晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

あなしら上林-8 4/11

2015-04-11 | あなしら上林

2015.4.11(土)曇り あなしら上林-7は2015.3.10

 かんばやし里山新聞第7号(2015.4.18発行)が発行されたので「あなしら上林-8 二、生守山 その五」を公開する。

 あなしら上林  
二、生守山 その五
 岩田さんの説が信頼できるものか判断のしようがない。飯の山を結ぶそんな二等辺三角形が果たして出来るものか、国土地理院の地図を数枚買ってみた。しかし数枚の地図で線を引いてみたところで何の意味も無いし、実際に彼女が引いている地図があるのだからそれを確認すればいいわけだ。それよりも実際に飯の山に登ってみよう、その頂上は人工的に加工されているケースがあるという。生守山についても彼女は真っ先に「その頂上に人工的な形跡はないですか」と聞いておられた。
 飯の山については偶然なんだけど不思議なことがある。岩田さんに会ってすぐに四條畷市と城崎に行くことが決まっていたのだ。四條畷市には有名な飯盛山があり、城崎の向かいには飯谷(いいだに)というところがあると教えていただいた。四條畷市の飯盛山は河内平野に望む重要な山で、レイラインも沢山集まっているところである。ピークの手前の小ピークには人工かと思える岩塊となっているが、何とも解らない。位置的には淀川と旧大和川に挟まれた古代の重要な位置かと思える。市を横断する国道163号線に猪鼻橋(いのはなばし)という交差点を見つけてドキリとした。
(写真1 飯盛山(314m)手前のピーク、石垣は人造か?)

 飯谷は城崎温泉の向かい、円山川(まるやまがわ)をはさんだところにあるが、古い歴史のある民俗的に興味ある谷である。家族旅行のついでに、皆が温泉に浸かっている間に車を走らせて行っただけだが、多くの収穫があった。城崎温泉から城崎大橋を渡り、飯谷に向かうのだが、飯谷川の河口の小さな湾に沿って走りながらその地名に驚いた。そこは楽々浦というのである。普通にはなんと読むのか解らないだろうけど、これは「ささうら」とよむ。それは「鬼伝説の研究」(若尾五尾著)の冒頭に出てくる産鉄の地名である。ササは銅、砂鉄を表すというのである。
 次に飯谷にある韓国神社である。名のとおり朝鮮半島に由来するものかとも思われるが、延喜式神名帳には物部神社と書かれており、祭神物部眞鳥(まとり)が韓国連の姓を賜ったことに由来しているという。(写真2韓国神社)

 飯の山に関連がありそうという感触を得て、傍らの電柱を見たとき愕然とした。そこには「ハンダニ」と書かれているのだ。飯谷はイイダニではなくハンダニだったのだ。
地名の研究にとって読みは重要である。イイはイイの、ハンはハンの意味があるからだ。だからといって読みが違うから全く別物と言えないところが難しい。若狭の飯盛山(584m)はイイモリヤマだが、飯盛寺や飯盛はハンジョウとよむ。つまり現在のよみだけでその地を判断することは危険な場合が多い。つづく
                                                        上林たんけんたい(カフェじょんのび内)

【今日のじょん】春は来たんだけどこんなに天気の悪いのは始めて、まるで梅雨みたい。桜も雨に散ってしまった。
 

 

コメント
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