晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 「越前一乗谷」 4/1

2015-04-01 | 雨読

2015.4.1(水)雨

 「実像の戦国城下町 越前一乗谷」を読んでこのような壮大な遺跡が残っているのかと将に驚愕の思いであった。そして自転車旅行の際はその付近を 何日もうろうろしながら、ついに一乗谷遺跡に気付くことも無く去ってしまった偶然に何とも奇妙な感慨をおぼえるのである。すぐそこにある、行ってみたくて仕方のない土地が妙に遠いのは一体何なのだろう。
 一乗谷遺跡を訪れる前に、朝倉氏のこと、一乗谷で起こったことを知りたいと思い本書に出会った。越前や若狭の気質が身についている水上氏の文章なら、一般的な歴史家の書物より実感がわくだろうと考えた。
 「越前一乗谷」水上勉著 中央公論社 昭和50年12月四版 古書

 水上氏による小説というよりも、「朝倉始末記」などの古文書をもとに、想像を交えて書かれたものである。なぜ水上氏がこの本を書こうと思われたか、解るような気がする。あとがきの冒頭に「この作品は越前一乗谷の朝倉館跡に立った時の、作者の感懐から生まれている。云々」とあるとおりだ。一乗谷は山間の流れの上と下を城戸で防御し、その中に領主の館はもちろん武家屋敷、寺院、職人商人の住居などすべてが揃った城下町である。戦闘に備えていることは当然だが、その中には優雅な庭園や別邸などもあり、文化的にも高水準で文化人も居住したり訪れたりしていたのだろう。ある意味戦国の世に花開いたユートピアというような見方も出来るだろう。
 ところが世が世だから、実に凄惨な戦闘が繰り返されることとなり、一度も攻め入ることのなされなかった一乗谷も城主は逃げだし、一気に焼き尽くされることとなる。その後も数回攻め入られることとなり完全に焼き尽くされた後、この谷は放置されることとなる。実はそのことが遺跡としては幸いし、建物こそは残されていないが、礎石や建物跡などはすべて残されていて保存されている。
 その遺跡に立った水上氏の脳裏には栄華を誇った朝倉氏の優雅な暮らしやその後の壮絶な戦いの様子が浮かんだことだろう。しかし最も気になったのは3,000体が残っているという地蔵ではないだろうか。なぜこんなにも多くの地蔵がこの狭い谷に残っているのだろうか。文中では朝倉氏の趣味だとか、城外で戦闘を繰り返す武士の供養の気持ちだろうかなどと書かれているのだが、本当のことは解らない。
 本来ならば朝倉義景が主人公ということなんだけど、どうもそんな風では無い。主人公は一乗谷そのもののような気がするし、あとがきの最後に書かれている次の文が妙に印象的であった。
 「いえることは、前記したように、遺跡に残る無数の石地蔵に吹く風が、戦国でも吹いていたということであった。」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする