語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

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【丸谷才一】記者会見が下手くそな政治家 ~顔の問題~

2018年01月05日 | ●丸谷才一
 「悪代官のような顔」と評された政治家が、
 「親からもらった顔に文句をつけやがって」
と怒ったそうだ。
 「親の顔がみたい」と言われなかっただけマシなのに。

 こういう時、政治家氏はどう答えるべきか。
 「おいおい、おれはまだ四十前なんだぜ」
 新聞やテレビの記者団はドッと笑うはずだ。笑わなかったら・・・・いささかシラケるが、リンカーンの名セリフを思い出してもらおう。「四十を過ぎた男は自分の顔に責任がある」

 「いや、じつは若いころは誠実そうな顔立ちの美少年だったのだ」
と驚かせてもよい。
 向こうはむろん信用しないにちがいないが、政治家的強引さで押し切ればよい。
 当然、
 「それなら、どうしてここまで面変わりしたんですか?」
と訊かれるだろう。ここで、ニヤリと笑って、こう答えればいいのだ。
 「よくわからないが、低俗テレビを見過ぎたせいじゃないかな」

□丸谷才一『どこ吹く風』、講談社、1997)の「面貌の問題」
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【丸谷才一】短編小説から長編小説へ ~文学史~

2016年02月24日 | ●丸谷才一
 (1)近代日本文学は、小説中心であるとよく言われる。代表的な文学者を三人あげるなら、夏目漱石、谷崎潤一郎および大岡昇平だ。
 日本の文学では、詩や戯曲や批評の位置は低い。その理由ないし原因はいろいろあるが、19世紀ヨーロッパという小説の時代に刺戟されて成立したことが大きい。
 ただし、英米では小説を長編小説と短編小説に分けるが、わが国では普通こんな細分をせず、漠然と「小説」と呼ぶ。

 (2)わが近代文学は、長編小説作家漱石から本式に出発する形をとりながら、少なくとも戦前は長編小説を支配的形式とすることができなかった。文学の中心部にあるのは、短編小説であった。ここでいう支配的形式とは、平安朝日本の和歌とか、一番人気のある文芸形式で、俊秀がそこに群がることになるものをいう。

 (3)大正文学最高の人気作家芥川龍之介は、短編小説の名手で、どうしても長編小説を書くことができなかった。
 戦前日本の文学的権威は、志賀直哉と谷崎潤一郎の二人に定まっていたが、短編小説部門の志賀が圧倒的に格が高かった。長編作家である谷崎が優位に立つようになったのは、戦後のことである。

 (4)この逆転の前史は長かった。
 大正時代以来、作家たちは何とかして漱石につづこうと努め、果たさなかった。
 昭和の初期、横光利一は、漱石と同様、新聞小説という形式を用いて長編小説を書こうと志し、自己援護のため『純粋小説論』という論旨混沌たる評論を書いたりした。この評論の幼さは、あの時代の日本において長編小説を書く困難をよく示すものだった。これに対する囂々たる反響は、当時の日本社会が長編小説を熱望している証だった。
 読者は、紋切り型の私小説的短編小説、社会性と物語性を欠く作家生活の報告に飽きていた。作家の側にも、そこから脱出を志す意欲が激しかった。西欧風の本格的な構造をもつ長編小説への要望が大きかった。
 この気運にのって、高見順『故旧忘れ得べき』『如何なる星の下に』、阿部知二『冬の宿』、石川淳『白猫』、坂口安吾『吹雪物語』、伊藤整『得能五郎の生活と意見』などが出たが、作家たちはまだ私小説の理念と技法に縛られていた。また、作中人物の原型となり、読者となるはずの知的な中産階級の数が少なかった。執筆の自由への大幅な制約その他の事情もあって、この傾向は底流となるにとどまった。
 長編小説への動向があらわになったのは、戦後のことである。たとえば、伊藤整『鳴海仙吉』のように昭和10年代の作家たちが意欲を新たにして長編小説をふたたび手がけた。野上弥生子のような大家が、昭和12年以来中絶していた長編小説を書きついで、やがて『迷路』を完結した。
 そして、昭和10年代の長編小説運動を遠望していた青年たちが、西洋小説の教養と清新な野心にみちて、この形式に挑んだ。いわゆる戦後派作家たちの作品がそれだ。大岡昇平『野火』、三島由紀夫『仮面の告白』、野間宏『真空地帯』が先頭に立つ。このころから、日本文学の支配的形式は、短編小説ではなくて長編小説となった。主要な発表の媒体は、雑誌ではなくて単行本、それも書きおろしになった。小説を論評する主な場は、文芸時評ではなくって書評に転じた。
 そのあおりで、日本文学全体の相貌が改まった。短編小説を得意とする作家たちも長編小説を手がけなければならない格好になった。
 夏目漱石が素人好みの作家ではなく、一般の知識人にも文壇人にも認められる国民作家になったことも、小説家の典型として仰がれる人物が志賀から谷崎へと移行したのも、これに伴う現象だった。

 (5)これが大江健三郎や村上春樹の登場する以前の文学史である。
 今日、大正文学的ないし昭和戦前的な、自己身辺の事情を曲もなく告白する私小説的短編小説は、むしろ例外的な傍流とされている。大江や村上のように趣向のある長編小説で全世界的な読者を相手取るのが正統的で、日本の読者だけを対象とするのは、地方文学的態度とされているだろう。

□丸谷才一『星のあひびき』(集英社、2010/後に集英社文庫、2013)の「わたしと小説」
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【丸谷才一】あいさつは一仕事 ~ゴシップ風に~

2016年02月18日 | ●丸谷才一
(1)長いスピーチを止める法(その一)
 ある女流作家が長いスピーチをしていた。その人の前に出てきた永六輔いわく、
 「おばさん、長いよ」

(2)長いスピーチを止める法(その二)
 ある映画賞の授賞式。主演賞を獲得した俳優がとても長いスピーチをやった。下積み時代から脇役時代を経てやっと主役がきた、これも監督のおかげ、あの監督はこういう人で・・・・。
 話の途中で、森繁久弥が拍手した。まわりもつられて拍手。
 長い長いスピーチは打ち切られてしまった。

(3)会場の喧噪を鎮める法
 会場がワイワイガヤガヤと騒がしい。
 ここで永六輔が登場。
 「ただ今臨時ニュースが入りました。金さんと銀さんは本日正午・・・・」
 みなシーンとなった。永、ひと呼吸おいて続けた。
 「お二人とも元気で昼ご飯を召し上がったそうであります」
 一同、呵々大笑。それで静かになってしまった。
 
(4)引用はひとつ
 引用はひとつにしなさい。
 そう野坂昭如は強調した。婚礼のスピーチなんかに夏目漱石を引用し、教育勅語を引用し、ビートルズの唄まで引用していては、聞くほうは混乱する。
 スピーチの心得その四である。
 ところで、丸谷才一が出席している会で、丸谷の挨拶の本からの引用があった。誰のせりふだなんてことは眼中になかったらしい。
 丸谷のこのシリーズ(挨拶三部作)、挨拶の手本を示しているわけだから、「引用も盗用も一向にかまわない」。

(5)野菜
 三谷幸喜が喜劇人協会から喜劇人大賞を受賞したことがあった。
 挨拶に、ポケットからタマネギを取り出していわく、
 「人を泣かせる野菜はありますが、人を笑わせる野菜はまだ発明されていません」
 これはグルーチョ・マルクスのセリフの引用である。三谷は、ちゃんと、そう断っている。
 グルーチョ・マルクスは、笑わせるセリフを自分でもたくさん作った。たとえば、
 「私に会員資格を与えるクラブには入りたくない」

(6)褒める
 挨拶は、とにかく人を喜ばせるという気持ちで準備すること。
 主賓をちょっとからかう、悪口を一つ入れるなら、十か二十くらい褒める。この場合、褒めるのは一つや二つでは足りない。
 「欠点は・・・・」
 と言いかけて、「多すぎるから止めましょう」で締めくくるのも一つの手。

(7)挨拶も文学
 丸谷才一が菊池寛賞を受賞した理由は次のとおり。
 「小説、批評から挨拶までの広い領域における活動」
 挨拶も文学的業績なのである。
 「そんな文学者は、日本文学史はじまって以来でせう。紫式部も、芭蕉も、夏目漱石も、この種の光栄は持つてゐなかつた。さういふ者が今川聖英さんと高木篤子さんとの結婚式において一言述べる。よほど出来のいい挨拶をしなくちやならないでせう」

□丸谷才一『あいさつは一仕事』(朝日新聞出版、2010)
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【丸谷才一】女による言葉の改革 ~社交サロン~

2016年02月17日 | ●丸谷才一


 (1)権力は世の中をうごかすが、権力が常に世の中を変えるわけではない。
 むしろ、権力からもっとも遠い者が世に変化をもたらすこともある。
 たとえば、言語改革。

 (2)西欧社会をみると、共通語をつくる作業、あるいは言葉を洗練してコミュニケーションの手段を改良していこうとする努力は、民間から始まった。
 たとえば、社交サロンが盛んだった17、18世紀のフランスで、ランブイユ侯爵夫人がたいへん立派なサロンをつくった。ランブイユ侯爵夫人の言語改革は非常に意識的で、下品な言葉、古い表現、田舎くさい言葉、専門用語、新造語を排除した。
 女という政治社会の権力構造では弱い立場にあるものが、文化的権威によって言葉を洗練させた。モリエールやコルネイユも参加して、そのサロンで語られる言葉によって芝居を書いた。
 ラファイエット夫人も、サロンの言葉によって『クレーヴの奥方』を書いた。
 文学そのものが、社交的な会話である。フランスの詩の始まりは、挨拶であった。機会の詩である。機会詩が内面化して近代の自立した詩となった。

 (3)日本の王朝でも、サロンの主人は女だった。政治的権力から遠い存在だった女が主人になって、虚構にせよ平等性が成立しているところに社交は生まれた。
 ただ、日本では不幸なことに、共通語は書き言葉しかなかった。室町時代には、一種の社交的サロンが成立して、話し言葉の統一の芽生えはあった。お茶の会、連歌の会、庶民にとっての狂言である。

□丸谷才一・山崎正和『日本語の21世紀のために』(文春新書、2002)
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【丸谷才一】サラリーマン的時間vs.農民的時間

2016年02月16日 | ●丸谷才一
 (1)遅刻で名高い歴史的人物は、宮本武蔵だ。
 巌流島の決闘に平然と遅れて行った。
 高札に記された時刻は辰の上刻だったが、その午前7時にはのんびり絵を描いていた。藩士が二度せきたてても、一向に気にしない。結局、試合場に到着したのは巳の刻過ぎ、10時15分ないし10時半だった。
 遅れて来るのは、一乗寺下り松のときも三十三間堂のときも、いつも武蔵がつかう手、あるいは癖なので、またか、いや逃げたんじゃないか、と小次郎は腹をたてながらも迷っていたにちがいない。うっかり鞘を海中へ投じるはめになってしまった。

 (2)前近代の日本人は、一般に時間意識がゆるやかだった。辰の上刻といえば、午前7時から8時までだった。7時45分に着いても許容の範囲内だった。
 それに、前近代には不定時法という制度があった。日の出と日の入りで昼夜を分ける。したがって、季節によって時刻がちがう。辰の上刻も、冬至には8時8分から、春分・秋分には8時から、夏至には7時2分から、という調子で移動した。

 (3)サラリーマンである武士とって、出勤、退庁の時刻を知るのは大事だから、城では櫓太鼓で時を告げた。
 この武士的時間に対し、農民は寺の鐘が時を告げてもさほど気にせず、のんびりと農民的時間を過ごした。

 (4)宮本武蔵は、武士ではなかった。農民出身であった。一旗あげようとした農民が、関ヶ原へ行ってしくじったのだ。剣術つかいになってからも、勤め人にはならなかった。武芸者という芸術家だった。しかも、絵描きという芸術家でもあった。だから、遅参を屁とも思わなかった、という面がかなりありそうだ。

 (5)宮本武蔵がずるかったのは確かである。
 仮に、そのずるさが裏目にでて佐々木小次郎が2時間待って引き上げ、「武蔵は臆病風に吹かれて来なかった」と言いふらしたら、皆がみんな小次郎を支持するわけではないとしても、武蔵の名声は傷ついたにちがいない。
 だから、一体どのくらい遅れて行ってもまだ相手が待っているか、という計算しなくてはならない。つまり、佐々木小次郎はどの程度まで武士=勤め人的であって、どの程度まで農民=芸術家的であるか。そこのところを見きわめる点で、武蔵は天才的であった。

 (6)ちなみに、「遅刻」という言葉は新語で、『日本国語大辞典』によれば、『航米日録』(1860)が初出。その次が坪内逍遙『当世書生気質』(1885-86)であるよし。それまでは「遅参」という言葉をつかっていた。 

□丸谷才一『双六で東海道』(文藝春秋、2006)の「遅刻論」
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【丸谷才一】対話的人間

2016年02月14日 | ●丸谷才一
丸谷(才一) ・・・・聞く、聞き終わる、読み終わるという読解力が対談術の基本なんだと思います。

山崎(正和) それには古典的な先例がありましてね。プラトンの『ゴルギアス』という対話編の中に大変な名言がある。プラトンがいくら説得しても、ソクラテスの哲学がわからない人に対してプラトンは、「わたしが答え手になろう、あなたが語りなさい。そうするとあなたは問題を理解するであろう」というんです。つまり、よき聞き手というのは聞くことを通じて相手を開発するんですね。(中略)ギリシア哲学者の田中美知太郎さんによると、「ソクラテスの対話」では、ソクラテスが言い負かされることを通して真実が出てくる、と言うんです。つまり対話の一番理想的な場合には、どこかに神様がいて、二人の対話を通して真実を発見させる。場合によっては、一人の人間の敗北を通して真実が見えてくるというようなものであるはずなんですよ。

丸谷 そう、勝敗じゃなくて、共同作業による真実の探求みたいなものだね。いい聞き手は、相手の言わんとするところを聞くものです。どうでもいいところはあえて聞かない。大局を問題にする。つまらない間違いにこだわって、そこのところをつついていけば、論争には勝てる。でも、それではつまらない対談になっちゃう。

□丸谷才一『半日の客一夜の友』(文芸春秋社、1995/後に文春文庫、1998)/共著者:山崎正和の「対話的人間とは何か」
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【丸谷才一】小林秀雄の論旨あいまい

2016年02月12日 | ●丸谷才一
 (1)小林秀雄は、折口信夫を訪ねて本居宣長について質問したことがあった。長時間語りあったあげく、折口は小林を大森の駅まで送った。
 「小林さん、本居さんは『源氏』ですよ」
と念をおした。だが、小林は何を言われたのか、わかっていない様子だった。
 『折口信夫全集』第16巻にいわく、
 <本居宣長先生は、古事記の為に、一生の中の、最も油ののつた時代を過ごされた。だが、どうも私共の見た所では、宣長先生の理会は、平安朝のものに対しての方が、ずつと深かった様に思われる。あれだけ古事記が訣っていながら、源氏物語の理会の方が、もつと深かった気がする。
 先生の知識も、語感も、組織も、皆源氏的であると言ひたい位だ。その古事記に対する理会の深さも、源氏の理会から来てゐるものが多いのではないかと言ふ気がする位だ。これ程の源氏の理会者は、今後もそれ程は出ないと思ふ>

 (2)日本文学大賞の選考委員会で、丹羽文雄が山本健吉『詩の自覚の歴史』を評して、こういうものは批評じゃない、学問だ、批評は小林の書くようなものだ、と言ったのに対し、司馬遼太郎が弁護し、これを受けて丸谷才一が続けた。
 小林秀雄の文章は威勢がよくて歯切れがよくて、気持ちがいいけれど、しかし何をいっているのかがはっきりしない。中村光夫や山本健吉の文章は歯切れのよさという点では小林秀雄に劣るかもしれないが、少なくとも何をいっているのかはよくわかる。そういう意味で、小林秀雄の批評は明治憲法の文体ににている。気持ちのいい文体という人もいるが、私には何のことをいっているのかよくわからない。そこへゆくと中村光夫や山本健吉の文書はそういう爽快さはないけれど、内容を伝達する能力は高い。その意味でこれは現行憲法みたいなものである・・・・。
 翌年、丸谷がパーティで会った司馬いわく、
 例の小林秀雄は明治憲法うんぬんを講演のときに使うと非常に受ける、どうもありがとう。

□丸谷才一『文学のレッスン』(大進堂、2010)
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【丸谷才一】姦通、逸話、漱石 ~ゴシップ的文学論~

2016年02月11日 | ●丸谷才一


 (1)丸谷才一は、文学的雑談集『男もの女もの』所収の一編「政治の辞典」では、 『ブルーワー英語故事成語大辞典』から、たとえば「姦通adultery」を引く。
 <世界の多くの首都において国会議員により多くおこなはれる活動。政界の性的スキャンダルの主成分。1988年のゲーリー・ハートの大統領選への希望は、ワシントン・ポストのポール・テイラーの、「姦通したことあります?」といふ質問に対して「尾行してごらんよ」と答へたときに壊滅した。ジャーナリズムは直ちにミス・ドナ・ライスを発見した>
 そして、この項目の最後を引くのだが、これがまた爆笑もの。

 (2)<そしてこの項目の最後にはこんな文句が引いてある。
 I would rather commit adultery than drink a pint of beer.
 1920年代に下院で禁酒法について演説してゐるとき、レイディ・アストアといふ女の議員が、
「わたしは一パイントのビールよりむしろ姦通を選ぶものです」
 と言つた。そのときジャック・ジョーンズといふ労働党の議員が歴史に残る野次をとばした。
「選ばない人、ゐるかい?」(Who wouldn't ?)
 と言つたのだ。全員爆笑したといふ。
 いいですねえ、この野次。労働党の議員だといふのが嬉しい。本邦の左翼議員にかういふおもしろいこおを言へる人がゐるだらうか。ゐただらうか。
 いや、保守側でもむづかしいんぢやないか>

 (3)本書の所収の別の一編「ゴシップ!ゴシップ!」で、夏目漱石『吾輩は猫である』を逸話小説と定義する。じじつ、『猫』には、浅田飴からバルザックの小説に登場させる人物の名の定め方まで、毒にも薬にもならぬ話が満載されている。
 漱石の逸話好きは、英国人の逸話好きに感染した結果らしい。
 丸谷いわく、あんなに大勢の門弟が毎週1回やってきたのは、漱石のゴシップ好きに一因があったのだ。内部に暗いものをかかえた孤独な人間ほど、明るい交友、楽しい社交を欲するはずだ、云々。
 ここからさらに、英国の暗くて厳しい天候、英国人のゴシップ好きの理由に議論がおよぶのだが、凡百の文学論より「ゴシップ!ゴシップ!」一編のほうが英文学の真髄を伝えている(ような気がする)。

□丸谷才一『男もの女もの』(文藝春秋、1998。後に文春文庫、2001)
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書評:丸谷才一『星のあひびき』 ~書評の妙、そして大岡文学に対する高い評価~

2010年12月18日 | ●丸谷才一
 『星のあひびき』は、読みやすい。
 その理由の第一は、論旨明快にして、悠揚迫らぬ自在な語り口だ。ただし、これは著者の文章全般に通じることで、本書に限った話ではない。
 第二は、本書に収録された文章の多くは概して短くて、すばやく読みとおせるからだ。巻末の初出一覧にざっと一読すれば明らかだが、多くはさまざまな新聞に掲載されている。当然、字数が限られる。簡潔にならざるをえない。

 ここですこし横道にそれるなら、巻末の初出一覧は編集者が作成したのだろうが、誤りが少なくとも1ヶ所ある。
 「Ⅲ 随筆的気分」の冒頭を占める「わたしたちの歌仙」は岩波文庫の『歌仙の愉しみ』に所収とあるが、岩波文庫ではなくて岩波新書だ。この本のまえがき的位置に置かれた解説である。
 小林秀雄は、水のなかに酸素があるごとく翻訳に誤訳は付きものだろう、と弁明とも開き直りともとれる警句を放った。しかし、翻訳はまだよい。小説の構造がうまく移してあれば、誤訳がすこしあってもさしつかえない。しかし、書誌は細部の事実が命である。文学のしろうとでも気づくような誤りは、一掃してもらいたい。

 第三として本書の構成の妙を挙げることができる。「Ⅰ 評論的気分」で正面きった文学談義、「Ⅱ 書評35本」で著者が力を入れてきた書評の見本をずらりと展示し、「Ⅲ 随筆的気分」で軽い雑談、「Ⅳ 推薦および追悼」で威儀をたださせる。最後に「Ⅴ 解説する」で、にさまざまな機会にあらわした解説を並べ、引き締める。

 「Ⅰ 評論的気分」では、たとえば「サントリー学芸賞のこと」で、この賞は新進の評論を的確に評価してきた、という。その実績、その偉容を示すものが非売品の『サントリー学芸賞選評集』だ、と。鹿島茂や塩野七生、藤森照信や田中優子もこの賞に励まされ、その後の活躍で現代日本文化を豊かにしてきた。賞の権威によって名を上げる書き手もいるが、書き手のその後が賞に権威を付与する場合もある。サントリー学芸賞は、後者だ。
 それは、選者の眼がたしかだからだ。著者はいう。「特筆に価するのは、その選評の質の高さである。一篇がたいてい四百字詰原稿用紙三枚半で、普通の賞のそれよりも有利なことはたしかだが、内容の紹介ぶりと言ひ、美点や特質の賞揚の仕方と言ひ、ほとんどすべての選評が模範的な出来ばえを見せてゐる。とりわけすばらしいのは類書のなかに当該書を位置づける大局観のたしかさだ」
 そして向井敏の選評を例に引くのだが、引用される選評も賞揚されるにふさわしくスバリと言ってのけているし、引用した選評に係る「・・・・と評するあたりの視野の広さは、わが国の書評に乏しいものである」という著者の評は、それ自体広い視野を要求されているし、それだけの実績を著者は積んでいる。

 「Ⅰ 評論的気分」には、上記のような書評に関する書評のような一文があるし、正面きって書評を論じた「書評文化を守るために」もある。
 これを(本書における)理論とすれば、その実践が「Ⅱ 書評35本」だ。
 とりあげた本は、文学に限定しない。たとえば「健気で勝気で賢い娘の母恋ひの物語」はノンフィクションで、船曳由美による聞き書きの筋の紹介に紙数のほとんどを充てる。、継子の苦難と、それをはねのけて成長する物語だ。しかし、筋の単なる要約では終わらせない。著者は、末尾に記す。
 「実を言ふと『100年前の女の子』はもつと多彩で多面的な本で、北関東の民俗学的な記録、住民の風俗の描写、動物たちの生態の思ひ出など、まことに楽しい。しかし最も印象的なのは健気な女の子の母恋ひの物語だ。今も著者が老人ホームに訪ねると、テイはときどき抱きついて泣きじやくり、呻くやうに言ふ。/ --わたしにはおつ母さんがゐなかつた・・・・」
 引用も芸のうち。母恋いという、日本人のみならず万民に普遍的な情に訴える視点をもちだし、こういう泣かせる引用で巧みに締めくくられると、読者は一読したくなる。文章の芸である。

 Ⅲ以下を紹介する代わりに、評者が殊に読みやすく感じる理由を追加しておこう。
 それは、わが大岡昇平が非常に高く評価されている点だ。「近代日本文学は、小説中心であるとよく言われる。代表的な文学者を三人あげるなら、夏目漱石、谷崎潤一郎および大岡昇平だ」(「わたしと小説」)と書く。あるいは、「戦後日本最高の作家は、やはり大岡昇平なのではないか」(「女人救済といふ日本文学の伝統 -大岡昇平『野火』『『花影』』『ハムレット日記』『黒髪』『逆杉』-」)とも書く。
 また、本書でも言及されているのだが、著者が関与した「日本文学全集」の巻立ては、漱石3巻、谷崎3巻、鴎外3巻、大岡2巻で、戦後作家で2巻は大岡だけだった(丸谷才一/三浦雅士/鹿島茂『文学全集を立ちあげる』)。ちなみに、収録するべき作品として名があがっているのは、長編小説の『俘虜記』『野火』『花影』に短編小説の『来宮心中』『逆杉』『黒髪』、そして記録文学の白眉『レイテ戦記』だ。
 かくて、「この作家の高い評価はほぼ確立したやうに見受けられる」(前掲(「女人救済といふ日本文学の伝統」)とまで極言する。

 個々の作品に対する評価から文学史的鳥瞰まで。筒井康隆の文体論(「辞書的人間」)から日本文学史上最高の巨漢、篠田一士の『世界「食」紀行』に対する友情あふれる解説(「健啖家にして美食者」)まで。
 本書は、批評の理論と芸の見本市である。

□丸谷才一『星のあひびき』(集英社、2010)
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【読書余滴】丸谷才一の、森澄雄追悼 ~森文学の特徴三点~

2010年12月17日 | ●丸谷才一
黛まどかの匂いがする。しかも、彼女がサンチャゴ巡礼を果たした後の。
 少なくとも、大東亜戦争で艱難辛苦を味わった森澄雄は、アジアは・・・・なんて、到底詠みそうな気配はない。

 閑話休題。
 とにかく丸谷は、森作品の中ではわけても『浮鴎』『鯉素』のころが好きなそうだ。13句引用されているが、ここでは6句を引こう。

   向日葵や越後に雨の千曲川
   沢庵を噛むや雪ふる信濃にて
   柿干してなほ木に余る伊賀の国
   若狭には佛多くて蒸鰈
   飛騨の夜を大きくしたる牛蛙
   鮎食うて月もさすがの奥三河

 国名の使い方がうまい。古代の帝の国見という行事がおのずから思い出される、と丸谷はいう。
 「ひとへに句づくりが大ぶりで、景気がいいせいだらう。国名には古い日本のエネルギーがまつはりついている」
 そのくせ、「三月や生毛生えたる甲斐の山」などとまことに近代的な色気がある、とも書く。隅におけない感じだ・・・・。
 この線をたどると、格の高さはしっかりと保ちながら、ずいぶん際どいことになる。「感じない人は別に何とも思はないかもしれないけれど」
 以下、本文に引用された6句のうち3句である。

  初夢に見し踊子をつつしめり
  かなかなや素足少女が燈をともす
  白地着て李の紅をまた好む

 われら日本人の典雅なる伝統、地名ごのみと色ごのみが森澄雄の一身に具現しているらしい。
 それだけではない。いささか三題噺めくが、墨と筆が付け加わわる。
 「普通、俳人みな、ノートに鉛筆で初案を記すものらしい。これは高浜虚子でさへも変わらないと自分で語っている。ところが澄雄は違ふ。いつも矢立をたづさへ、筆を構へて紙に向かひ、句の訪れを待つとやら。彼の発句の堂々としてしかも色つぽい風情は、ひよつとするとこの、筆といふ昔かたぎな小道具ないし呪具を手にしての伝統的な生き方と関係があるのかもしれぬ。澄雄の句には色ごのみをも含めて日本の詩情がみなぎつてゐた」

   *

 以上,、「国見と色ごのみ」に拠る。初出は、2010年8月19日付け読売新聞である。

【参考】丸谷才一「国見と色ごのみ -森澄雄を追悼する-」(『星のあひびき』、集英社、2010、所収)
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【読書余滴】丸谷才一の、人事と大事 ~「認識を示す」という言いまわし・考~

2010年12月04日 | ●丸谷才一
 「週刊ベースボール」のコラム「おれが許さん」で豊田泰光いわく・・・・、日本のスポーツ新聞は昔から「人事新聞」と言われてきたが、これは日本ジャーナリズムの体質で、大新聞だって建前は「政争よりは日本をどうするかが大事」なんて格好をつけているくせに、実際は、「政治化の右往左往を面白おかしく扱って、ほとんど政界芸能新聞といった感じ」だ。
 
 これを注して丸谷才一いわく、「まさしくその通りで、程度の低いすつたもんだを低級に報道して騒ぎ立てるのが大新聞の政治面である。『文藝春秋』の『田中角栄の人脈と金脈』以来その傾向がひどくなつて、軒なみ政界芸能雑誌化してきた。ただしあの大スクープほどの花やかな成果はあげずに。つまり前まへからの人事偏重がいつそうはなはだしくなり、しかも品格が下がつたやうな気がする」。

 で、人事の反対語は何か。ちょっと困るのだが、「人事」なんかよりもっとずっと大事なこと、貴重なこと、本質的なこと、必要なことを「大事」と名づけ、日本のジャーナリズムは今後、大事も扱ってくれ、と要望することにしよう・・・・。
 わがジャーナリズムは大事を余り上手に扱っていないのだが、上手に大事を論じる人もたまにいる。かつての林達夫はその最たるもので、大問題をじつにおもしろく読ませた。ものの見方が鋭く、語り口がしゃれていた。この型の近ごろの評論家として、長谷部恭男に注目している。

 彼の『憲法のimagination』(羽鳥書店)には、たとえば「認識を示す」という一文がある。
 朝のニュースで、○○党の幹事長が××の財源を確保するためには消費税率を2%上げる必要があるとの認識を示した、云々。長谷部はいう、「認識は評価とは違うし、実際の行動とも違う。言ったことの中身が評価や実践と紛らわしくて取り違えられそうなときには、認識であることをはっきりさせるべきだ、というのが『認識を示す』という言い回しが用いられるときの前提である」。
 つまり、価値判断は含まれていませんよ、というのがこの言いまわしの含意だ。
 しかし、まったく含まれていないのか。
 長谷部はいう、「意味論上の意味を超えた語用論上の意味が、『認識』ということばに込められている。/結局のところ、あたかも価値判断を全く含んでいないかのように装いつつ、実は特定の価値判断を前提として人々の行動を一定の方向に誘導するためにこそ、『認識』は示されていることになる」。

 丸谷才一は、「微笑し、哄笑し、爆笑しながら大いに教へられ、なるほどと納得」するのであった。「一体に政治化の言葉づかひをこんなふうに丁寧に正確に分析し、しかもおもしろがらせてくれた人は今までなかつた」
 家庭の事情(【読書余滴】では割愛)と天下国家の取り合わもじつに楽しい。ユーモアの才に富む憲法学者なんて、晦日の月とか遊女の誠とかに似た矛盾概念のような感じがして、びっくりする・・・・。
 そして、丸谷はさっそく応用するのだ。「言葉は人間生活の基本だが、その言葉を手がかりにしてわれわれの文明をあざやかに論じる評論家を一人、新しく得たらしいといふ認識を示したい」

【参考】丸谷才一「人事と大事 ~無地のネクタイ8~」(岩波書店「図書」2010年12月号所収)
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書評:『文学のレッスン』 ~批評家の目が全編をつらぬく「閑談的文学入門」~

2010年06月19日 | ●丸谷才一
 本書は、短編小説、長編小説、伝記・自伝、歴史、批評、エッセイ、戯曲、詩の8章仕立てになっている。伝記・自伝や歴史も文学にふくめている点は、注意してよい。
 著者丸谷才一は、小説家であり、批評家であり、エッセイストでもある。句集『七十句 』(立風書房、1995)も上梓しているから、詩人に数えてもよいかもしれない。したがって、本書には実作者の体験がわんさと盛りこまれていて興味深い。

 小説家としては、長編小説論において、創作の機微を披露する。先行作品の「ハイジャック」は短編小説の手法のひとつだったが、これがやがて長編小説にもとりこまれた、と指摘したうえで、『源氏物語』を「ハイジャック」した自作の『輝く日の宮』に言及する。その0章で女主人公が中学生のときに書いた泉鏡花ばりの「小説」について、『輝く日の宮』では人間と時間が主題なのに、そして著者は徳田秋声に興味があったのに、なぜ鏡花なのかというと、「でも、秋声じゃ人気がないし、なんって思って鏡花にしてしまった。秋声のパスティーシュ、むずかしいしね(笑)」
 読者の関心に対する配慮が文体を決めた、ということだ。そして、鏡花は秋声にくらべると文体模倣しやすい、と。そういえば、いつぞや週刊朝日は、著者も選者のひとりとして鏡花の文体模倣を募ったことがあったはずだ。

 こうした体験談があるものの、全編をつらぬくのは批評家の目である。
 批評家の目は、一見あまり縁がなさそうなもの同士を関係づけるところに発揮される。
 たとえば、短編小説論において、英文学と日本文学を関係づける。英国では短編小説の格は低く、長編小説優位なのだが、英国でショート・ストーリーという言葉が確立する前にスケッチという言葉がわりと使われた(W・アーヴィング『スケッチ・ブック』ほか)。このスケッチという言い方が日本に入ってきて、写生文になった。子規、、虚子たちの写生文である。島崎藤村に『千曲川のスケッチ』がある。そして、その写生の概念とリアリズムの概念が合致して自然主義文学が登場した・・・・。
 あるいは、おなじく短編小説論において、文学をジャーナリズムと関係づける。たとえば、フランスでは、はじめ、長編小説の需要があまりなかった。ブルジョワ階級が、英国よりもそれだけ遅れて成熟したからだ。フランスでブルジョワ階級が興隆するのは19世紀前半からで、この頃ようやくフランスが小説の世紀にはいる。フランスの短編小説の確立は、新聞・雑誌のジャーナリズムのありかたと深く関わっている。フランスの短編小説の型をつくったのは、1980年代のモーパッサンだ。日刊新聞が掲載の舞台だった。サロンの会話が奇譚のようなかたちで定着することもあっただろうが、モーパッサンの読者はあくまで大衆日刊紙を買う層だった・・・・。

 もっとも、これは著者の独創ではなく、先行する学説があるのかもしれない。
 しかし、学問上の業績を自家薬籠中のものとしたうえで一歩先に展開させる作業も批評家の役目にちがいない。
 たとえば、歴史論において、著者は西欧中世の年表を引き合いにだし、脈絡もなければ語り手が不明、という年表の特徴を挙げる。かたや、歴史は物語であり、語り手の「声」がある、と。これは、本書で明示されているようにヘイドン・ホワイトの議論を踏まえている。そのうえで、歴史=物語説に対する反論を検討していくのだ。

 検討の先に、理論化がある。
 長編小説論において、文学賞選考では「漠然たる読後感をいいあって、そのうちなんとなく話が決まる」という感じだと伝えたあと、著者は基準とはいわないまでも手がかりを考えた、という。第一に作中人物、第二に文章、第三に筋(ストーリー)である。いわば文学賞選考に係る丸谷理論だ。
 この点、批評論において詳しく展開される。すなわち、文芸批評も形式別に類別すると全体像がすっきりとつかめる、と整理する。(1)時評的批評、(2)文学史的批評、(3)作品論的批評、(4)作家論的批評、(5)パロディ的批評、(6)詞華集(アンソロジー)的批評、(7)原論的批評、(8)文明論的批評、である。たしかに、こう分類され、逸話やゴシップとともに解説されると、よく飲みこめる。
 批評家の役割には、すくなくともその一つには、読者がばくぜんと感じていることを整理して明瞭にする作業があるのだ。

 明瞭にすると、あまり愉快でない評価も明らかにされてしまう。
 つまり、論のない(論)争批判である。斎藤茂吉の罵詈雑言は、「本当に汚い」「僕は嫌いなんだな、茂吉のああいうところ」。与謝野鉄幹なんか人間扱いじゃないところは、「恐ろしいものです。そういう風潮があったから、とにかく論争をしたら勝てばいい、勝つためにはののしることだ、というふうになった。論争のなかの論という部分はなくて、ただ争あるのみになって、それをみんながはやしたてる。そういうことが日本の批評をずいぶん下等にしたし、無内容にしたし、批評家がものを考えなくなる下地をつくったんですね」

 批評家がものを考え、ものを言うとどうなるか。
 日本文学大賞の選考委員会で、司馬遼太郎は山本健吉『詩の自覚の歴史』を推した。ところが、丹羽文雄が反対した。こういうのは批評じゃない、学問だ、批評は小林秀雄が書くようなものだ、うんぬん。司馬、ちっとも騒がず、それは言い過ぎ、そのせいでいい批評家がでなくなった、と弁護。これを受けて著者が続けた。
 「小林秀雄の文章は威勢がよくて歯切れがよくて、気持ちがいいけれど、しかし何をいっているのかがはっきりしない。中村光夫や山本健吉の文章は歯切れのよさという点では小林秀雄に劣るかもしれないが、少なくとも何をいっているのかはよくわかる。そういう意味で、小林秀雄の批評は明治憲法の文体ににている。気持ちのいい文体という人もいるが、私には何のことをいっているのかよくわからない。そこへゆくと中村光夫や山本健吉の文書はそういう爽快さはないけれど、内容を伝達する能力は高い。その意味でこれは現行憲法みたいなものである」
 翌年、パーティで会った著者に司馬が告げた。あの小林秀雄は明治憲法うんぬんを講演のときに使うと非常に受ける、どうもありがとう。

 本書には、こうした逸話やゴシップがふんだんに盛りこまれて読者を飽かさない。
 エッセイ論で、「昔、野坂昭如が、雑文というのは結局、冗談と雑学とゴシップの三つだといったことがあった」という逸話を紹介する。ただし、『枕草子』や『徒然草』の共通点は「ゴシップとか雑学とか、それもあるけれども、いちばん基本にあるのは好きなものを書くということだ」。書き手が好きなものを書けば、作品は自ずから楽しくなる。文学のめでたさと言うか、めでたさの文学というか。桑原武夫『文学入門』のインタレストとどこかで呼応する。
 詩論において、吉田健一と一杯飲んでいるときの思い出を語っている。好きな詩を問われて、英語の詩を数行暗唱したところ、「ああといって、くちゅくちゅと口のなかでくり返す、そしてああきれいだな、とかいって喜ぶ。カラスミとかウニを食べるような感じなんですよ。詩が酒の肴になるのね。僕はなるほど詩というものはこんなふうに楽しむものか、と思いました」
 本書は、かくのごとく、じつにしゃれた終わりかたをするのである。

 ところで、本書は、インタビューによる文学概論・・・・はしがきによれば、閑談的文学入門である。これまで著者=丸谷才一という前提で書いてきたが、よきインタビュアーを得て本書が成立していることを強調しておきたい。
 丸谷才一/山崎正和『半日の客一夜の友』(文春文庫、1998)所収の『対話的人間とは何か』に、こんなくだりがある。

----------------(引用開始)----------------
丸谷 (前略)聞く、聞き終わる、読み終わるという読解力が対談術の基本なんだと思います。

山崎 それには古典的な先例がありましてね。プラトンの『ゴルギアス』という対話編の中に大変な名言がある。プラトンがいくら説得しても、ソクラテスの哲学がわからない人に対してプラトンは、「わたしが答え手になろう、あなたが語りなさい。そうするとあなたは問題を理解するであろう」というんです。つまり、よき聞き手というのは聞くことを通じて相手を開発するんですね。(中略)ギリシア哲学者の田中美知太郎さんによると、「ソクラテスの対話」では、ソクラテスが言い負かされることを通して真実が出てくる、と言うんです。つまり対話の一番理想的な場合には、どこかに神様がいて、二人の対話を通して真実を発見させる。場合によっては、一人の人間の敗北を通して真実が見えてくるというようなものであるはずなんですよ。

丸谷 そう、勝敗じゃなくて、共同作業による真実の探求みたいなものだね。いい聞き手は、相手の言わんとするところを聞くものです。どうでもいいところはあえて聞かない。大局を問題にする。つまらない間違いにこだわって、そこのところをつついていけば、論争には勝てる。でも、それではつまらない対談になっちゃう。(後略)
----------------(引用終了)----------------

 本書は、対話ではないから、「聞くことを通じて相手を開発する」ところまでいってない。
 しかし、インタビュアー湯川豊は、ツボをおさえた質問で丸谷からうまく話を引きだし、話をよく交通整理している。ときには、ほとんど「対話を通して真実を発見させる」に近いやりとりも見られる。たとえば、意味が解体している百鬼園随筆の魅力を語って、古今亭志ん生の落語と対比し、丸谷才一を唸らせている。

□丸谷才一『文学のレッスン』(大進堂、2010)
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【読書余滴】アルルの女、短編小説の起源、日本の自然主義文学の源流

2010年06月15日 | ●丸谷才一
 20歳になる立派な百姓、美男子のジャンはアルルの女を見そめる。浮気女として知られていたので両親は反対したが、ジャンが執拗に求めるので両親はしかたなく許した。
 ところが、彼女を2年間情婦にしていたという男があらわれた。
 ジャンは結婚を断念し、二度と彼女のことを口にしなかった。
 しかし、ジャンの思いは変わらず、聖エロアの祭日の夜、屋根裏から飛び降りて死んだ。
 映画『愛と宿命の泉』で、マノンに翻弄されて自決したウゴラン(ダニエル・ウートゥユ)のように。

 短編『アルルの女』には、タイトルになっているアルルの女がちっとも登場してない。ジャンの見るところや噂にもとづく両親の考え(それもほとんど記述されていない)、あるいは情夫の口を通じてしか伝わらない。
 さればこそ、かえって魔性を感じさせる。事実ではなくて、伝聞が生みだす魔性だ。魔女は口伝てによってつくりだされる。
 ことに、閉ざされた狭い地域の中において。

   *

 ところで、丸谷才一『文学のレッスン』(大進堂、2010)の短編小説論によれば、英国では短編小説の格は低い。長編小説優位なのである。フランスでは、はじめ、長編小説の需要があまりなかった。ブルジョワ階級が、英国よりもそれだけ遅れて成熟した。
 フランスでブルジョワ階級が興隆するのは19世紀前半からで、この頃ようやくフランスが小説の世紀にはいる。
 短編小説の確立は、新聞・雑誌のジャーナリズムのありかたと深く関わっている。フランスの短編小説の型をつくったのは、1980年代のモーパッサンだ。日刊新聞が掲載の舞台だった。サロンの会話が奇譚のようなかたちで定着することもあっただろうが、モーパッサンの読者はあくまで大衆日刊紙を買う層だった。
 英国でショート・ストーリーという言葉が確立するのはだいぶ後になるが、この言葉が使われる前にスケッチという言葉がわりと使われた(W・アーヴィング『スケッチ・ブック』ほか)。このスケッチという言い方が日本に入ってきて、写生文になった。子規、、虚子たちの写生文である。そして、短歌・俳句の写生論である。島崎藤村に『千曲川のスケッチ』がある。そして、その写生の概念とリアリズムの概念が合致して自然主義文学が登場した。

【参考】アルフォンス・ドーデ’(桜田佐訳)『風車小屋だより』(岩波文庫、1932、改版1958)
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書評:『たった一人の反乱』 ~ひとすじ縄ではいかない風俗小説~

2010年06月11日 | ●丸谷才一
 主人公馬淵英介は、40代、元キャリアの通産官僚。防衛庁への異動の内示を蹴り、本省の課長を最後に家庭電機会社へ天下りした。
 妻を亡くした直後に、モデルのユカリと出会う。
 20歳年下の新妻とともに新生活がはじまった。

 このあたりはウマイことをやりよるな、くらいの感想でよいのだが、新婚早々、さっそくひと騒動が起きる。ウマイ話は長続きしないのだ。
 ユカリの祖母、鍋島歌子がころがりこんできたのだ。
 馬淵家に次から次におきる波乱の序幕であった。

 歌子は、殺人罪で13年間服役していた。ユカリの父野々宮雄次郎は、折悪しく学生運動に対する不手際から大学教授を辞任したばかりで、引き取れない、という。
 だからといって、なんでまた孫の旦那が引き受けなくてはならないのか。
 ところが、なんとしたことか、英介に長らく使えてきた女中金子ツルが歌子のきっぷのよさに惚れこんだのだ。ユカリもまるめこまれる。
 英介は、(元)官僚の処世哲学で、風見鶏をきめこむ。

 悪いことばかりではない。
 さるほどに、歌子の折り目正しい生活ぶりが馬淵家に好影響を与えだした。
 英介は役員となり、家内は日々平安・・・・のはずだったのだが、禍福はあざなえる縄のごとしで、家事万端をきりまわしていたツルが料理屋のおかみとして引き抜かれてしまった。残る女二人は、呆然とする。いずれも家事が下手なのだ。家事は苦痛でしかない。

 いい歳の歌子は愛人をつくる。それだけではない。権力にいじめられた過去のうっぷんが突然噴きだして、デモ隊にまじって機動隊に石を投げつけたりもするのであった。
 ユカリもモデル業に力を入れだしたあげく、受賞席で醜態をさらした写真家貝塚玄とともに一夜をすごす。

 英介も、なんだかおかしな立場に追いやられる。業績が低下した工場の長として栃木県へ転勤することになったのだ。
 殊勝にも、ユカリは英介に同行した。

 工場の人出不足は刑務所と契約することで、解決した。
 ひとひとくせもふたくせもある歌子にもまれた経験が、囚人の起用のアイデアに結びついたのである。工場の業績は上向いた。

   *

 官僚崩れの主人公馬淵英介も、英介の妻となるモデルのユカリも、ユカリの祖母にして前科一犯の歌子も、歌子の婿(つまりユカリの父)野々宮教授も・・・・いっぷう変わった性格や経歴があることはあるけれども、私たちの隣近所に住んでいても不思議はないタダの人である。

 本書は、タダの人の一人である主人公と、彼をとりまく人間関係を通じて昭和40年代後半の風俗を描く滑稽小説である。本書がかもしだす笑いは、衒学的でこそないものの、夏目漱石『吾輩は猫である』が時を越えて再び出現した、ともいえる。
 ただし、笑いも諷刺もさりげなく洗練されている。しかも重層的に。
 たとえば、こんなくだりがある。祖母が殺人犯と知って動揺するユカリについて、英介は考えるのだ。「つまりこの女は生まれてはじめて、一寸さきは闇というような、あるいは板子一枚下は地獄というような、自分の知らないところで自分に関する飛んでもないことが用意されているという不安を知ったのだろうとぼくは考え、しかしそのことは口にしなかった」
 会話文が提示する意識せざる行動を地の文が解説する。解説はしかし、作者がじかにのりだすのではなくて、登場人物の受け止め方として示される。透徹したまなざしの神のごとき視点は表層には出てこない。あくまでも登場人物相互の応答で進行する。

 結末は大団円めくが、これまでの経過をみれば、今後とも波乱はまだまだ生じるはずだ。小説としては完結し、小説のなかを生きる人々には完結はない。その後が気にかかる・・・・と、そう読者に感じさせるだけでも、この小説は成功している。

 『たった一人の反乱』というタイトルには、わが国の私小説の伝統に抵抗する「たった一人」の著者丸谷才一(というのは誇張ではあるけれど)、といった思いがこめられていた、と思う。この小説自体が私小説批判なのだ。近著の『文学のレッスン』(大進堂、2010)でも、私小説に対する矛先はおさめていない。
 このタイトル自体、流行語になってもおかしくはないインパクトがある。はたして、あちこちで用いられ、2008年からNHK総合で断続的に放映されているドキュメンタリー番組の総タイトルにもなった。

□丸谷才一『たった一人の反乱』(講談社、1972)
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書評:『思考のレッスン』

2010年03月17日 | ●丸谷才一
 しょっぱなから、すごいことが書いてある。「正しくて、おもしろくて、そして新しいことを、上手に言う。それが文筆家の務めではないか」
 文筆業者でなくてよかった、こんな芸当は自分にはとうていできない・・・・などと慌てないように。すぐ後に、この四拍子が全部そろうのは難しい、とつけ加えられている。せめて新味のあることを言うのを心がけよ、と。たしかに、夫子自身はオリジナリティあふれる文章を書きまくっている。

 では、その秘訣は何か。これが本書のテーマである。
 6つのレッスンで構成される。すなわち、(1)思考の型の形成史、(2)私の考え方を励ましてくれた三人、(3)思考の準備、(4)本を読むコツ、(5)考えるコツ、(6)書き方のコツ、である。

 誰にでもできる具体的なレッスンがある。(4)の「本を読むコツ」から例をひこう。
 読みながら、人物表や年表を作るのだ。人物表とは、ハワカワ・ミステリーの最初に用意されている登場人物一覧表のようなものである。これを自分で作る。登場人物の関係図を作ると、理解が深まる。同様に、年表も自分で作り、関係する事項を追加していく。

 しかし、こうしたテクニックより興趣がまさるのは、丸谷が著作をものするきっかけである。
 たとえば、丸谷が少年時代にいだいた二つの疑問だ。その一つは、「日本の小説は、なぜこんなに景気が悪いことばかり扱うんだろう」というもので、これが後年批評家として大成する出発点となった。

 疑問の力はおおきい。
 日本文学史の本はみなつまらない、という不満を丸谷はかねてから抱懐していた。ある日、英国人が詞華集を好きなのはなぜか、という疑問が湧いた。英国人が引用好きなせいではないか。いやいや、日本人も明治以前には詞華集が好きだった、勅撰集や七部集があった。今はよいアンソロジーがない、共同体の文学が失われた。待てよ、これを使ったら日本文学史の時代区分ができるのではないか。・・・・という思考の流れがあって、政治的時代区分を借用していた従来の文学史を一新する『日本文学史早わかり』が誕生した。

 このあたりも、本書で定式化されている。
 つまり、第一によい問いを立てること。
 第二に自分自身が発した謎をうまく育てること。
 そして、これは文章を書くコツにつながる。問いがあり、謎を育てていくうちに言いたいことが出てくるし、言うべきことを持てば、言葉が湧き、文章が生まれるのだ。

 本書は、ハウツー的な発想法としても読めるが、批評家丸谷才一の楽屋裏をのぞくのに格好な本である。

□丸谷才一『思考のレッスン』(文藝春秋、1999。後に文春文庫、2002)
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