晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続七五三掛考 6/3

2009-06-05 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.3(水)雨、曇

 小諸七五三掛城の注連掛郭がその地形から名付けられていることにはっとした。地名というのは伝説や言い伝えから付いているのがよく観光ガイドなどに載っているのだが、実はよく考証すると地形から来ているものが圧倒的である。そもそも地名とは、地図も文献も無い時代にその土地を口承で表そうというのだから当然その地形を表す地名とならざるを得ない。山形の七五三掛が単に結界を示すだけでなく、この地方の地形を表しているのではないかと考えてみる。この地の歴史を辿っていると、833年に空海が注連寺を建立「七五三の注連」を残して、この地から奥を女人結界とする、とあった。やはり七五三掛の地名はこれに由来しているのかとあきらめかける。しかしこれはあくまで伝説と思い、地形説を追求する。同じく年表に大綱の大日坊が地滑りのため移転したとある(昭和11年)。今日の七五三掛の地滑りだけでなくこのあたり一帯の地盤が弱いのだろうか。そうすると崖崩れが多く、四面崖の状態があるやも知れない。グーグルやヤフーの航空写真で一帯を見るが、他の地域とそう変わりない。また、精度が低くてはっきり解らない部分もある。どうも四面崖というのは七五三掛には当てはまらないようだ。
 もう一つの七五三掛地区は長野県北安曇郡池田町滝沢にある。地図で見ると松本市の北、西に大天井、常念などの北アルプスの山を望む大糸線(現北アルプス線)沿いの町である。学生時代に後立山連峰に登るため、夜行列車で良く通ったところだが、西は雪に輝く白い山々で、東は名も知らない緑の山だったことを憶えている。七五三掛という地区がどこに当たるか確定はできないのだが、大体の位置で山形の七五三掛との類似点を探す。北アルプスの山々は昔からの人々にとっては残雪が農耕の指針となったりするが、日常の生活にはそう関わりないと思う。そうすると東側の山々が主に生活の場面となっていたとして探索する。東に八代峠という大きな峠がある。少し北には四人峠という峠があり、いずれも犀川に至る。少し下れば会田、青柳、麻績とつづく善光寺参詣道にいたる。もちろんその先に善光寺があるわけだ。善光寺は修験の湯殿山とはすこしおもむきは変わるが、むりやり共通点を探るとしたらこうなるのではないか。つづくImg_0308

善光寺(2006.8.19)私は千曲川に沿って行った。

【作業日誌 6/3】
赤紫蘇植え付け

今日のじょん:聞きたくない。
じょんは自分の夕食の後のみんなで食べる夕食?が大好きである。ご飯やおかずの一部をやるのだが、沢山やるわけにはいかない。しつこくあご乗せじょんをするので「おわり~ん」と言うのだが、その時すっと顔を背ける。聞きたくない、聞こえてないよと言ってるつもりなんだろうが、何度言ってもそうするのでこれほど面白いことはない。

 

コメント
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