味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

本多静六の教え。

2010-09-23 12:33:14 | ブログ

タイトル----本多静六の教え。 第597号 22.09.23(木)

 私が本多静六著を読んだのが約20年前のことでした。世の中には凄い人がいたもんだ、と大変感動しましたが、学歴・能力が異なる私ごとき者とは天地の差があるから、とても私にはできないと思い込み、書棚に置いていました。最近、書棚の本を読み直しをして、これは門人の方々に紹介しなければならないと判断し、読書するよう進めているところでございます。書籍の中から紹介します。『私の生活流儀』の一部です。

………

 一生元気に働き続けるには-----健康法と長寿法は別物

 一口に健康長寿法といっても、いわゆる健康法と、いわゆる長寿法とは、必ずしも同一でないと私は考えている。

 日頃頑健な活動を誇っていた人が、若い働き盛りにコロリといくこともあれば、病気ばかりしてひよひよしてる人が、案外に長生きすることもある。長い間の私の体験と実際調査によると、普通に健康といわれる者は、身体肥大、風采堂々、みるからにエネルギッシュな体躯の所有者を指しているようであるが、それはたいてい、暖衣飽食、酒類をたしなみ、肉類、魚類のごとき脂肪分を多食する贅沢生活の結果であって、中年後は多く心臓病、膵臓炎、糖尿病、脳貧血その他のゼイタク病をおこして短命におわるものである。

 これに反して、いわゆる長寿法は、かえって痩せ型のかたくしまった体格で、早くより、粗衣粗食、勤倹努力の耐乏生活をつづけてき、中年以後も前期のゼイタク病を近づけず、無病息災、長く働きとおしている例が多くみられる。

 われわれが昔からおなじみの七福神の図についてみても、布袋は便々たる腹を抱えた肥満者であるが、寿老人は痩躯鶴のごときほそり方である。また長寿仙人の画像をみても、一人として精力的な肥大漢をみず、いずれも痩身ばかりである。

 これでも十分わかるように、肺病を恐れ過ぎるあまりにか、健康法と長寿法とを混同し、普通のいわゆる健康法が、ただちに長寿法を意味するかのごとく誤解してきていた。いや、むしろ健康と健康法それ自身を、間違った尺度で解釈してきていたといわなければならぬ。すなわち、われわれ素人考えでは、肥った人が健康で、痩せた人が不健康、あぶら切った人が丈夫そうで、そうてない人が病身、かっぷくのいい人が活動家で、貧相な人がその反対のように解し、健康法といえば肥ること、あぶら切ること、体重をふやすことだと早合点してきていた。ことに軽薄な栄養学が行われ、上ッ調子なカロリー説がやかましくいわれ出してからは、健康そのものの誤解と滋養物摂取に対する過信がはなはだしくなった感じがある。

 私は終戦後、食糧問題が窮迫して、国民のすべてが不安と焦燥に駆られているところへ、ことさらおどかすように「栄養失調」の言葉をふりまわし、人間本来の健康増進に誤った指導を行う当局に不満を感じ、NHK並びに厚生大臣宛抗議書を送ったこともあるが、われわれの健康上、真におそるべきは、栄養失調ではなくて、むしろ「精神失調」なのである。粗衣粗食の耐乏生活に打ちひしがれぬことであって、旨い物、滋養のある物をたくさん摂取できぬことではない。それにはまず「本当の健康体とはどんなものであるか」を正しく、誤りなく究めてかからなければならないと思う。

……

 まさしく同感であります。私も腹部に少し脂肪がついている関係上、保健所の姉さんがそれはそれは丁寧に説明してくれた。が、貴方のいうことは理解しますが、私は貴方のいうようにはしませんと、反論し帰ってきたことがある。病院・保健所がいうのは一般論であって、それが全ての人に当てはまるかというとそうではない筈である。

 71歳を過ぎた私は今のところ異常なしである。このまま80歳まで行けた場合は、本多静六氏同様、厚労省あたりに一言発言したいと考えています。

 健康は自らが創りましょう。


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