goo blog サービス終了のお知らせ 

晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

シャレコウベが語る-2 3/9

2018-03-09 | 雨読

2018.3.9(金)雨

 本書では縄文人の顔形などが年代的にも地域的にも差異が少ないと書かれているだけで、アイヌの人骨について書かれているわけではないので念のため。
 わたしは沖縄についても原日本人(縄文人)が濃い状態で残ってきたという風に考えていた。それは体長が短く、彫りの深い顔、がっちりした体格が縄文的かなあと言う程度のものだが、アイヌ語的言語が残っているのもその理由である。ところが本書ではそれほど単純な問題ではなかった。

本書は骸骨の写真がいっぱい。
 沖縄の縄文人は決して背が低くない、そして鼻が高く彫りが深く顔面は大きい。ところが弥生人はと言うと、極端に背が低く、顔は小さく短頭型(頭が円い)というのである。つまりこの地域では縄文人と弥生人の遺伝的連続性が見られないと言うことだ。そしてこの弥生人と同様の形質を持った人骨を山東省(中国)で発見されている。もっとも興味を引いたのは、ゴホウラやイモ貝の腕輪である。森浩一先生の本などでいやというほど見ることがあったが、何の興味も無くて読み飛ばしていたが、実はこれが渡来系弥生人の顕著な指標と知って驚いた。これらの腕輪は沖縄など南の海で参するわけだが、使うのは北九州の渡来系弥生人だという。中国の古代人は玉を好んだ、玉の無い北九州ではその代用品としてこれらの貝を使ったというのである。沖縄ではこれらを生産輸出したわけだが、それを必要とすることを知っていたのは、沖縄の弥生人も一種の渡来系であることを物語っている。

徳之島面縄でみた弥生人骨(女性144.8~146cm)

 そして福建省、台湾に南九州・南西諸島タイプの弥生人に類似した人骨が無いことで、南西諸島に南方からの人の移動いわゆる北上する海上の道は無かったと結論づけている。
 このように古代史に関して示唆する内容が多々あるのだが、本書の魅力はもう一つあった。それは骨から見た日本人の未来である。顔形は美しくなるが、均一化する、あごが細い、乱ぐい歯、大足などのタイトルでその未来は解るが、このままでは短命化が進むということである。人類は500万年前から飢餓と労働に苦しんできたので人間の体はそういう環境に適用する代謝システムになっている。ところが日本では飽食の時代がやってきて代謝システムが間尺にあわない。飢餓と労働(苦役といったほうがよいかも)に代わる正しい食事(よく噛むこと)や運動を取り入れる必要がある。おわり
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする