晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続々七五三掛考 6/4

2009-06-06 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.4(木)曇

 もう一つ七五三掛の地名を見つけた。鳥海山の登山道上にあるものだ。象潟からでも吹浦から登っても御浜(7合目)を過ぎ約一時間で七五三掛に到着する。私は登っていないのではっきり言えないのだが、地形から見るとこの地点は外輪山の一画のようで、富士山で言えば吉田口や須走から火口の縁にたどり着いた所のようなものではないか。それから火口の縁をいわゆるお鉢回りをして剣ヶ峰や浅間大社に行くという感じで、鳥海山の場合も外輪山ルートを辿り頂上や大物忌神社にお参りするのだろう。そうすると、七五三掛というのはやはりここから神聖な場所という意味合いが強い。
 月山や岩木山、八甲田山や秋田駒に登りながらなぜ鳥海山に登らなかったかと今では悔やんでいる。膝の調子や天気の都合もあるが、皇室のどなたかが登山されたという記事を見て嫌気がさしたというのもあったような気がする。(2006.9.10参照)
やむなくインターネットで鳥海山の登山記を探して読んでいるが、ほとんどが役所の決裁文書のような文面で、面白くも何ともない。今から思えば私自身沢山の山行記を書いたがなんともつまらない文だったと思う。特に登攀記はガイドブックそのままで、時間やルートが記録されているだけである。もっと心象風景や同行している仲間のこと、周りの景色や山の生活のことを書けば良かった。
 話がそれてしまったが、あるブログに「七五三掛」というタイトルでスキー山行の記事が載っていた。七五三掛の地名考証なども少ししてあって面白く読んでいたが、「七五三掛というところは外輪山と谷との標高差が最も少ないところで云々」という文章があった。要するに七五三掛は外輪山上の鞍部なのだろう。登山道が通っているのでそれは千蛇谷へ乗り越す峠と言ってもいいのではないか。ここではっと気がつく。十王峠も鳥海山の七五三掛も神聖な場所へ入る入口なのだが、どちらも稜線上にある鞍部なのである。それは下方から見るとそれこそ馬の鞍のように山稜が垂れ下がった形なのじゃないだろうか。それは注連縄の中央部が垂れ下がっている光景とよく似ている。このことに気付いたのは実は3日前の深夜のことである。我ながら興奮して眠れなかった。結界、神聖な場所への入口などと決めつけているが、ひょっとしたらその峠の形状から七五三掛の地名が来ているのかも知れない。私は秘かにそう信じている。
 山形の七五三掛、長野の七五三掛、鳥海山の七五三掛、小諸の七五三掛城、他にもこの地名はあるかも知れない。いつか現地をこの目で見てみたい。 完
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旅行中に出合った注連縄二つ石大明神(2006.8.3、琵琶湖)、旗挙八幡宮(2006.8.14、木曽町)、佐良志奈神社(2006.8.19、千曲市)

 【作業日誌 6/4】
薪玉切り

きょうのじょん:先日毛抜けについて書いたが、いつまでもいくらでも抜けるので怖いくらいだ。マーブルお母あがじょんちゃん痩せたなあって言ってたんだって。痩せたように見えるぐらい毛が抜けているのだ。Img_2445

痩せてそ~?

コメント
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