晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

晴徨 三和町菟原中(3) 9/16

2012-09-16 | 晴徨

2012.9.16(日)晴れ

 菟原中は中学校名ではなく、かつては菟原中村(うばらなかむら)、現在は大字名である。菟原には中、下があって上がない。あえていえば高杉が上に当たるのだろう。P1020732
 



八幡神社からの眺望、菟原中、菟原下方面。鳥居の真下の森が景清稲荷(ゴウドの森)、左上に見える白い鶏舎の所が別所。


 綾部から三和町岼に抜ける長宮峠の話に戻るが、三和町史(上巻)を見ていると道しるべの写真を見つけた。「右 たの あやべ たなべ 左 やすば 大しま たんご」とある。切り通しの附近にあるのだろうが、次回探してみたいと思う。
 「丹波志」に「右ヘ下レバ何鹿郡田野村ナリ、牛馬道、左ニ下ルモ同郡大嶋村ノ内安場ニ至ル、、、」とあるので府道部分が以前から牛馬道としてあったのかとも思われる。もしそうだとすれば長宮不動から谷沿いに直登しているのかと想像する。いずれにしても府道沿いにはかつての往来の雰囲気はない。
 さて、菟原に戻って、八幡、天神社だが、いつものように摂社を覗いて回る。摂社の方がその地に元々祀られていた可能性が高いからだ。
 外に一社、本殿の中に二社あるのだが、確認できるのは丸に金の紋で金比羅宮ぐらいだ。古い木造の神像があり、朝鮮風の衣装のものが気になるところである。P1020735
P1020727P1020730 
 


左:八幡宮、天神宮の扁額
中:本殿左の摂社、木像に注意
右:社殿内の摂社、金刀比羅宮か。


 もうひとつ不思議な鉄の板を発見した。社の建築材料か、装飾品か解らないのだが、15cmぐらいで三枚ある。古代の輸入鉄材料の鉄ていの形をしているのだが、それにしては形がしっかりしている。いずれまた調べてみよう。P1020728
 




 龍源寺に降りて行くとちょうど住職がおられたのでお話を聞く。
きれいに整備された庭に宝篋印塔は立っている。三和町の指定有形文化財の第一号ということで、傍らに金属の案内板も立っている。
 「龍源寺も宝篋印塔も別所にあったそうですね」と聞くと住職はいぶかしそうな顔をしておられた。全国別所地名事典の写しを持っていたので、差し上げてきた。
 龍源寺や宝篋印塔のことは同事典に記してあり、福林寺で聞いた話となっている。柴田氏は龍源寺には取材していないのだろうか。果たして三和町史で見た限りでは、龍源寺、宝篋印塔が別所にあったとは一言も書いていない。P1020737 P1020736




 同地域にわたしのいとこが居るので寄って見る、今後の調査の助太刀をしてもらおうと思っている。なにしろ自転車乗りの服装で地域内をうろうろするのは大変なことだ。怪しげな者が居ると通報でもされかねない。
 空模様も怪しくなってきたし、今日のところは帰ることにする。別所自体には行けなかったが中身の濃い菟原中訪問だった。おわりP1020738

龍源寺、お世話になりました。 



 【晴徨雨読】47日目(2006.9.16)秋田駒登山、黒湯温泉行
 生保内(おぼない)あたりから、魅力的な山容が見えていた。登ってみたいと思わせる山だ。バスで八合目まで行けたので、簡単に登れた。そして下山後自転車で乳頭温泉郷、黒湯に行く。お湯もさながら、なんとも濃い一日だった。ミズの醤油煮といった超珍味も体験する。Img_0670

山上から田沢湖、明日は一周予定。



【今日のじょん】:なぜ一粒だけ残すのか?P1020743

15日夕食。


 作日は一粒、一昨日は二粒、一昨昨日は一粒、今日は大量の残量。
当初はフードがボールにくっついて食べられないのかなあなーんて思っていたのだが、実はこれには深~い訳があったのだ。つづく

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