味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

学を好むは知に近く、----恥を知るは勇に近し、

2015-01-27 10:12:00 | ブログ
第2222号 27.01.27(火)
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学を好むは知に近く、力行は仁に近く、恥じを知るは勇に近し。『中庸』
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 「知、仁、勇」の三つは人間の達徳であるが、学問を好む者は知に近く、なすべきことを力行していくことは仁に近く、恥を知る心がけを保っていれば、いつかはこの三徳を実現しうるのである。(孔子のことば)159
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 【コメント】勤勉であること、決めたことを継続していくこと、恥を知る心がけをもつことは大事なことであると思います。
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 現職警察官がお付き合いしていた女性を殺害するという事件が発生しました。大変悲しいことです。こういった事象を防止するためにも、コメントの冒頭に書いた「恥を知る心がけ」を警察学校でも徹底して教育して欲しいものだと思います。
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 思うに、西郷南洲翁の足跡としての処世を研究することも大事ですが、その以前に『南洲翁遺訓』こそを徹底して教えるべきだと思います。西郷さんの若い頃はヨバイもあったやに記されています。可愛岳を突破する際も「ヨバイノゴトアル」と言ったとか。
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 今は男女同権、個人情報等々世の中がうるさく様変わりしています。私の同級生であった男が逐一情報提供に訪れましたが、その凄まじさを今も鮮明に記憶しています。半世紀前のことです。その男は殆ど読み・書きはしていなかったようです。
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 私はあるキッカケで「文字を書き写す」ということを聞き、その道を選択してきたから幸運でした。真の生きがいとは、出来る物ならも森信三先生の世界観に学び、その真似をし続けることだと思います。道場に集う幼児たちとその保護者に、精神的負担にならないよう、お話をしているのです。

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『大学味講』(第60回)
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 ところがここに一つの問題があるのであります。それは自動車を運転する人は、誰でも皆一応は、試験に合格するだけの知識と技術をもっているわけですが、さてその車に乗ってみると、その乗り心地は必ずしも全部一様ではないのであります。
 私はタクシーに乗りますが、同じ会社の車ですから、車種も同じであり、運転手も大体同じ服装をしているので、どの車も同じ乗り心地なはずですが、それが違うのです。
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 ドアをあけて入って、「やあ、ご苦労さま」と挨拶すると、その返事の調子、そして顔つき、からだつき等から発するふんいきが、皆違うのです。明るくて気持ちのよいのもあれば、何かしら暗い気持ちのするのもある。そしてスーッとやわらかに発車するのもあれば、ガタッ、ピシャと発車するのもある。
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 車体は同じであるが、その中の乗り心地は一台一台違うものでありまして、中には、こういう運転手さんなら、少し位料金が高くてもと思うのもあれば、中には、タダで乗せるといわれても、こりごりだというのもあるのですが、一体この相違はどこからくるのかでしょうか。それは運転手の「人がら」からにじみ出てくるものでありまして、この「人がら」のことを、東洋学では「徳」というのであります”

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『論語』(第160)
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 子斉に在りて韶を聞く。三月肉の味はひを知らず。曰はく、「図らざりき、楽を為すの斯に至らんとは。」
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 孔子が斉の国におられた時、斉の国に伝わっていた舜の楽の韶を聞き、スッカリ感激して、『これほど大した音楽があらうとは思いもよらなかった。』と讃美され、当分は肉を食べても、味も覚えぬくらいであった。
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『農士道』(第44回)
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 次に教育の事に就て此の関係を反省して見たいと思ふ。教育の質は教育者其人の人格であらねばならぬ。更に詳しく云へば教はる者が教ふる者の人格を慕って其の門下に学び、教ふる者と学ぶ者との間に一體的なる人格の交流のあることである。而して此の教育の「質」が発展して此処に自づから知育、徳育、體育(教授、訓練、養護)の三育の分化が現われて来る。
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 然し此の三育は畢竟教育者と被教育者との人格的交流の間から自然の間に発展して来るものであることを忘れてはならぬ。然るに現代の教育は、何時しか「浮文」の状態に逸脱し、徒に施設経営の末に走り、更に教科目の羅列となり、其の各教科目担任の教師が知識技能の分割的教授をなし、其の結果を試験といふ圧搾機によって圧搾して得たる点数の合計によって人格価値を評価せんとするもので、かくては正しく花瓶の中に唯無暗矢鱈に種々の美しい花を挿し入れた様なもので、仲仲に善き實を結ぶものではない。其處で一方に「瀆武」的主張として学校教育否定論さへ起り来るに至るのである。

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最初の方に警察官の不祥事のことを書きました。こういう方は、卑近な例をとり、「万一の時は家庭崩壊になり、刑務所行きですよ、最愛の家族は悲しみますよ」と懇切に指導したら、事前に防止できたのではと思います。
 一方、イスラム国の危険極まりない所へ行く人は、心の病のような気がしてならないのです。自分の責任で処理する、との映像が配信されていましたが、最終的には国家がかかわることになると思います。今回のように。
 とにかく学問をすることこそが、人生を誤らない方法だと私は思います。それにしても菅原兵治先生の論説は難解ですが、素晴らしいと思います。小野寺先生が日本一の教育者ですと言った言葉が耳にこびりついています。

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