味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

臣、数年以来、明旨を奉ずる毎に

2019-12-29 14:01:12 | ブログ
第4000号 01.12.30(月)

臣、数年以来、明旨を奉ずる毎に、深く群下の敢て言を盡くす莫きを恠しむ。臣竊かに之を思ふに、抑も由って来るもの有り。比者、人或は上書し、事、得失有れば、惟だ短なる所を述ぶるを見、未だ其の長ずる所を稱する有らず。又、天居自ら高く、龍鱗、犯し難し。造次に在りて、言を盡くす可からず。時に陳ぶる所有れども、意を盡くす能はず。『貞観政要』445

私は数年以来、賢明なる詔を承るたびに、群臣たちが仰せに対して諌めを申し上げるものが少しもないことを非常に不思議に思っております。私が慎んで思いまするに、それには理由がございます。このごろ、上書する人があって、その内容に善い点と悪い点があったとき、ただ、その短所を指摘されるだけで、その長所をおほめになることがございません。また、天子のおられる宮殿は非常に高く、天子の御威光は犯し難いものがございます。とっさの場合には、言いたいことを尽くすことはできません。時には意見を陳べる機会があっても、十分に意を尽くすことはできません。445

 【コメント】人間社会ではいろいろなことがありますが、人様の喜びに繋がることでなく、人様のご負担になることは出来るだけ控えた方がいいかと思います。

 テレビで紹介しているレンタル、付き合って上げるというのを見て、いろいろな仕事があるものだな、と思いました。そのボランティアの人の対応を拝見し、とても清々しく感じられました。世の中にはワルもいますが、良心的な人もいるのだと思いました。

 そしてバイク好きの人達が走る前に集結した集団を見て吃驚としました。走れば金も要るし、事故もあるかもしれません。集団で走り廻れば、それは楽しいことでしょう。でも万一の事故には充分配意して欲しいと思います。

 思うに学問こそがいいのにと思った次第です。自宅での勉強だとガソリンもいらなければ、事故にも遭いません。

 その学問も人様に誇るためにするのではありません。自らの人間を高めるためにするのです。でないと折角詳しくなっても人々に嫌われることになります。

 学問をして詳しくなり、それが喜びとなりいろいろな事柄に取組む原動力となれば、健康と長生きに資すると考えます。その知恵が人様を助けることにもつながると思います。できるものなら何事も建設的に応用・活用してほしいものです。

 私は体がフラフラしているのですが、車の運転はいいと思います。車の運転は、手でハンドルをあやつり、そして足先でアクセルを踏む、ブレーキを履めばいいので、体のふらふらには直接負担はないので、大丈夫だと思っているのです。指宿の大先生、これでいいでしょうか。

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『善の研究』第392回

  第十二章 善行為の目的(善の内容)


 人格その者を目的とする善行為を説明するについて、先ず善行為とは如何なる動機より発する行為でなければならぬかを示したが、これより如何なる目的をもった行為であるかを論じて見よう。善行為というのも単に意識内面の事にあらず、この事実界に或客観的結果を生ずるのを目的とする動作であるから、我々は今この目的の具体的内容を明にせねばならぬ。前に論じたのはいわば善の形式で、今論ぜんとするのは善の内容である。
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