タイトル----蘧伯玉、行年六十にして六十化す。第2075号 26.09.01(月)
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蘧伯玉、行年六十にして六十化す。『荘子』
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魯国の賢人蘧伯玉は、歳が六十になるまでに、その思想や態度が六十回変化した。
つまり、蘧伯玉は日進月歩して止まず、六十にして五十九年の非を悟った。
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【コメント】
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とにかく生を閉じるまで、学びつづけなさいということでしょう。そうすれば、次から次に今まで知らなかった事柄が、出てきて歳をとるのも忘れるでしょう。そしてボケないで潔く旅だちが出来るのです。
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昨日は高校生の軟式野球があり、中京高校と崇徳高校が延長戦、延長戦で50回の試合運びをしました。四日間で10時間18分であったとか。同点であれば、ルール上、勝敗が決するまでやらなければならないということです。選手の皆さん、御苦労様でした。よく頑張りました。
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主催者側では生徒たちが疲れるから、このルールを検討をするようなことを言っていますが、私はこのまましていて欲しいと思います。高校時代は二度とないからです。
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かく申す私は、電電に入社しすぐ青年部に入ることになりました。そして各職場の組織で構成する地区労の事務局担当をしました。したくなかったのですが、やらざるを得なくなったのです。そこで開き直って演説の稽古だ、と思ってやったものです。
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そしてメーデの時、三日三晩寝ないで自分の仕事、父名義での深夜の電報配達、そしてメーデの仕事をこなしました。述べ72時間でした。三日目は睡眠不足と過労でクタクタでしたが、良い経験をしたと思っています。そういった諸々がやる気を育て、人間を強くするのです。
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丁度その頃、木下藤吉郎が墨俣城を三日三晩で築城したという小説を読み、俺もひとつやってみようと思って取り組んだのでした。
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現在は核家族化し寄ってたかって大事に育てた子供が、いじめに合い自殺する、それらも戦後の特長でしょう。人間は自分から死なないと思えば、大概のことでは死なないのです。死ねという人より死ぬのが悪い、と私は空手道指導の時子供たちにいっているのです。そして人をいじめる子ども、見境もなく人をなぐる子供は必ず、早死にをすると教えています。
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『臥牛先生遺教抄』 (第15回)
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十五、天下に志ある者は一国位は如何ようにも治め得らるべし。一国に志ある者は一家は如何ようにも治め得らるるなり。例えば某家の如きは、妻子等に如何ばかり苦情難題の多きにや。朝夕喧噪の声の外に漏るるあり。これその心一身の外更に他なく、一家の内に是非を争うて止まざるによるなり。
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『論語』 15
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十五、子貢曰はく、貧しうして諂うこと無く、富みて驕ることなきは如何。子曰はく、可なり、未だ貧しうして楽しみ、富みて礼を好む者には若(し)かざるなりと。子貢曰はく、詩に云う、切るが如く磋(みが)くが如く、琢(う)つが如く磨ぐが如し、と。其れ斯を之れを謂うかと。子いはく、賜(し)や、始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。これに往を告げて來を知る者なり。
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〔訳〕 ①子貢が孔子に向かって「貧しくとも、そのために人に諂って憐れみを乞うような態度がなく、富みてもおごりたかぶる傲慢さがなかったら、こういう人物はいかがなものでしょうか」と尋ねた。
②孔子が答えて「それはまずまず結構だ。しかしまだ、貧乏だけれどもとか、金持ちになったなどと、こだわっている気味がある。貧乏を忘れて楽しみ金持ちだという意識を超越して礼を好む人には及ばない」といわれた。
③子貢が感嘆して、「詩経の中に云う、切磋琢磨という句がありますが、今先生のお言葉の意味と同じでありましょうか」と問うた。
④孔子は、子貢の打てば響くようなひらめきのあるのを喜んで、「賜よ、お前こそ本当に詩のわかる男だ。過去のことを話すと、すぐ未来がわかる、聞いたことから、直ちに新しいことを知り得るなぁ」と褒められた。
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