第2434号 27.08.28(金)
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賢にして財多ければ則ち其の志を損し、愚にして財多ければ則ち其の過ちを益(ま)す。『十八史略』
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子孫が利口であったら、多くの財産があると、折角高い志を抱いた者もかえって駄目になる。また愚かな者だったら、たくさんの財産をもたせると、むしろそれによって過ちをますだけだ。603
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【コメント】『南洲翁遺訓』に「児孫の為に美田を買わず」といった言葉があります。西郷南洲翁は多くの漢籍を渉猟し、知悉していたからこそこういう言葉を使ったのでしょうか。
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昨夜の第二道場はとても賑わいました。過去、皆様の前で空手の舞を演じた人にそれぞれ舞ってもらいました。
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諸般の事情で半年位稽古に来ていなかった愛美嬢に、先発してもらいました。学校のクラブでサッカーをしていて足と腰に痛みがあったのですが、真剣勝負となると痛みもなくなってしまうのです。目付、腰の落し方、立ち方、突き、蹴り、そして振りも久しぶりとは思えない自身に満ちた舞でした。中学生とは思えない芸術作品の舞でした。
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次に小学2年の礼弥君に演じてもらいました。スターの競技であるために、大変緊張して舞ってくれました。自信過剰が裏目に出た感じでした。小学2年生にしたら上手いのですが、矢張り格闘技である以上、破壊力が要求されます。こればかりは如何ともしがたいことです。突きはいいのですが、腰の落し方、立ち方、蹴り、そして振りがいまひとつという所でした。しかし目付は最高でした。
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次は高校2年・瑠果嬢でした。中学生・愛美嬢、小学男子・礼弥に負けてなるものかという思いが、精神の中に見てとれました。その緊張のあまり、出だしの右手を挙げる時の緊張が肩に如実に顕れていました。腰の落し方、目付、立ち方、突き、蹴りも格闘技本来の技として表現されており、素晴らしいでした。これも素晴らしい芸術作品でした。肩の力を抜けばまだいいのですが。
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小学男児に誰が一番良かったと思いますかと聞いたら、僕がよかったと答えました、長ずるにつれてそれがなくなり、謙虚になって行くよう指導したいと思います。
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そして全員に型の指導をし、それぞれ個人、複数で演じてもらいました。大変上達している処に私自身感動しました。最後に『南洲翁遺訓』も声高らかに拝誦しました。
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自宅に帰ってからテレビをみていたら、俳優たちの劇団・プロ集団の稽古風景が紹介されました。見ていて、味園道場劇団の稽古風景がいいと思いました。
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先ず、厳粛さ・真剣さが違います。私はジョークも飛ばすのですが、子供たちはそれぞれ真剣勝負をしています。柔道・剣道・空手道・合気道・日本舞踊・社交ダンス等々多くの芸事を御稽古してきた成果が出ているのです。私のお稽古ごとについて弟がある教員に教えたら、八面六臂だとやや揶揄した言い方をしたと、半世紀前に聞いたことがありました。
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これは父親の事業倒産により、税務署・漁業組合等への借金を返済するため、命がけで゛取り組んできたのでした。浮ついた、みてくれだけの稽古ではなかったのです。それにしても、指導の仕方によっては見違えるように成長して行くものです。
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だから、老人会的な方々が西郷隆盛を語り、一時的パフォーマンスに見える会合をしている所へは絶対行かないことにしているのです。とにかく決めたことを守らない集団はヤクザと同じです。三分間の挨拶をと言ったら、一秒の狂いもなく三分間でなければならないのです。私はイヘントを80回してきたと書きましたが、JR、NHK同様、時間厳守でやってきたのです。
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そういう細かい處、真面目さを小野寺先生は見抜いていたのだろうと思っています。やがては、荘内南洲会会館で『南洲翁遺訓』学習会をしている中澤今日子先生教室の皆さんと一緒に『南洲翁遺訓』発表大会を開催したいものだと夢をみています。
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『大学味講』(第271回)
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(六) しかるに現在の経済事情からいうと、この「財を生ずる大道」は、一見もう時代遅れで通用しないもののように見えるでありましょう。なぜなら、現下の不況克服の産業経済は、過剰生産を処理するために生産を抑制し、そして需要を増強するために消費を拡大することが、国策として行われているからであります。
これを大学の用語を以ていえば「之れを生ずる者寡く、之れを食(は)む者多く、之れを為る者舒(ゆるや)かに、之れを用ふる者疾(すみや)かなれば、景気が回復する」ということになるでありましょうが、さていずれが「財を生ずる大道」でありましょうか。
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『論語』(第371)
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公伯寮子路を季孫に愬(うった)ふ。子服景伯以て告げて曰はく、「夫子固(もと)より公伯寮に惑志あり。吾が力猶能く諸を市朝に肆(し)せん。子曰はく、「道の将に行はれんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何。」
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公伯寮が子路を季孫に讒言した。子服景伯が憤慨してこれを孔子に告げ、「季孫は元来公伯寮を疑ってゐるのですから、私の力でもかれを誅して、街頭なり、役所なりにさらしものにすることができます。やっつけてしまいましょう。」といきまいた。孔子が言はれるには、「イヤイヤ捨て置かれい。道が行はれるのも天命です。道がすたれるのも天命です。公伯寮ごときが天命をどうし得ようぞ。御心配あるな。子路も安心せい。」
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『農士道』(第250回)
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(註) 大原幽学は二宮尊徳と同時代の農村指導者。尾張藩の家老の息と傳えらるるが終生出仕せず、後半生を千葉懸香取郡中和村におくり、深く山澤に蔵して地方農民を指導し、門人となって化を蒙れる者三千人といはれる。今日に至るまで其の地方一帯は其の教を傳へ、衣食住風俗施設一切に渉って其風が醇呼として猶存している。
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賢にして財多ければ則ち其の志を損し、愚にして財多ければ則ち其の過ちを益(ま)す。『十八史略』
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子孫が利口であったら、多くの財産があると、折角高い志を抱いた者もかえって駄目になる。また愚かな者だったら、たくさんの財産をもたせると、むしろそれによって過ちをますだけだ。603
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【コメント】『南洲翁遺訓』に「児孫の為に美田を買わず」といった言葉があります。西郷南洲翁は多くの漢籍を渉猟し、知悉していたからこそこういう言葉を使ったのでしょうか。
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昨夜の第二道場はとても賑わいました。過去、皆様の前で空手の舞を演じた人にそれぞれ舞ってもらいました。
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諸般の事情で半年位稽古に来ていなかった愛美嬢に、先発してもらいました。学校のクラブでサッカーをしていて足と腰に痛みがあったのですが、真剣勝負となると痛みもなくなってしまうのです。目付、腰の落し方、立ち方、突き、蹴り、そして振りも久しぶりとは思えない自身に満ちた舞でした。中学生とは思えない芸術作品の舞でした。
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次に小学2年の礼弥君に演じてもらいました。スターの競技であるために、大変緊張して舞ってくれました。自信過剰が裏目に出た感じでした。小学2年生にしたら上手いのですが、矢張り格闘技である以上、破壊力が要求されます。こればかりは如何ともしがたいことです。突きはいいのですが、腰の落し方、立ち方、蹴り、そして振りがいまひとつという所でした。しかし目付は最高でした。
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次は高校2年・瑠果嬢でした。中学生・愛美嬢、小学男子・礼弥に負けてなるものかという思いが、精神の中に見てとれました。その緊張のあまり、出だしの右手を挙げる時の緊張が肩に如実に顕れていました。腰の落し方、目付、立ち方、突き、蹴りも格闘技本来の技として表現されており、素晴らしいでした。これも素晴らしい芸術作品でした。肩の力を抜けばまだいいのですが。
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小学男児に誰が一番良かったと思いますかと聞いたら、僕がよかったと答えました、長ずるにつれてそれがなくなり、謙虚になって行くよう指導したいと思います。
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そして全員に型の指導をし、それぞれ個人、複数で演じてもらいました。大変上達している処に私自身感動しました。最後に『南洲翁遺訓』も声高らかに拝誦しました。
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自宅に帰ってからテレビをみていたら、俳優たちの劇団・プロ集団の稽古風景が紹介されました。見ていて、味園道場劇団の稽古風景がいいと思いました。
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先ず、厳粛さ・真剣さが違います。私はジョークも飛ばすのですが、子供たちはそれぞれ真剣勝負をしています。柔道・剣道・空手道・合気道・日本舞踊・社交ダンス等々多くの芸事を御稽古してきた成果が出ているのです。私のお稽古ごとについて弟がある教員に教えたら、八面六臂だとやや揶揄した言い方をしたと、半世紀前に聞いたことがありました。
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これは父親の事業倒産により、税務署・漁業組合等への借金を返済するため、命がけで゛取り組んできたのでした。浮ついた、みてくれだけの稽古ではなかったのです。それにしても、指導の仕方によっては見違えるように成長して行くものです。
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だから、老人会的な方々が西郷隆盛を語り、一時的パフォーマンスに見える会合をしている所へは絶対行かないことにしているのです。とにかく決めたことを守らない集団はヤクザと同じです。三分間の挨拶をと言ったら、一秒の狂いもなく三分間でなければならないのです。私はイヘントを80回してきたと書きましたが、JR、NHK同様、時間厳守でやってきたのです。
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そういう細かい處、真面目さを小野寺先生は見抜いていたのだろうと思っています。やがては、荘内南洲会会館で『南洲翁遺訓』学習会をしている中澤今日子先生教室の皆さんと一緒に『南洲翁遺訓』発表大会を開催したいものだと夢をみています。
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『大学味講』(第271回)
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(六) しかるに現在の経済事情からいうと、この「財を生ずる大道」は、一見もう時代遅れで通用しないもののように見えるでありましょう。なぜなら、現下の不況克服の産業経済は、過剰生産を処理するために生産を抑制し、そして需要を増強するために消費を拡大することが、国策として行われているからであります。
これを大学の用語を以ていえば「之れを生ずる者寡く、之れを食(は)む者多く、之れを為る者舒(ゆるや)かに、之れを用ふる者疾(すみや)かなれば、景気が回復する」ということになるでありましょうが、さていずれが「財を生ずる大道」でありましょうか。
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『論語』(第371)
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公伯寮子路を季孫に愬(うった)ふ。子服景伯以て告げて曰はく、「夫子固(もと)より公伯寮に惑志あり。吾が力猶能く諸を市朝に肆(し)せん。子曰はく、「道の将に行はれんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何。」
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公伯寮が子路を季孫に讒言した。子服景伯が憤慨してこれを孔子に告げ、「季孫は元来公伯寮を疑ってゐるのですから、私の力でもかれを誅して、街頭なり、役所なりにさらしものにすることができます。やっつけてしまいましょう。」といきまいた。孔子が言はれるには、「イヤイヤ捨て置かれい。道が行はれるのも天命です。道がすたれるのも天命です。公伯寮ごときが天命をどうし得ようぞ。御心配あるな。子路も安心せい。」
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『農士道』(第250回)
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(註) 大原幽学は二宮尊徳と同時代の農村指導者。尾張藩の家老の息と傳えらるるが終生出仕せず、後半生を千葉懸香取郡中和村におくり、深く山澤に蔵して地方農民を指導し、門人となって化を蒙れる者三千人といはれる。今日に至るまで其の地方一帯は其の教を傳へ、衣食住風俗施設一切に渉って其風が醇呼として猶存している。
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