本居宣長
学問論。
「うひやまふみ」より
学び始めるのに、遅すぎることはない。
そんな勇気をもらえます。
またミュージシャン的に言えば、学問を演奏に読みかえることもできるわけです。
才能の多寡ではなく、長い間倦まず怠らずに励むことこそ肝要というのが、
非常によくわかる気がします。器用で上手い人は意外と楽器を辞めてしまったりするんですよね。それに身に付かない感じ。意外と不器用な人のほうが、ずっと辞めずにやり続けて、いいミュージシャンになったりして。
以下が本居宣長「うひやまふみ」より
当該の部分の引用であります。
学問論。
「うひやまふみ」より
学び始めるのに、遅すぎることはない。
そんな勇気をもらえます。
またミュージシャン的に言えば、学問を演奏に読みかえることもできるわけです。
才能の多寡ではなく、長い間倦まず怠らずに励むことこそ肝要というのが、
非常によくわかる気がします。器用で上手い人は意外と楽器を辞めてしまったりするんですよね。それに身に付かない感じ。意外と不器用な人のほうが、ずっと辞めずにやり続けて、いいミュージシャンになったりして。
以下が本居宣長「うひやまふみ」より
当該の部分の引用であります。
詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかようにてもよかるべく、さのみかかはるまじきこと也。いかほど学びかたよくても怠りてつとめざれば、功はなし。又人々の才と不才とによりて、功いたく異なれども、才不才は、生まれつきたることなれば、力に及びがたし。されど大抵は、不才なる人といえども、おこたらずとつめだにすれば、それだけの功は有る物也。又晩学の人も、ととめはげめば、思いの外功をなすことあり。又暇のなき人も、思いの外、いとま多き人よりも、功をなすもの也。されば才のともしきや、学ぶことの晩きや、暇のなきやによりて、思ひくづをれで、止ることながれ。とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし
本居宣長「うひ山ぶみ」 (講談社学術文庫)白石 良夫(全訳注)講談社このアイテムの詳細を見る |
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