味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

菜根を咬み得れば、則ち百事做すべし。

2015-12-01 09:52:04 | ブログ
第2530号 27.12.01(火)
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菜根を咬み得れば、則ち百事做(な)すべし。『聞見録』
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 常に菜根を食べるような質素な生活に甘んじて、外物に心を動かさなければ、何事にも成功する。680
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 【コメント】上の訳で〈何事にも成功する〉とありますが、何事にも耐えられると私は解釈したいと思います。私はそのようにしているし、空手道修行に来る子供たちにも、質素でありたいとそのように説明しています。要は「気」なのだと思います。
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『臥牛菅実秀』(第68回)
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 この間、実秀は江戸留守居役としてたえず幕府との交渉連絡に当っていた。留守居役というのは、地位は高くないが、藩内の意向を伝える枢要の役職であった。この役職にあった実秀は、幕府の勘定奉行・小栗上野介(忠順)と深く相知るようになった。
 小栗上野介は、江戸幕府最後の実力者といわれた人物で、開国論者であり、外国奉行、勘定奉行、陸軍奉行、軍艦奉行の重要ボストを歴任し、硬骨をもって鳴った政治家である。北島正元氏編『江戸幕府・下』(----人物往来社刊----)には、小栗の人となりを、次のように書いている。

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『論語』(第461)
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 斉の景公孔子を待ちて曰はく「季子の如きは則ち吾能はず。季孟の間を以て之を待たん。」曰はく「吾老いたり。用ふる能はず。」孔子行(さ)る。
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 孔子が斉におられた時、斉の景公はその臣下と孔子の待遇を相談して言うには「孔子は魯の人だから魯公が三卿を待遇する礼を知っているだろうが、魯の上卿の季氏と同様に孔子を待遇することはわしの力ではできないし、そうかといって孟氏と同様にしては粗末だから季氏と孟氏との中間の礼をもって孔子を待遇しようと思う。」
 こうは言ったが、又暫くして、「孔子の道は大きくて効果を速く見ることはできない。わしはもう老いて行く先も短いからこれを用いてその道を行うことはできない。」と云う。孔子はこれを聞いて遂に斉の国を去った。

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『農士道』(第345回)
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 かかる観点より東西両思想に就いて、その農業の定義を検討して見ると、其の間に截然(せつぜん)たる相違あることを発見することが出来る。
 先づ西洋思想的なる農業の定義の代表と見得るであらうと思う独逸のテアーの説を見るに、曰く、
  「農業は植物的及動物的物品の生産(時としては又更に加工し)によって利益を収め、又金銭を獲得するを目的とする営業なり。」
と。如何にも明確である。而して何等の不備もない。

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