晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

漂泊の山民(3) 5/8

2013-05-08 | 雨読

2013.5.8(水)快晴

 「井」の字の姓
「第二部第一章 近江商人と木地屋」の中に「井」の字の姓についてのこの一文がある。
 わたしの住む上林にも「井」の字の姓がやたら多い。井上、永井、細井、温井、福井、森井、藤井、桜井、石井、今井、井関、磯井、松井、碓井、酒井、土井、仲井、井ノ本などなど気づくだけでも相当ある。気になっていたことについての文章に巡り会って期待をしたのだが、すっきりとした答えがあったわけではない。
 近江商人には「井」の字のつく者が目立つ。三井、中井、高井、村井、石井、藤井、井狩などの豪商がいるという。三井家など伊勢松坂が出身とされているが、先祖は近江だろうと説いている。氏は豪商小野組の屋号が井筒屋であることに注目している。木地屋根元地の小椋谷では小椋姓が圧倒的だが、古くは筒井を名乗っていたという。ここに小野宮を祭祀する筒井と名乗る木地屋と近江商人とが関連付いてくるというものだが、無理矢理という感もする。Img_0055

 


近江の豪商小野組の資料(高島民俗資料館、2006.8.2)

  筒井とは筒状の井戸のことであるが、蛭谷の木地屋の烏帽子着(えぼしぎ)に「阿野定盛(あののさだもり)」などの名乗りをすることに坂本の穴太頭(あのうとう)との結びつきを考えている。石垣築で有名な穴太衆は築城、造園その他の土木工事に長けており、木地屋も筒井を掘ったのではないかと論じている。
 そして「井」の字姓とは無関係に、君ヶ畑銀山の外財(げざい)と木地屋の関連を書いている。その際は小椋姓のクラが鉱床を意味するという根拠を示している。ここで外財というのは世界記憶遺産になっている山本作兵衛氏の「画文集 炭鉱に生きる」で氏の文の最初に、「その昔、下罪人(げざいにん)といわれたころの坑夫の多くは、、、」と出てくる。随分賤しめられた言葉のようだが、元々は仏教用語の内財、外財から来ている。「人間の身体の外にある財産」「身体の外の働き」などの意味があり、鉱山の山師や鉱夫、鍛冶屋、木こりなどの働きや、人そのものを表すそうだ。
 それはともかく「井」そのものが鉱山を表すのではないかと考えるのである。小野組も三井も鉱山には関連していただろうし、筒井とは縦穴坑と考えてもよいのではないだろうか。つづく

【作業日誌 5/8】
草刈り(2-1)芝生部分

【今日のじょん】寒いのに連日蛇が出ている。先日蛇の交合を発見した。注連縄はこの形から来ていると言われるとおりである。幸か不幸かカメラを持っていなかったので、取りに帰ったらもう居なくなっていた。後日同じ場所で二匹が絡まっていた。左上にもう一匹がじっと見ているのはいったいどういうことだろう。じょんの毛が逆立っている。P1040408

 

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雨読 漂泊の山民(2) 5/7

2013-05-08 | 雨読

2013.5.7(火)曇り

 さて本書だが、序章はいきなりゴキブリの語源から始まる。ゴキブリは木製の椀を囓るので、御器噛(ごきかぶり・御器は椀のほめ言葉)だという。なんともあやしげな説だと思い、語源辞典などで調べるとどうやらそうらしい。実に面白そうな導入であったので期待して読んでゆくが、木地屋に関して実に多岐にわたる考察があって、一度や二度読んだだけでは理解できない。
 著者橋本氏の一つのテーマに対する考察というものではなく、様々な学者の様々な説を総満艦飾的に紹介してあるので、結局木地屋とはいかなるものであったのかというところが杳としてわからない。杳としてわからないものが木地屋なのかもしれない。
 これまでに紹介した多くの本がそうであるように、再読、再々読で初めて著者の意図がわかるという種の本である。従って今回は内容から、印象に残った部分だけをかいつまんで紹介してみよう。
  木地屋の特許状について
 木地屋の祖は惟喬親王であって、その根源は近江の小椋谷(君ヶ畑・蛭谷)であり云々という木地屋の文書が各地に存在する。そのなかで各地の通行権や山林の伐採の権利などがうたわれているが、それら木地屋文書の発生の過程が詳しく書かれている。惟喬親王ももちろん権威付けのためのものであろうし、小椋谷で轆轤が発明されたというのも怪しげな話である。轆轤は渡来人により半島から持ち込まれたものだろう。
Img_5298

 


三加茂町(徳島県)歴史民俗資料館で見つけた木地屋文書(2007.5.9)

氏子狩りといわれる、木地屋の組織作りは君ヶ畑、蛭谷の二派に分かれて行われたことは史実のようである。
 それにしても鋳物師に対する真継家の対応と実によく似ていることに驚く。

 たたら師と木地屋の関係
 多くのたたらや金属に関連する書物の中で、たたら師や鉱山師と木地屋との緊密な関係を説いている。一見無関係に思える両氏だが、鞴(ふいご)と轆轤(ろくろ)は元々同じような装置であるとか、鉱山では淘鉢が必需品で木地屋にしか作れないなどとこじつけがましい理由で語られている。鞴と轆轤は構造的にも機能的にも別個のものだと思うし、鉱石の選別に必要な淘鉢は確かに木地屋にしか作れないが、それだけのために木地屋が鉱山に住み着くというものでも無かろう。
 本書の中で奥会津の木地屋の紹介があるのだが、「カンナやノミの刃も自分の手で作り云々」という文書がある。小椋谷の木地屋も刃物は自分で作るというのを聞いたことがある。つまり木地屋はたたら師でもあるということではないだろうか。
 橋本氏が諸職ということを盛んに言われているが、今日のように分業が発達しそれぞれ専門職となっているのに反し、古代や中世においては一人の人が多くの職をこなしたのではないだろうか。たたら師、木地屋、黒鍬、炭焼き、筏師などなど何でもやらなければならない社会であったのではないだろうか。つづく

 【作業日誌 5/7】
バラのアーチ立て
ミニトマト植え付け、スナック豌豆種まき
イス塗装準備
P1040421



夏野菜の準備OK

【今日のじょん】
阪神藤井が初ホームランを打って巨人に快勝した。じょんは藤井豆腐が大好きである。豆腐の中でもとりわけ藤井豆腐が好きなんだけど、藤井さんが来ると吠えるのが玉に瑕なのだ。P1040422



藤井豆腐を待っているところ。

 

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