よく晴れた秋の空の下、青梅街道新中野付近で、加藤和彦を悼む。
昨日、抜けるような蒼空の下、青梅街道をバイクに乗って、広尾へ向かっていた。
新中野近辺で、交通事故があったようで、救急車が走りってきて、
路上には人が倒れていた。血は見えなかったけど。
ここのところ立て込んでいて押さえ込んでいた想いが、急に、ほとばしり出て、
涙が流れた。
加藤和彦氏のことである。
ものすごく加藤和彦さんの大ファンというわけではないが、
以前も書いたように、ソロの作品、うたかたのオペラ、とかあの頃マリーローランサンとか、パパヘミングウェイとか、
非常に影響を受けたし、日本の音楽シーンで、こういう曲、こういうスタンスで音楽ができるのだ、と想わせてくれた。それも大きい。
アマチュアバンドをやっていて、コンテストで優勝し、レコード会社から声がかかったことがある。
その時に僕たちは当時のワーナーパイオニアを選んだ。これは上記のアルバムがワーナーパイオニアから出ていたからだった。
フォークではなく、バンド指向、歌詞ではなく、サウンド志向。
サディスティックミカバンドなんて、当時あり得ないぐらい、ロックだ。
テクニックではなく、かっこよさ、切り口を。
そんな方向性をあの当時、鮮やかに示せた人はいないのではないだろうか。
遺書には、現在の音楽への絶望や、作るモチベーションがなくなった、というようなことが書かれていた、と聞いている。
でも、人は、音楽のせいで死んではいけないと思う。音楽が好きなら、音楽に生かされこそすれ、死んではいけないと思う。
それが、たぶん、昨日の涙の理由だ。悔しかったのだ。
音楽シーンがどうであれ、流行の音楽がどんなものであれ、
音楽は、厳然として音楽であって、演奏すべき曲、歌うべき曲、聴くべき音楽は、死ぬまで続けたって足りないぐらいあるはずだ。
菊地成孔のブログでも、
彼は同じようなことを言っている。
http://www.kikuchinaruyoshi.com/dernieres.php?n=091019025452
以下は上記の引用である。
歌うべき歌は、やるべき新しいトライは、道端で一人になってもあるのです。四肢を失っても、瞬きを使ってでも刻むべきリズムは必ずあるのです。故人にも必ずあった筈です。故人のあの声、天性の天声は、まったく変わっていなかったのですから。
僕がずっと前から考えていたことだが、もし音楽で死んでいいとしたら、
「この世の中から音楽を無くすことにした。ただし、お前が命を捧げるなら、それはやめてやる」と神様に言われた時だけだろう。
加藤和彦さん、よく晴れた秋の日には、時々あなたを思い出すと思います。
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