ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

I am salaried man♪ 

2012年09月20日 22時49分54秒 | Weblog
30年続けた教員を早期退職し、8月から登山を中心としたアウトドア専門店での勤務となり一か月以上が過ぎた。

もう過去のことは過去として振り返らないことを己の「掟」としている。
それでも時に懐かしく、受け持ってきた生徒のことを思い出すことがある。
やはり個性の強かった生徒が印象に残っているなぁ。
そして、問題を起こしたあんぽんたん生徒ほど懐かしい・・・。

警察のご厄介になった奴。
とっくみあいをした奴。
やっぱり懐かしいなぁ・・・。

ただねぇ、今と大きく違うところは「世情」とでも言うのだろうか。
嘗て教師は「聖職者」と謳われ、時に「先生様」などと現代では信じられない呼ばれ方をされてきた時期もあった。
だが、今はどうだ。
若き教師は優秀であり、PC操作なんぞお手の物。
マニュアル化された学習指導、生徒指導さえ押さえておけば間違いのない教員生活を謳歌することができる。
そしてやがてはサラリーマン教師の道を歩んで行く。

すべての教師がそうであるとは言わない。
言わないが、事実は事実だ。
大きな問題行動を起こし、生徒指導の困難を極める生徒であっても、
「3年すればさよならじゃないですか。それまで言われた指導をやっていればいいんですよ。それで給料もらえるんですからいいじゃないですか。」
と、平気で嘯く教師。
心底何とかしよう。生徒の心に訴えかけよう。一歩ずつでいいから・・・。
こんな考えは時代遅れなのかな・・・と、ここ数年間ずっと考えてきた。

「生徒の人権」というものが大きくクローズアップされ、重要視されて久しい。
生徒指導においては、その「人権」が故にあまりにも分厚い新しい壁ができた。
体罰は絶対に起こしてはいけない。
「教育的熱心さのあまりつい・・・」は言い訳に過ぎない。
バカ野郎と叫べば、それは言葉の暴力。
人権を否定するつもりもなければ、生徒への体罰を肯定するつもりなどさらさらない。
ないがその結果はどうだ。
注意は言える。指導もできる。
しかし、叱り方を知らず、叱ることができず。
つまりはマニュアル化された通り一遍の指導で終わる。

どうして心に訴える指導ができようか!

はっ! 待て・・・。
これって過去を振り返っている俺だ。
いかんいかん。

世の中には本当にいい先生だっているんだし。ねっ♪

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