語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【原発】「子どもたちを放射能から守るネットワーク」代表に聞く

2013年02月28日 | 震災・原発事故
 「週刊金曜日」2013年2月22日号の原発事故関連記事。

●情報隠蔽の東電は国有化を ~国会事故調に虚偽説明、すでに3兆円超の税金投入決定~ 【木野龍逸・ジャーナリスト】
 東電が国会事故調に虚偽説明していた問題で、2月12日に参考人招致された廣瀬直己・東電社長は「とうぜん社長が関与すべき問題」で、当時の勝俣恒久・会長や西澤俊夫・社長が決裁していたか否か調査する、と答弁した。
 しかし、東電の調査は遅々として進んでいない。第三者による健勝委員会を設置したが、結論をいつ出すかを明確にしていない。
 情報は、いまだに東電が独占し、東電が収拾して、都合のいいものだけを公表することが続いている。すでに3兆円超の税金投入が決まっているにもかかわらず。
 このまま東電が存続すれば、東電の言いなりに税金を注ぎ込むことになりかねない。
 今すぐ東電に情報公開を義務づける法律をつくるか、東電を完全に国有化する必要があるのではないか。

●福島からの声 【落合恵子】
 2月13日、福島第一原発事故の放射能の影響を調査する県民健康管理調査検討委員会の発表があり、報道された。
 震災当時18歳以下だった2人が新たに甲状腺癌と診断され、昨年9月に半径した1人と合わせて3人。ほかにも、7人に甲状腺癌の疑いがある、という記事もある。
 福島県立医科大学教授の言葉が気になる。今回の発表は、震災当時18歳以下だった18万人のうちの3万8千人の検査結果であり、そのうち判明した3人、あるいは疑いの7人も含めれば、通常子どもの甲状腺癌は100万人に1人という通説をはるかに越える発症率となる。
 チェルノブイリでも甲状腺癌が見つかったのは最短で4年後という委員もいるが、もろもろの資料や専門家の研究では、事故から1年後にはすでにベラルーシの子どもに甲状腺癌が発生している。
 甲状腺癌は、福島の子どもたちの健康被害の「ひとつ」にすぎない。他の健康被害もあり得る。 

●こわされた「日常」を取り戻したい ~「子どもたちを放射能から守るネットワーク」代表 佐藤幸子さんに聞く~ 【まとめ:渡辺妙子(編集部)】
 福島では今、医療への不信がすさまじい。特に 県民健康管理調査での、甲状腺検査について、福島県の、保護者への対応があまりにも誠意がない。「子どもたちを放射能から守るネットワーク(子ども福島ネット)」の2年目の活動のなかでも重要なものとなった。
 エコー検査の画像データを見せない。結果は「A1」「A2」など判定が書かれた紙が来るだけ。「A2の人の再検査は2年後でいい」と言われても、親としては納得できない。
 自分の子どものデータがほしくても、「個人情報だから出せない。個人情報開示請求をしろ」と言われてしまう。
 再検査したくて医療機関に行っても、山下俊一から「二次検査をしなくてもいい、と説明してくれ」と連絡がいっているから、医師は「再検査しなくてもいい」と言うしかない。つまり、親の受診申込みを断るのだ。
 二次検査は、阻止しているわけではないが、自費でどうぞ、と言っている。
 説明会はやっているが、これがまたひどい。「嚢胞はたくさんあっても問題ない」「結節は今の時点で悪性に変わるようなものではない」と断言する。断言するから、かえって不安が増す。一人一人への説明はなく、「甲状腺以外の質問は受け付けない」と拒否する。訊きたいのは、甲状腺のことだけではなく、子どもの体の状態をトータルで訊きたいのだ、当然。

□「週刊金曜日」2013年2月22日号
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【本】アカデミー賞 ~オスカーをめぐるエピソード~

2013年02月27日 | ノンフィクション
 (1)今季のアカデミー主演男優賞は、『リンカーン』のダニエル・マイケル・ブレイク・デイ=ルイスが受賞した。朝日紙によれば、<同賞受賞は3度目で、史上最多となる>【注】。
 しかし、これは主演男優賞について言えることだ。
 主演女優賞を4回受賞した女優がいる。『勝利の朝』『招かれざる客』『冬のライオン』『黄昏』で受賞したキャサリーン・ヘップバーンだ。
 このうち、『招かれざる客』以下の3本は60歳を過ぎてからの受賞だ。
 キャサリーンの凄いところは、受賞回数だけではない。
 生涯を通じて、なんと12回もノミネートされているが、一度も授賞式に出席していない。「大勢の人間の集まるところに行くのは嫌だから」だ。そもそもハリウッド・ライフが嫌いで、生活の本拠はニューヨークやコネティカット州だった。スカートを一切はかず、毛皮や宝石にも興味がなかった。パーティに出なかったし、インタビューもほとんど受けなかった。
 その彼女がただ一度、長年の友人であるプロデューサー、ローレンス・ワインガーテンが半世紀にわたる映画界への功績によって1973年度のアーヴィング・タールバーグ賞が授与される際、プレゼンターとして出席した。自分の受賞のときではなく、他人の受賞のときに姿をあらわしたのは、彼女らしい。初めて授賞式に姿を見せたケイトに対し、会場を埋め尽くしたスターたちは総立ちのスンタンディング・オヴェイションで敬意を表した、という。そして、「よかったわ。『今ごろのこのこやってきて!』と言われなくて」と短くスピーチし、タールバーグ賞を旧友に渡してプレゼンターの役割を終えると、さっと裏口から姿を消し、リムジンに乗り込んだ。会場での“滞在時間”は15分だった。

 (2)川本三郎『アカデミー賞』には、こうしたエピソードが満載されている。
 映画好きには、こたえられない本だ。

 (3)米国映画界のエピソードを通じて浮かび上がってくるのは、米国の大衆社会だ。
 一方では、作品の質や演技の質ではなく、映画会社のお偉方の意向で受賞対象がカネの権力がある。
 あるいは、病気による同情票がオスカーの行方を左右する付和雷同性さもある。<例>主演女優賞を受賞したエリザベステーラー、『バタフィールド8』。
 他方、大衆の健全さも示される。「オスカー・ハンター」による金にあかせた宣伝になびかず、事前運動をほとんど行わなかったウォーレン・ビューティ(『レッズ』)を監督賞に選んだ良識がある。
 あるいは、マッカーシーによりパージされたドルトン・トランボが、筆名で『黒い牡牛』や『ローマの休日』で脚本賞を獲得した。誰が書いたかはカッコにくくったうえで、作品そのもので評価する良きアメリカがそこにある。

 (4)「名スピーチ」と題される末尾の章がおもしろい。
 『キャット・バルー』(1965年)の殺し屋と飲んだくれのガンマンの二役で主演男優賞を受賞したリー・マーヴィンは、「この賞の半分はあいつ(馬)のものだ」と語った。
 『カッコーの巣の上で』(1975年)の冷酷な、憎々しいばかりの看護師役で主演女優賞を受賞したルイーズ・フレッチャーは、「受賞できたのはみなさんが私のことを憎んで下さったからです。憎まれるのって大好き」と言った。ルイーズは、このとき「両親に感謝する」というスピーチをアラバマ州の自宅でテレビを見ている聴覚障害者の両親に手話を交えて行い、会場の喝采を受けた。
 『愛は静けさの中に』(1986年)で主演女優賞を受賞したマーリー・マトリンも聴覚障害者で、手話で受賞スピーチした。

 【注】記事「アカデミー作品賞に「アルゴ」 監督賞にはアン・リー」(2013年2月25日付け朝日新聞)

□川本三郎『アカデミー賞 ~オスカーをめぐる26のエピソード~』(中公新書、1990。後に『アカデミー賞 ~オスカーをめぐるエピソード~』、中公文庫、2004.2)
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【本】藤沢周平「用心棒日月抄」シリーズ ~解説~

2013年02月26日 | 小説・戯曲
 (1)文庫本のメリットは3つある。
  (a)安い。コーヒー1杯より高いが、煙草2箱より安い。
  (b)軽い。寝ころんで読める。
  (c)解説が付いている。

 (2)新潮文庫版の用心棒日月抄シリーズの解説者は次のとおり。
  (a)『用心棒日月抄』・・・・尾崎秀樹
  (b)『孤剣 ~用心棒日月抄~』・・・・向井敏(副題は「藤沢周平の文体」)
  (c)『刺客 ~用心棒日月抄~』・・・・常磐新平
  (d)『凶刃 ~用心棒日月抄~』・・・・川本三郎(副題は「ふたつの世界を生きる又三郎」)  

 (3)(2)-(a) 要旨
  デビュー作『溟い海』から第二作品集『又蔵の火』、これらの短編(集)から長編の『檻車墨河を渡る』(後に『雲奔る 小説・雲井龍雄』と改題)、『義民が駆ける』は、文体は精緻、たしかな職人芸、作者の(風土が培った部分が多分にある)暗い情念の基づく負のロマンだ。『回天の門』もその系譜に位置づけられる。
 俗人的要素を多分にふくむ一茶の心情をあたたかい視線でとらえた『一茶』、また、『用心棒日月抄』をまとめた頃から、それまでとはうって変わった境地を示しはじめる。
 後者は、脱藩浪人の又八郎・青江又八郎の生活をとおして、赤穂事件の経過を語る。赤穂事件異聞を構成する話の間に、刺客との対決や用心棒としての剣戟があり、その結果、いくつかの事件を解決する捕物帖的な味わいもはらむ。同じ用心棒である細谷源太夫や口入れ屋の吉蔵、又八郎をとりまく市井の風俗や人情も挿入され、そういった生活臭がただよっている点もこの作品の特長だ。用心棒といっても、生活のためやむなく剣の腕を役立てているものの、ごく正常な感覚の持ち主として描かれているのも、好感をもって読める。

 (3)(2)-(b) 要旨
 時代小説には、それも剣客小説の場合には、目鼻立ちがくっきりして、きりりと引きしまった、切れのいい文体が似合う。数ある剣客小説作家のなかでも、そうした切れ味のよさをとりわけ堪能させてくれるのが、ほからならぬ藤沢周平だ。
 藤沢が『暗殺の年輪』で直木賞を受賞した(1973年)のは43歳のときだが、当時すでに技量熟し、自分の文体を完成させていた。
 『暗殺の年輪』に続いて発表した「ただ一撃」にみられるように、よくバネがきいて、しかも端正。練達の剣客が鞘を払って青眼に構える、その呼吸を思わせ文章だ。剣客であるがゆえに持たざるを得ない暗い宿命がテーマになっているが、きびしく張りつめた文体はこのテーマと分かちがたく結びついていたにちがいない。
 しかしやがて、藤沢はそこから一歩踏みだし、肩の力を抜くとでもいうか、もっとのびやかで柔軟な描法を工夫しはじめる。スキのない張りつめた文体にばかり執していたのではかえって作品を痩せさせることになりはしまいか、ひょっとしてそんな危惧を感じていたのかも知れず、あるいは逆に、暗い情念を追うことからの脱却を志して、それに見合う描法をさぐっていたのかも知れない。いずれにせよ、その試みは、(a)以下の用心棒シリーズで実を結ぶことになる。
 (a)の第一編、浪人暮らしとはじめたばかりの又八郎と、劫経た口入れ屋の相模屋吉蔵、それにがさつだが憎めない古浪人細谷源太夫との出会いの場面、簡にして要を得、シリーズの導入部とじて申し分ないが、何にもまして印象的なのは、さりげなく刷き込まれたユーモアの味だ。じつにうまい。用心棒シリーズの成功は、これでもう保証されたようなものだ。
 こうしたユーモアのきかせ方は、デビュー当時のあの青眼に構えた描法からは予想しにくいものだったが、それだけではない。総じて剣客小説というジャンルではなじみの薄い質のものだった。それまでの剣客小説にユーモラスな作品がなかったわけではなく、例えば山手樹一郎は時代短編でその方面の佳作をいくつも残しているが、多くは作品のねらいがユーモアにあって、構成も語法もそのねらいを生かすために工夫されたといった趣きが濃い。それに対して、用心棒シリーズの場合は、作品全体の組み立てはあくまでシリアス、個々の描写のうえでユーモアのスパイスがきかされているのであって、山手の初期の好短編『うぐいす侍』をユーモア時代小説と称するようには、このシリーズをユーモア剣客小説と呼ぶわけにはいかない。
 こうしたユーモアの効果を生む描法を縦横に駆使することにより、用心棒シリーズは端正でありつつ軽快、緊張を秘めつつのびやかという、まれな美質を得ることになる。読者の側からいえば、剣客小説特有の緊迫感にひたされつつ、同時に心のほぐれる思いを味わうという、そうざらにない贅沢を楽しませてもらえることになったわけだ。

 (3)(2)-(c) 要旨
 藤沢文学の読みどころは、男と女の哀切な関係だ。用心棒シリーズの魅力の一つは、佐知という女にある。
 稼業が用心棒だから、又八郎の住む世界は殺伐として、はなはだ物騒だが、しかしなぜかほのかに明るくロマンチックだ。又八郎の存在そのもおが周囲を明るくしている。名うての剣の使い手から書類を奪うという密命を帯びながらも、又八郎は風来坊のように気ままに生きている。その又八郎に、佐知が影のように寄り添っている。
 又八郎と佐知は似合いの男女だが、どちらもおそろしくストイックだ。そこにこの物語のすがすがしさがある。佐知は江戸時代のキャリア・ウーマンだが、可憐であり、その可憐なところを失わず、読み進むにしたがって、いっそう可憐になっていく。それで、読者はますます佐知に惹かれるのだ。
 藤沢の初期の小説は、時代小説という物語の形をとった私小説だった。しかし、人に読まれるということをはっきり意識するようになったとき、小説にごく自然にユーモアの要素がはいりこんできた。このユーモアの要素を意識的にとりいれたのが、用心棒シリーズだった。
 又八郎は藤沢と同じく鬱屈しているが、小説を書き始めたころの藤沢ほどではない。又八郎には藩に対する恨みがある。それが鬱屈となっているが、(2)-(c)ではその鬱屈から又八郎がしだいに解放されていくのがわかる。又八郎は、男として成長していくのだ。(2)-(a)のころと、(2)-(c)の又八郎は明らかにちがっている。

 (3)(2)-(d) 要旨
 (2)-(a)~(c)は短編連作だったが、(d)は長編の形をとっている。のみならず、前三作と趣きをがらりと変えている。(a)から20年近く、(c)から16年の歳月が流れ、又八郎は40代のなかば。この時代、40代のなかばといえばそろそろ老いに入りはじめている。人生の秋を意識しはじめ、その寂寥感が本書の「隠し味」になっている。腹も出ている。とはいえ、身体はまだ昔の剣技を覚えていて、危難にあたっては思うより先に体が動く。
 周辺の人々にも確実に時が刻まれている。妻の由亀もあと2、3年で40歳になる。かつての用心棒仲間の細谷源太夫は5年前に職場で我を張り、禄を離れ、酒毒におかされていた。絶望したその妻は狂死していた。相模屋は依然として口入れ屋を営むものの干し柿のような顔貌になり、その無口だった娘は婿をむかえてから多弁なおかみに変貌した。
 もはやあの野放図な浪人暮らしは戻ってこない、という青春の終わりが確認される。
 変わらぬのは佐知の又八郎に対する思いだけだが、彼女にも寂寥感がしのび寄っている。歳月のうちに任務遂行中に殺めた敵、死なせてしまった手下に対する思いが非情さを薄れさせた。彼女は仏門に入る決意をする。
 又八郎は二つの世界を生きる両義的存在だ。北国小藩の藩士としての顔と、脱藩して江戸に出た素浪人としての顔だ。組織人と自由人の二つの顔を併せて持つところが、又八郎の面白さだ。前者はインサイダーであり、生活は保障されているけれども組織の一員としてしがらみに縛られる。後者はアウトサイダーであり、自由を楽しむことはできるけれども赤貧と背中あわせの市井人である。又八郎は、<藩と江戸、地方と中心、組織人と自由人、武士社会と市井、あるいは死闘に次ぐ死闘の非日常と、小春日のような長屋の日常>を往復している。
 常に抗争、暗闘を繰り返す藩内政治に比べると、市井の暮しのほうがはるかに無垢で清潔、策謀を仕掛けてくる権力者よりも裏長屋に住む汚れた私娼のほうがはるかにけなげで可憐、されば裏長屋暮しの頃には又八郎は晴ればれとした顔つきをしていた。
 この両義性は、時代小説における武家ものと市井ものに対応している。両方の名手である藤沢は、用心棒シリーズにおいて、武家ものと市井ものの両方を盛り込んだ。

□藤沢周平『用心棒日月抄』(新潮文庫、1981。2002年改版)
□藤沢周平『孤剣 ~用心棒日月抄~』(新潮文庫、1984。2003改版)
□藤沢周平『刺客 ~用心棒日月抄~』(新潮文庫、1987。2004改版)
□藤沢周平『凶刃 ~用心棒日月抄~』(新潮文庫、1994。2004改版)
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【食】中国産薬漬け・病気鶏肉を輸入する日本マクドナルド・その後

2013年02月25日 | 社会
 (1)食の安全・監視委員会は、日本マクドナルドに対して、中国病気鶏肉の輸入疑惑について質問書を送付した【注】。

 (2)同社は、次のように回答した。
   (a)問題の河南大用(ダーヨン)食品グループの鶏肉は、間接ながら、一部、日本マクドナルドに入っている。
   (b)ただし、「自社でグローバル基準を持ち、農場から店舗に至るまで一貫した品質及び衛生管理に取り組んでおり、大用食品グループにも基準の遵守を要求しており、定期的な監督も行われている」(と日本マクドナルドは主張する)。
   (c)しかし、誰が監督しているかについては、「現地の別の業者が監視している」のであって、日本マクドナルドが監視しているわけではない。
   (d)今回、中国の現地報道で、衛生管理違反を疑わせる報道が出たが、「現地行政機関の調査で違反はなかった」(あくまで日本マクドナルドの回答、念のため)。

 (3)(2)-(d)の「違反がない」ことを確認した証拠を食の安全・監視委員会は、日本マクドナルドに対して求めたが、回答はなかった。
 委員会は、再質問する予定だ。

 【注】「【食】中国産薬漬け・病気鶏肉を輸入する日本マクドナルド

□植田武智「中国産病気肉疑惑 マクドナルドから回答」(「週刊金曜日」2013年2月22日号)
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【本】和田誠の俳句(2) ~半自伝『五・七・五交遊録』~

2013年02月24日 | 詩歌
 和田誠が、俳句とそれに関わる交遊を通して、半生を振り返ったのが『五・七・五交遊録』。
 3部に分かたれる。

 (1)初めて作った6歳の句から、「我等が親戚句会」を通してみる両親や親戚、高校生時代の替え歌やパロディ、戦争で死と背中合わせの体験をした高校教師の魅力ある人間像、美大をへて就職後「話の特集」編集に加わるいきさつ、「話の特集句会」の発足と句会がらみで交遊した芸能人や芸術家たちの個性・・・・。

 (2)交遊した一人一人に捧げる挨拶句とともに、それぞれの思い出を語る。
 例えば、変哲小沢昭一に「ハモニカを吹く人の背や春茜」を捧げ、小沢変哲の本格的でいて時に諧謔味のある句「一芸で渡る金歯や濁酒」などを紹介しつつ、悼む。
 あるいは、眠女岸田今日子に「眠る人なほ眠らせし罌粟畑」を捧げ、童話が好きで童話ふうの句「妖怪のふりして並ぶ冬木立」「狼に出遭ひし森よ菫咲く」を紹介し、脳腫瘍で逝去したこの女優を惜しむ。

 (3)映画と俳句・・・・「海賊の旗の上なり星流る」。映画「真夜中まで」のロケ地で詠んだ句(「灰色の東京全図五月雨るる」)もあれば、白井佳夫・映画評論家に宛てた句もある(「あれがかの祗園太鼓よ宵祭」)。
 歌と俳句・・・・「隊商の天幕照らす星月夜」(Night and stars above that shine so bright./The mys'try of their fading light that shines upon our caravan.)
 Ⅲ部でもっとも興味深いのは、岳父の平野威馬雄の思い出と、その平野の句だ。思い出は、平野が戦後まもないころ、進駐軍の米兵と日本女性の間に生まれた「ハーフ」の面倒をよくみたこと、最晩年に娘の平野レミ(和田の妻)に外人墓地に入りたいと漏らし、平野威馬雄没後、彼の詩集にその希望を述べた詩句を発見したレミが奔走し、「遺言」が実現したこと。
 平野威馬雄は俳人でもあり、青栄居と号した。「初凪や一点徐々に鳥となる」「短日や石をオモリの置手紙」などを和田は本書に引く。

 要するに、和田にとって、俳句は孤高の芸術ではなかった。むしろ、人と交遊する際に潤滑油になるようなサムシングだった。だから、句会で席題を示されて想像し、創造したフィクションが多いし、その人をあらわす贈答句も多い。
 潤滑油は、父との関係においても働く。

   餅切るや父が得意の目分量
   戒名を拒否せし父に夏花(げばな)摘む

 前句はありのまま。後句はフィクション。和田の俳句は、虚実とりまぜ、しかも虚において却って人物像をよく彷彿させる佳句を紡ぎだす。さながら、その独特の似顔絵のように。だから、その俳句作品は、そしてかかる俳人の交友録は、読んで楽しい。

□和田誠『五・七・五交遊録』(白水社、2011.5)

 【参考】
【本】和田誠の俳句(1) ~『白い嘘』~
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【本】和田誠の俳句(1) ~『白い嘘』~

2013年02月23日 | 詩歌
 (1)イラスト、似顔絵、装丁、映画、作曲などに手を染める多芸多才な和田誠は、俳人でもある。
 その句集『白い嘘』(梧葉出版、2002)は、現在入手しがたい。本体2,000円(税別)の本が、アマゾンに8,799円もの高価格で出品されている。
 復刊ドッコムのリストに名を連ねているが、復刊されるのはまだ先だろう。
 したがって、当面は引用された句から句集『白い嘘』の雰囲気を察するしかない。

 (2)大岡信は、「折々のうた」2002年5月1日から2003年4月30日までの1年間に、和田を2回選んでいる。
 岩波新書の『折々のうた』『新折々のうた』は、四季別に編集されているから、朝日紙に掲載された時期はわからない。しかし、本文からすると、最初に採られた句は、次のものらしい。

   食欲を振り捨てて蛇穴に入る

 評語にいわく、「白い嘘」はホワイト・ライ(英語でいう「他愛もない嘘」)から借りたもの(和田自身の弁)。<「ことば」が好きなのである。さまざまなイメージを喚起させる言葉の力が。これは嘘ではありません。>と後記から引く。さらに数句を引いて、「真に迫る面白さ」と評している。

   ムー大陸行きの切符や四月馬鹿
   竹光を抜けば黴散る舞台かな
   佃煮の蝗食ふ人食はぬ人

 「折々のうた」が採るもう一句は、

   花の名でしりとりをせむ苗木市

 この句も、<いかにも白い嘘の感じ。が、少し大規模な苗木市だったら、まさに句のような楽しい情景が目の前に拡がりそうだ>。
 <軽やかさにおいて現代俳句界に異色の伸びやかさを持つ>というのが、句集『白い嘘』に対する大岡信の総評だ。

 (3)なお、「折々のうた」がとりあげていない『白い嘘』作品で、ネットで散見されるものに次のようなものがある。

   パレス座の跡の空地や母子草
   少女の日の君を立たせよ青芒
   冬の月天動説を疑はず 【注1】

   春光や家なき人も物を干す
   人形も腹話術師も春の風邪 【注2】

   風車草の匂ひの幼年期
   蛍籠覗けば近 し天の底
   ハンカチに海のかけらをくるみけり
   昭和色した卓袱台や菜飯食ふ
   秋茄子をデニムの膝で磨きけり 【注3】

   ひもとけば句集の余白に秋来る 【注4】

 【注1】以上、梧葉出版による広告「近刊 和田誠第一句集『白い嘘』」。
 【注2】以上、検索エンジン「増殖する俳句歳時記」。
 【注3】以上、「読前読後]句集ふたつ」。
 【注4】以上、「[読前読後]和田誠さんと俳句」。

□大岡信『新折々のうた7』(岩波新書、2003)
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【医療】人間の威厳について ~安楽死~

2013年02月22日 | 医療・保健・福祉・介護
 (1)1969年、イギリス国会で安楽死法案が否決された。否決されたが、賛成者が40パーセントもあった。

 (2)この法案に対して、イギリスの医師会は特別なパネルディスカッションをひらき、安楽死法に否定的な結論をだした。
 その報告の要点は、苦痛はやわらげられるし、患者はほんとうは死を望んでいない。新しく発見される治療法による治療のチャンスを奪うべきでない。医師が殺人をおこなうと、医師対患者の信頼関係がくずれる、といったもの。

 (3)この報告に対し、患者の立場から、安楽死協会が回答した。
 回答は、医師会が人間の自己決定権を問題にしていないことをきびしく追求した。
 苦痛をすべて医師がとり除いてくれるわけではなく、現実に苦しみを引き延ばされている患者がいる以上、それが少数であるにしても、少数者の自己決定権はまもられるべきだ。孤独、知的退行、失禁の老人が安楽死をのぞむとき、社会福祉の拡大の約束を理由に、その意思を無視してよいか。また、医師会の報告は自殺を精神病としてとりあつかうべきだというが、健全な人間が熟慮して自分の生を決定するために死をえらぶことはある、うんぬん。

 (4)<たしかに、いまの病院ではガンの末期患者はかならずしも無痛で生をおわっているわけではない。鎮痛の注射も常習性への危惧と、他の副作用への配慮から、十分にあたえられてはいない。それよりも、もっと次元のひくい問題で患者は苦しんでいる。看護婦がたりないので、苦痛をうったえても、すぐにはかけつけてくれない。注射にしても、看護婦の勤務にあわせて回数がきめられる。とてもたすかるまいと思うのにむりをして点滴をくりかえしている。これを知っている患者の身内は、だから、安楽死をねがうのだ。>
 松田道雄はこう書いて、続ける。<日本の現実は、さらにひどい。場合によっては、近代的延命が、そのまま病院の営利につながる。>
 そして、著者の友人の例をひく。意識がうすれた状態で、なおも点滴をいやがる友人の姿をみて、<学者としての彼を知っている私には気の毒に思えた。人間はもっと威厳をたもって死んでいい。>

 (5)以上は、安楽死法案をめぐる医者と患者の立場の相違をしめすが、安楽死は、医者と患者とのあいだだけの問題ではない。
 重症心身障害児・者【注】の側から、はげしい抵抗がある。
 安楽死是認の論理には、世界は人口過剰、社会維持のため見こみなき延命は問題、といった理屈がはいっている。しかし、それは「強者の論理」である。
 <弱者の論理」はそうではない。人間は生きているかぎり、「質」と無関係に生きる権利をもっている。「弱者の論理」は個人の論理であって、人類の論理でもなければ、階級の論理でもない。「弱者の論理」は人間を考えるが、地球という物質は考えない。「どんな社会になっても強者でないものの立場をつらぬくしか、個人は安全でない。>

 (6)<地球の資源の有効利用というところから出発した安楽死推進は、やがて社会福祉の費用さえ、地球の資源をはやく消費するムダなものというところに、論理的にいきつくだろう。>
 では、社会福祉をすすめることで、地球資源がはやくなくなったらどうするか。
 <個人が威厳をもって死ぬことを選択できるように、人類も弱者をまもりながら威厳をたもって滅亡することができよう。>

 (7)安楽死法制化に対する著者の考えをまとめると、<病院の経営と機構が巨大化し、医者と患者との関係が間化してきたことが、非人間的な治療をもたらしているのだから、治療における人間性の回復がさきであると思う。いまの病院の治療の非人間性をそのままにしておいて安楽死を制度化することは、安楽死さえ営業化される危険がある。>

 【注】重症心身障害児・者は、重度の身体障害と重度の知的障害を併せもつもの。

□松田道雄「安楽死と弱者の論理」(『人間の威厳について』、筑摩書房、1975、所収)

  *

 松田道雄(1908-1998)は、小児科の町医者、評論家。ベストセラー『育児の百科』(岩波文庫)、『革命と市民的自由』ほか著書多数。
 上に引いた松田の論考は、インフォームド・コンセントのかけらもなかった時期に発表されたものだが、彼が指摘する問題点は今も生きていると思う。医療においては、医療を施す側の論理が前面に出てきやすいが、医療を受ける側=患者には患者の論理がある。安楽死の問題においてはことに「弱者」の立場をどう保障するかが鋭く問われる。
 松田には、安楽死について他に次の2冊がある。『安楽死』(岩波ブックレット 1983) 、『安楽に死にたい』(岩波書店、1997)だ。

 【参考】
書評:『医師はなぜ安楽死に手を貸すか』
【医療】尊厳死法は必要か(1) ~終末期医療~
【医療】尊厳死法は必要か(2) ~尊厳死法~
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【医療】尊厳死法は必要か(2) ~尊厳死法~

2013年02月21日 | 医療・保健・福祉・介護
 (6)尊厳死法案によれば、終末期は
   ①患者が傷病について行い得るすべての適切な医療上の措置を受けた場合であっても、回復の可能性がなく、
   ②かつ、死期が間近であると判定された状態で、
   ③さらに、必要な知識および経験を有する2人以上の医師が一般に認められている医学的知見に基づいて判断する、その判断の一致
によって判定される。
 問題は、どんな経験を積んだ医師でも、終末期を正確に予想できるのは癌患者のみで、他の疾病における終末期の診断や判定は非常に難しいことだ。医学的に統一された見解が確立していないから、運用する人間の解釈で、どのようにも変わってしまう危険性がある。

 (7)厚生労働省は「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」(2007年)によって、終末期医療のあり方を示した。
  (a)十分な情報と説明を得た患者本人によって決定するのが基本。
  (b)終末期医療における医療行為の開始・不開始、医療内容の変更、医療行為の中止等は、多専門職種と適切性を基に慎重に判断。
  (c)疼痛や不快症状を十分に緩和し、患者・家族の精神的・社会的な援助も含めた総合的な医療・ケアが必要。
  (d)積極的安楽死((1)-(a))は認めない。

 (8)その後、医療機関・学会(日本医師会、日本学術会議、全日本病院協会、日本救急医学会、日本集中治療医学会など)からも終末期医療に係るガイドラインが発表された。
 日本老年医学会「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン」(2012年6月)では、
  (a)人工的水分・栄養補給法(胃ろうなど)の導入、減量、中止の指針。
  (b)本人の表明された意思ないし意思の推定のみに依拠する決定は危険(指摘)。
  (c)本人にとって最善を核としつつ、これに加えて家族の負担や本人に対する思いなど(本人の利益)も考慮。
  (d)生命維持につながる医学的介入の差し控えおよび中止については、法的な定めより、現在の社会的通念と専門家たちの知見によって決まるもの。ガイドライン等で明確化するのが相相応しい。

 (9)元気な解きに延命拒否を表明した人も、実際に死を直前にして意思が変わることもある。リビング・ウィルだけですべてを判断するのは危険だ。【小田政利・TILベンチレーターネットワーク呼ネット代表】
 尊厳死は必要だ。しかし、尊厳死に関する法律は、政治家が多数決で決めるべきものではなく、医師や有識者、それに国民全員が問題点を認識したうえで議論し、個々の状況や症状、本人や家族の考え方をひとつひとつ丁寧に考慮して決めるべきもの。国民が知らない間に尊厳死法案が採決されるならば、ある意味で殺人に近いかも。【楠本成周・障害児父兄】

 (10)今のところ、尊厳死法制化に賛成する宗教団体はない。
  (a)カソリック教会・・・・①直接的な安楽死は認められない。②過度の延命措置の拒否は許される。③通常の看護の差し控えは許されないが、末期患者への緩和ケア、ターミナル・ケアは積極的に勧められる。④末期患者への栄養・水分補給は原則的には義務である。なお、持続的植物状態の患者にも、人工的手段であっても水分と栄養の供給は必要だ。  
  (b)曹洞宗・・・・過去の教典や祖師の言葉に依拠して、現代固有の問題を論じるのは容易すぎる。人間の価値観をいつも相対化し、冷静に眺め、その先にどのような苦悩と葛藤が待ち受けるかを、今一度立ち止まって考えるのが仏教の視点。リビング・ウィルについては、まだ0.1%しか行われていない理由にこそ深く思いをいたすべきで、純粋な「自己決定」などというものが成立するか、どうか。
  (c)稲葉剛・NPO法人自立生活センター「もやいの」代表・・・・高齢者や貧困層の人々は、周りの人に迷惑をかけたくないという意識が強く、このような状況では自由に自分の意思を表明できない。周りの無言の圧力を受けて「自己決定」させられる。この法案が社会保障費削減など社会的弱者の切り捨てに繋がるのではないか(懸念)。

 (11)日本尊厳死協会が会員の遺族に対する毎年のアンケートによれば、リビング・ウィルが最後の医療に生かされた、という回答が9割を占める。尊厳死はすでに社会的に容認されている。法制化を急ぐ理由はない。 
 誰のための、何のための法制化なのかを尊厳死議連は有権者に説明する責任がある。国民全体の議論を抜きに、尊厳死法案が上程されることがあってはならない。

□吉田敬三(フォトジャーナリスト/社会福祉士)「尊厳死法は必要か ~終末期医療を考える~」(「週刊金曜日」2013年2月15日号)
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【医療】尊厳死法は必要か(1) ~終末期医療~

2013年02月20日 | 医療・保健・福祉・介護
 (1)「尊厳死」という造語は、まだその概念が定着していない。安楽死と重なるが、それと同一ではない。
 安楽死は次の3つに分類され【(4)-(a)に係る横浜地方裁判所の判例】、(c)が尊厳死とされる。
  (a)苦痛から免れさせるため意図的かつ積極的に死を招く措置を執る積極的安楽死。
  (b)苦痛を除去・緩和するための措置をとるが、同時に死を早める可能性が存ずる間接的安楽死。
  (c)苦痛を長引かせないという目的のため、行われていた延命治療を中止して死期を早める消極的安楽死。

 (2)2012年、「終末期の医療においける患者の意思の尊重に関する法律案(尊厳死法案)」が、尊厳死法制化を考える議員連盟(尊厳死議連、増子輝彦(参議院議員)・会長、あべ俊子(衆議院議員)・事務局長)によって国会に上程されようとした。ただし、政局の混乱で棚上げにされたままだ。
 同法案は、15歳以上の終末期の患者が延命措置を望まないと書面で表明しており、2人以上の医師が終末期と判定すると、延命の不開始や中止を認める内容だ。
 日本尊厳死協会(岩尾總一郎・理事長)は、尊厳死法案を積極的に支持している。

 (3)医師の間では、尊厳死法制化について意見が分かれている。
  (a)望まれない延命治療が行われているのは事実。延命治療は患者を苦しめているだけではないか(疑問)。海外では一般的なリビング・ウィルの権利が、日本では法的に保障されていない。尊厳死法案はまだ完璧なものではないにせよ、国民的議論のきっかけになればよい。【長尾和宏・医師(長尾クリニック)】
  (b)尊厳死法案は死だけを見つめる不十分な法案。終末期医療に必要なのは緩和ケアの充実だ。日本では主に末期癌やエイズ患者にしか緩和ケア医療への診療報酬が認められていない。他の疾病にも拡大することが必要だ。患者と家族の希望に沿った医療を最優先に考え、望まない医療は一切やめて終末期には緩和ケアに専念している。食べられなくなっても点滴せず、胃ろうを造設しない場合もある。現状でも自然死(尊厳死)は可能だ。江東病院では、しっかりインフォームド・コンセントを得、病棟スタッフや緩和ケアチームが個々のケースでの考えを共有する。【仁科晴弘・医師(江東病院緩和ケアセンター)】

 (4)尊厳死がらみで医師が殺人容疑で書類送検された主な事件は、
  (a)東海大学医学部付属病院事件(1991年4月)・・・・(1)-(a) ⇒懲役2年、執行猶予2年 
  (b)関西電力病院事件(1995年2月)・・・・(1)-(a) ⇒不起訴処分
  (c)国保京北病院事件(1996年4月)・・・・(1)-(a) ⇒不起訴処分
  (d)川崎協同病院事件(1998年11月)・・・・(1)-(a) ⇒懲役1年6月、執行猶予3年
  (e)羽幌病院事件(2004年2月)・・・・(1)-(c) ⇒不起訴処分
  (f)射水市民病院事件(2000~05年)・・・・(1)-(c) ⇒不起訴処分
  (g)和歌山県立医科大学附属紀北分院事件(2006年2月)・・・・(1)-(c) ⇒不起訴処分
 以上において、塩化カリウムなど致死薬物を使用した積極的安楽死は有罪だが、人工呼吸器を外すなどの消極的安楽死はすべて不起訴処分となっている。ここでの争点は、延命措置の中止ではなかった。中止をするための要件が満たされているかどうか、だった。
 ちなみに、(a)の裁判において、安楽死の4要件が示されている。
   ①耐えがたい肉体的苦痛。
   ②死期の切迫。
   ③肉体的苦痛の除去、緩和のための他の代替的手段の不存在。
   ④患者の明示による意思表示。

 (5)2012年10月に封切られた映画『終の信託』(朔立木の同題の原作による)のモデルは、(4)-(d)だ。公開33日間で28万人が観た。
 事件は、担当医(55歳)が入院中の患者から気管内チューブを抜き、さらに筋弛緩剤を投与して殺人罪に問われた。最高裁は、法律上許される治療中止には当たらない、とした。
 尊厳死法案には、善意の医師が刑事訴追されないための免責条項が設けられたが、法制化によって、これまで現場で築いてきた医師と患者・家族との信頼関係が破綻する、との声もあがっている。 

□吉田敬三(フォトジャーナリスト/社会福祉士)「尊厳死法は必要か ~終末期医療を考える~」(「週刊金曜日」2013年2月15日号)
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【原発】福島原発事故に係る集団訴訟の現在 ~2013年2月~

2013年02月19日 | 震災・原発事故
 (1)検察当局の捜査が進んでいる。
 すでに福島第一原発の事故現場確認を終え、勝俣恒久・東電前会長、清水正孝・同元社長、武藤栄・同前副社長らを任意で事情聴取。
 事情聴取の対象は、斑目春樹・原子力安全委員会元委員長、双葉表院長、遺族まで及んでいる。

 (3)最近では、政府事故調が吉田昌郎・元福島第一原発所長を聴取した際に作成した「聴取書」を検察が差し押さえたことも明らかになった。吉田元所長は、武藤前副社長とともに、同原発の津波対策を担当した責任者の一人だ。

 (3)立件を疑問視する報道に対して、「福島原発告訴団」が動いた。
   (a)東電や安全規制当局に対する「強制捜査を含む厳正な捜査と起訴」を検察当局に求める署名運動。
   (b)(a)の署名とともに、福島からバスを連ねて渡橋地検まで直接届けに行く活動、「2・22東京地検包囲行動」。これは、決して圧力に屈することなく、正義を全うしてほしいと、捜査する検事らを“激励”するのが目的だ。署名提出後、日比谷公園を挟んですぐそばにある東電への抗議行動も予定している。

□明石昇二郎(ルポライター)「東電刑事告訴で進む聴取」(「週刊金曜日」2013年2月15日号)

   *

 (1)福島県の被災者らが、国と東電を相手どり、東電福島第一原発事故で平穏に生活する権利を侵害された、と損害賠償を求める訴訟を起こす。
 原告(2月12日現在500人)は、福島、宮城、山形、栃木、茨城各県に住んでいた人で構成され、事故後に非難したか否かを問わない。
 事故2年目の3・11に、東京、千葉、福島の各地裁に提訴。
 訴訟名は、「生業を返せ、、地域を返せ! 福島原発訴訟」。

 (2)個別救済にとどまらず、全体の救済と、加害者の責任を問うていく。【馬奈木厳太郎・事務局/弁護士】
 福島原発事故で、国を被告に加える集団訴訟は、全国で初めてだ。

□野中大樹(編集部)「東電と国を被告に訴訟提起へ」(「週刊金曜日」2013年2月15日号)

 【参考】
【原発】集団告訴団14,586人の「次の標的」 ~NHK、東大の学者~
【原発】集団告訴第二陣、ただ今7,600人 ~受付締切は10月末~
【原発】福島県民、東京電力を集団告訴 ~勝俣東電会長の逃げ切りを阻止~
【原発】福島県民はなぜ刑事告訴告発をしたか ~告訴団長は語る~
【原発】検察、告発20件を棚ざらし ~誰も責任をとらない原発事故~
【原発】地検、福島事故に係る刑事告発・告訴を受理
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【食】中国産薬漬け・病気鶏肉を輸入する日本マクドナルド

2013年02月18日 | 社会
 (1)中国で薬漬け鶏肉が問題になっている。中国から日本へ輸出される鶏肉も汚染されている可能性が浮上した。
 日本への輸出実績をもつ企業グループでも病気肉が使用されているからだ。問題の企業は、河南省の大用(ダーヨン)食品グループだ。
 大用食品グループは、昨年12月の上海での薬漬け鶏肉事件以降、自社系列の養鶏場で抗生物質の投与を禁止した。すると、病気にかかる鶏が大量に発生した。その処理に困って、病死する前にと殺処理し、一部を食用に回した。
 疑惑を打ち消す報道も出ているが、そもそも薬の投与をやめた途端に鶏の病気が大発生するような無理な飼い方をしている点については、何の説明もない。

 (2)大用食品グループ傘下の河南省大用実業有限公司は、日本編簿鶏肉加工品の輸出実績がある。
 2010年9月、同社から日本へ輸出された焼き鳥から抗菌剤(フラゾリドン)が検出され、積み戻しされている。フラゾリドン検出の理由について、「中国国内向け原料(鶏肉)が使用されているため」とある。
 鶏肉の国内向けと輸出向けの分別管理が不徹底だ(疑い)。

 (3)大用食品グループは、アジア地域のマクドナルドの原料供給者にする目的で、3億ドルをかけて、年間20万トンの加工食品の工場を建設中だ。

 (4)日本マクドナルドの鶏肉は、中国とタイからの輸入だ。
 問題の河南省大用集団から輸入されていないか。
 日本マクドナルド「お客様サービス室」に照会したところ、データがないから回答できない、という。日本マクドナルド内部の担当部署で確認のうえ回答されたし、と再照会しても、個々の客からの問い合わせに対する個別の回答はしない、とのこと。
 ここまでひどい対応は、滅多にない。

 (5)日本のブロイラー養鶏でも、成長促進や病気予防のために抗生物質や抗菌剤入りの餌が与えられている。しかし、鶏肉に残留しないよう、出荷前の休薬期間が定められている。
 今回の問題は、中国国内では休薬期間を守ると鶏が病死してしまうような養鶏が広まっていて、その一部が輸出産業グループにも波及している可能性があることだ。
 輸出国における養鶏場での管理は、輸入企業にも責任がある。日本マクドナルドは、きちんと説明責任を果たすべきだ。

□植田武智(科学ジャーナリスト)「中国産薬漬け・病気鶏肉問題で日本マクドナルドに質問書を出したのだ」(「週刊金曜日」2013年2月15日号)
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【経済】2012年利益増の原因は円安でなく震災要因 ~円安のマイナス要因~

2013年02月17日 | ●野口悠紀雄
 (1)2012年12月期決算の利益が、対前年比で増加する企業が多い、と報道されている。
 安倍晋三政権の金融緩和政策によって円安が進み、これが輸出関連企業の業績を好転させている・・・・という説明は誤りだ。
 2012年の利益増加は、2011年において東日本大震災による輸出減とタイ洪水による工場浸水という特殊事情があったからだ。その証拠に、利益が増加するのは自動車関連企業が中心だ。2011年の特殊要因で最も大きな影響を受けたのがこの分野だからだ。

 (2)しかも、乗用車について、最近の円安による輸出増大効果は認められない。円安の始まった秋以降は、2012年前半に比べれば減少している。生産指数でみても、円安効果は見られない。

 (3)製造業全体では、東日本大震災やタイ洪水の影響はあまり高くなかった。輸出総額は、2011年から2012年にかけて増加しなかった。逆に、減少した。
 輸出減少が特に顕著なのは、一般機械だ。そのうち荷役機械とベアリングなどの減少が顕著だ。
 輸出減少に伴って、鉱工業全体の生産指数も低下している。
 つまり、製造業全体で見ると、輸出についても生産についても、2012年は2011年より低下している。よって、2012年の製造業全体の利益は、2011年に比べて減少する可能性が高い。

 (4)国別に見ると、輸出の減少が特に顕著なのは対中国輸出だ。建設用・鉱山用機械の2012年12月の輸出額は、2010年から2011年前半ごろに比べると、実に10分の1に落ちている。
 現在の輸出減少は、中国の景気刺激策の終了や、欧州の経済混乱といった特殊要因によって引き起こされているからだ。こうした要因によって引き起こされる輸出減は、円安による効果をはるかに凌駕している。

 (5)円安は、円建て輸入額を増大させる。
  (a)円安は輸入価格を上昇させるので、コストアップ要因になる。・・・・ガソリン価格への影響は、すでに生じている。これはいずれ電気料金に自動的に転嫁される。そして、製造業のコストを上昇させる。
  (b)貿易赤字の拡大は、マクロ的に見て総需要を減少させる。つまり、GDP成長率を引き下げる。 

 (6)円安は、日本経済にとってプラスではなく、マイナス要因に作用している。とりわけ、地方や中小企業の状況は厳しいものとなるだろう。
 仮に今後、さらに円安が進んでも、事態は改善されないだろう。なぜなら、現地通貨建ての価格は引き下げられないだろうから。となれば、輸出数量は増えない。よって、実質GDPを増大させる効果はない。
 また、国内生産が増えないから、下請けに対する注文が増大することもない。

□野口悠紀雄「12年利益増の原因は円安でなく震災要因 ~「超」整理日記No.648~」(「週刊ダイヤモンド」2013年2月23日号)
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【本】佐藤優の熟読術・速読術「超」入門 ~『読書の技法』~

2013年02月16日 | ●佐藤優


 はじめに
 第Ⅰ部 本はどう読むか
  第1章 多読の技法 ~大量の本を読みこなす~
  第2章 熟読の技法 ~基本書をを読みこなす~
  第3章 速読の技法 ~「超速読」と「普通の速読」~
  第4章 読書ノートの作り方 ~記憶を定着させる抜き書きとヒント~
 第Ⅱ部 何を読めばいいか
  第5章 教科書と学習参考書を使いこなす ~知識の欠損部分をどう見付け、補うか~
  第6章 小説や漫画の読み方
 第Ⅲ部 本はいつ、どこで読むか
  第7章 時間を圧縮する技法 ~時間帯と場所の使い分け~
 おわりに

 以上のような構成を目次で見てとれば、自分に役立つ本かどうか、すぐ分かる。
 サッと「はじめに」に目をとおせば、もっとよく分かる。
 
 佐藤は、毎月300冊、多いときは500冊を読む。それらは、次の3つのカテゴリーに分かたれる。
  (1)熟読(これが読書の基本)・・・・洋書を含め4~5冊。
  (2)普通の速読(1冊30分から2~3時間)・・・・50~60冊。
  (3)超速読(1冊5分程度)・・・・240~250冊。

 仕事で文書を、①熟読、②ざっと目を通す、③タイトルくらい(要旨や所見が付いていればそれも)で済ます、といった作業をやり慣れている人は、佐藤流(超)速読がすぐにでも可能だ。
 ちなみに(3)は、(今すぐ)読まなくてもいい本をはじき出す作業でもある。

 余談ながら、佐藤優は、『ぼくらの頭脳の鍛え方』(2009年刊)で蔵書は1万5千冊と言っていたが、本書(2012年刊)では蔵書が4万冊に増えている。
 本書の口絵で、自宅、自宅近くの仕事場、箱根の仕事場を披露しているが、なかなか壮観だ。最終的には7万冊収蔵できる設計らしい。

□佐藤優『読書の技法 ~誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門~』(東洋経済新報社、2012.8)
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【医療】インドから拡がる多剤耐性菌 ~医療ツーリズムがもたらす危険~

2013年02月15日 | 社会
 (1)ニューデリーからその衛星都市グルガオンまで、高速道路を使えば10分で着く。そこにあるメダンタ病院は、海外からの患者で溢れる。
 メダンタ病院は、17haもの複合施設で、世界的に有名な外科医たちを配し、病床数は1,000床、手術室は45室も備える。顧客は、中東、アジア、アフリカ、南北アメリカなどからやってくる。
 心臓の外科手術は、5,000ドル以下で行われる。米国の5分の1以下の料金だ。格安の理由は、安い人件費だけではない。欧米の医療における「無駄」を省いているからだ。薬の処方から専門医の教育まで、保健衛生分野は管理が限定されていたり、そもそも存在しなかっりする。

 (2)米国では医療費が高騰し、欧州の一部の国では治療を受けるまでの待ち時間が延び続けた。美容外科の需要も、うなぎ登りだ。ために、西欧の患者たちも、迅速かつ廉価な治療も求めて新興国へ赴くようになった。かかる医療ツーリズムの売上げは、世界全体で450億ユーロにものぼると試算されている。

 (3)インド国民の多くが基本的な医療給付すら受けられない中、外国人に高度医療を提供することに対して、いくつかの疑念の声があがっている。
 インドが医療費に費やす予算は、国民総生産のわずか1%ほど。世界的に見て、最も低水準の国だ。その結果、適切なワクチン接種を受け等得る子どもは全体の半数にも満たない。治療可能な結核、避けられるはずの下痢などで落命する国民は、年間100万人にも及ぶ。医療費は人々の死活問題となっていて、毎年4,000万人ほどの人々を貧困に落としめている。

 (4)ところで、メダンタ病院などで医療を受ける患者は、最新技術の恩恵に与る。だが、同時に、術後の感染症を防ぐため、最も適した抗生物質をも投与される、すると、上下水道はそうした営為の残滓で溢れかえり、病原菌の変異が促されてしまう。抗生物質への耐性を持つようになるのだ。
 2011年、ニューデリー市内の病院において、新種の耐性菌が発見された。現行の抗生物質はどれも効かず、最後の手段として静脈注射で投与するものすら効果がなかった。その「スーパー細菌」は、発見された場所の名をとってニューデリー・メタロベータラクタマーゼ(NDM-1)と呼ばれる耐性遺伝子を持っている。きわめて不完全ながらも効き目のあるのはわずか2つの抗生物質だけで、開発中の薬も事実上存在しない。医学会は、すっかりパニックに陥った。
 鳥インフルエンザ、テング熱、チクングニヤ熱・・・・伝染病は、人間と同じ手段で旅をする。
 多剤耐性菌は、今や世界的な問題となっている。
 2008年、NDM-1産生菌の初の感染が判明した。直前にインドで治療を受けたスウェーデン人の患者が発症した。
 2009年、英国の医療当局は、インドやパキスタンで入院中の複数の患者がNDM-1産生菌に感染している、と警戒を呼びかけた。
 2010年、米国で3件の感染例が報告された。やはりインドで治療を受けた患者たちだった。
 以来、NDM-1産生菌は35ヵ国で報告されている。インドへの旅行者であるケースが多い。また、インド亞大陸に滞在したことがない個人を保菌者とし、より広範囲に拡がり始めたことも知られている。

 (5)きわめて急激な感染拡大のおそれがあるのは、当のインドにおいてだ。NDM-1の遺伝子を持つ菌の多くは、衛生設備のない環境で繁殖し、宿主から宿主へと、汚れた水や食物を通じて移っていく。
 インドの浄化設備の多くは貧弱だ。
 2011年4月、首都の飲料水や水たまりで採取したサンプルから、NDM-1産生菌が検出された。菌は、すでに貯水池や土壌を汚染している。1億人から2億人のインド国民がすでに保菌者になっている、という推定もある。熱帯性気候も、その繁殖を促す要因だ。気温の上昇と洪水により、雨期には感染の危険がいっそう高まる。
 貧困層の医療の改善や院内衛生の充実、より適切な抗生物質の使用などを通じて、脅威を抑えることは可能だ。
 だが、数年に及ぶ急激な経済成長で受け付けられた国民的な自尊心がそれを阻害している。政治指導者や関係当局は、この保健衛生問題を否認し、「インドの医療ツーリズムを脆弱化させようとする陰謀」に加担している、と研究者たちを非難している。

 (6)現時点において、NDM-1産生菌への対応に大きな進歩は期待できない。少なくとも、世界の富裕層がメダンタその他の病院の革製ソファに押し寄せる限りは。

□ソニア・シャー(嶋崎正樹・訳)「医療ツーリズムと病原菌」(「世界」2013年3月号)
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