味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

聖人は至徳なり。

2016-11-12 10:10:16 | ブログ
第2874号 28.11.12(土)
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天道は至教なり、聖人は至徳なり。『礼記』
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 天は最高の教訓を人に示しており、聖人は最高の徳性を備えている。そして聖人は天の教訓に基づき、おのれの徳性を発揮して礼を制定し、教育や政治の基礎とすることに努めている。明374
 前半の文言はブログ第2044、26.08.01にご紹介しています。

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 【コメント】『聖人の訓戒』(仮称)執筆のため、『礼記』を連日捲っています。今までも通読は致しましたが、ブログに書いたり、執筆用となると、何回も何回も読まなくてはなりません。そうすると今まで、サラッと流していた部分の文言が身に迫って参ります。
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 昭和の碩学として名声を博し、そして荘内南洲会結成にあたり、指導助言してくださいました安岡正篤先生が『礼記』を読みなさいと言われたことが思いだされます。なるほどと。因みに西郷南洲翁は『書経・詩経』を読みなさいと菅先生に申されたとか。
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 この所アメリカ大統領選出で次期大統領になる予定のトランプ氏が、『交渉の芸術』という著書を執筆しているとかで今朝のテレビ報道で知りました。
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 思うに、人を引き付けるために最初は嘘八百喋り、後で少しずつ修正していくやり方らしいですが、『礼記』が訓戒する人の道としての生き方ではないと思います。
 『南洲翁遺訓』にしても『交渉の芸術』めいた文言は皆無といっていいでしょう。尤も西郷南洲翁、菅臥牛翁両氏も忌み嫌う戦法だと思います。
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 時代は急速に動いていますが、生命を戴いている人間は、真・善・美に徹して生きなければならないと思料します。一時的人気取りであってはならないと自覚し、人性を全うしたいものです。
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 東京豊洲市場問題に端を発したことで、時の知事が『「豊洲問題」わが回答の真意』と題して『文芸春秋』で縷縷述べておられますが、少しく言訳がましく読んでいるのは私一人ではないでしょう。
 ペンの先で謝るのなら、何故正々堂々とテレビカメラの前で謝らないのか、男が廃れると思っているのか。だとしたらそれは真逆でありましょう。人間には過ちはあるのです。人にはビシビシ文句をいい、自分は誤まらないとしたら、後々人々はどう評価するでしょう。
 先のインターネットには百条委員会にて釈明をして貰うというようなことの情報がありましたが、都民、いわゆる国民が納得する形で表明をした貰いたいものです。天は勇気ある小池知事に応援するでしょう。

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『史記』のことばより。
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曾参の賢とその羽の信とをもってしても、三人これを疑わしむれば、その母懼る。(樗里子・甘茂列伝)  
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 (孝で知られる曾参とその母との固いきずながあろうとも、三人がひとしく曾参を疑うような情報を伝えれば、母もかれを疑うようになる)
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 曾参は孔子の弟子で『孝経』の著者と伝えられる。あるとき、かれと同姓同名の男が人を殺してしまった。「曾参が人を殺した」とその母に伝えた者がいたが、母は信ぜず平然と機(はた)を織っていた。つづいてまた同じことを伝えにきた者がいたが、やはり母は織りつづけていた。ところが、三人目の人がきて同じことを告げると、母は機織り道具を投げ出し、塀を越えて飛び出していった。
 これは秦の宰相甘茂が、出陣に先立ち、王に対して、留守中自分を中傷する者がいても信じないようにと釘を刺したときに用いた寓話である。王は「わかった」と言ったが、果たして戦いが長引くと中傷者の口車に乗って甘茂を疑った。
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 この種の話は幼いときから読んだり聞いたりしたことがあります。でも信頼する仲間身内は、何回誹謗中傷されようと信頼する確乎たる信念ち絆を持ちたいものです。

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『臥牛菅実秀』(第409回)
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 荘内銀行(このときの頭取は酒井忠純、忠宝長男)としては、各地域の歴史的、地理的実状を無視した画一的な一県一行主義を強行しては、かえって地方経済を委縮させ、国家目的に逆行する結果を招くことを憂慮して、従来通りの一県三行(荘内・両羽・羽前長崎)を強く当局に要望しつづけた。しかしこの要望は統制経済の頂点に達していたこの時期においては、時局を解しない利己的主張であるという批難を烈しく受けたが、地方経済の動脈としての使命感から、そうした非難に屈せず、関係方面に誠意を披歴しつづけた。そしてついに一県三行の要望を貫徹したのであった。
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