ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

猛暑の劔岳:我々はもう仲間です!

2018年10月02日 00時33分46秒 | Weblog
本日二度目の劔岳山頂までもう少しのところまで登ってきた。
斜度は厳しいが、ここまで来れば危険度はそう高くはない。


落石のことを忘れたわけではなかった。
むしろかなりシビアな教訓として残しておくべき事と割り切って登った。
「ここを登り切れば山頂が見える。あとはひたすら下山ルートだ。」
体中の火照りが体力を消耗させている感じがした。
だからこそ早く下山したい思いが募る。


フラットなルートに出た。
もう山頂は見えており、幾人かの登山者の会話まで聞こえてきた。

「さてと、このあたりがいいかな。やろうか!」
「いいですね。やりましょう!」
と言ってザックから20メートルのザイルを取り出した。
結局は今のところこのザイルを使わずに済んでいる。
「無駄に重かったかな」とも感じるが、やはりバリエーションルートでは何が起きるか分からないだけにお守り代わりの様なものだ。



映画「劔岳 点の記」のほぼラストシーン。
山頂手前での測量隊・柴崎芳太郎(浅野忠信)と宇治長治郎(香川照之)との会話。
お互いの体を結んでいたザイルを、長治郎が自ら解き始めた。
「ここまで来れば・・・。ここから先はみなさんが先に行って下さい。」
「いやいやいや・・・」
「わしの仕事は山に登りたい人の助けをすることですちゃ。わしが先に登っちゃ申し訳ないです。」
「いやいや、私はあなたの案内でなければ頂上までは行きません。今日まで一緒に頑張ってきたじゃないですか。我々はもう立派な仲間です。私はあなたがいなければここまで来れなかった。この先も仲間と一緒でなければ意味がないんです。長治郎さん、最後まで案内をお願いします。」

互いの体を結んでいたザイルを二人が持ちながら会話をするシーンだ。
これをやってみたかった(笑)。


唯の「山バカ」、「剱かぶれ」、「映画の見過ぎ」と思われようともかまわない。
映画のシーンと同じ場所でなければ、危険を冒してここまで来なければできない漫才の様なものだ。
だから二人はいたって真面目、真剣だった。
そしてこの直後に言ったAM君の一言が重かった。
「あの映画って明治40年のことですよね。あんな昔にあんな服装や装備で本当にここまで来たんですね。」
「そうなんだよなぁ。いくら仕事、いくらお国のためとは言え、あんな装備で来たんだよね。だから今の時代の俺たちが最新装備でいるのに泣き言なんて言ってたらバチが当たるよ。」


山頂に着いた。
真っ先に行ったポイントは三角点だ。
今まで何度もこの三角点に触れ、感謝の言葉を言ってきた。
だが、これで16回目の剱の山頂であるはずなのに、今までとはまた違った思いで触れた。

(「これで16回目の剱です。何度登っても新鮮です。そして唯々感謝です。こんな素晴らしい山に登らせていただきありがとうございます。」)

いい歳扱いたおやじが何を青春ぶってるか!
と笑われてしまうが、笑われてもいい。
唯純粋に剱岳が好きだから毎年登っている。
それだけなのだ。