晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

解明マヤゴ-1 3/22

2018-03-22 | 大唐内のこと

2018.3.22(木)雨

 大唐内(おがらち)は歴史的にも民俗学的にも貴重な地域であり、最も早く調査研究に取り組んだところである。老富(おいとみ)の方々の協力も頂き、生守山(いもりやま・地元では丸山)に連れいってもらったり、調査のために皆さんで集まってもらったり、お世話になった。「大唐内は中国と関係あるんかなあ」という土井さんの言葉で上林の地名を調べ始めたのだが、大唐内はインドでも中国でも朝鮮でもなく、大河内(おごうち)と同様の地形地名であることを発表した。(2015.3.1参照)しかし調査の集会の際に出た「マヤゴ」(大唐内の聖神社の周辺)の意味はずっと不明だった。

マヤゴは聖神社とその前に続く居住地の小字名
  かつて大唐内に住まいされていた水田さんが「古い朝鮮語で神聖な場所という意味」とおっしゃっていたと酒井さんから聞いた。神社の在るところだから神聖なところには違いないし、摩耶山なんて山もあるなあと思っていた。しかし、摩耶は釈迦の生母のことで関係なさそうだ。韓国語や古朝鮮語に関する書物を読んでもマヤゴは出てこない。次に考えたのは旅籠(はたご)ならず馬屋籠(まやご)ではないかというものだ。胡麻峠に首無しの地蔵さまがある。愛宕山に向かう首無峠の地蔵さまは、馬喰が博打のまじないに首をとったという話を聞いたことがある。
 ところが籠は馬の飼料を入れる器や旅の荷物や食糧を入れる器で旅館や小屋を言うものではなく、馬屋籠という言葉は成り立たない。ただマヤゴのマヤが馬屋の可能性は無きにしも非ずだ。大唐内や胡麻峠の向こうの与保呂や多門院が牛馬の生産地ではないだろうか?詳しくは調べていないが特に顕著な産地ではなさそうだ。

こういう建物を予想したのだが、、、(小唐内にて)

 もしマヤゴが馬屋に関係しているとしてもそれは近世以降のことと考えられる。地名というのはもっともっと古い時代に付いていると思われるし、仮にマヤが馬屋ならば馬屋と漢字表記されているはずである。口語の地名が漢字表記されるのは地方においては中世から近世だと言われている。地方の役人や僧侶などの知識階級に口伝えの地名が漢字表記されることとなったのだろうが、漢字には意味があるので意味の解っている地名にはそれを意味する漢字が当てられたことだろう。ところが多くの地名が意味不明になっており、その上二字佳名の伝統の制約もあり意味の通った地名を付けられないのが実状だったのではないだろうか。それで適当に漢字を持ってきて付ける、つまりあて字で付けられてしまったので今日地名語源を解明するのに字面を見てはいけないという風になっている。ではマヤゴのようにカタカナ表記になっている地名はどういうことだろう。口伝えの地名が文字になり漢字になろうとするとき、もうそれが何を意味するか解らず当てる漢字がない場合カナで残すというのが考えられる。マヤゴはその地名が付けられたときには意味があったのだが、それが漢字に書き換えられようとするときにはその意味が理解できなかったと考えられる。老富町にはスギヤケ、ノガハナ、ヒシリ、ショウガ谷、フケなどのカタカナ地名がある。単純に考えて、マヤゴは古代に付けられた地名だろう。古代には意味があったのだろうと上代語辞典を紐解いてみる。

上代語とは表記されるようになった頃の言葉、主に奈良時代の言葉だそうだ。

コメント
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