味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

立志をとうとぶ『言志録』。

2011-11-09 11:59:51 | ブログ

タイトル---立志をとうとぶ『言志録』。第1045号 23.10.09(水)

 『言志録』 32 立志をとうとぶ

〈緊(きび)しく此の志を立てて以て之を求めば、薪(たきぎ)を搬(はこ)び水を運ぶと雖も、亦是れ学の在る所なり。況や書を読み理を窮むるをや。志の立たざれば、終日読書に従事するとも、亦唯だ是れ閑事のみ。故に学を為すは志を立つるより尚(かみ)なるは莫し。〉

〔訳文〕 (聖賢たらんと)志を立て、これを求めれば、たとえ、薪を運び、水を運んでも、そこに学問の道はあって、真理を自得することができるものだ。まして、書物を読み、物事の道理を窮めようと専念するからには、目的を達せないはずはない。

 しかし、志が立っていなければ、一日中本を読んでいても、それはむだ事に過ぎない。だから、学問をして、聖賢になろうとするには、志を立てるより大切なことはない。

〔付記〕  「立志」は極めて大切なことで、すでに6条、7条にも述べてあり、さらに今後も述べるであろう。

 なお、伊藤仁斎が門人に示した次の文も同一の趣旨のものと思う。

『聖門の学は大事なり。其の志を立つること大なるを欲す。道を信ずること篤きを欲す。而して之れを守るに死を以てす。他事の為めに勝たるること勿れ。俗情の為めに纏わるること勿れ。勇往向前、一日は一日より新たならんことを欲す。若し其の志、名聞利達にありて聖門徳業の実にあらず、詞章記誦を以て足れりとなして道徳仁義の奥にあらざるものは此座に与ることなかれ』

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〔コメント〕 言志録の中で私の好きな言葉がでてきました。大変懐かしく回想されます。言志四録を通読して、最初に好きになった言葉です。18年前の 平成五年十二月五日、谷山市民会館で開催した、日本空手道少林流円心会 「創立18周年記念 南洲翁遺訓 空手道 発表大会の際の、大会記念誌には私はこの言葉を掲載したのでした。あれから36年になります。毎日毎日、『南洲翁遺訓』、「言志四録」、『論語』、『大学』、『中庸』、『孟子』等々、ひと時も離さず持ち歩き、読みふけったものです。

 中学時代の恩師にこの冊子を送付したら、「味園さんの変貌ぶりに驚愕した。これぞ男児の心意気だ」と認めた書簡を戴いたものです。

 私自身、大した業績はないものの、円心会道場で空手道を修行した人たち1000名以上が『南洲翁遺訓』や漢籍にふれ、精神を躍動させているのです。その代表が教士・山田幹哉師範、教士・宇都伸一師範でもあます。お二人の人格は40年間文武両道を研鑽してきた、まさしく武人なのです。心おだやかに見えますが、内面に構築した精神は見事そのものです。

 当日の大会には西郷南洲顕彰館 児玉館長、そして薩摩詩吟会竹下会長ほか錚々たる先生方がご臨席くださり、子供たちの南洲翁遺訓発表に聞き入ってくださったものです。

 当日、児玉館長は、鹿児島の甲突川に架けている五石橋移設反対のため飛び回っており、寸時も惜しむ日々でありました。当日の挨拶で児玉館長は、南洲翁遺訓を広めている実態に感動され、一般の人が西郷さんの「南洲翁遺訓発表大会」をするのに、欠席する訳には行かないとして会場に来てくださったのでした。そして挨拶で、「南洲翁遺訓の原文をしかと青少年に教えてください」と挨拶を戴いたのでした。

 西郷隆盛を尊敬し、国家を愛する士(もののふ)でした。今回の『南洲翁遺訓』編纂という改竄事件をあの世で知り、激怒していることだろうと思います。「味園さん、たのんもんでな(お願いしますよ)」という言葉を忘れることはできません。鮫島志芽太先生は所要で欠席されたのでした。

 これからも『南洲翁遺訓』を広めるために、荘内南洲会・小野寺理事長のご指導のもと、円心会一門、精進して参りたいと自覚しています。

 何時の日かまた、荘内南洲会の先生方が「西郷先生の遺徳を訪ねる旅」と称して鹿児島にくるだろうと思います。その時は、北九州の古川先生もご一緒してくださるものと確信しています。大坪師範と二人で美女の古川先生をご案内したのがつい先日のように思われるのです。