晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

穴虫考(109) 男山穴虫-5 9/2

2014-09-03 | 地名・山名考

2014.9.2(火)曇り

 今回の男山穴虫訪問は時間の制約で充分ではなく、肝心の称名寺訪問も果たせなかった。しかし穴虫の位置確定とその位置が訪問前の予想と一致していたことに大きな成果を得ることが出来た。まだ何度か訪問することになろうかと思い、考察はその後まとめて行うことになるのだが、今回の訪問で解ったことや考えることをまとめておきたい。
 (1)穴虫は予想通りの位置にあったこと。
 穴虫のヒントは男山にあるということだけだ。谷間であって、集落の外れにあるという予想を立てると、男山川、三田川の中下流域に絞られる。男山川の上流には別惣というところがあり、穴虫パターンだとこちらと考えらレがちだが、小字一覧の穴虫の周囲にはアタゴノオテ、青屋田、上勝ブ谷、牛グソなど葬地地名を表す地名があり、別惣だけが穴虫パターンの要素とはなり得ない。称名寺からの距離は男山川のほうが近いが、丹後国分寺からは三田川は尾根一つ越えたところである。そして航空写真で見ると三田川の周辺には墓地が幾つか見える。そういうわけで三田川の左岸の道の終点辺りを予想したのだが、将にその辺りが穴虫だった。

P1030671


穴虫はもう少し奥だと思うのだが、写真のネットの処に林道が走っている。その林道沿いに現地を訪ねることが可能だと思う。

 (2)穴虫は真宗寺院の檀家圏ではなさそう。
 少なくとも三田墓にお墓のある家は、禅宗で弓木の玉田寺が菩提寺だということだ。一軒だけ称名寺の檀家さんがおられるということだが、穴虫と真宗寺院の関係は無いかも知れない。ただ三田川右岸の幾つかの墓地については未調査なので、今後の調査に期待したい。実際に穴虫は三田川右岸にあるのだ。
 (3)国分寺と穴虫
 古代において国策として仏教とともに火葬は奨励された。それは天皇、僧、官僚らが率先して実践されたと考えられている。国分寺の僧侶が火葬に付されるのは充分考えられる。穴虫が古代地名ではないという考えからは矛盾するが、今のところ丹波、丹後、近江の穴虫が国分寺の近辺に存在する。そしてそのいずれもが真宗の影響力が見られない点が気になるところである。単なる偶然なのかこれも今後の調査の拡がりで解ってくることとは思えるのだが。P1030661
 


丹後国分寺跡の上部にある丹後郷土資料館、奥に見える尾根のむこうに穴虫は存在する。

(4)次回訪問に向けて
 穴虫と浄土真宗、火葬の関係を調査すること。真宗において火葬が行われていたら、どの場所で、どのように行われていたか知りたい。真宗の墓地の形態なども今後の調査のためには知っておくべきと思う。
 また、穴虫を取り巻く小字地名の探究も続けたい。特に役場での調査が困難なだけに、地元の調査が重要になる。
 右岸の林道は穴虫を横断している。ここが穴虫だという地域を訪ねてみたい。そのためには地権者の同行が必要かとも思われる。
つづく

 

【作業日誌 9/2】
九条太ネギ植え付け、白菜苗5本植え付け

【今日のじょん】
定休日は散歩も遠出する。今夏は雨が多く、気温も低く作物にとっては悪条件である。新規の農業法人がショウガとサツマイモを栽培しておられるが、高温が条件の作物だから出来具合はどうなんだろうと心配する。素人のわたしには土の中でどのような状態かは解らない。もちろんじょんも。P1030700 P1030702

 

コメント
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