▲<「イリヌカー」水量が豊富だったので、1960年まで集落の簡易水道水として利用された。井泉後方地に「ハブ爺さん」手掘りの水路幅2m(洞窟)がある。>
萩堂・大城地区の湧水群には、陶板製の「解説看板」が設置されています。かわいいイラスト付きで、この地区で井泉がどのような役割をしてきたか解りやすく書かれています。
私は、沖縄の井泉を100以上、観てきましたが、当地区のような「解説看板」がある所は、一部の観光地以外にはありません。当地区の解りやすさは、沖縄ではトップクラスです。
このような対応は、大人すら由来が解らなくなってきている現状において、「沖縄の井泉保存」の素晴らしい対応手法だと思います。
井泉に対する感謝と尊敬の念が深いという表れであると思います。
沖縄の他地域も、地元井泉が荒廃する前に参考にして頂きたい。
▲<「チブガー(チブ井泉)」大城集落で一番古い共同井泉。「ウブガー(産井泉)」で、新生児の「ウブミジ(産水)」として利用された。死者の身体の清めの水もこのカーから汲んだ。水量が豊富だったので、住民の洗濯・野菜洗い・水浴びなど生活用水として貴重なカーであり、多くの人達が集まり、触れ合い憩いの場としても大きな役割を果たしてきた。>
▲<「アガリヌカー(東井泉)」幅も広くコンクリートの屋根があり立派な井泉。上の空き地は、花壇と休憩所になっている。戦前は、大半の大城集落が飲料水として利用していた。>
▲<右、シダに覆われた樋口から豊富な水が流れ出ている。>
▲<「アガリヌカー」の流れた水で大きな池が造られ、周囲は遊歩道になっている。>
▲<遊歩道には、かわいいシーサーも>
▲<説明の「陶板」。子供が天秤を担いで水汲みの手伝いをしているイラストが描かれている。>
▲<左、車道から「アガリガー(東井泉)への入り口。右、「井泉」>
▲<解説の「陶板」には、女性が野菜を洗っている様子が描かれている。>