猿猴橋復元工事
被爆70年事業
橋の西側、親柱の上に台座
↓前回記事は、こちら↓
猿猴橋復元工事(その21)
大正浪漫 猿猴橋
被爆橋梁の一つである猿猴橋を
1926年(大正15年)当時の姿に復元します。
猿猴橋(えんこうばし)を西側から見たところ。
親柱の上には、金属製の装飾を取り付けるための台座が
取り付けてあった。
猿猴橋は江戸時代、参勤交代で広島城から江戸に向かう途中にある
猿猴川に架けられたのが始まり。
その橋が、今から90年前の1926年(大正15年)、
現在のコンクリート橋に架け替えられた時、
親柱の上に地球儀の上で羽ばたく鷲の像と、
欄干には2匹の猿が向かい合って1つの桃を掲げる飾りが
取り付けられたそうじゃ。
ところが太平洋戦争中の1943年(昭和18年)、
金属不足を補うために出された「金属類回収令」によって
橋の金属製の装飾部分は取り外され、
戦後もそのまんまじゃった。
それを今回の工事で復元しようというわけじゃ。
(上の2枚の写真のみ 撮影日:2015年3月28日)
その、親柱の上に飾られとった地球儀の上で羽ばたく鷲の像は
昨年の3月に完成して、今は猿猴橋の西側に飾ってあるんじゃの。
この欄干には、先ほど紹介したとおり、
猿の飾りが取り付けられる予定じゃ。
橋の奥、画面中央に高くそびえるのが、
広島駅前Bブロック西棟。
今は47~48階あたりを建設中じゃった。
↓猿猴橋復元工事については、こちら↓
「猿猴橋復元事業について」広島市ホームページ
↓猿猴橋については、こちら↓
猿猴橋復元の会
訪問日:2016年1月31日
今日は、猿猴橋で行われている復元工事について話をさせてもらいました。
ほいじゃあ、またの。
被爆70年事業
橋の西側、親柱の上に台座
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猿猴橋復元工事(その21)
大正浪漫 猿猴橋
被爆橋梁の一つである猿猴橋を
1926年(大正15年)当時の姿に復元します。
猿猴橋(えんこうばし)を西側から見たところ。
親柱の上には、金属製の装飾を取り付けるための台座が
取り付けてあった。
猿猴橋は江戸時代、参勤交代で広島城から江戸に向かう途中にある
猿猴川に架けられたのが始まり。
その橋が、今から90年前の1926年(大正15年)、
現在のコンクリート橋に架け替えられた時、
親柱の上に地球儀の上で羽ばたく鷲の像と、
欄干には2匹の猿が向かい合って1つの桃を掲げる飾りが
取り付けられたそうじゃ。
ところが太平洋戦争中の1943年(昭和18年)、
金属不足を補うために出された「金属類回収令」によって
橋の金属製の装飾部分は取り外され、
戦後もそのまんまじゃった。
それを今回の工事で復元しようというわけじゃ。
(上の2枚の写真のみ 撮影日:2015年3月28日)
その、親柱の上に飾られとった地球儀の上で羽ばたく鷲の像は
昨年の3月に完成して、今は猿猴橋の西側に飾ってあるんじゃの。
この欄干には、先ほど紹介したとおり、
猿の飾りが取り付けられる予定じゃ。
橋の奥、画面中央に高くそびえるのが、
広島駅前Bブロック西棟。
今は47~48階あたりを建設中じゃった。
↓猿猴橋復元工事については、こちら↓
「猿猴橋復元事業について」広島市ホームページ
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猿猴橋復元の会
訪問日:2016年1月31日
今日は、猿猴橋で行われている復元工事について話をさせてもらいました。
ほいじゃあ、またの。