スパイク・リー監督の映画『アメリカン・ユートピア』を観た
19の時、バンドがやりたくて京都の大学を辞め、東京の大学に入学した。左側バンド活動にいそしんだ。高校の仲間も東京にいたので合流した。そしてプロになるにはコピーとかやってる場合ではないのでオリジナルを作り続けた。
20歳の春休み頃だったろうか。自分が作る曲(普通のポップなロックだった)が、作る前から世の中に存在している(つまりありきたりのよくある曲ということ)ことが真底いやなってきた。具体的に言えば身体的に気持ちが悪くなって、吐いてしまったこともあった。
若者らしい他の悩みと相まって、もう音楽を辞めよう、と思った。(音楽そのものを辞めようと思ったのは人生でその時だけ)
そんな話を打ち明けに高校時代からのバンド仲間でその時も、そしてその後のプロのバンドもいっしょにやった佐藤の部屋(鷺ノ宮にあった)に行って、あらかた前述したようなことを言ったんだと思う。
で、その時佐藤の部屋で聴かせてもらったのがトーキングヘッズだった。それまではTOTOだの、ジミヘンだの、まぁ普通(といってももちろん偉大)なものをきいていたんだが、このRemain in Lightの曲の手触り、テクスチャー、リズム、そしてなにより変わった音作り、ぶっ飛んだ(最初はギターだとは思えなかった)エイドリアン・ブリューのギターに衝撃を受けた。
トーキングヘッズの衝撃、そしてその後貪るように聴き漁ったニューウェーブのの衝撃は大きくて、その後の僕の音楽人生、さらにはものづくりや発想、そしていまの物書きとしての基本的なスタンスが決まった。それは「いまこの世にないもの(しかも面白いもの)(しかも美しいもの)を作る」というものだった。そのコンセプトで「はる」というロックバンドが生まれ、メジャーデビューもするわけだが、まぁ自分の音楽の話はさておく。
トーキングヘッズは僕にとって、そういう恩人のような存在であって、バンド絶頂期に作った映画「ストップ・メイキング・センス」は、もう素晴らしいなんてもんじゃないのだ。(このころ残念ながらエイドリアン・ブリューはすでに脱退してキングクリムゾンのフロントマンになっていた)。
その後トーキングヘッズの話は聞かなくなっていたが、突然今年話題になったのがトーキングヘッズのフロントマンであるデイビッド・バーンのコンサートのドキュメンタリー映画だ。監督はDo the right thingのスパイク・リーだ。
コロナ禍の隙間を狙って吉祥寺に観に行った。実に素晴らしかった。
ストップ・メイキング・センスのころの「むき出しのニューウエイブ」が、年月を経ることで洗練され、機材のワイヤレス化や小型性能化が進むことでミニマムからさらに勧められたように思う。
ステージがそぎ落とされることでロックバンドのコンサートと言うよりも演劇もしくはミュージカルまたは1つのミニマルなパフォーマンスの様相を帯びており、デイヴィッド・バーンは一人でもう、そんな境地にまで至ってしまっているのだということを強く感じた。
ゆるふわ時の時代の検証ではなく表現の方向その表面だってデビットバーンは一歩も歩みを緩めることなく、表現を研鑽し続け、素晴らしいミュージシャンたちを集め、アンサンブルとパフォーマンスを磨き上げ、ついにタイムスクエアの名だたるミュージカルや演劇に匹敵するつまり音楽の中にとどまっては評価できないほどの高次元なパフォーマンスを実現したのである。
素晴らしいとしか、いいようがない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます