | 震災・原発事故
 国際関係論では、危険をリスク(risk)とデインジャー(danger)に使い分ける。 
  (1)リスク
    マネージしたり、コントロールしたり、ヘッジしたりできる危険。
    <例>サッカーの試合で、残り時間5分で1点のビハインド。
  (2)デインジャー
    予防できない危険。まさかそんなことが起こるとは誰も予測しなかったために、マニュアルもガイドラインもない事態。
    <例>サッカースタジアムにゴジラが来襲して人々を踏みつぶし始める。

 原発事故は、(2)だ。いつ、どういう様態で、どのような被害をもたらすか、予測が立たない。
 原発事故の(2)に対する備えとは、事故が起きたときにどうやって人命を守るかという対症的措置のことだ。住民の避難経路の確保、収容施設の設置、事故対策のための施設や機材を全原発に配置・・・・それができる最大限だ。

 原発が停止したままでは電力が不足する、というのは(1)だ。想定されるシナリオ(停電頻発、電力料金高騰、医療機関におけるキュア困難、製造業の生産拠点海外移転)は、いずれもカネの話、カネで解決できる話だ。
 ただ、カネを出したくない人にとっては(2)より大事な案件だ。「命よりカネが大事だ」というのが、再稼働を進めた人のロジックだ。あまりに長きにわたり平和と繁栄になじんだせいで、年収を増やすことが生きる目的となり、経済競争に勝利することが国家目的だ、と信じるに至った人(国民の一部)が選択したロジックだ。

 必ず原発事故は起きる、とは言えなくても、ひとたび起きたときに日本が被る被害は、
  (a)国土の汚染や国民の健康被害。
  (b)「(2)というものがこの世にありうることを知らない国民」=「幼児」=「バカ」・・・・として国際社会から遇される。
 (b)がもたらす厄災は、電気料金や製品単価によってトレードオフされるようなものではない。

 大飯原発再稼働のとき、野田首相は「国民生活の安全を守る」という同じ一つの言葉で、(2)への備えと(1)への備えとを混同するカテゴリー・ミステイクを犯した。のみならず、「(2)より(1)を重く見る」という倒錯的な判断を下した。

 野田首相と原発再稼働推進派の人々は、目先の銭金を失うことを恐れて、「福島第一原発以外に新たな(2)は生じない(生じるかもしれないけれど、われわれの生きている間にはたぶん生じないだろう)」という楽観的希望に国運を賭けた。
 これほど視野の狭い面々が、国際社会(今後混迷の度を深めるはず)の舵取りをできるはずはない。

 以上、内田樹「野田首相は「リスク」と「デインジャー」を混同! それを許す国民を国際社会は「バカ」と見なす」(「SAPIO」2012年8月1・8日号)に拠る。
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【原発】札幌市はなぜガレキ受け入れを拒否したのか ~内部被曝~

2012年07月26日 | 震災・原発事故
(1)同調圧力
 この1年、報道の危険性を強く感じた。社会全体向へ突っ走ることの恐ろしさを痛感した。「絆」という言葉ですべてを、また皆を一つの方向へ向かわせようとして、おかしな議論がなされている。そして、そのことに異を挟むことができないような状況が作られつつある。廃棄物や震災ガレキの問題に関しても、それを受け入れないことは、日本人として許しがたい、というような言説が作られている。まるで国民全員がそう考えているようにマスコミが報道してしまう恐ろしさは計り知れない。日本国憲法成立後、価値の多様性を大切にしながら冷静にものを考えていこうとする社会が、このままでは崩壊するのではないかという恐ろしさだ。私たちの社会システムの問題として、非常に危機的な状況なのではないか。

(2)ガレキ受け入れ拒否の根拠
 (a)震災ガレキを受け入れない理由は、放射性物質を拡散させるべきではないからだ。
 (b)放射性物質を拡散させるべきではない理由は、放射性物質との闘いは時間的な闘いだからだ。放射性物質を粒子ではなくロットで考えれば、例えばセシウム137は30年の管理では絶対に足りない。
 (c)また、放射性質が水溶性であれば、生活圏に溶け出し、地下水などから人体や環境を汚染する。国は、8,000Bq/kgまで安全性が確保されている、とする。が、これは外部被曝のみを考えた数値でしかない。溶け込んだ放射性物質は、最終的に土壌や川に流れていく。必ず食物に伝播していく。内部被曝について考えねばならない。しかるに、現在は内部被曝を考慮した基準がまったくない。8,000Bq/kgという数値には根拠がない。
 (d)内部被曝の問題・・・・給食食材の線量測定で不検出だとしても、4Bq未満は計量できない状況での結果だ。母親たちは非常に意識が高く、それが自治体を支えているので、そこに応えるかたちで、トレーサビリティも重視しながら食材の安全性をしっかりチェックしていくことが、自治体の政策を推進していく力になる。
 (e)ガレキを他のものと混ぜて薄めると線量が半分になるとしても、実際にはその過程で汚染される総量が増えてしまう。結局あまり変わらない。それどころか、より管理しにくくなる。
 (f)何十年、何百年の単位で、内部被曝も含めた被曝がない状態を作るには、自治体だけの力では到底及ぶものではない。国が責任を持って厳重に、かつ特別な管理方法をしていく必要がある。
 (g)中間貯蔵施設は、最終処分の方法も技術もまだ確立されていない状況の中で提案されている。この問題も、やはり百年の単位で考え、1ヵ所ないし数カ所に集約すること、そして水を厳重に遮断できる施設を造っていくことが大事で、それを国レベルでやるべきだ。

(3)ガレキ受け入れの選択肢 ~パスカル的賭け~
 次の(a)の場合、市長の判断は妥当で、市民に被害は出ない。(b)の場合、市長の判断は妥当でなく非難されるかもしれないが、いずれにせよ市民に被害は出ない。結果として(b)であっても、市民の安全が保たれるのであれば、市長たる自分が馬鹿にされることは些細なことだ。それが究極の判断基準であり、多くの市民にこのように考えた上での決断であることを訴えていきたい。
 (a)「受け入れない」と市長が判断 → 「ガレキによる被害」有り、と後日評価 ⇒ 市民に被害は出ない。
 (b)「受け入れない」と市長が判断 → 「ガレキによる被害」無し、と後日評価 ⇒ 市民に被害は出ない。
 (c)「受け入れる」と市長が判断 → 「ガレキによる被害」有り、と後日評価 ⇒ 市民に被害が出る。
 (d)「受け入れる」と市長が判断 → 「ガレキによる被害」無し、と後日評価 ⇒ 市民に被害は出ない。

(4)国の政策の失敗
 (a)ガレキの広域処理は国の政策だから、万が一それ以外に選択の余地がないということになれば、受け入れざるを得ない。ただ、この政策はハッキリと間違っている。ガレキの量についても、合理的と言われている処理基準がまったくわからない。非常に恣意的だ。しかも、どれだけお金をかけるつもりなのか。政治は費用対効果を必ず考えなければならないが、その議論が一切わからない。すると、その手前の段階でもうお付き合いできない、ということになってしまう。これは政策の失敗だ。
 (b)「被災地に住んでいる人は我慢している。そのことをどうするのだ」と問われることもある。しかし、ここから、せっかく風向きや地理的な要因で被曝から免れることができた人もガレキ処理によって汚染地域と同じ状況に置かなければならない、という論理は出てこない。札幌に避難してきた被災者も大勢いるが、皆さん、「絶対に受け入れるな」と言っている。
 (c)自分たちの地域のことは自分たちで考えるのだ、という姿勢で、「右にならえ」/上意下達の風潮から離脱していくという文化を作っていかねばならない。今回の問題では、民主主義や自治の根本が問われている。

(5)ガレキ問題が問いかけるもの
 (a)原発安全神話が崩れた今回の原発事故で、私たちが学んだのは、絶対とされてきたものを疑ってみる文化だ。そして自分で検証していく姿勢だ。
 (b)この姿勢をガレキ処理に当てはめるなら、ここにももはや想定外はあり得ない。放射性物質に関して、ある基準を定めて、それ以下であれば絶対に安全だとは誰にも言えるはずがない。
 (c)原発事故は、新しい考える文化へと飛躍する契機でなければならない。民主主義や、さらにその根源にある自分と隣人の命、身の回りの人々の安全を考えるために知恵を本気で絞り出していくという思考形態や地域を作っていく。それを実践している人を励まし合いながら議論・行動していかなければ、そのなかに新しい命が吹き込まれていくことは起こらない。

(5)政策の倫理性
 (a)放射性物質が一番怖いのは、長きにわたる問題だからだ。ごく短期的には技術をもって管理することができるけれども、長期にわたっては不可能だ。私たちの世代だけですべてを循環し完結できない。次の世代に処理・管理の課題をのすべてを背負わせる。残ったゴミは後の世代にとって何のメリットもない。自分の世代がよければそれでよいとし、ただ自分たちの被害を軽減するためだけに後の世代に災いを残していくのは、あまりにもわがままだ。政策の倫理性が問われている。
 (b)高レベル放射性廃棄物に関して「トイレなきマンション」という言葉があるが、たとえトイレができても、そのトイレがものすごく長く管理を要するものであれば意味がない。有機物なら分解していくが、放射性廃棄物は減衰するまで万年単位で付き合わなければならない。どんな優れた技術があっても放射性物質を無害化することはできないことに気づけば、原発について、そして事故後の処理の問題に対してどう考えるべきことは明らかだ。事故後の放射性物質については国家がしっかり管理していく姿勢が必要だ。
 (c)ましてや、放射性物質をばら撒く危険を侵すことなど、決してあってはならない。

 以上、上田文雄(札幌市長/弁護士)「政策の倫理が問われている ~札幌市はなぜ瓦礫受け入れを拒否したのか」(「現代思想」2012年7月号)に拠る。

 【参考】「【原発】米子市の震災瓦礫受け入れ撤回要請書
     「【原発】ガレキ処理はなぜ進まないのか ~環境省の「環境破壊行政」~
     「【原発】放射能を全国にばらまく広域処理 ~バグフィルターの限界~
     「【震災】原発>亡国の日本列島放射能汚染 ~震災がれき広域処理~
     「【震災】ガレキ広域処理は真の被災地支援になっているか?
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【原発】検察、告発20件を棚ざらし ~誰も責任をとらない原発事故~

2012年07月25日 | 震災・原発事故
 (1)2012年6月11日、福島県の住民1,324人が、勝俣恒久・東京電力会長(当時)、斑目春樹・原子力安全委員会委員長ら33人を業務上過失致死傷害などで福島地検に刑事告訴・告発した【注1】。
 検察は、7月12日現在、この訴えを受理していない。書類の「預かり書」を手渡ししただけだ。検察は今、訴を棚ざらしにしている。

 (2)3・11以降、福島第一原発事故に係る刑事告発、刑事告訴は20件を超える【注2】。だが、検察は1件も受理していない。 
 <例>今年1月24日、永田文夫らは、勝俣・元東電会長ら3人を公害罪で告発する告発状を東京地検に郵送した。「業務上必要な注意を怠り、事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出し、人の生命や身体に危険を生じさせた」罪を糺すために。だが、同月27日付け、同地検の回答によれば、「この法律jは公害排出規制を強める目的で制定されたものなので、過去の複数の最高裁判例をみると、たまたま有害物質を排出してもこの罪にあたらない。原因究明は関係機関でおこわれており、送付された書面をお返しします」。
 最高裁で判例になったということは、そこが争点になったということ。判例は変更されることもあり、受理しない理由にはならない。原因を関係機関が究明していることも、受理、不受理とは直接関係ない。一般に刑事告発や刑事告訴を受理しないのは、犯罪日時や場所、誰がどうしたのかが特定されていない場合だ。それ以外は、たとえ起訴が困難であっても、いったん受理したうえで、「罪とはならず」「嫌疑なし」^嫌疑不十分」「起訴猶予」などの判断を下す。【若狭勝・弁護士/元東京地検特捜部副部長】

 (3)告訴・告発は、刑事訴訟法に定める国民の権利だ。
 受理は当たり前。捜査をきちんとするかが焦点だ。【河合弘之・弁護士/福島 原発告訴団弁護士】 
 だが、「異例」にも、検察は原発故事捜査を意図的に避けている。
 東電や国の関係者を公害罪や業務上過失致死罪で起訴することは法的に困難だ。<例>業務上過失致死傷で言えば、被曝がどの程度人体に影響があるかがハッキリしない。・・・・いったん受理してしまうと、不起訴にしても検察審査会が控えている。【検察関係者】 
 たしかに、不起訴の場合には国民が判断する検審に申し立てる。【河合弁護士】
 そうなると、検察は国民が納得する捜査をしなければならない。
 事情聴取は社会的な反響があまりにも大きい。国や国会の調査報告書を参考にして受理、不受理を判断したい。【検察関係者】
 検察と警察とどちらが中心になるか、押し付け合いもあったらしい。

 (4)福島の原発告訴団は、業務上過失激発物破裂罪でも告発する(方針)。こちらは、業務上必要な注意を怠り、建物などを爆発させたことを罪に問う。人体への影響を検証する必要はない。
 国や東電関係者に個人としての責任をとらせないと、ムチャクチャな原子力政策は止まらない。【河合弁護士】

 【注1】「【原発】福島県民はなぜ刑事告訴告発をしたか ~告訴団長は語る~」「【原発】福島県民、東京電力を集団告訴 ~勝俣東電会長の逃げ切りを阻止~
 【注2】その一つは、明石昇二郎および広瀬隆による告発。【「震災】原発>事故の責任者を刑事告発した理由」】

 以上、三橋麻子(編集部)「検察が告発20件を無視 ~「原発は人災」なのに、この怠慢」(「AERA」2012年7月23日号)に拠る。
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【原発】停止しても25兆円儲ける原子力ムラ ~除染・廃炉ビジネス~

2012年07月24日 | 震災・原発事故
 (1)福島で、廃炉と除染が本格化している。今後40年は継続される作業で、全国の商業炉で繰り返される。そのうえ、使用済み核燃料の処理、中間貯蔵施設、最終処分場の建設まで含めると、今後数十兆円の予算が必要になる。
 ここに登場するのが「原子力ムラ」だ。原発が次々に停止し、新規設置が見込めないため打撃を受けたはずだが、転んでもタダでは起きない。除染・廃炉という新規特需を手にして復活しつつある。

 (2)インフラの再構築、ガレキ処理などがいずれも未曾有の規模で行われる。それを処理する行政は、業務を山のように抱え、入札作業に回す人手が足りない。結局、価格固定でゼネコンへの丸投げが基本となった。
 そのひな型は、宮城県のガレキ処理で作られた。県は、総事業費2,400億円の入札を、昨年9月、提案型のプロポーザル方式【注1】で行い、東北に強い鹿島を中心とするJVが受注した。 
 以降、大成建設、大林組と大手ゼネコンが地元業者の意向を取り入れて受注していった。各社は、「業務屋」を復活させて業者間調整に当たらせている。
 かくして、ガレキ処理は、役所が認める官製談合で行われることとなった。
 一方で、除染を仕切ったのは「原子力ムラ」だ。

 (3)昨年9月、内閣府は、「避難区域等における除染実証業務」を日本原子力研究開発機構に119億円で丸投げした【注2】。同機構は、「原子力ムラ」の中核だ。
 機構も、ゼネコンを中核とするJVに丸投げ。「除染実証業務」の3地区を受注したのは、原子炉建屋などの実績順に、鹿島(24基)、大林(11基)、大成(10基)の3社JVだ。
 こうしたモデル事業での実績をもとにゼネコンは、環境省発注の警戒区域内などの除染、指定された104ヵ所の自治体発注の除染をほぼ独占的に受注し、談合で割り振ることが多い。

 (4)復興庁と国土交通省は、被災地の復興工事で、新たな発注方式、コンストラクション・マネジメント(CM)方式【注3】の導入を決め、7月から宮城県で始めることとした。
 かくして、東北では、莫大な除染・復興予算をゼネコン、サブコン、土建業者などが分け合う体制が確立した。

 (5)暴力団系手配業者が原発に作業員を送り込んでいるのは周知の事実だが【注4】、被災して事業を投げ出した土建業者の組合員資格を買い取った暴力団系業者が、談合でやすやすと工事を受注。彼らは、満員盛況の「除染講習会」に潜り込み、資格をとって除染作業に入りこんでいる。

 (6)除染ブームの恩恵に与ろうとするのは証券界も同じ。先陣を切るのは、リスクを怖れない勢力で、仕手筋が関与する。
 放射性セシウムを吸収するソルガムを汚染農地に植えて除染する一般財団法人「東北農業支援ネットワーク」の理事、顧問を輩出するのが、半導体テスト開発受託が本業のシスウェーブホールディングス(ジャスダック上場)だ。一時、シスウェーブ株の買い占めが進み、株価は4倍にも跳ね上がった。その背後に、除染への期待を煽って株価を操作する勢力がいる、と捜査当局は見て警戒を強めている。

 (7)除染と復興には、膨大な予算が投じられる。2011年度の補正、2012年度予算、今後積み上げられる予算を加えれば総額25兆円と予測されている。
 さらに、40年はかかるとされる福島原発の廃炉費用に、反復される除染作業を積算すれば50兆円を超える、とされる。
 福島第一と第二以外の商業炉も、やがて廃炉となる。その費用は果てしない。
 かくして、「原子力ムラ」は、半永久的に儲け続けることができる。 

 【注1】価格は事業費の8割で固定、技術評価も内容より地元業者をどれだけ優先したかによって決める。事実上、談合を役所が認めた。
 【注2】「【震災】原発>原子力ムラは死なず ~除染で荒稼ぎ~
 【注3】従来、自治体が公共工事を調査・設計、工事施工などに分けて発注していたものを建設管理業者=コンストラクション・マネージャー(CMR)に丸投げし、そこが各業者に発注する。想定されているCMRはゼネコン。要は、ゼネコンへの丸投げであり、現在の「官製談合」の違法性を合法化するシステムだ。
 【注4】「【震災】原発>福島第二原発の汚染 ~ヤクザと原発~

 以上、伊藤博敏「原発停止でも25兆円!「除染・廃炉」利権で儲け続ける原子力ムラのカラクリを知れ」(「SAPIO」2012年8月1・8日号)に拠る。
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【原発】政府・霞が関、橋下市長ら“地元”に再稼働の責任を転嫁

2012年07月23日 | 震災・原発事故
(1)大飯原発再稼働をめぐる一連の動きには、日本は“法治主義”ではなく“人治主義”だ、という問題が表出していた。その端的な例は、今回の再稼働にあたって、その判断基準を原発関連4大臣で決めたことだ。

(2)原発再稼働にあたり、ストレステストの実施は法的根拠はない。立地自治体の同意も、法的根拠はなく、協定書にも実は定めがない。法令上は、検査が終了した段階で、事業者は再稼働して差し支えない。
 (a)原発は、13ヵ月に1回、定期検査を受けなければならない(電気事業法第54条、電気事業法施行規則第91条)。

 (b)3・11以降、浜松原発を除き、そのまま稼働し、定期検査のタイミングごとに順次停止していった。通常なら、検査が終わればそのまま再稼働に向かう。

 (c)ストレステスト
   ①昨年7月、政府はストレステストの実施を事業者に求め、その上で政府が再稼働の是非を判断することとした。ストレステストに法令上の根拠はないが、現行法令に基づく検査だけでは「疑問を呈する声も多い」ので、いわば応急措置として加えた(政府説明)。原発再稼働を政府が止めているのは、あくまで行政指導であり、政府が再稼働を認めるのは、行政指導の解除にあたる(国会における細野豪志・環境大臣答弁)。
   ②行政指導の解除に際し、「政治的判断」が強調された(“人治主義”)。

 (d)「地元の同意」
   ①法律上の定めはない。
   ②「安全協定があるので立地自治体の同意なしに原発の再稼働はできない」という理解は正しくない。福井県とおおい町が関電と締結している協定書によれば、トラブルによる停止の場合は「運転再開の協議」が定められているものの、通常の定期検査後の再稼働については定めがない。定期検査後の再稼働については安全協定上は協議は不要だ【福井県】。要するに、再稼働の際の立地自治体の同意は、法律上も協定上も不要だ。
   ③ただ、今回の大飯原発に限っては、「国が判断にあたって地元の理解を得るべきと言った」【福井県担当課】ことが根拠とされた。
   ④原発に関する4大臣会合(4月13日)で、以下の確認が行われた。「国民に対して責任を持ってご説明し、理解が得られるよう努めていくこと、何よりも、立地自治体のご理解が得られるよう全力を挙げてくこと、そして、こうした一定の理解が得られた場合には、最終的に再起動の是非について決断することを確認した」(議事録概要)。
   ⑤要するに、「立地自治体の一定の理解が再稼働の条件」の根拠は、4大臣の口頭確認にすぎない。しかも、確認の内容も曖昧だ。同意は絶対に必要とはいえない(「一定の」というマジックワードが仕込んである)。「地元」の範囲も曖昧だ。国が状況次第で融通無碍に対応できるよう都合よく設定したルールだ。ルールブック(法令による基準づくり)は腋において、決して政府が負けない“臨時ルール”を設定しておいて、都合よく再稼働を進めた。原子力行政は、“法治主義”ではなく“人治主義”の領域だ。

(3)場当たり的な“人治主義”で、関係者任せにしておくことがいかに危険か、私たちは3・11で思い知った。
 しかし、野田首相らは、ちっとも思い知っていないらしい。

 以上、原英史「政府・霞が関は法律にも協定にもよらずに橋下市長ら“地元”に責任転嫁した」(「SAPIO」2012年8月1・8日号)に拠る。
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【原発】大津市いじめ問題と原発事故の共通点 ~保身と隠蔽の文化~

2012年07月22日 | 震災・原発事故
(1)大津市いじめ問題
 (a)この問題は、日本の教育行政の根本に関わる。国民に対して、学校教育に関する責任を誰が負っているかが明確でないのだ(事の本質)。
   ①日本では、学校の管理運営の権限が、基本的に自治体の教育委員会によって独占されている。自治体の長や保護者などが、学校運営から事実上排除されている。知事や市長は、教育に関してほとんど口出しできない。
   ②一方、文部科学省の官僚は、法律に基づいて自治体の教育行政に関して助言指導ができる。知事や市長以上に強い権限を有する。
   ③教育委員の多くは、通常、教師OBで、自治体の役人幹部が含まれる。教育長には自治体の役人がなる例が多い。教育委員には強い身分保障があり、かつ、議会の同意がない限り、罷免されない。住民のために働かなくても、住民に対して責任を負う仕組みになっていない。

 (b)住民の立場から見ると、日本の教育システムは、自分たちが選挙で選んだ自治体の首長が子どもたちの教育について責任を負えない一方、教育委員会(教師と役人で構成される)と文科省とその官僚(自分たちの地域と何の関係もない)が地域の学校教育を取り仕切るシステムだ。

 (c)教育委員会(教育に関して強大な権限を独占する)が、文科省(教師と役人の保身の組織)の御用機関であるという構造が何を引き起こすか。今回の大津市の事例を引き起こした。
   ①教育委員は、教師と役人の保身のため、いじめの存在、いじめと自殺との因果関係の存在を隠そうとする。
   ②<①の典型例>アンケートの中に、自殺につながるいじめの存在が指摘されていたのに、それを「見落とした」(言い訳)。

 (d)教育委員会の問題は、それをサポートしている事務局=自治体の役人の問題でもある。
   ①事務局の役人が、「保身と隠蔽の文化」を生み出す。
   ②役人の性向は、とにかく訴訟などの問題が起きることを極端に嫌う。
   ③今回のアンケートでも、集計結果を整理する段階で、重要な情報が抜け落ちた(推定)。

 (e)市長と警察の対応にも問題があった。
   ①市長は、今年3月に事件のあった中学校の卒業式に出席し、涙ながらに自らのいじめ体験を話したが、その後十分な対応をしていない【注1】。
   ②市長は、選挙で連合の支援を受けた。市長が介入すると、教職員組合の反発を招く、と事務方にアドバイスされて対応が遅れた可能性はないか。
   ③警察は3回も被害届の受理を拒否した。
   ④いじめ問題がマスコミで大きく報道されると、市長は自殺との因果関係があると発言した。警察も慌てて専従捜査チームを立ち上げた。

 (f)市長は敏感に反応したが、教育委員会や文化省の反応は鈍い。
   ①市長は、市民の「悲しみ」と「怒り」に敏感に反応した(パフォーマンスのみ、との批判はある)。
   ②教育委員会は、未だに保身に汲々としている【注2】。
   ③文科省も具体的な行動に出ない。

 (g)(f)からすると、住民の選挙(審判)を受ける自治体首長に、教育に関するより大きな責任を負わせる仕組みを作っていくべきだ。

 (h)今は、「教育に政治的介入を許すな」より、「教育を教師と役人から住民の手に取り戻せ」を重視すべきだ。
 
(2)原発事故
 (1)-(d)-①/②は、原発の安全問題でも全く同じだ【注3】。「保身と隠蔽の文化」は、事務局の役人が生み出す。 

 【注1】5月に始まった裁判で、市側は「いじめが自殺の原因か断定できない」と争う姿勢を示した。裁判は総務部案件だが、最終チェックは当然市長が行っている。【記事「ハーバード大卒の才媛 越直美市長「涙のパフォーマンス」に遺族側も不信感」(「週刊文春」2012年7月26日号)】
 【注2】7月12日の緊急保護者説明会で、前日の警察による強制捜査について、澤村憲次・教育長は愚痴から始まって頓珍漢なことばかり言った。続いた校長も何を言っているのかサッパリ分からない。会場には「撮影録音禁止」という張り紙があって、この期に及んでまだ隠蔽体質が改まっていない。出席した保護者の一人は「あなた方は滋賀県の恥です」と激高した。【記事「大津中2いじめ自殺 新聞・テレビが報じない全真相」(前掲誌)】
 【注3】例えば、「【原発】秘かに進行する全原発再稼働計画」「【原発】非公開会議による報告書の書き換え ~核燃料サイクル~」。
    庶務権については、「【官僚】政策立案の成功が続く最大のからくり ~審議会システム~」。

 以上、古賀茂明「大津市いじめ問題と原発事故の共通点 ~官々愕々 第27回~」(「週刊現代」2012年8月4日号)に拠る。
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【原発】電力改革に必要な3つの条件 ~不良債権処理と国民負担~

2012年07月21日 | 震災・原発事故


(1)本質的な選択肢
 東京電力改革は、次の3つの条件を同時に満たさなければならない。
 (a)経営責任と貸し手責任を問う。
 (b)原発事故被災者を救済する賠償費用や除染費用を最大限捻出する。
 (c)東電処理を将来の前向きな電力改革と結びつけていく。

 ①東電および財務省によるズルズル国有化路線は、3つの条件のいずれも満たさない。1990年代の不良債権処理問題の二の舞となり【注1】、「失われた30年」をもたらす。
 ②東電の破綻処理は、責任問題という観点からは、もっともスッキリしている。しかし、4兆4,000億円に及ぶ電力債は、電気事業法第37条で優先弁済が決まっている。(b)の条件を満たすのが困難になる。
 ③したがって、(a)とともに、発送電分離を行い、資産売却と原子力予算を組み替える方式がもっとも望ましい。不十分ながら3つの条件を同時に満たすからだ。
 ③-2 貸し手責任を問い、債権放棄をさせて債務を削減することで、(a)と(b)の条件を満たす。ついで(c)を満たすため、発電会社と送配電会社の所有権を分離させ、それを全電力会社の発送電改革に結びつけていく。そのうえで、発電施設や送配電会社自体を売却するか、新会社を立ち上げて発行新株を売却する。なお、単に発電部門と送配電部門を会計上分離したり、社内で形式上分社化するだけでは(b)や(c)の条件を満たさない。
 ③-3 さらに、原子力予算【注2】の大幅な組み替えも行い、(b)の費用を捻出する。それでも、事故処理や被害者救済に必要な資金額には達しまい。最後は、国(原子力政策を推進してきた)が、除染を含めて最終責任を負うことを明確にしなければならない。

(2)(1)-(c)のために発送電分離が必要な理由
 2012年7月に再生エネルギー法が施行される。まずは、事業が成り立つのに十分な買い取り価格と短い固定期間を設定することで、再生可能エネルギーへの転換を急がねばならない。しかし、現行の電力供給体制は、総括原価方式を採り、10電力会社が地域独占している。これでは再生可能エネルギーの急速な普及は望めない。
 そこで、発送電分離が必要になる。発電を自由化しないと再生可能エネルギーの事業者が新たに参入しにくい。他方、発送電は国ないし特別な機関が送配電網を統一的に適用しコントロールしなければならない。再生可能エネルギーは、それぞれが小規模で不安定な面があるから、できるだけ広いネットワークでつなげる必要があるのだ。加えて、現行再生エネルギー法には、電力供給が不安定になる場合に電力会社は買い取り拒否ができる例外規定が定められている。系統接続には一定のコストがかかるので、電力会社が投資をサボり、接続を拒否すれば、再生可能エネルギーの普及は望めない。東電の国有化を、この発送電分離につなげていく必要がある。

(3)原発という不良債権処理と国民負担のあり方 ~残る問題~
 原発=不良債権【注3】をいかに処理するか、という問題は、国民負担のあり方と深く関わる。どこまで国民負担とするかは、国民的な合意に依存する。国民負担のあり方は、(a)即時脱原発か、(b)前進的脱原発か、という選択肢によって違ってくる。倫理的には即時脱原発が望ましいが、原発廃止の速度を速めれば速めるほど、原発=不良債権処理のコストがかさむ。この矛盾を直視しなければならない。 
 (a)の場合、電力会社が保有する原発=不良債権の処理のため、一定の国民負担が生じる。銀行の貸し手責任を問いつつ、税金によって東電の事故処理費用・賠償費用・除染費用【注4】を負担することが求められる。相当額の公的資金注入が避けられない。少なくとも、優先弁済を保証している電力債の返済、賠償費用・事故処理費用、除染費用が必要となる。発電施設や送配電施設の売却でも調達できない分は少額ではない。それを税によって負担するしかない。
 原発に過剰依存している関西電力や九州電力は、「ミニ東電化」せざるをえない。(a)を実行するには、原発に過剰依存してきた経営の失敗を問うとともに、公的資金を投入して、これら電力会社の経営再建を図らねばならない。少なくとも、この点について国民的合意を作る必要がある。しかし、今のところ十分に踏み込んだ議論はない。
 (b)の場合、賠償費用・除染費用に関する国民負担は急激には生じない。ただし、一定の原発を再稼働させる以上、安全性をどう確保するか、という問題が発生する。その場合、どのようにして危険な原発を特定するのか、どの程度の原発を残すのか、という問題が発生する。
 (b)の路線をとった場合に一定の原発を再稼働させなければならないが、現行のストレステストと急遽3日間で作成した暫定基準による、なし崩しの原発再稼働は、当然、許されない。では、拙速な再稼働手続きに代わってどのような手順を踏むのか、という問題が残る。

 【注1】「【原発】不良債権処理と原発事故処理の類似点
 【注2】「【原発】原発は不良債権 ~異常な原子力予算~
 【注3】「【原発】不良資産になってしまった原発 ~電気料金値上げの真の理由~
 【注4】「【震災】原発>賠償・除染の費用を出せなくなる東電 ~債務超過~

 以上、金子勝『原発は不良債権である』(岩波ブックレット、2012)の「四 いかなる電力改革が必要か」に拠る。
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【政治】野中広務の見た小沢一郎 ~政策より政略、一貫性なき政策~

2012年07月20日 | 社会


 御厨貴らによる「オーラル・ヒストリー」は、『後藤田正晴回顧録』【注1】という傑作をものしている。本書もその手法による回顧録だ。野中広務という一種、筋のとおった政治家の面貌をよく伝える。例えば、野中はパーティを一切開かなかった。この手の集金を拒否したのだ。
 野中には別に自ら顕した回想録【注2】もあり、併読すると「聞き書き」のほうは同じ事実もオブラートにくるんで語っている印象を与える。例えば、『私は闘う』では小沢一郎に筆誅を浴びせているが、聞き手の牧原出らによる編纂が加わっているせいか、穏やかなものだ。それでも、掘り起こされた事実は、事実それ自体が辛辣なものだ。例えば・・・・

 政務次官なぞ盲腸みたいに思っていた。官僚たちは今でもそう思っているだろう。今は副大臣とか政務官が2人、3人いるから、ますますそう思っているだろう。役所にとっては非効率だ。あんなお守りをしなければならないというのは。
 それでも政府高官になったような顔をしているやつもいる。だから役人は政治不信、政治家不信が増幅してきた。
 <僕は小沢さんの政務官・副大臣という構想は本当に間違っていたと思います。むしろ、いかに人間同士の信頼関係をつくっておくか、ということが大切なんです。時には壁になってやり、ときにはお互いに意見交換して信頼度を醸成していくということが、政務次官等をやっているあいだ、あるいは副知事として中央官庁に来て話をしているあいだの、われわれの身の処し方だと思って、それが財産になっったと思っております。/いまでも、役所の連中が来てくれる。農水省は関係があるけれど、ほかの関係のないところの人もみな来てくれるのは、そういうときの信頼関係などが生きているからだと思うんですね。>(p.54)

 1991年11月、宮澤内閣の下で自民党の総務局長に就いた。党の総務局長は幹事長の直轄で、選挙を扱うポストだ。締め切りの直前、比例名簿の順位を決めて自治省、選挙管理委員会に届ける。当時の参議院選挙は、今のような投票ではなく、党員・党友をどれだけ集めて濃密な組織を動かすかが重要だった。比較的強い組織を持った人から順番をつけていく。10日間ぐらいかけて決めた。
 職員は2人。野中は、夜の会合が終わった後、21時半か22時頃、赤プリの部屋に行って、集まったデータを見た。ところが、前の晩に見たものが、翌日見ると変わっている。調べると、野中が帰宅した後、小沢一郎がやってきて、これを変えろ、と指示していたのだ。小沢はそれほど参議院の比例区の順位にこだわって、野中らに言わないで関与していた。<嫌な面を見せられたことをいま思い起こします。>(p.85)
 小沢は、どういった人を上にしようとしたのか。そこまでは覚えていないが、<そこまで覚えていませんが、小沢さんが気に入った人でしょう。>(p.85)
 人で見ていたのか、後ろの団体で選んでいたのか。そこはわからんが、人で見たんだろう。
 順位決定は総務局長の権限で、党の幹事長に報告し、党の選対に諮ってデータはこれだ、ということを決める。小沢は、選対でやるのではなく、データから動かそうとした。

 野中が総務局長のとき、金丸信が東京佐川急便からの5億円授受を認めて副総裁を辞任する記者会見を開いた。記者会見は小沢がお膳立てした。野中が党本部の当番の日を狙ってやった(1992年8月27日)。
 <そういう点では、小沢さん一派にやられた。そのとき、綿貫幹事長はおらない、佐藤孝行総務会長もおらない、そういうときを狙って、党の当番は野中の時だ、ということがあったんだと思います。(中略)国対委員長の梶山さんは、野党も入れた欧州旅行に出て、ロンドンにおったんだ。あのとき梶山さんがおってくれたら、だいぶ違ったと思います。いまから思うと、やはり司法試験を二回も落ちた小沢さんはある程度司法に対する偏見を持っておったと思うんですね。だから金丸さんに「もらいました」と言って、記者会見をさせた。>(p.94)
 <小沢さんが、「眠たくてしょうがない。もう午前二時だ、おやじのつき合いで佐川の渡辺広康と飲んで、おれもついて行かされて」と言って、何回も悔やんでいたのを僕は知っているんだ。その彼が、金丸さんに「五億もらいました」という記者会見をさせた。そして金丸さんの家に来ては、「おやじ、私は命にかけておやじを守りますから。私のバッジでは駄目です。小沢一郎の命にかけて守りますから」と言ってハラハラと泣くんだ。本当に涙を流す。その時、僕と西田司さんの二人は、小沢さんが金丸さんの家に来たときにほかの部屋に隠れて聞いておった。しかし、もう大きくなっているけれど、金丸さんの孫がおって、そのあと、「うちにはたくさんの政治家が来るけれど、おじいちゃんの前で声を出してワンワン泣きながら、スーッと横目で僕ら子供の顔を眺める、怖い政治家がおる」と言ったんだから。孫もよう見ていたんだな、と思う。>(pp.94-95)

 1994年12月に新進党が結成された。奥田敬和は野中が国対副委員長の時の委員長だったが、<「小沢に騙されてこんなところに来てしまって、俺はもう取り返しのつかんことをした」と涙を流して言っておった。>(p.164)
 奥田以外に不平不満を漏らした人はたくさんいた。熊谷弘もそうで、自民党に戻った。徐々に新進党から自民党に議員が戻っていくのは、不平不満の声があったからだ。野党であることに対する不満というより、<小沢さんに対する不満だ。独裁者だからね。あれは政策は知らないで、政略だけだということだ。>(p.166)

 小沢は、細かい政策については言わない。ところが、国家のありようとか、防衛のあり方だとか、そんなことはよく言う。例えば、日韓議連で合意した外国人参政権の問題など、小沢も合意して法案として出てきたのに、途中で引き上げてつぶしてしまったりする。ところが、今それを民主党のマニフェストに入れている。<まあ、変わる人だな、と思って僕は眺めているんだけれど。僕は、あの人は政局に強いと思うが、政策には一貫性がない。どう考えているのかわからんのです。>(p.271)
 それで細かい話が突然出てきたりする。<途中で席を外してしまうときがある。だから内部で、あの人に近い人ほど離れて行くんですよ。前の自由党のときがそうでしたからね。>(p.271)

 野中らが自由党と自民党の連立政権を工作していたとき、自由党の小沢は無理難題を言い立てた。自民党の内部分裂を惹き起こすために無理を言った。<小沢さん自身は、連立政権では副総理を狙っていたのかなと思うね。彼は総理をやる気はないからね。それは答弁できへんもの。あの人は、あれだけ長いあいだ座って、いちいち根気よく答弁はできんわ。自分で答弁するのがいやだから、あの人は答弁の問題を出すんですよ。>(p.276)

 2000年3月5日、小沢が、八重洲で劇団四季が公演したときに竹下・小渕・小沢と会わせた人と、二人で公邸に訪ねてきた。小沢は、「とにかく自民党もつぶしてくれ、自由党もつぶす、そして一大連合をやろう、期日は3月31日、月末だ。そうでなかったら、俺は連立から離脱させてもらう」と言ってきた。
 交渉そのものを担当したのは、小渕、小沢、青木と公明党の神崎武法。これだけで総理室でやった。
 自由党も与党の中に入っているこの時期、あえて合併したがった小沢の意図は奈辺にあるのか。<結局、大連合じゃないですか。僕はさっき公明党との連立をやるときに、二つポストを要求したといったでしょう。一つは自治大臣と言ったけれど、もう一つは言わなかった。それを考えたら、僕の推測だけれど、小沢さんは自分の副総理を狙ったんじゃないか。>(p.307)
 ただ単に副総理になりたいということか、のちのち総理になりたいということなのか。<僕は、彼が総理になるという意志は全くなかったと思う。(中略)それでフィクサーとなって、好きなように動かしたい。国会なんかでは答弁しなくてもいい、そういうポストですね。>(p.307)

 【注1】「【読書余滴】後藤田正晴回顧録(1) ~行政改革~
    「【読書余滴】後藤田正晴回顧録(2) ~震災復興と危機管理~
    「【読書余滴】後藤田正晴回顧録(3) ~政治家の質疑応答能力~

 【注2】「【読書余滴】野中広務の、小沢一郎批判
     「【読書余滴】野中広務の健康法 ~金槌で叩く~
     「【震災】原発>政権中枢が反省する事故処理の不手際 ~自民党の場合~
 
 以上、御厨貴/牧原出・編『聞き書き 野中広務回顧録』(岩波書店、2012)に拠る。
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【原発】テレビは市民の生命・健康・財産を守ったか ~原発事故報道~

2012年07月19日 | 震災・原発事故
(1)原発を推進した産官学とメディアの人的関係
 テレビは、なぜ「御用学者」に解説を任せたのか。
 高木仁三郎没後、原発の危険性を訴える専門家や学者とメディア関係者との接触がなくなり、こうした緊急の事態に対応するには、今回テレビに登場した専門家や学者に依頼するしかなかった(関係者の弁)。原発行政に関連の深い専門家や科学者との関係が緊密になった背景には、彼らが原発行政に深く関わり、原発の現状については熟知しており、さまざまなデータを入手しやすい、という理由があったらしい。
 産官学報の四極が原発行政を推進した「原発ムラ」の主体だ、とする批判は、単に東電や電力関係会社からの広告費の提供など経済的関係だけを指しているわけではない。むしろ、こうした産官学の人的ネットワークとメディア関係者(記者や解説者や上層部)が深く結びつくことで、彼らの利害関係に縛られ、地震対策や津波対策の不十分さ(一部の専門家から指摘されていたにも拘わらず)を伝えなかったことに基づく。
 テレビ局の記者や関係者は、原発の危険性に対してあまりに鈍感で不勉強だった。しかも、原発の危険性を指摘する人々を「反原発」とラベリングしてテレビ局自ら遠ざけていた。このことを、あらためて自己検証すべきだ。

(2)原発報道におけるマスコミの限界
 (a)「確実な情報」のはき違え・・・・報道機関は、これまで「確実な情報」を「正確」に伝えることを使命としてきた。今回の原発事故報道に際しても、「曖昧さを出さない」「不安を煽らない」ことに徹した、と多くの関係者は語る。「確実な情報」を「政府の発表」と同一視したこと、「曖昧さを出さない」ために「政府の発表」に多くを依拠したことは、今回の報道におけるもっとも深刻な問題だ。
 (b)トップダウン型情報伝達観・・・・「確実な情報」を「正確」に伝える、というテレビ局の使命感は、「確実な情報」は送り手が掌握しているのであり、それを「知らないあなたたち」に伝え(てや)る、という啓蒙主義的な伝達観と表裏一体をなす。それは、「確実な情報」を伝えれば「過剰な不安」をいだき、「パニックに陥る」かもしれないから、「事態の深刻さをオブラートに包んで『安心』『安全』であることを伝えることも必要だ」とする愚民思想にもつながりかねないものだ。しかし、原発事故をめぐって生成したネット上の情報環境は、マスメディアの送り手よりもはるかに事態の危険性を認識することが可能な状況を創り出した。
 (c)苛酷事故における「確実な情報」・・・・リスク社会において苛酷事故が生じた場合に、そもそも「確実な情報」など存在するか。

(3)社会的意思決定の議論の場
 トランスサイエンスの問題が生じた際には、従来の「シングルボイス」の考え方では対応しきれない。不確定であるが故に、異なる視点に立つ複数の情報が発信され、その複数の情報をめぐって評価が行われ、さまざまな判断と選択肢が考慮される討議空間を、さまざまな社会的主体が参加するなかで創りあげていくことがもっとも重要になる。
 メディア環境が変化し、リスク化した社会のなかで、既存のメディアはこれまでの報道観を根底からとらえなおすことを求められている。その一つは、この討議や論議の空間を意識的に造形することだ。なによりも市民の討議に資する情報、多くの市民が「共有」したいと思う情報を発信することだ。

(4)メディアと「権力」との関係
 原発事故といった非常事態時の報道において、科学技術が引き起こした事故の実相を伝えることが、政治的・経済的な思惑と深く絡まり合った「権力」との関係を本質的に孕む。今回の原発事故においても、「事態がそれほど深刻なものではない」かのように情報のコントロールを行っていたことは明らかだ。メディアは、「楽観的」な言説、「可能性」言説、「安心「安全」言説を編制することで、そうした政府の意向に沿った報道を続けた。
 不安を過剰に意図的に煽るべきではないが、「権力」との関係を問うことなく「正確性」と「安心」「安全」を単純に並置する議論は、きわめて不見識だ。
 問われるべきは、メディアが本当に、市民の生命と健康と財産を守ったのか、ということに尽きる。

 以上、伊藤守『ドキュメント テレビは原発事故をどう伝えたのか』(平凡社新書、2012)の「第7章 情報の「共有」という社会的価値」に拠る。

 【参考】「【原発】社会的境界を横断するネット型の情報 ~3・11後の構造的変化~
     「【原発】「情報の価値」は「所有」か「共有」か
     「【原発】ネット上の課題 ~「集合知」が生成されるために~
     「【原発】テレビは何をしなかったか ~原発事故報道~
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【原発】テレビは何をしなかったか ~原発事故報道~

2012年07月18日 | 震災・原発事故
 既存メディアは、ボトムアップ型ネット情報によって相対化されることで、その弱点を露わにした。

(1)取材力の決定的な欠如
 「ただちに健康に影響はない」との政府発表を垂れ流す一方で、自社の社員には「危ないから入るな」と指示する自己矛盾のなかでテレビは放送し続けた。
 (a)3・11から1週間、テレビ各局は、未曾有の非常事態(原発事故)に対してそれに見合う取材態勢で臨んだはずだ。しかし、政府機関の取材を通して、避難区域の設定の根拠は何か、政府内部でどのような議論がなされたか、が伝えられることはなかった。住民の避難に向けた政府の対応、各自治体の連携状況など具体的な情報を伝えることで、官房長官の会見や政府発表の内容を相対化し、別の角度から批判的に検証する作業は不十分だった。
 (b)避難住民や屋内退避地域の住民が経験した混乱や困難(食糧や医療品の途絶など)もほとんど報道されなかった。
 (c)情報の大部分は、原発の破損状況に関する専門家の解説で占められ、避難民の姿はわずかな時間しか報じられなかった。
 (d)「ホットスポット」の存在も報道しなかった。
 (e)土壌の核種分析などを使えば、東電や政府が隠す炉心溶融はもっと早く喝破できたはずだが、科学者と連携した積極的な取材は、一部の例を除いては、まったく行われなかった。
 (f)3・11から1週間の期間に限っても、テレビがSPEEDIに言及したのは、テレビ朝日で3月14日11時52分、解説者の斉藤正樹・東京工大教授が「放射性物質の拡散モデルを使ったシミュレーション」なる発言のみだった。これ以外、NHK科学文化部の記者・解説者を含めて、テレビ局側の記者の誰一人SPEEDIの存在に言及した者はいなかった。もし、文科省への取材すら行っていなかったとすれば、テレビの不作為の責任も問われる。SPEEDIの結果の公開の遅れは、政府・文化省の責任とともにメディア側にも責任があった。
 (g)関係機関への取材のみならず、避難住民への取材も不十分だった。放射能汚染問題が顕在化した4月に起きた「福島県内の学校施設の汚染問題」は、テレビ局の取材の「浅さ」を鮮明に示す事態だった。単に政府発表をなぞる報道は、報道する側がもつべき問題関心の欠如、政府発表に対する批判的検証能力、鋭い嗅覚といったものの欠如を示す。もっとも問題が先鋭化し、対立点が明瞭に浮かびあがる地点での取材が、決定的に欠如していた。

(2)科学コミュニケーションの失敗
 原発事故の報道において、わけても今後の課題とすべきは科学者/専門家とテレビ局との関係だ。現代社会は、ウルリッヒ・ベックのいわゆるリスク社会だ。科学者、科学技術の専門家の社会的責任はきわめて大きい。さらに、事故が起きた場合には、リスク管理と事態への迅速な対応に向けて、科学者が果たす役割が格段に大きい。今回の原発事故に関して、いくつかの基本的な問題を指摘できる。

 (a)科学の特性上、「このデータからすれば、今後このようになる可能性は20%だ」といったかたちでの発言にならざるをえない。自然現象の解明でも社会現象のの解明でも、その点は全く変わらない。しかし、今回の原発事故の際に科学者により多用された「可能性」の言説は、前記の「可能性」とは言葉の使用法が異なっていた。「可能性」を語るに2通りの使い方がある。
  ①「事態が『炉心溶融』になっている可能性がきわめて低いと判断されるけれども、その可能性はゼロではなく、10%程度だ」
  ②「事態が『炉心溶融』になっている可能性がきわめて高いと判断される場合でも、実際に炉心を開けてみなければ本当はわからないのだから、『炉心溶融』は起こりうる(あるいは現に起きている)事態の一つの可能性にすぎない」
 原発事故を解説する専門家の一部の発言は、まさに②の意味で行われていた。科学者の職業倫理に照らしてまことに不適切な発言だ。この種の発言は、事態を直視することを妨げるからだ。

 (b)「『炉心溶融』になっている可能性は本当に低いと信じて(a)-①の意味で語ったとしたら、発言に問題はないか。そうは言えない。最悪の事態に至る可能性がゼロではなく、ある確率をもって生起することが予想できるならば、その最悪の事態を想定して「何が起こるか」という点に言及し、放射性物質の飛散から住民を最大限守るために採りうる選択肢は何か、積極的な発言を行うべきだった。しかし、そうした発言もなかった。

 (c)一部の科学者が、自身の専門外の問題について容易に答えてしまう、という問題が見られた。原子炉工学が専門の科学者が、「偏西風が吹いているから、放射能の飛散についてはそれほど問題にはならない」といった発言は、科学者による科学コミュニケーションの失敗の典型的事例だ。
 一人の専門家が専門家として語りえることなど、ごく一部にすぎない。メディアを通じた科学コミュニケーションの未成熟が顕わになった。
 かかる問題は、テレビ側にも大きな責任があった。
  ①テレビは、科学の性格や科学者の発言の限界、巨大な科学技術が抱える政治性や政治的文脈を十分理解せずに、強引に自己解釈して「安全なんですね」と結論づけてしまうケースが見られた。
  ②もっと重要な問題だが、科学的根拠に基づく「起こりうる事態に関する可能性」の判断と、「採りうる選択肢の幅」と、「ある選択をした際のリスク」を科学者が語りうるとしても、その先の「では実際に、どの選択肢を採用するか」という問題は、科学を超えた「社会的な意思決定」の問題であるという点を、テレビは十分に自覚していなかった。
  ②の問題が鮮明なかたちで現れたのが「福島県内の学校施設の除染問題」だ。現時点で科学は、この問題について十分に答えることができない。科学によって問うことはできるが、科学によって答えることはできない。トランスサイエンスの問題の典型的な事例だ。年間20mSvを基準にするのか、より健康被害の恐れを回避するために基準を下げるか。こうしたトランスサイエンスの問題は、「社会的な意思決定」の問題として対応せざるをえない。メディアは論点を明確に伝える必要がある。場合によっては、係争点が浮き彫りになる空間自体をメディアが創り出すことも求められる。このいずれの点でも、既存のメディアは十分な機能を発揮しなかった。

 以上、伊藤守『ドキュメント テレビは原発事故をどう伝えたのか』(平凡社新書、2012)の「第7章 情報の「共有」という社会的価値」に拠る。

 【参考】「【原発】社会的境界を横断するネット型の情報 ~3・11後の構造的変化~
     「【原発】「情報の価値」は「所有」か「共有」か
     「【原発】ネット上の課題 ~「集合知」が生成されるために~
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【原発】ネット上の課題 ~「集合知」が生成されるために~

2012年07月17日 | 震災・原発事故
 原発事故をめぐるネット上の情報は、さまざまな立場の者同士がその垣根を超えて発信した。発信した情報を共有できる環境が構成されたなかで、ボトムアップによるある種の「集合知」が形成される可能性が生まれた。ただし、まだ可能性のレベル、萌芽の段階にとどまる。
 デジタルネットワーク上に「集合知」が生成されるための課題は何か。

(1)情報格差
 「集合知」が形成されるにはさまざまな社会的条件があって、ことに一定のメディアリテラシーの存在は根源的条件だ。
 現実には、(a)インターネットのなかの有益な情報を検索し、立体的に情報を編集できる社会層と、(b)新聞やテレビなどから情報を主な情報源とする社会層に分化する傾向が見られる。
 社会的な規定因(文化資本、階層、年齢層など)の違いが、メディア接触の行動の相違を生み出している可能性が高い。
 <例>ホットスポット地域では、(a)この問題に敏感でネットを通じてさまざまな情報にアクセスし、収集した情報を仲間と共有して行動している市民と、(b)そうではない層とに分化し、さまざまな対立が生じた。

(2)集団分極化
 原発事故をめぐるネット上の議論には「集団分極化」がみられた。(a)政府や「御用学者」、それを伝えるマスメディアは嘘をついている、とする立場。(b)そうした見方は必要以上に不安を煽っている、としてマスメディアの情報を受容しつつ議論しようとする立場・・・・に。
 政府発表を無批判に流し続けた、と視聴者に認識されたマスメディアに対して、それに代わるオルタナティブな情報がネットに流れたわけだが、それは「集団的分極化」の観点からすれば、特定の社会層においてのみ成立した複数の「集合知」のなかの一つだった。
 当然ながら、社会的議論を行い、社会的な意思決定を行う際には、異なる異質な意見を聞き、専門家や市民の意見や行政側の主張も聞き、判断を保留して熟慮するような場と機構が必要だ。異なる主張を持つ者たちの討議空間としての「公共性」と「集合知」との関係が改めて議論されなければならない。

(3)情動の増幅
 情報の伝達と深く関わる。プライベートな空間からプライベートな「私」の内部にダイレクトに届くリアリティの感覚を創り出す可能性がある。
 <例>福島県内の学校施設の除染問題をめぐる映像が、官僚/役人に向かって市民から発せられた野次や怒号、市民から鋭い質問の矢が浴びせかけられるシーンなど、テレビではめったに映し出されない映像。
 ネット動画特有のメディア特性が生み出すリアリティだ。テレビメディア特有のステレオタイプ化した報道の演出スタイルからは到底伝わらない臨場感と緊迫感をネット動画は伝える。
 つまり、ネット空間では、従来の情報伝達以上に、その場の雰囲気、映し出された人物の感情や熱意や信念がダイレクトに伝わる。情報の受け手においても、情動を喚起するような情報が増幅されやすい。断片的な情報だからこそ、訴求力が強く、プライベートなかたちで次々と伝播する。瞬時に情動が喚起される。ネットに特有の情報様式だ。したがって、(a)風評やデマとして現れる場合もあれば、(b)「2011年アラブの春」に見られるような集合的行動が巻き起こり、多数の市民が参加する民主革命として現れることもある。
 ネットの情報は、ネット情報だからこそ生まれる「負」「正」相互反転の特異な特性を帯びている。 
 原発事故をめぐる情報の流れにおいて、ネットが存在感を示した背景とその効果にはさまざまな側面がある。
  ①フリーのジャーナリストによる機敏な取材によって、既存メディアが伝える情報の「質」の相対化が進んだ。
  ②既存メディアが提供するのは「編集」された情報だ。他方、ネットでは「現場」から「第一次情報」をそのまま伝える。このネット上の情報は、既存メディアのステレオタイプ化した表現様式を相対化させた。
  ③従来はマスメディアが選択した形式(情報を多くの市民が消費する)だ。これとは異なり、ネットでは立場の異なる多様な市民の声がアップされ、ネットワーク化される技術的な条件が準備されることで、ボトムアップ型の「集合知」が成立する基盤が生まれた。ネット上の情報は、既存メディアを相対化する重要な契機となりつつある。

 以上、伊藤守『ドキュメント テレビは原発事故をどう伝えたのか』(平凡社新書、2012)の「第7章 情報の「共有」という社会的価値」に拠る。

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