晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 詣り墓(増補版)-2 9/13

2014-09-14 | 雨読

2014.9.13(土)曇り

 後半部分は、「増補一 両墓制の成因について」と「増補二 両墓制の分布について」からなる。旧版から四半世紀を経て書かれたものであるので、その間の研究の進展、より広範囲の詳細な調査の結果から興味深い論文となっている。
 両墓制の成因についてはわたしたちが最も知りたいところなのであるが、この項を何度読んでも、結論は出ないのである。両墓制はこれこれの要因で発生して、このように発展したという風に、一概に言えないのである。ある一つの法則を発見しても、必ず例外が出現するし、他の地域ではまるで当てはまらないというような事態が常である。それは人びとの死生観、他界観、埋葬地に関する不浄感愛着感、など多分に人の感覚的、思想的な部分が影響しているということと、村落の発展、仏教の影響力、近代にいたっては行政の関与など実に様々な要素が関わっていることに起因する。
 このことは「両墓制と他界観」にも受け継がれ、両墓制の成因と発展については一つの要因だけでははかれないというのが今日の定説なのだろう。わたしは近代の行政の関与も、近世の村落による両墓制の成立も効率的土地利用の観点が底辺にあるものと考えているが、最上氏もそのことは肯定しておられる。ただ、それだけでは両墓制は語れないと書かれている。
 両墓制の分布については増補版において従来とは異なる、より精密な分布の状態が解ってきているが、それが何を表すかについては、私自身も理解できていない。「両墓制と他界観」の中でも分布についてはかなり緻密な考証が為されていて、読んだ際にはなるほどと理解できるのだが、後ほどではどういうことかというとまるで説明できないという奇妙な状態となっている。それはどういうことかというと、例えば近畿には非常に緻密な分布を示すのだが、地域によって存在するところと、まるで存在しないところがある。こういうところを無視して、全国的分布を云々しても難しいことが残るのではないだろうか。
 旧版同様具体的な貴重なデータが残されている。これらのデータを駆使して結論を引き出したというよりは、提起をしたという方が濃厚な一冊である。おわり

【今日のじょん】涼しくなって運動量が増えてきた。今夏は食欲が落ちることはなかったので、しっかり運動しなければということなんだが、コチトラの体力が低下しているのでイケマセン。

 

コメント
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