晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

七五三掛考 6/2

2009-06-04 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.2(火)晴れ

 昨日七五三掛の事を書いたが、しめかけとは何とも印象的な地名である。小説月山の舞台となった注連寺(ちゅうれんじ)もよく見るとしめでらなのだ。よほど注連縄がこの地に関係が合ったのか、地名として残ったのである。注連縄は神社の鳥居などに掛かっており、極当たり前のものだが一体どういう意味があるのか、何のためにあるのかとなるとよく解らない。注連縄、七五三縄、標縄、〆縄などと記するそうだがもっとも一般的なのは注連縄で、中国の死霊との結界を示すものだということだ。標は領域を示すもの、〆も同様に占有を示すものということだ。問題は七五三である。この数字が何を表すかは私には理解できなかった。様々な説があるが概ね注連縄の製法から来ているようである。面白いのは熊野の花の窟神社のお綱掛け神事に由来するというものもあった。同神社は自転車旅行中に偶然訪ねた神社で180mもの綱は日本最大の注連縄とも言える。(2006.12.12参照)Img_2171

この岩壁の上から海に掛けて御綱掛け神事が行われる。


 小説月山の一つの主題とも言える十王峠は六十里越街道の道中にあり、出羽三山への信仰の道でもあった。十王とは死後の審判をする閻魔大王などの王であり、この峠が俗世界と神霊の世界を分ける結界とされていたと考えられる。そうすると七五三掛の地名がよく理解できるわけだ。
 重要な街道であった六十里越街道も新道(現国道112号)の開通に伴いだんだん使われなくなり、特に脇道となってしまった七五三掛、注連寺は訪れる人もなく寂れてしまった。そういった時期に森敦が月山を執筆した様である。過去においても現在も隆盛を極める注連寺がなぜ破れ寺であったのか不思議に思っていたのだが、当時(昭和26年頃)はそういう状態であったようだ。
 七五三掛という地名はいくつかあるようだ。鳥海山の登山道途中にもあり、長野県北安曇郡池田町にもある、長野県小諸市には七五三掛城址もある。七五三掛城は有名な懐古園の南方にあり写真で見ても驚くような断崖の上の城址である。郭には注連掛(しめかけ)、物見廓、猪乃丸などがあり、注連掛は「四面崖」から来ているといわれている。   つづく

【作業日誌 6/2】
枯れ草燃やし
畑土運び
予告看板ニス塗り
キュウリ、トマトの支柱立て
杉丸太防腐剤塗装
出店用看板造り

きょうのじょん:Img_2467

寝てるときに口がむにゅっとなって面白いので写真に撮ったのだが上手く撮れずに面白くなくなった。

コメント
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