味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
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菅原兵治著『農士道』序の紹介--2.

2011-02-24 11:14:31 | ブログ

タイトル---菅原兵治著『農士道』序の紹介---2. 第760号 23.02.24(木)

 昨日紹介したのを5回読み直ししました。痛切に胸に響きました。「人間が自然を離れるに随って、生命の衰退を招き、文明の栄華の裡に滅亡の影の濃くなりゆくことを深省せねばならぬ」、まさしく正論でしょう。菅原兵治先生の書の巻頭にふさわしい「序」だと思います。

 荘内南洲会・小野寺理事長に言わせると、菅原先生は日本一の教育者だったと私に話して聞かせました。荘内南洲会会館にある菅原兵治著『教えの國・荘内』をお求めになり、一読して欲しいと思います。漢文調ですから難解ではあります。では、昨日に引き続きます。

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 文明都市は實は素朴健全な農村生命を栄養として発育し、誤って之を酸敗せしめるのである。農村を如何に健全にし、天眞を発揮せしめるかは、實に民族國家永遠の根本問題である。余は農村に三種の佳人あるべきだと思ふ。

 第一は、未だ都市文明に馴染まない純朴な山野の民である。

 第二は、都市文明の落伍者、惨敗者である。

 第三は、都市文明に馴染みきれぬ剛骨をもち、人の世の煩はしき厭はしさを出来るだけ避けて、叡智と純情とを守りつつ、自由を好み、最も深く山野を愛し、山野を知る人である。単に人といふより、かういう人をこそ士といふべきである。

 第一の人物は勿論、第二の人々とて農村は憐れんで温かく包容すべきであるが、農村に最も敬愛すべきは第三の士で、それこそ文字通り社稷の臣であると思ふ。

 余は昭和の始、一世を擧つて都市商工文明を謳歌し、農村は亡びゆくもの、時代に取り残されたるもの、国家発展に最早積極的効用の無いものとして閉脚或いは蔑視され、農村の子弟も争うて村を棄てて市に群り、農村は空しく所謂土(どん)百姓の天地となって荒れ果てた時、久しい深念の果に微力ながら第三の型の士------農士の養成を謀って、鎌倉武士の典型たる畠山重忠の館跡武蔵菅谷の荘に日本農士学校を創立した。その時之が主任となって今日に至るまで身を以て子弟たるを率い、耕転學道にいそしんでいるのが本書の著者である。

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 「日本農士学校」と言えば懐かしい響きがあります。実は、私の詩吟道の師匠であった竹下一雄先生は台湾の学校で教鞭をとっていました。その竹下先生は、日本農士学校が出来たことを知り、学校の先生を退職して東北迄行ったのでした。そこで入学手続きをしようとしたら年齢が3歳オーバーしていたため入学が出来なかったのです。折角、台湾の学校を退職してきたのだからと懇願しても入学を許可されなかったのだそうです。

 家の床下でもいいから講義を聴講させて欲しいという願いも受け入れられなかったと当時のことを振り返り、私に話して聞かせてくれたものです。竹下先生には多くの門弟がいましたが、安岡先生、菅原先生のことは皆知らなかったのです。多くの詩吟仲間の人は何故味園さんがそういうことを知っているのか、と怪訝な顔をしていたものです。

 農士学校には入学できなかったが、竹下先生と菅原先生の交流は続いたのでした。現在、竹下邸には菅原先生直筆の額縁がかけられています。「一粒の苗」というのがそれです。師匠の竹下先生と、弟子の私は引き続き、荘内の英明な先生方にご指導を戴いている次第です。---------------次号に続きます。