晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大原のこと(7) 5/13

2013-05-14 | 歴史・民俗

2013.5.13(月)快晴

 足助の東、設楽町から北に地図をたどると、橋本鉄男氏も驚くほど多くの木地地名(木地山、雉子洞、木地谷など)や轆轤地名(六郎谷、六郎小屋、六郎木、六良木など)がある。ただし、引地地名は豊田市方面に多くあり、木地屋地名と共存しているものではない。
 愛知県の豊田市周辺には多くの引地地名があり、豊田市東部、そのまた東には多くの木地屋地名が存在する。しかしその二つを関連づける要素は何も発見できない。むしろ引地地名は金属関連地名と共存しているように思える。
 「漂泊の山民」の中に轆轤地名の紹介の中に、「大分県大野郡朝地町大字梨小小字引地(※現豊後大野市)に旧字六郎木(ろくろうき)の名が残る。」とあることと、大原に引地と六ロ谷の地名が存在することが興味を持った原因である。
 「秋山物語」という秋山郷の伝説や口伝を採録された出版物がある。浅川欽一という方の採録によるものだが、現実に秋山郷の方々から聞き取りされているというだけでなく、それらの話を歴史的、民俗学的に分析されており、貴重な資料でもある。P1040449

 


物語だけでなく、貴重な写真や民具の紹介もある。

その中に木地屋に関することがいくつか記載されている。
 秋山郷に元々の木地屋は無いようだが、他所から入ってきた木地屋が居たようである。木地屋のことをクリ師と呼んでいたそうで、大正時代頃では足踏み式の轆轤を使っていたそうだが、手引きの轆轤もあったそうだ。
 木をくりぬいて椀を作るわけだから、クリ師というのは納得がいく。秋山郷のように隔絶されたところに古い言葉が残るのは通常である。新しい時代に木地屋とか轆轤師といわれる職人が入り込んできて、それをわざわざ別名としてクリ師と呼ぶだろうか。つまりクリ師という言葉が古くからあって、他の地では消えてしまっても、秋山郷に残ったという風に考えられないだろうか。
 そうすれば大栗峠(おぐりとうげ)のところで紹介した崩壊地名としての栗地名の一部が轆轤師地名かもしれないという発想も出てくるわけだ。つづく
P1000396



大栗峠の大栗はやはり崩壊地名だろう。


【晴徨雨読】 自転車日本一周229日目(2007.5.13)
4月26日からこの項の記事を停止している。歯痛が主な原因だが、記事を書くに当たって原稿締め切りのストレスをためないことにしたのでお許しいただきたい。ただ、放っておけば旅行が終わってしまうので再開することにする。この間の記事は終了後順次紹介することにする。
 高梁市に逗留し、吹屋を巡る旅に出る。吹屋は名の通り銅山で、銅が出なくなってからはベンガラの生産で栄えたところである。町並みなどかなり意識して保存されているが、石見銀山のように世界遺産どうのと言うことが無くて大変好ましい保存の仕方である。資料館なども無人で、もちろん無料で勝手に拝見するのだが、実に貴重な資料が残されている。
 宿泊地から遠かったので、じっくり見ることができなかったのだが、再度ゆっくりと見学したいところだ。
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笹畝鉱山の坑道は見学できる。弁柄資料館。


【今日のじょん】夏来たりなば
 いつの間にやら上林側に糸が張られた。30m置きぐらいに張られているのだが、実はこれカワウなどの鮎の食害防止のひもなのである。昨日までいた鳥たちが居ないので、効果があるのだろう。やがて稚魚の放流そして解禁が来る。P1040440

  

コメント
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