京都観光のガイドブログです。定番の楽しみ方から特別拝観、さらには年に1度の御開帳まで。
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京都市の生まれ育ちで、50歳男性です。
京都市在住なのに?京都の神社仏閣めぐりに魅せられています。 第9回京都検定で、1級に合格しました。 さらに余談ですが、僕はMENSA(メンサ)の会員です。 |
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2013 7/21の拝観報告3(法蔵寺)
写真は、山門
大覚寺を後にして、往路と同じ道を戻ります。
広沢池、平安郷と進み、福王子の交差点で左折し周山街道に入ります。
すぐに嵯峨野病院のある右手の道に逸れます。
このまままっすぐ行くと西寿寺ですが、途中で左折すると黄檗宗の法蔵寺があります。
拝観寺院では全くないのですが、尾形乾山の鳴滝窯のあった場所として有名です。
毎月第1土曜日の朝に座禅や写経の会があるのですが、なかなか日程が合わず今回の訪問となりました。
山門には「許可なきものの拝観はお断り」と書かれてあり少しひるみましたが(笑)、由緒書きも頂けましたし、中でお参りもさせて頂けました。
また来る8/24と8/25日には、第9回法蔵寺「乾山セミナー」が開催されるそうです。
しかしこういうセミナーがあるとは・・・やはり京都は奥深いですね(笑)。
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コメント ( 4 ) | Trackback ( )
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乾山の”乾”って方角の”いぬい”だったのですね。
納得しました!
へぇ~そうなんですか・・・と素直に言いたいところですが、
誰が見たんや!って感じですね。
光琳が聞いたら「ちょっと待ってくれ!それは一面しかみていない。」
というかもしれませんね(笑)。
貴族などを相手にする呉服屋の次男のボンボンで
幼い時には習い事で絵の勉強をさせてもらったり、
大きくなってからはお父さんが亡くなったのに、
遊びほうけていて、弟の乾山に借金までしたり。
40代で財産も底をつき生活の為に、絵を本格的に
描くようになり、依頼主を求めて江戸へ行ったり
したそうです。その後、自分の描きたいものを
作る為に京都へ帰ったそうです。
その時に援助したのが若い時の遊び相手?交流が
あった二条家だそうです。絵を描くようになって
からも光琳笹みたいな風流な話もあったりします。
一方の乾山
乾山は真面目に野々村仁清に技術を学び、陶芸で
食べていこうとしていましたが、最初はうまく
いかなかったそうです。乾山もボンボン育ちで
商売はうまくなかったそう。
その苦境を救ったのが絵で有名になりつつあった
兄の光琳で、弟の作った皿に絵付けをして弟を
助けたそうです。この話にはいろんな説があって、
乾山の陶芸活動は実は順調で、逆に兄を助ける為に
苦境を装って兄に仕事を依頼したなど。
遊びすぎた兄貴と真面目すぎる弟がお互いに影響
しあった事でいい作品を残せたのかも。
この兄弟、幼い時にボンボンで育ち、その経験が
良くも悪くも今まで残り続ける作品を生んだんで
しょうね。
雁金屋は光琳のおじいさんの代には、東福門院を最大の顧客とするほどだったようです。
「尾形光琳関係資料」(重文)を大阪市美と京博が所有しており、昨年1月に大阪市美で展示され、見に行きました。
その時初めて知りました。
こうした家に生まれたことが、「光琳」や「乾山」を生んだことは間違いないですね。