「先日、平和の火(=原爆の火)の話をした時に、NHK広島放送局の「ヒロシマの火 平和への灯」は紹介したんじゃけど、広島ガスの紹介をしとらんかったね」
「被爆当時の広島瓦斯(ガス)の本社は、現在の大手町第一公園あたりにあったそうじゃ」
「「瓦斯」と書いて「ガス」と読むんじゃね」
「そうでガス」
原爆犠牲者追憶之碑
同上 アップ
同上 由来
「原爆犠牲者追憶之碑は、元安橋東詰から川沿いの緑地帯を南に歩いていくとあるんじゃの」
「この碑は、いつごろ建てられたんかね?」
「1967年(昭和42)、旧本社跡に建てられたんよ。もちろん、最初は平和記念公園の「平和の灯」を灯しとられたそうじゃ」
「2007年(平成19)8月6日に、星野村の「平和の火」を合わせて灯されたんじゃね」
広島瓦斯(ガス)株式会社跡
(爆心地から約210メートル)
鉄筋コンクリート造り地上3階、地下1階建てのこの建物は、原爆により、南側の一部を残して崩壊(ほうかい)し、屋内にいた約35人の職員は、全員が死亡しました。
すさまじい爆風圧によって、各階の床と天井が1枚になって崩(くず)れ落ちました。
(原爆被災説明板より)
原爆被災説明板
「同社の義勇隊員34人が、天神町(てんじんまち)や木挽町(こびきちょう)あたりで建物疎開の作業をされとったんじゃが、こちらも全員死亡されたとるそうじゃ」
「天神町や木挽町いうたら、どのあたりかいね?」
「天神町は、今の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館から広島平和記念資料館の東館、平和大橋の南側まで、平和記念公園の南東側にあった町なんよ。ほいで木挽町は、平和記念公園の南側にある100メートル道路より、まだ南側にあった町になるんじゃの」
天神町の地図
(天神町案内板より)
「ほかにも、中国地方のガス会社の首脳陣も原爆の犠牲になったそうじゃ」
原爆は中国5県下のガス事業の首脳陣をもこの惨禍に巻き込んだ。
8月5日、軍の要請により広島市に参集し、ガス事業を統合するための最後の協議決定を終えた各社の一行は、大手町の虎屋旅館に宿泊していたが、全員が犠牲となった。
1945(昭和20)年9月、焼け残った藤野新社長宅を本社に復旧に努め、翌46年4月に市内の残存需要家235戸にガス供給を開始した。
広島瓦斯が48年に紙屋町にいち早く建設した本社屋は、被爆後初の本格的建設で、「ガスビル」と呼ばれて市民に親しまれた。
(被爆建造物調査研究会『ヒロシマの被爆建造物は語る』広島平和記念資料館 1996年)
「広島ガスは、いつできたんかいね?」
「1909年(明治42)、「広島瓦斯株式会社」という名前で設立されたんよ。その後、「尾道瓦斯株式会社」や「呉瓦斯株式会社」と合併したそうじゃ」
「1909年ということは、2年前の2009年(平成21)に創業100周年を迎えられとってんじゃね」
「1917年(大正6)、「広島電気軌道株式会社」と合併して、「広島瓦斯電軌株式会社」に社名を変更されとるんじゃ」
「「広島電気軌道」って、「広島電鉄」のこと?」
「ほうじゃの」
「何でガスと電鉄が合併しちゃったんかね? 電気と鉄道ならわかるけど…」
設立当初は、大林組傘下の会社で、同様の経緯で設立された会社に「広島電気軌道株式会社」(現在の広島電鉄)がある。
翌年以降に吸収合併された「尾道瓦斯株式会社」及び「呉瓦斯株式会社」も大林組関係者が代表を務めていた。
大林組社主の大林芳五郎(おおばやし よしごろう)の死去により、鈴木商店の援助を受けた実業家の藤田謙一(ふじた けんいち)に株式が売却され、大林組傘下を外れている。
(「広島ガス」ウィキペデイア)
「「広島瓦斯」「広島電気軌道」とも、大林たちの出資によって作られた会社なんよ。のちに藤田がこの2つの会社の株式を買い取り、両方の社長をしとったこともあって、合併ということになったらしいんじゃ。原爆の被害にあった「広島瓦斯」の建物も、「広島瓦斯電軌」の本社として、1922年(大正11)に建てられたそうなんよ」
「へぇ」
「1942年(昭和17)、政府の要請によってガス部門と鉄道部門を分離し、以前の「広島瓦斯株式会社」に社名を戻されたそうじゃ。鉄道部門の方は、さっき話に出てきたように、「広島電鉄株式会社」になっとるんじゃがの」
「原爆投下時には、さっきのような被害を受けとってんじゃね」
「1970年(昭和45)、現在の「広島ガス株式会社」に社名を変更されとってんじゃ」
「そういや、今年の5月くらいから広島ガステレビCMに、広島出身の吉川晃司(きっかわ こうじ)が出とるね」
「「ガ流でいこう。」じゃの」
「相変わらずカッコええし、料理の手つきも慣れとる感じじゃね」
「この間から、NHK総合の『シリーズ 平清盛』でナレーションもやっとってじゃのう」
「なかなか渋い声で、ええね」
広島駅南口から見える、広島ガスの巨大看板
(駅前会館屋上)
↓広島ガスについては、こちら↓
広島ガス株式会社
↓広島ガスのCMについては、こちら↓
「CMライブラリー」広島ガス
↓吉川晃司については、こちら↓
K2 NET CAST:KOJI KIKKAWA OFFICIAL WEBSITE
↓広島電鉄については、こちら↓
ひろでんアベニュー
↓平和の火(=原爆の火)についての関連記事は、こちら↓
「ヒロシマの火 平和への灯」 NHK広島放送局 広島市中区大手町
原爆の火 福岡県星野村(現:八女市)
「今日は、広島市中区大手町にある広島瓦斯株式会社跡について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「被爆当時の広島瓦斯(ガス)の本社は、現在の大手町第一公園あたりにあったそうじゃ」
「「瓦斯」と書いて「ガス」と読むんじゃね」
「そうでガス」
原爆犠牲者追憶之碑
同上 アップ
同上 由来
「原爆犠牲者追憶之碑は、元安橋東詰から川沿いの緑地帯を南に歩いていくとあるんじゃの」
「この碑は、いつごろ建てられたんかね?」
「1967年(昭和42)、旧本社跡に建てられたんよ。もちろん、最初は平和記念公園の「平和の灯」を灯しとられたそうじゃ」
「2007年(平成19)8月6日に、星野村の「平和の火」を合わせて灯されたんじゃね」
広島瓦斯(ガス)株式会社跡
(爆心地から約210メートル)
鉄筋コンクリート造り地上3階、地下1階建てのこの建物は、原爆により、南側の一部を残して崩壊(ほうかい)し、屋内にいた約35人の職員は、全員が死亡しました。
すさまじい爆風圧によって、各階の床と天井が1枚になって崩(くず)れ落ちました。
(原爆被災説明板より)
原爆被災説明板
「同社の義勇隊員34人が、天神町(てんじんまち)や木挽町(こびきちょう)あたりで建物疎開の作業をされとったんじゃが、こちらも全員死亡されたとるそうじゃ」
「天神町や木挽町いうたら、どのあたりかいね?」
「天神町は、今の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館から広島平和記念資料館の東館、平和大橋の南側まで、平和記念公園の南東側にあった町なんよ。ほいで木挽町は、平和記念公園の南側にある100メートル道路より、まだ南側にあった町になるんじゃの」
天神町の地図
(天神町案内板より)
「ほかにも、中国地方のガス会社の首脳陣も原爆の犠牲になったそうじゃ」
原爆は中国5県下のガス事業の首脳陣をもこの惨禍に巻き込んだ。
8月5日、軍の要請により広島市に参集し、ガス事業を統合するための最後の協議決定を終えた各社の一行は、大手町の虎屋旅館に宿泊していたが、全員が犠牲となった。
1945(昭和20)年9月、焼け残った藤野新社長宅を本社に復旧に努め、翌46年4月に市内の残存需要家235戸にガス供給を開始した。
広島瓦斯が48年に紙屋町にいち早く建設した本社屋は、被爆後初の本格的建設で、「ガスビル」と呼ばれて市民に親しまれた。
(被爆建造物調査研究会『ヒロシマの被爆建造物は語る』広島平和記念資料館 1996年)
「広島ガスは、いつできたんかいね?」
「1909年(明治42)、「広島瓦斯株式会社」という名前で設立されたんよ。その後、「尾道瓦斯株式会社」や「呉瓦斯株式会社」と合併したそうじゃ」
「1909年ということは、2年前の2009年(平成21)に創業100周年を迎えられとってんじゃね」
「1917年(大正6)、「広島電気軌道株式会社」と合併して、「広島瓦斯電軌株式会社」に社名を変更されとるんじゃ」
「「広島電気軌道」って、「広島電鉄」のこと?」
「ほうじゃの」
「何でガスと電鉄が合併しちゃったんかね? 電気と鉄道ならわかるけど…」
設立当初は、大林組傘下の会社で、同様の経緯で設立された会社に「広島電気軌道株式会社」(現在の広島電鉄)がある。
翌年以降に吸収合併された「尾道瓦斯株式会社」及び「呉瓦斯株式会社」も大林組関係者が代表を務めていた。
大林組社主の大林芳五郎(おおばやし よしごろう)の死去により、鈴木商店の援助を受けた実業家の藤田謙一(ふじた けんいち)に株式が売却され、大林組傘下を外れている。
(「広島ガス」ウィキペデイア)
「「広島瓦斯」「広島電気軌道」とも、大林たちの出資によって作られた会社なんよ。のちに藤田がこの2つの会社の株式を買い取り、両方の社長をしとったこともあって、合併ということになったらしいんじゃ。原爆の被害にあった「広島瓦斯」の建物も、「広島瓦斯電軌」の本社として、1922年(大正11)に建てられたそうなんよ」
「へぇ」
「1942年(昭和17)、政府の要請によってガス部門と鉄道部門を分離し、以前の「広島瓦斯株式会社」に社名を戻されたそうじゃ。鉄道部門の方は、さっき話に出てきたように、「広島電鉄株式会社」になっとるんじゃがの」
「原爆投下時には、さっきのような被害を受けとってんじゃね」
「1970年(昭和45)、現在の「広島ガス株式会社」に社名を変更されとってんじゃ」
「そういや、今年の5月くらいから広島ガステレビCMに、広島出身の吉川晃司(きっかわ こうじ)が出とるね」
「「ガ流でいこう。」じゃの」
「相変わらずカッコええし、料理の手つきも慣れとる感じじゃね」
「この間から、NHK総合の『シリーズ 平清盛』でナレーションもやっとってじゃのう」
「なかなか渋い声で、ええね」
広島駅南口から見える、広島ガスの巨大看板
(駅前会館屋上)
↓広島ガスについては、こちら↓
広島ガス株式会社
↓広島ガスのCMについては、こちら↓
「CMライブラリー」広島ガス
↓吉川晃司については、こちら↓
K2 NET CAST:KOJI KIKKAWA OFFICIAL WEBSITE
↓広島電鉄については、こちら↓
ひろでんアベニュー
↓平和の火(=原爆の火)についての関連記事は、こちら↓
「ヒロシマの火 平和への灯」 NHK広島放送局 広島市中区大手町
原爆の火 福岡県星野村(現:八女市)
「今日は、広島市中区大手町にある広島瓦斯株式会社跡について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」