▲<中央公論社、2015.4.25初版発行>
文久3年(1863年)、帝の威光を示す行幸の先鋒隊を命じられた京都の公家「中山忠光」と、土佐藩士「吉村寅太郎」「池内蔵太」「河内郷の武士」達30名で、「天誅組」を名のり、大和国の「五條代官所」を焼き討ちした。※中山忠光(19歳)は、明治天皇(祐宮)の叔父に当る(母の中山慶子は実姉)
「五條代官所」を焼き討ちした後、近くの「五條桜井寺」に、「五條新政府」を起ち上げた。
それは、明治維新の先駆けになるはずだった・・・。
「五條代官所」を焼き討ち直後、京都御所の「親幕派」や「薩摩藩」によって、「天誅組」は朝敵となり、「五條新政府」は幻に終わる。
そして、幕府軍から逃れるために逃走が始まる。
天ノ川辻から十津川へ南下する途中、天ノ川辻の勤王商人「鶴屋治兵衛」や「十津川郷士」の加勢を得て、高取城を攻めるが敗北する。
大和国の険しい南部山間部を逃走しながら、同志は次々と戦死して行く・・・。
明治維新の5年前に起きた、早かった「天誅組」の政変。
日本人には、殆ど知られていない実話を植松三十里氏が、「中山忠光」の苦悩と心情を軸に、「天誅組」同志達の40日間の死闘を壮絶に描いた。
植松三十里(うえむらみどり):本名植松治代、静岡雙葉高等学校・東京女子大学文理学部史学科卒業後、1977年婦人画報社に入社。1980年に退社。退職後、7年間アメリカで暮らす。帰国後、建築関係のライターとなる。2003年『桑港にて』(サンフランシスコにて)で、第27回歴史文学賞を受賞。2005年『三人の妾』で、小学館文庫小説賞優秀作品入選。2009年『群青 日本海軍の礎を築いた男』で、第28回新田次郎文学賞を受賞。『彫残二人』で、第15回中山義秀文学賞受賞。