語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

エリック・ホッファー『魂の錬金術』

2021年06月29日 | ●エリック・ホッファー
 2
 身を焦がす不平不満というものは、その原因が何であれ、結局、自分自身に対する不満である。自分の価値に一点の疑念もない場合や、個人としての自分を意識しないほど他者との一体感を強く抱いているとき、われわれは、何の苦もなく困難や屈辱に耐えることがっできる。これは驚くべきことである。

 7
 あらゆる激しい欲望は、基本的に別の人間になりたいという欲望であろう。おそらく、ここから名声欲の緊急性が生じている。それは、現実の自分とは似ても似つかぬ者になりたいという欲望である。

 12
 山を動かす技術があるところでは、山を動かす信仰はいらない。

 40
 人間とは、まったく魅惑的な被造物である。そして、恥辱や弱さをプライドや信仰に転化する、打ちひしがれた魂の錬金術ほど魅惑的なものはない。

 58
 知っていること、知らないことよりも、われわれが知ろうとしないことのほうが、はるかに重要である。男女を問わず、その人がある考えに対してなぜ鈍感なのかを探ることによって、われわれは、しばしばその人の本質を解明する鍵を手に入れることができる。

 63
 非妥協的な態度というものは、強い確信よりもむしろ確信のなさの表れである。つまり、冷酷無情な態度は外からの攻撃よりも、自身の内面にある疑念に向けられているのだ。

 70
 われわれは自分自身に嘘をつくとき、最も声高に嘘をつく。

 91
 弱者が自らの強さを印象づけようとするとき、邪悪なことをなしうることを意味深長にほめのかす。邪悪さが弱者を魅了するのは、それが多くの場合、権力意識の獲得を約束するからである。

 92
 言語は質問するために発明されたものである。回答は音や身ぶりによっても可能だが、質問だけは言葉にしなければならない。最初に質問の声を発したとき、人間は一人前の大人になった。社会の停滞は回答の不足ではなく、質問への衝動の欠如によってもたらされる。

 93
 アルファベットを発明したのはフェニキア人であり、ギリシャ人はそれを借用しただけである。しかし、自らの発明品を使ってフェニキア人がしたことと、借りものを使ってギリシャ人がしたこととの間に、何と大きな違いがあることか。おそらくわれわれの独創性は、借りものを利用して作り上げるものに、最も顕著に表れるのだろう。まったく新しいものなど、偶然や意味のない機械いじり、無能な人間が抱く長年の不満によってさえ発見されうるのだ。

 123
 親切な行為を動機によって判断しても無駄である。親切はそれ自体、ひとつの動機となりうる。われわれは親切であることで、親切にされている。

 128
 われわれはよく知らないものほど、容易に信じてしまう。自分自身について知るところが最も少ないがゆえに、われわれは自分について言われることを、すべて容易に信じ込みやすい。ここからお世辞と中傷の双方に神秘的な力が生じる。

 132
 他人と分かちあうことをしぶる魂は、概して、それ自体、多くをもっていない。ここでも、けちくささは魂の貧困さを示す兆候である。

 176
 自由を測る基本的な試金石となるのは、おそらく何かをする自由よりも、何かをしない自由である。全体主義体制の確立を阻むのは、差し控え、身を引き、やめる自由であうr。絶えず行動せずにはいられない者は、活発な全体主義体制下に置かれようとも不自由さを感じないだろう。実際、ヒトラーは説教によって将軍、技術者、科学者を掌握したわけではない。彼らが望む以上のものを与え、限界に挑戦するよう奨励して、彼らの支持を勝ちとったのだ。

 178
 他者への没頭は、それが支援であれ妨害であれ、愛情であれ憎悪であれ、つまるところ自分からの逃避の一手段である。奇妙なことに、他者との競争--他人に先んじようとする息もつがせぬ競争は、基本的に自己からの逃走なのである。

 202
 われわれはおそらく自分を支持してくれる者より、自分が支持する者により大きな愛情を抱くだろう。われわれにとっては、自己利益よりも虚栄心のほうがはるかに重要なのだ。

 206
 死は、それが1ヵ月後であろうと1週間後であろうと、たとえ1日後であろうと、明日でないかぎり、恐怖をもたらさない。なぜなら、死の恐怖とはただひとつ、明日がないということだからだ。

 212
 謙遜とは、プライドの放棄ではなく、別のプライドによる置き換えにすぎない。

 217
 われわれが最も大きな仮面を必要とするのは、内面に息づく邪悪さや醜悪さを隠すためではなく、内面の空虚さを隠すためである。存在しないものほど、隠しづらいものはない。

 231
 「何者かでありつづけている」ことへの不安から、何者にもなれない人たちがいる。

 233
 平衡感覚がなければ、よい趣味も、真の知性も、おそらく道徳的誠実さもありえない。

 234
 他人を見て何をすべきかを知る者もいれば、何をすべきでないかを知る者もいる。

 235
 人生の秘訣で最善のものは、優雅に年をとる方法を知ることである。

 243
 われわれは一緒に憎むことによっても、一緒に憎まれることによっても結束する。

 260
 プロパガンダが人をだますことはない。人が自分をだますのを助けるだけである。

 275
 他人を愛する最大の理由は、彼らがまだわれわれを愛しているということである。

 280
 幸福を探し求めることは、不幸の主要な原因のひとつである。

□エリック・ホッファー(中本嘉彦訳)『魂の錬金術 -全アフォリズム集-』(作品社、2003)

【波止場日記】6月4日 ~政治における女性の役割~

2018年09月30日 | ●エリック・ホッファー
 日中アメリカの政治における女性の役割について考えた。一般的にいって女性は労働者に敵対する票を投ずるような気がする。女性は支配階級的なものなら何にでも味方する。
 On and off during the day I have been thinking about woman's role in American political life. My feeling is that, on the whole, women will vote against the workingman. They will side with anything that smacks of upper or ruling class.

□エリック・ホッファー(田中淳訳)『波止場日記』(みすず書房、1971)
□Eric Hoffer : Working and Thinking on the Waterfront / A JOURNAL : June 1958-May 1959 (HARPER & ROW, PUBLISHERS, NEW YORK, EVANSTON, AND LONDON)

 【参考】
【波止場日記】6月1日 ~疲労と独善性、組合~
【波止場日記】のエリック・ホッファー、沖仲仕の社会哲学者/労働と独学

【波止場日記】6月1日 ~疲労と独善性、組合~

2018年09月11日 | ●エリック・ホッファー
 午前5時。独善的になっている。長い仕事の後にはいつもこうなる。仕事は蟻を残忍にするばかりではなく人間をも残忍にする、とトルストイがどこかで言っていた。
 5 A.M. I am getting self-righteous. This usually happens after a long stretch of work. I remember Tolstoi saying somewhere that work makes not only ants but men, too, cruel.

 午後10時。組合の集会に行った。抽象的な問題についての議論の浅薄さと実際的な問題の処理の独創性とが、今日も対照的であった。
 10 P.M. Went to the union meeting. Again the contrast between the shallowness of the discussion of the abstract and the originality in tacking the practical.

□エリック・ホッファー(田中淳・訳)『波止場日記』(みすず書房、1971)
□Eric Hoffer : Working and Thinking on the Waterfront / A JOURNAL : June 1958-May 1959 (HARPER & ROW, PUBLISHERS, NEW YORK, EVANSTON, AND LONDON)

 【参考】
【波止場日記】のエリック・ホッファー、沖仲仕の社会哲学者/労働と独学

 

【波止場日記】のエリック・ホッファー、沖仲仕の社会哲学者/労働と独学

2018年09月08日 | ●エリック・ホッファー
 Eric Hoffer, 1902年7月25日 - 1983年5月20日。

★生涯
 ドイツ系移民の子としてニューヨークのブロンクスに生まれた。
 7歳、母親と死別。同年視力を失った。
 15歳、奇跡的に視力を回復した。以来、再び失明する可能性に対する恐怖から貪るように読書に励んだ、という。正規の学校教育は全く受けていない。
 18歳頃、唯一の肉親である父親が逝去し、天涯孤独の身となった。それを機に、ロサンゼルスの貧民窟でその日暮らしの生活を始めた。
 28歳、多量のシュウ酸を飲み自殺を図ったが、未遂に終わった。それをきっかけにロサンゼルスを去り、カリフォルニアで季節労働者として農園を渡り歩いた。労働の合間に図書館へ通い、大学レベルの物理学と数学をマスターした。農園の生活を通して興味は植物学へと向き、農園をやめてまで植物学の勉強に没頭し、またも独学でマスターすることになる。
 ある日、勤務先のレストランでカリフォルニア大学バークレー校の柑橘類研究所所長のスティルトン教授と出会い、給仕の合間に彼が頭を悩ませていたドイツ語で書かれた植物学の文献を翻訳した。彼はホッファーが植物学にもドイツ語にも精通していることを知り、研究員として勤務することを持ちかけた。しばらく研究員として働いたホッファーは、当時カリフォルニア州で流行っていたレモンの白化現象の原因を突き止めた功績が認められ、正式な研究員のポストが与えられたが、それを断り、気ままな放浪生活へと舞い戻った。
 1936年、ホッファー34歳の時、転機がやってきた。その冬、ヒトラーの台頭のヨーロッパ情勢の頃、砂金掘りの仕事のため雪山で過ごすことになり、その暇つぶしとして道中の古本屋でモンテーニュ『エセー』を購入した。この出会いによって思索、とりわけ「書く」という行為を意識し始めたという。哲学者、著述家として立つきっかけとなったのだ。『エセー』は、その冬に三度読み返し、最後には大部分を暗記してしまったという。
 1941年から、サンフランシスコで沖仲仕として働いたことから、「沖仲仕の哲学者」と呼ばれるに至る。
 1964年から、カリフォルニア大学バークレー校の政治学研究教授になったが、65歳になるまで沖仲仕の仕事はやめなかった。ホッファーによると、沖仲仕ほど自由と運動と閑暇と収入が適度に調和した仕事はなかったという。また、沖仲仕を含む港湾労働者の労働組合幹部を長く続けていた。バークレーでは週に一度のオフィスアワーを持ち、1972年まで続けた。
 1967年にCBCで放送された対談番組は、全米各地で大きな反響を呼んだ。再放送も人気だったことから、以来年に一度出演した。
 1970年代、ベトナム兵役拒否やヒッピー、マリファナと学生運動の時代に、ある種の知的カリスマとして高い知名度をもっていたが、ホッファー自身は彼らを甘やかされた子供と捉えていた。ホッファーはヒッピーと対照的な立場とされているスクウェアを支持していた。ただし、ホッファーのいう「スクウェア」とは、(日本におけるブルーカラーのような)勤労青年を指していた。
 ホッファーはベトナム戦争を肯定的に評価していた。
 1983年2月、当時の大統領ロナルド・レーガンは大統領自由勲章を送った。
 同年5月、80歳、老衰のためその生涯を終えた。

★著書
 ①高根正昭訳『大衆』(紀伊国屋書店、1961)/高根正昭訳『大衆運動』(紀伊国屋書店、1969/復刻版、2003)
 ②永井陽之助訳「情熱的な精神状態」永井編『現代人の思想(16)政治的人間』(平凡社、1967)
 ③中本義彦訳「情熱的な精神状態」『魂の錬金術 - エリック・ホッファー全アフォリズム集』(作品社、2003)
 ④田崎淑子・露木栄子訳『変化という試練』(大和書房、1965)
 ⑤『波止場日記 - 労働と思索』田中淳訳(みすず書房、1971、新装版1992・2002/同〈始まりの本〉、2014)
  ※『波止場日記』は、6月1日から始まり、翌年の5月21日で終わっている。ノート7冊分である。
 ⑥柄谷行人・柄谷真佐子訳『現代という時代の気質』(晶文社、1972、新版・同〈晶文選書、1985/ちくま学芸文庫、2015)
 ⑦田中淳訳『初めのこと今のこと』(河出書房新社、1972)
 ⑧田中淳訳『エリック・ホッファーの人間とは何か』(河出書房新社、2003)
 ⑨中本義彦訳「人間の条件について』『魂の錬金術 - エリック・ホッファー全アフォリズム集』(作品社、2003)
 ⑩In Our Time.(1976)
 ⑪中本義彦訳『安息日の前に』(作品社、2004)
 ⑫Between the Devil and the Dragon: The Best Essays and Aphorisms of Eric Hoffer.(1982)
 ⑬Truth Imagined.(1983)
 ⑭中本義彦訳『エリック・ホッファー自伝 - 構想された真実』(作品社、2002年)

 

【本】シンプル・ライフ、自立、読書 ~『波止場日記』~

2016年05月21日 | ●エリック・ホッファー
 (1)エリック・ホッファーは、7歳にして母を失い、同年、不明の原因により盲目となった。15歳の時、失明したときと同じく突然に視力を回復した。18歳で父と死別。レストランの皿洗いをふりだしに職を転々としながら図書館で独学した。
 34歳の冬、転機がおとずれる。一冊の本とともに一人鉱山にこもり、『エセー』を三度読みかえした。モンテーニュとの出会いに必然性はなかったが、出会いの結果は運命的であった。「生まれて初めて、私にもこういったものが書けるかもしれないと考えた」
 読む人から書く人へと立場をかえたのである。

 (2)1969年に刊行された本書は、二つの著書を刊行したあと、思索の危機を感じて書きはじめた日記である。ホッファー、ときに56歳、沖仲仕。
 日記は、1958年6月1日にはじまって翌年5月21日に終わる。事の性質上、前後の脈絡はとくにない。日々の出来事、観察、想念が断片的に綴られる。断片的ではあるが、繰り返し書きこまれる話題があって、おのずから関心の所在を示す。
 関心は、おおきく二つに分けることができる。

  (a)波止場ではたらく人々である。組んで作業するパートナーの人となりは、頻繁にスケッチされている。そして組合、組合活動家。ホッファーが好んでとりあげるのは、普通のアメリカ人である。つまり同僚であり自分のことであり、大衆のことだ。大衆の対極にたつのが、知識人である。ホッファーにとって、知識人は労働に従事しないばかりか、労働する人を言葉によって操作、管理、支配しようとする胡乱な存在にすぎない。
   <午前10時。組合の集会に行った。抽象的な問題についての議論の浅薄さと実際的な問題の処理の独創性とが、今日も対照的であった。集会の前半ははまったく退屈。ソーベル事件が主題。後半の議題は組合本部の貸借およびくず鉄仕事のぺてん師の処分方法について。提案された解決法は独創的で簡潔なものであった。簡潔さは頭の切れを感じさせる>
   <たびたび感銘を受けるのだが、すぐれた人々、性格がやさしく内面的な優雅さをもった人々が、波止場にたくさんいる。この前の仕事でアーニーとマック--あまり面識のないかなり年輩の連中--としばらく一緒になったが、ふと気づくと、この二人はなんと立派な--寛大で、有能で、聡明な--人間なんだろう、と考えていた。じっと見ていると、彼らは賢明なばかりでなく驚くほど独創的なやり方で仕事にとりくんでいた。しかも、いつも遊んでいるかのように仕事をするのである>

  (b)読書と思索である。読書は、随時、仕事の休憩時間にもおこなわれる。亡命作家の回想録からアラブ現代史まで、手にする本のジャンルは幅広いが、ことに現代史に対する関心が強い。常にノートをたずさえて書きこみ、いっぱいになると検討する。保存する価値のある引用文や思想は、別のノートへ写しとる。こうした作業のうちに、次の著作の主題が煮つまってくる。変化である。洞察は、日記にも記される。<もし南部のニグロが真の平等を得たいのなら、ニグロは自分の力で闘いとらなければならない>

  (c)(b)の自分の力で闘いとるとは、ホッファーによれば、たとえば優秀な職業学校、あるいはモデル相互扶助組織である。独立と自由。生活はごく簡素である。
   <私が満足するのに必要なものはごくわずかである。一日二回のおいしい食事、タバコ、私の関心をひく本、少々の著述を毎日。これが、私にとっては生活のすべてである>
   <自分のいだいている観念を考え抜くためには知的孤立が必要である>
   <私は緊張するのだが大嫌いなので、野心をおさえてきた。また、自己を重視しないよう、できるだけのことをしてきた>

 (3)本書が閃光のように照らし出すのは、米国の開拓時代以来脈々たる伝統のうち最良の部分である。労働のなかで読み、かつ、思索するシンプル・ライフである。

□エリック・ホッファー(田中淳・訳)『波止場日記』(みすず書房、1971)
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【波止場日記抄】6月16日

2015年06月16日 | ●エリック・ホッファー
 礼儀の正しさはある程度の客観性と相互の妥協がなければ成り立たない。
 Good manners are inconceivable without a degree of objectivity.

□エリック・ホッファー(田中淳訳)『波止場日記』(みすず書房、1971)
□Eric Hoffer : Working and Thinking on the Waterfront / A JOURNAL : June 1958-May 1959 (HARPER & ROW, PUBLISHERS, NEW YORK, EVANSTON, AND LONDON)
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 【参考】
【波止場日記抄】6月15日
【波止場日記抄】6月13日
【波止場日記抄】6月5日
【波止場日記抄】6月4日
【波止場日記抄】6月2日
【波止場日記抄】6月1日
書評:『波止場日記』

    


【波止場日記抄】6月15日

2015年06月15日 | ●エリック・ホッファー
 いつも考えているのだが、社会にとっては、その成員全てが等しく関心を抱き、かつ何らかの見識を抱ける共通の対象が、いくつかなければならぬのか。ビザンチウムにおいては、神学と戦車レースがそれであった。この国においては、機械とスポーツである。
 I have always wondered whether it is vital for a society that all its members shoud have some common subjects in which they are equally interested and in which they all have some expertise. In byzantium the common subjects were theology and chariot races. In this contry they are machines and sports.

□エリック・ホッファー(田中淳訳)『波止場日記』(みすず書房、1971)
□Eric Hoffer : Working and Thinking on the Waterfront / A JOURNAL : June 1958-May 1959 (HARPER & ROW, PUBLISHERS, NEW YORK, EVANSTON, AND LONDON)
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 【参考】
【波止場日記抄】6月13日
【波止場日記抄】6月5日
【波止場日記抄】6月4日
【波止場日記抄】6月2日
【波止場日記抄】6月1日
書評:『波止場日記』

      


【波止場日記抄】6月13日

2015年06月14日 | ●エリック・ホッファー
 昼、シシリアの諺を耳にした--「舌には骨はないが、骨を折ることができる。」
 At noon I heard a Sicilian proverb: “The tongue has no bones, but it can break bones.”

□エリック・ホッファー(田中淳訳)『波止場日記』(みすず書房、1971)
□Eric Hoffer : Working and Thinking on the Waterfront / A JOURNAL : June 1958-May 1959 (HARPER & ROW, PUBLISHERS, NEW YORK, EVANSTON, AND LONDON)
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 【参考】
【波止場日記抄】6月5日
【波止場日記抄】6月4日
【波止場日記抄】6月2日
【波止場日記抄】6月1日
書評:『波止場日記』

      

【波止場日記抄】6月5日

2015年06月05日 | ●エリック・ホッファー
 無知は極端に走りがちである。これはおそらくあたっているだろう。自分の知らないことについての意見はどうもバランスのとれた穏健なものではなさそうだ。
 It is perhaps true that ignorance tends to be extremist. Our opinions about things we do not know are not likely to be balanced and moderate.

□エリック・ホッファー(田中淳訳)『波止場日記』(みすず書房、1971)
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 【参考】
【波止場日記抄】6月4日
【波止場日記抄】6月2日
【波止場日記抄】6月1日
書評:『波止場日記』

      

【波止場日記抄】6月4日

2015年06月04日 | ●エリック・ホッファー
 日中アメリカの政治における女性の役割について考えた。一般的にいって女性は労働者に敵対する票を投ずるような気がする。女性は支配階級的なものなら何にでも味方する。
 On and off during the day I have been thinking about woman's role in American political life. My feeling is that, on the whole, women will vote against the workingman. They will side with anything that smacks of upper or ruling class.

□エリック・ホッファー(田中淳訳)『波止場日記』(みすず書房、1971)
□Eric Hoffer : Working and Thinking on the Waterfront / A JOURNAL : June 1958-May 1959 (HARPER & ROW, PUBLISHERS, NEW YORK, EVANSTON, AND LONDON)
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 【参考】
【波止場日記抄】6月2日
【波止場日記抄】6月1日
書評:『波止場日記』

      


【波止場日記抄】6月2日

2015年06月02日 | ●エリック・ホッファー
 6月2日
 自分自身の幸福とか、将来にとって不可欠なものとかがまったく念頭にないことに気づくと、うれしくなる。いつも感じているのだが、自己にとらわれるのは不健全である。
 I am cheered when I realize that things vital for my welfare or propects have completely escaped my mind. Preoccupation with the self has always seemed to me unhealthy.

□エリック・ホッファー(田中淳訳)『波止場日記』(みすず書房、1971)
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 【参考】
【波止場日記抄】6月1日
書評:『波止場日記』


      


【波止場日記抄】6月1日

2015年06月01日 | ●エリック・ホッファー
 『波止場日記』は、6月1日から始まり、翌年の5月21日で終わっている。ノート7冊分である。

 6月1日
 午前5時。独善的になっている。長い仕事の後にはいつもこうなる。仕事は蟻を残忍にするばかりではなく人間をも残忍にする、とトルストイがどこかで言っていた。
 5 A.M. I am getting self-righteous. This usually happens after a long stretch of work. I remember Tolstoi saying somewhere that work makes not only ants but men, too, cruel.

 午後10時。組合の集会に行った。抽象的な問題についての議論の浅薄さと実際的な問題の処理の独創性とが、今日も対照的であった。
 10 P.M. Went to the union meeting. Again the contrast between the shallowness of the discussion of the abstract and the originality in tacking the practical.

□エリック・ホッファー(田中淳訳)『波止場日記』(みすず書房、1971)
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 【参考】
書評:『波止場日記』

      エリック・ホッファー 
    


【エリック・ホッファー】に関する書評の幾つか ~自伝・大衆運動~

2014年01月06日 | ●エリック・ホッファー
 以下、『エリック・ホッファー・ブック』の「Ⅴ ホッファーを読む」から、書評の二、三を抜粋、要約。

(a) 『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』
  ①立花隆 : 極上の短編小説以上の仕上がり
   めっぽう面白い。彼の人生そのものが、これほど数奇な人生があろうかと思わせるほどに波乱に富んでいるが、それ以上に面白いのが、彼がいろんなところで出会った、数々の特異な社会的不適応者たちの語る自分の人生である。この自伝には、そのような忘れがたい人々との忘れがたい出会いがいっぱいつまっている。その一つ一つが、まるで極上の短編小説以上の仕上がりになっている。
   こういった出会いのすべてが彼の哲学的思索のナマの素材になっている。自分自身がそのような不適応者の一人であり、その不適応者にまじって生きつづける中で、「人間社会における不適応者の特異な役割」という、彼の生涯を通じての思索のテーマを発見する。「人間の独自性とは何か」ということを考えつめていくうちに、「人間という種においては、他の生物とは対照的に、弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」ということだと思いあたる。つまり、「弱者が演じる特異な役割こそが、人類に独自性を与えている」のである。
   そして、米国を作った開拓者たちも、実は社会的不適応者であったが故に、家を捨て荒野に向かわざるをえなかった放浪者たち(弱者)だった。それが、米国社会の独特の特質をもたらしている、という考察に導かれていく。

  ②御厨貴 : 放浪の哲学を実践する姿
   『大衆運動』(原著:“The True Believer”)を東大の学生時代の1971年に読んで、警句めいた言いまわしの妙に、青年ならではの感受性の故か、惹かれつつもどこかすっきりしない気分が残った。それから30年を経て、ホッファーと再会した。
   カルフォニアでの日銭かせぎの労働と読書と思索が、ホッファーの20歳代の過ごし方である。「歩き、食べ、読み、勉強し、ノートをとるという毎日が、何週間も続いた」「しかし、金がつきたらまた仕事に戻らなければならないし、それが死ぬまで毎日続くかと思うと、私を幻滅させた」
   30歳を前にしての自殺未遂行為。毒を飲み走りながら、ある思いに至る。それを「曲がりくねった終わりのな道としての人生」と悟った時、日雇労働者は死に、放浪者としてホッファーは再生する。そして、カルフォニアの放浪者集団を「社会的不適応者(ミスフィット)」と名づけ、「われわれにとって定食につくということは軋轢を生むこと以外の何ものでもなかった」と記す。
   そして、放浪者と開拓者とのダイナミックな関係性に気づいた時、ホッファーは高らかにこう言い放つ。「人間という種においては、他の生物とは対照的に、弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」「弱者が演じる特異な役割こそが、人間に独自性を与えているのだ」
   放浪に基づく思索の中で、常に導きの糸となるのは、他ならぬ旧約聖書なのだ。「語り手たちによって構想された真実は、真実よりも生き生きとしており、真実よりも真実に近い」とホッファーは述べる。だからこそ、例の弱者は強者に勝つとの文脈において、「『紙は、力あるものを辱めるために、この世の弱気ものを選ばれたり』という聖パウロの尊大な言葉には、さめたリアリズムが存在する」と断定できる。
   総じてホッファーの言葉は簡潔で、もってまわった言い方をせず、わかりやすい。
   小さな本ではあるが、中身はつまっている。米国という移民によって、開拓者によって成立している国でしか、ホッファーのような放浪と独学お哲学者は生まれなかったろう。めめしくなく明るく力強い生き方が、好きだ。

  ③田中優子 : 知性は「学校教育」ではなく「読書」によって鍛えられる
   知性というものはこれほどまでに柔軟で、人間の中に求める強い気持ちさえあれば、いかなる環境、職業、厳しさの中でも得られるものなのだ。知性というものはこれほどまでに自由で、水のように風のように、どんな隙間からでも得られるものなのだ。
   ホッファーの人生には3つの特徴がある。
   一、生涯独身で通した。それによって、誰からも非難されずにずっと放浪者であり続けることができたし、「将来の心配」というものを一度も持たずにすんだ。彼はいつも働いているわけではなく、当分生活ができるとなると、仕事をせずに読書に打ち込んだ。家庭があったら、そういうことはできない。
   二、働きながら、彼は絶え間なく読書し、ものを書き、数学、化学、物理、地理の勉強をし続けた。これらは彼の職業にはまったく関係がないので、職業を得るためでもなければ、将来のためでもない(彼は将来というものをまったく考えない)。この情熱をホッファーは、「筋肉がついてきたという意識が、青年をウェイト・リフティングやレスリングへと駆り立てるように」と表現している。精神が成熟してゆく、思索が構築されてくる、という感覚がホッファーを読書へと駆り立てていったのである。その結果、彼の読書には無駄がなく(暇つぶしではない)、必ず思索へ向かう種類のものだった。
   三、人生の不規則性である。ホッファーは定職を持たなかった。彼は自殺未遂のあと、「労働者は死に、放浪者が誕生した」と書いた。「都市労働者の死んだような日常生活」に終止符を打って、彼は季節労働者として各地を転々とする。そして、その中で頻繁に出会った「社会的不適応者」について考察するようになる。そこにホッファーの独自な思想「弱者が演じる特異な役割こそが、人類に独自性を与えている」という観点が生まれてゆくのである。彼はそのことを核にして、のちに社会哲学者になっていゆく。
   人間が強ければ、ほんとうは学校は要らないのだ。「人間」がいて「言葉」があれば、知性はその個々の求める気持ちの強さに応じて身につく。学校という制度が必ずしも知性を育てるわけではない。学校は知に接近する機会にもなるが、知から遠ざかる機会にもなる。
   ホッファーの知性は、学校の学問ではなく読書で鍛えた知性なのだ。

(b) 『大衆運動』
  ①作田啓一 : 恐ろしい書物
   本書で取り上げられている「大衆運動」の範囲は広い。原始キリスト教の運動、宗教改革の運動、フランス大革命やロシア革命、ナチズムの運動、明治以降の日本の近代化をめざす運動など、宗教的、政治的、短期的、長期的の多様な運動を包括する。大衆的基礎を餅、「忠実な信者」が参加するかぎり、すべての運動は「大衆運動」と呼ばれる。「忠実な信者」とは誰か。それは自己に失望し、自己から分離した人間であって、共同行動への参加により、新しい生き甲斐を求めようとする者である。
   では、人どうして自己から分離するのか。集団の一員であるという意識を失った時か。あるいは創造的な仕事や有益な活動ができない時に、人は自己から分離する。そのような人びとは、大衆運動に献身的に参加することで集団所属意識を取り戻し、理想に殉じていると信じることで自己軽蔑から免れる。
   疑問・・・・集団所属が「自己との調査」をかちうる一条件であったとすれば、この条件を失った人が運動体に参加することで回復する自信は、本来の「自己との調和」と同質なものか、異質なものか。
   著者は、この問に対して明確には答えていない。ただ、暗示的な回答はある。運動体の「統一は、忠実な信者の相互の兄弟愛から生まれるものではない。忠実な信者が忠誠を捧げるのは、彼の仲間の信者たちではなく全体--教会や、党や、国家--なのである。個人の間にほんとうに誠実な関係が成り立つのは、ゆるい、そして比較的自由な社会のン間かだけである」
   集団の二類型を体制と関連させる理論は、このように暗示的、断片的にしか語られていない。そのほか重要な理論の断片が、随所に散らばっていて、読者はこの本の中から多くの示唆を受け取るだろう。

□作品社編集部・編『エリック・ホッファー・ブック 情熱的な精神の軌跡』(作品社、2003)
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 【参考】
【ホッファー】エリック・ホッファー・ブック
【言葉】エリック・ホッファーのアフォリズム、その政治学・社会学・心理学 ~『情熱的な精神状態』~
【読書余滴】加藤周一自選集全10巻完結
書評:『波止場日記』

   

【ホッファー】エリック・ホッファー・ブック

2014年01月06日 | ●エリック・ホッファー
 以下、『エリック・ホッファー・ブック』の構成。

Ⅰ 波止場からのメッセージ --単行本未収録エッセイ
 (a) われわれが失ったもの
 (b) 神と機械時代
 (c) 実用的感覚の勃興と凋落
 (d) イスラエルの特異な地位
  
Ⅱ アメリカ・知識人・教育 --ロング・インタヴュー
 (a) 百姓哲学者の反知識人宣言  聞き手:角間隆
 (b) 学校としての社会に向けて  聞き手:S・エリクソン

Ⅲ ホッファー論
 (a) B・ラッセル : 狂信者はいかにして生まれれるか
 (b) 中本義彦 : エリック・ホッファーとベトナム戦争
 (c) 矢野久美子 : 「オアシス」の呼吸法 --ホッファーとアレーレント
 (d) E・バーディック : 波止場の警句家エリック・ホッファー
 (e) E・フリーデンバーグ : オンリー・イン・アメリカ 

Ⅳ ホッファー頌 --エッセイ・アンソロジー
 (a) 中上健次 : おどろくほど楽天的な随想
 (b) 高橋源一郎 : タカハシさん、哲学する
 (c) 津野海太郎 : 自分用の応援歌
 (d) 群ようこ : 「晴耕雨読」の重み
 (e) ニューヨーカー編集部 : 『トゥルー・ビリーバー』以前のこと
 (g) W・ターナー : 沖仲士の哲学者 80歳の死 

【特別エッセイ】
 (a) 川村湊 : エリック・ホッファーと柄谷行人
 (b) 山城むつみ : ホッファーの言葉

Ⅴ ホッファーを読む
 (a) 『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』
   ①立花隆 : 極上の短編小説以上の仕上がり
   ②御厨貴 : 放浪の哲学を実践する姿
   ③田中優子 : 知性は「学校教育」ではなく「読書」によって鍛えられる
   ④山城むつみ : 開かれた空間で

 (b) 『大衆運動』
   ①作田啓一 : 恐ろしい書物
   ②三浦つとむ : 狂信者の発生を防ぐために
   ③陸井三郎 : モンテーニュにならって

 (c) 『変化という試練』
   ①クリスチャン・センチュリー編集部 : 世俗の説教者

 (d) 『現代という時代の気質』
   ①村井紀 : 本質的な意味をもつ問題提起
   ②高橋徹 : <知識人の時代>としての現代

 (e) 『初めてのこと 今のこと』
   ①柄谷行人 : 常識を持続する知的緊張

 (g) 『われらの時代に』 
   ①R・ホイットモア : ホッファーイズムの発露

 (h) 『波止場日記』
   ①開高健 : 頭の人と手の人の共存
   ②鶴見良行 : 柔軟な好奇心
   ③本間長世 : 労働する思索家の独自性
   ④木島始 : 知識人論への強烈な解毒剤

 (i) 『安息日の前に』
   ①W・バックレー : トゥルー・クエスチョナー

 (j) 『魂の錬金術』
   ①高澤秀次 : 移動し他者と交わる種子のように
   ②清水良典 : 思考の宝石箱
   ③北岡伸一 : 人間心理の奥底を見抜く

 ホッファー略年譜

□作品社編集部・編『エリック・ホッファー・ブック 情熱的な精神の軌跡』(作品社、2003)
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 【参考】
【言葉】エリック・ホッファーのアフォリズム、その政治学・社会学・心理学 ~『情熱的な精神状態』~
【読書余滴】加藤周一自選集全10巻完結
書評:『波止場日記』

   

【言葉】エリック・ホッファーのアフォリズム、その政治学・社会学・心理学 ~『情熱的な精神状態』~

2010年10月05日 | ●エリック・ホッファー
 2
 身を焦がす不平不満というものは、その原因が何であれ、結局、自分自身に対する不満である。自分の価値に一点の疑念もない場合や、個人としての自分を意識しないほど他者との一体感を強く抱いているとき、われわれは、何の苦もなく困難や屈辱に耐えることがっできる。これは驚くべきことである。

 7
 あらゆる激しい欲望は、基本的に別の人間になりたいという欲望であろう。おそらく、ここから名声欲の緊急性が生じている。それは、現実の自分とは似ても似つかぬ者になりたいという欲望である。

 12
 山を動かす技術があるところでは、山を動かす信仰はいらない。

 40
 人間とは、まったく魅惑的な被造物である。そして、恥辱や弱さをプライドや信仰に転化する、打ちひしがれた魂の錬金術ほど魅惑的なものはない。

 58
 知っていること、知らないことよりも、われわれが知ろうとしないことのほうが、はるかに重要である。男女を問わず、その人がある考えに対してなぜ鈍感なのかを探ることによって、われわれは、しばしばその人の本質を解明する鍵を手に入れることができる。

 63
 非妥協的な態度というものは、強い確信よりもむしろ確信のなさの表れである。つまり、冷酷無情な態度は外からの攻撃よりも、自身の内面にある疑念に向けられているのだ。

 70
 われわれは自分自身に嘘をつくとき、最も声高に嘘をつく。

 91
 弱者が自らの強さを印象づけようとするとき、邪悪なことをなしうることを意味深長にほめのかす。邪悪さが弱者を魅了するのは、それが多くの場合、権力意識の獲得を約束するからである。

 123
 親切な行為を動機によって判断しても無駄である。親切はそれ自体、ひとつの動機となりうる。われわれは親切であることで、親切にされている。

 128
 われわれはよく知らないものほど、容易に信じてしまう。自分自身について知るところが最も少ないがゆえに、われわれは自分について言われることを、すべて容易に信じ込みやすい。ここからお世辞と中傷の双方に神秘的な力が生じる。

 132
 他人と分かちあうことをしぶる魂は、概して、それ自体、多くをもっていない。ここでも、けちくささは魂の貧困さを示す兆候である。

 176
 自由を測る基本的な試金石となるのは、おそらく何かをする自由よりも、何かをしない自由である。全体主義体制の確立を阻むのは、差し控え、身を引き、やめる自由であうr。絶えず行動せずにはいられない者は、活発な全体主義体制下に置かれようとも不自由さを感じないだろう。実際、ヒトラーは説教によって将軍、技術者、科学者を掌握したわけではない。彼らが望む以上のものを与え、限界に挑戦するよう奨励して、彼らの支持を勝ちとったのだ。

 178
 他者への没頭は、それが支援であれ妨害であれ、愛情であれ憎悪であれ、つまるところ自分からの逃避の一手段である。奇妙なことに、他者との競争--他人に先んじようとする息もつがせぬ競争は、基本的に自己からの逃走なのである。

 202
 われわれはおそらく自分を支持してくれる者より、自分が支持する者により大きな愛情を抱くだろう。われわれにとっては、自己利益よりも虚栄心のほうがはるかに重要なのだ。

 206
 死は、それが1ヵ月後であろうと1週間後であろうと、たとえ1日後であろうと、明日でないかぎり、恐怖をもたらさない。なぜなら、死の恐怖とはただひとつ、明日がないということだからだ。

 212
 謙遜とは、プライドの放棄ではなく、別のプライドによる置き換えにすぎない。

 217
 われわれが最も大きな仮面を必要とするのは、内面に息づく邪悪さや醜悪さを隠すためではなく、内面の空虚さを隠すためである。存在しないものほど、隠しづらいものはない。

 231
 「何者かでありつづけている」ことへの不安から、何者にもなれない人たちがいる。

 233
 平衡感覚がなければ、よい趣味も、真の知性も、おそらく道徳的誠実さもありえない。

 234
 他人を見て何をすべきかを知る者もいれば、何をすべきでないかを知る者もいる。

 235
 人生の秘訣で最善のものは、優雅に年をとる方法を知ることである。

 243
 われわれは一緒に憎むことによっても、一緒に憎まれることによっても結束する。

 260
 プロパガンダが人をだますことはない。人が自分をだますのを助けるだけである。

 275
 他人を愛する最大の理由は、彼らがまだわれわれを愛しているということである。

 280
 幸福を探し求めることは、不幸の主要な原因のひとつである。

【出典】エリック・ホッファー(中本嘉彦訳)『魂の錬金術 -全アフォリズム集-』(作品社、2003)