晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

晴徨 高浜 8/10

2012-08-11 | 晴徨

2012.8.10(金)曇、晴れ

 じょんのび発 10:58
 市茅野     11:58~12:10 昼食 (18.9Km)
 高浜町役場  12:55~13:20     (33.1Km)
 高浜町図書館 12:30~14:30
 市茅野      16:09          (48.9Km)
 じょんのび着  17:04          (68Km)

 青鄕に猪鼻地名は無いか調べるため高浜に行く。距離は長いが登り坂といえば帰りの永谷坂の上りぐらいだ。余裕があれば福谷坂峠を越えても良いが、地図を見て止めた。
 市茅野まではゆったりした登り、丁度一時間で20Km弱、何度も走った道だがいつも新しい発見がある。古井の少し先でモリアオガエルが道の真ん中にいた。卵は沢山見るがカエルは初めてだ。車に轢かれてしまうので森に帰そうとするがなかなか動かない。P1020412
 
鮮やかな色だ。


 市茅野の入口で昼食をとって川上の下りにかかる。4Kmの下りだが、帰りに登るのかと思うとぞっとする。若狭道の高架のところに福谷の案内があるが、ここから福谷トンネルに行けるものか解らないので、ICの案内のあるところから入る。道標というものは車用に書いてあるもので、随分大回りをした。トンネルは二つあって実は通行は嫌で堪らないのだが、福谷坂峠を越える気はしない。P1020414_2

川上から見た廃村宝尾、正面の尾根の中間、竹林のところが宝尾。


 トンネルを抜けると緩い下りで、あっという間に高浜に着く。まずは役場によって、青鄕に猪鼻地名がないか確認する。原電ハコモノ行政の高浜町で、役場もさぞご立派な建物かと思ったら、随分質素なものだった。くだらない行政しかできないところほど立派な庁舎を建てるものだが、高浜町役場は質素でよろしい。職員さんも親切で適切な対応をして頂いたが、猪鼻地名は見つからなかった。ただし猪鼻峠そのものが小字名になっており、サンドラ岩のある丸山は猪森ヶ嶽(いもりがだけ)という小字名だった。P1020415
 
高浜町役場、手前の橋はやくばばしとか。



  続いて高浜町図書館に行く。ここは文化会館と一緒になっているが随分立派な建物で、色々行った図書館の中で最も立派なものだ。ただし蔵書は不満で、探している本はそこには一つも無かった。職員さんが親切に手配してくれて県立図書館だかにあるものを借りられるようになった。P1020416 P1020418
 
高浜町立図書館と郷土資料館


すぐ近所に郷土資料館もあるのだが、今日は時間が無いので後日訪問としよう。
 さてこれからあの峠道を登り返して帰らなければと思うが、行動食は何も持っていない、途中で腹が減ってはと、店を探す。佐伎治神社の前の踏切のねきに弁当屋さんがある。お客さんの出入りが多いので美味しいのかなと寄ってみると、定番の弁当は売り切れていた。かさばる弁当も入れるところが無いので思案していると、ご主人が「お好みでおにぎりでも作りますよ」と言ってくれた。「いくらですか?」と持ち合わせが少ないので聞くと、「ご予算に合わせますよ」と随分親切だ。
結局200円で漬け物付きのおにぎりを作ってもらったが、大きくて満足、というより心意気がうれしい。これから良く通うので定番にしたいし、みんなにも勧めたい店である。P1020420 P1020424
 
おすすめの店、みのり弁当。鮮魚、へしこなどもあり。



 68Km走ったけどおにぎり5個も食べたので体重は減らないだろう。

晴徨雨読 10日目 金沢滞在
 貧相なKKR(国家公務員リゾート)の宿と違って都市部のKKRホテルはおしゃれである。パソコンも使えるのでたまったブログを一日書いていた。普通の旅行者なら金沢なんて凄い魅力なんだろうが、兼六園、金沢城、博物館、夜の近江市場どれもつまらなかった。やはりガイドブックの無い田舎が面白い。
Img_0186
 
おしゃれな宿でブログ書き。 
 
 

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晴徨 大簾、奥山峠、大原(3) 8/5

2012-08-05 | 晴徨

2012.8.5(日)曇

 峠の呼び方は様々である。両方の麓で呼び方が違ったり、同じ峠名がいくつもあったりする。例えば大原に入る峠は各方面からいくつもあり、大原峠と呼ばれる峠はいくつもある。同様に奥山峠も過去には大簾峠と呼ばれていたのだろう。ところが府道が開通した後、国土地理院の地図にも掲載されている大簾峠が別に存在することから紛らわしさを無くするために奥山峠と呼ぶようにされたのでは無いだろうか。
 そのあたりのことを確かめるべく、中津戸の最奥の集落を訪れたが、なにしろ昼寝の時間帯なので訪問することをためらってしまった。
 中津戸の雰囲気は予想していたものと違い、明るくて建物も近代的で裕福な村の印象である。蛇ヶ谷との出合いまで2500mの道は自転車で下るとあっという間だが、徒歩の時代の生活は大変なものがあっただろう。積雪だって尋常のものではなかったろうと想像するが、行き止まりであった車道が大簾に開通したときは、この谷の人々の閉塞感を吹き飛ばすものがあっただろう。
 最奥の集落から少し下った道端にお地蔵さまが現れる。この峠道で初めての発見だ。よだれかけがしてあって大切に祀られているようだが、年代的に新しそうなお地蔵さまだった。P1020369_2
 
中津戸のお地蔵さま


 時間に余裕があるので蛇ヶ谷の最奥の家まで行ってみることにする。
 蛇ヶ谷に入ると祠や地蔵さまがあちこちにある。大原志(おばらざし)と呼ばれる大原神社参詣の道としては奥山峠よりはこちらの方がメジャーであったような気がする。P1020370

蛇ヶ谷入ってしばらくのお地蔵、こちらは旧そう。


 西谷との分岐は十字路になっており、府振興局の治山事業の案内看板が立っている。ここから奥三郡山までの地図があり谷名など詳しく書いてある。実はこの中に気になっていた谷名があった。ロクロ谷、イモリガ谷、大蛇ヶ谷などである。P1020371
P1020373  
案内看板と西谷出合いの四つ辻。地蔵さまも新旧たくさんござる。



 またこの西谷は和木峠を越えて綾部市和木町に出られるのだが、大原から由良川へは最短コースでもあり、和木と大原が歴史的にもつながりがあったようなので、この路は重要な道でもあろうかと思う。峠の両麓に自転車を置いて、峠の部分は徒歩で歩いて三年間綾部高校に通った大原の高校生がいたそうだ。オール自転車で質山峠を越えるより距離的にも時間的にも有利だったのだろうが、なんとも強者である。
 大原ではなにかと調べたいことがあったのだが、今回は下見程度に考え、再訪をすることにしてあとにする。質山峠、西原、上谷を通って帰宅する。

晴徨雨読 5日目 武生滞在
 暑さと疲労で動くのが嫌になって、初めて休養日とする。武生は旧い町で興味深いところだが、そういうものを見つける手だてができなくて、単に街中をうろついただけである。多分この日に初めてブログの書き込みをしたのだろう。今から思えば今庄で一泊していた方が面白かったかなと思う。

今日のじょん:晴れているときは朝の散歩は割愛して庭で遊ぶだけなんだが、なぜかカンカン照りの中で座り込んで固まってしまう。日陰に来なさいと言ったらのそのそ来るんだが、どうもこの仕草は理解ができない。P1020386
 
見て、このコントラスト。

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晴徨 大簾、奥山峠、大原(2) 8/4 

2012-08-04 | 晴徨

2012.8.4(土)晴れ

 「あまな」という自然に親しむ会の会報に郷土史や古文書に出てくる福知山市周辺の峠の特集がある。その中に丹波志天田郡の大簾峠の一文がある。
 
 又麓ヨリ左ノ谷ヲ奥山ト云 廿町斗谷ノ中ニ 大原ノ内大簾嶺 船井堺也

 少し理解しにくい文ではあるが、大簾嶺(おおみすとうげ)が現在の奥山峠を指すようである。また、両丹日日新聞平成10年7月29日の記事があり、府道市島和知線の大簾峠の開通記念の記事のようだ。この大簾峠というのが、奥山峠のことであるのは間違いない。

 国土地理院の地形図には大簾峠と明記されている峠があり、この峠は大簾川の源頭、二股になった右股のツメにあり、質志の鍾乳洞の駐車場のあたりか桂と言うところに降りる。つまり天田、船井の郡界を越えるのでは無く、旧町名で云えば和知から瑞穂にぬける峠である。これはどのように考えたら良いのだろうか。本当の大簾峠はどれなんだろう。P1020366
 
 
奥山峠大簾側からの展望は大原八景の一つとなっている。

P1020365
奥山峠の本来の峠はこの空間部分だろうと思うが、祠や地蔵さまは無かったのだろうか。

P1020368
眼下に中津戸最奥の集落が見えてくる。旧の峠道はこの集落から谷沿いに直登し、最後に現峠に合流している。


 大簾から京に向かう場合、大簾峠(国土地理院記載のもの)、その東南の峠(大簾川源流左股から三宮に降りる)、七谷峠(大簾出合いの上から左に入る谷を登り三宮に降りる)の三つが利用され、奥山峠は大原神社に向かう場合に使われた峠なのではないだろうか。樫原の大原神社から大祭の毎に通った神官はこの峠を越えたのではと考えるのだが、余りにも街道としての、信仰の道としての遺物が少ないのである。
 もちろん新道としての府道はいにしえの道とはルートが違うのだが、大簾出合い橋から谷に沿って登る間は昔と同じルートだと思うし、その後も府道が谷を横切る箇所も一箇所ある。峠そのものもそうだけど、こういった地点に道標や地蔵さまは遂に見つけることができなかった。山家からの大原越え、大成峠などの大原に越える峠道とは雲泥の差なのである。
 
 ここから先はいつもの通りわたしのげすの勘ぐりなんだが、大簾の人にとって重要なのは京に向かう先程の三っつの峠で、大原に向かう道は大原神社の参詣(大原指しという)以外にはそれほどの重要性が無かったのでは無いだろうか。
 平成10年奥山峠の府道が完成したとき、本当に開通を喜んだのは、大原、中津戸の人々ではなかったか。大簾の人々は大原に抜ける車道より、三宮に抜ける道の方がいいと感じているのでは無いだろうか。
 そして期待通り道が出来ることとなったとき、それは一般道では無く和知まで行かないと乗ることの出来ない自動車専用の京都縦貫道であったことはなんとも皮肉に思えるのだが、果たして地元の方々の思いは如何だろうか。つづく

晴徨雨読 四日目(2006.8.4)
余呉湖~今庄~武生
 自転車旅行中辛い思いは、暑さ、寒さ、雨、風、疲労、病変、故障、恐怖など色々あって今後も紹介していくが、この日の辛かったのは空腹、つまりハンガーノックである。椿峠、栃ノ木峠と大きな峠を越えたのだが、道中に食糧を買える店が一軒も無く、悲惨なこととなった。以後行動食、非常食を充分に備えるようにしたが、それはこの日の教訓からである。Img_0118

椿坂の途中、昼前に最後の食糧をとる。夏場のスキー場に店など無い。


今日のじょん:今日も他所の犬の話で盛り上がっている。
「ルルちゃんは風邪ひいても大丈夫やなあ」
「風邪薬やさかい」
「ルルちゃんは上海帰りかい」
「そりゃリルや」P1020379


 

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晴徨 大簾、奥山峠、大原(1) 8/3

2012-08-03 | 晴徨

2012.8.3(金)快晴

 じょんのび出発 11:00 山家~府道450~
 梅の木地蔵   11:44~50  立木駅~広野~府道59~
 熊野皇神社   12:15~20  出合い橋~
 奥山峠      12:55~13:10  昼食
 大原着      13:25      蛇ヶ谷探訪
 大原発      14:15      R173、じっかんさん宅みちくさ
 帰宅        15:30
 
 走行距離 52Km

 健康診断の結果が芳しくなく、適度な運動が必要と言うことらしい。メタボでは無いようだがお腹周りのお肉も気になり始めた。体重もあと1Kg減らすべく週一度のライドを計画する。
 大簾(おおみす)は京都縦貫道が完成すると様変わりするだろうから今のうちに見ておきたいと意気込んで出発する。
 山家あたりでも止まって見ていきたいところがいくつかあるんだが、いつでも行けるだろうと先を急ぐ。途中下替地町(したのかちちょう)の梅の木谷不動尊によって行動食をとる。やがて広野の大簾に入る府道を見つけるが、少し遠回りをしたようだ。P1020357_3
 
涼しそうなところに鎮座しておられる。手前の水はイボに効くとか。


 大簾の府道はしっかりした道で、大成(おおなる)や草尾、塩瀬のように廃村を免れたのは将にこの道の賜という気がする。道路の状況がその地域の存亡を左右するのは哀しいことだが現実なのだろう。しかし京都縦貫道という使えもしない道路が大簾の人にとってどう影響するのかは未知数である。P1020358

大成に向かう谷、大原までは最短コースだが、車道は無い。


 通行が人の足に頼っていた時代に主要な街道となっていた峠道が、モータリゼーションの登場で行き止まりの道となり、街道は廃道に、村は廃村になるというのはなんともやるせない想いがする。
 どこの谷でもそこの道がどこかに抜けられる道か行き止まりの道かというのがその村の存亡あるいは盛衰に影響する。大原へ抜けられる、あるいは大原から来られるというこの府道が、開通時はともかく現在、産業や通行にどれだけ貢献しているかは疑問なのだが、大簾の人にとって大原中津戸の人にとって精神的な貢献度合いは計り知れないものがあろうかと思うのだ。
 大簾は出合い橋までは明るい近代的な農村を思わせるが出合い橋から先は傾斜もきつく山村という感じだ。大簾の神髄は出合い橋から左奥の大簾峠に向かう道では無いかと思うがまだ未知の土地なので解らない。P1020363
 
出合い橋から先は道も狭く、雰囲気も変わる。


 奥山峠に向かう府道は幅も狭く傾斜もきついが全線舗装されている。民家はすぐに終わり、植林の間をぬって登る上等の林道のような道だ。P1020364
 
奥山峠の道で最奥の民家、といっても出合いからすぐ。



 大原神社が樫原から遷宮され、大祭には神主が招かれていたという。わたしは樫原の大原神社の神官は大簾からの道を通ったのではないかと予想している。しかしこの府道には街道の臭いが無い。道標であったり地蔵さまであったり、いにしえの人々が歩いた臭いが感じられない。つづく

晴徨雨読 三日目(2006.8.3) ガリバー旅行村~余呉湖キャンプ場
 この旅行中随分勇気のある行動をとっている。それは今までなら恐くて行かなかったところへ行っていることだ。今日の八淵の滝もそうだ。早朝に起きてバイクのスタイルで滝を往復してくるなんて考えられない。霧の中に連続する滝なんてぞっとするぜ。Img_0068

アプローチからしてこれだもんね。



今日のじょん:晴徨の帰り道、水が無くなり喉カラカラでじっかんさんとこに寄って給水する。するとかわいいワンがおるでないか。名はルルというそうだ。かみさんも見に行こっテカ。P1020380

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晴徨 大原・猪鼻・加用(3) 7/15

2012-07-15 | 晴徨

2012.7.15(日) 晴れ

 猪鼻岩(ししばないわ)は猪鼻(いのはな)の地名の由来とも言われており、実にユーモラスな形をしている。初めて見たときには資材などが入っていて中を見ることができなかったのだが今回はきれいに掃除されておりしっかり観察できる。Img_3164
P1020187  
昨年訪れたときの猪鼻(2011.6.24)と今回の左穴


 当初は田舎の家のどこにでもある芋などの保管用の穴だと思っていた。ところが猪鼻周辺までマンガン鉱脈があることや、実際にマンガン坑跡があることを知って、マンガンあるいは他の鉱物の掘削跡ではないかと思うようになった。坑道跡と言わないのは余りに穴が浅いからである。右の鼻の穴は穴というより少し削られた痕という感じで、左の穴は横谷の方に、「学校の帰りに雨宿りした」なんて聞いていたのでそう奥の深い穴で無いことは解っていた。
 そして上林の鳥垣渓谷の奥でおそらくマンガンの試掘痕らしき岩を見つけて、猪鼻岩も鉱物の試掘の跡ではないかと想像するに至った。
 そして現物を見てその感を強くしたのだが、これは試掘というよりは本格的に掘られたものであろうと思う。その辺の詳細については別稿で書くことにして先を急ごう。
 マンガン坑の跡があるという情報を得ていたので横谷方面を少し行くが、見つからず先を急ぐ。
 府道を下るとすぐに加用に向かう府道に出合う。P1020194

加用口、ここから福知山市だ。


  加用(かよ)は川合の集落の一つで、最も小さな集落である。小学生の時に遠足があって来たことと、15年から20年くらい前だろうかお墓参りの際に車で通り抜けたことがあり今回で3回目だ。
 加用口の寂しさとはうらはらに中に入ると豊な田畑に作物が実り、道沿いに家も続いて人の姿もある。最奥の集落で作業中のおじいさんに会い、いろいろお話を聞く。
 過疎化は見た目以上に進んでおり、ある程度残っているという家もすべてが空き家だということだ。家も集落もきれいにされているので住んでおられるのかと錯覚するぐらいだ。
 加用については気になるのが子供の通学である。ここから川合小学校まで、椿峠という峠を越えて5Kmある。小学校から大原神社がちょうどそのくらいだから、分校の無い加用(ずっと以前にはあったようだが)のほうが通学は大変だったと思う。大原には分校があり、3年生から本校に通う様になっていたが、大原は神社から奥に同じくらいの距離があり、その地域では大変だっただろう。
 そのことを高橋さんというおじいさんに話すと、「学校に通う子はもうおらへんのやな、うちの孫が最後やったかなあ」などという返事が返ってきた。何ともやりきれない話である。P1020195  
P1020197



 高橋のおじいちゃんと集落、この集落で在住しているのは一軒だけとか

わたしが車で椿峠を越えたときはもう道は草ぼうぼうで人が歩くような道では無かった。もうすでにそのとき小学生は居なかったのだろうか。
 マンガン坑の話も伺ったが、加用には鉱山は無く、大身(おおみ)に行く方に鉱山があって朝鮮人労働者の飯場などがあったそうだ。今から行ってみる時間も無いのでお礼を言って椿峠に向かう。
 椿峠はすぐに着くが上川合側が長い、全線舗装されているが周りが植林でなんとも薄暗くて気味悪いところだ。丁度北山の林道を走っているような気分だP1020198P1020199_2


椿峠加用側と上川合側の廃屋。 



 峠から少し下ったところ、道路がヘアピン状になったところに屋敷跡があり、倉だけが残っている。結構補修された倉でさほど古い離村でも無いようだ。続いて数軒の屋敷跡があり、建物は残っていないが一定の集落があったようだ。
 どんどん下って行くと右手に随分古い、もう形も無いようなお地蔵が祀ってある。P1020200P1020201_4
P1020202



古いお地蔵を過ぎると道が二分する。左が小学校への道。向こう岸の高台が川合小学校。

 カメラにおさめてすぐに植林の林から開けた世界に飛び出す。 岼の渋谷神社辺りの景色が開ける。早朝に加用を出た子供達がここに来て、やっと着いたなあと実感するところだろう。このあたりは日後(ひしろ)という。反対側の斜面が日向(ひなた)である。この地名の付け方はこの地方ではよくあるが、全国的にもあるのだろうか。道が二股になり、左に行くと小学校に向かう。川合川を渡ったところに大橋屋という料理屋兼食料品店があったが随分前に無くなってしまった。それどころか川合には店というものが一軒も無くなってしまった。農協の店まで無くなるんだから地元の人はどのように買い物をしているのだろう。P1020205
 
村の食料品店土佐商店も随分前に閉店してしまった。


 この後台頭(だいと)、質山峠、西原、上谷厄神社、広域農道を通って帰るのだが道中幼い頃の思いでのあるものに出くわす。またいつかの機会に紹介したい。
とにかく久々のライドで両足がパンパンになってしまった。おわり

今日のじょん:朝の散歩道、小ヘビが出て来た。じょんがちょっかい出すと生意気にも怒っていたが、やがて逃げ出した。このくらいならかんべんしてやろう。P1020218 P1020219  
 

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晴徨 大原・猪鼻・加用(2) 7/14 

2012-07-14 | 晴徨

2012.7.14(土)曇

 本日は日本一周自転車旅行スタート記念日である。2006年の今日は異常に暑かった。ところが途中から夕立があり、その後連日の雨となり、19日に傷心の帰京となる。そして本格的スタートは8月の1日となるのである。従ってこの時期の気象状況は身に浸みて解っている。北近畿の梅雨末期の集中豪雨はこれからが要注意だと思うのだが、梅雨前線は日本海に上がっているのである。太平洋高気圧が強くなれば、以外とすんなり夏になるかもしれない。
 さてこの記念すべき日に傷心の帰京をしたルートと同じルートについて書いているのは奇遇としか思えない。
 質志トンネルのある峠は如何なる名前なのだろうか。国土地理院地形図では榎峠とある。ちょうどトンネルの真上にあるようだ。わたしが中学の頃質志鍾乳洞探検に行った道も、母と二人農協のトラックに乗って故郷川合を出た道もこの峠道である。狭い地道の曲がりくねった道であった。P1020181

階段や照明が付けられた鍾乳洞には何の魅力も感じられない。


 トンネルを抜けると右に質志鍾乳洞への道を眺めて、三宮の信号まで一気に下る。三宮のお寺の手前を右下に降りて行く。自信は無いのだがこの方が近道だろう。下りきったところに左手に酒治志神社がある。延喜式内の古い神社だが実はこのよみが解らない。スジシ、スチシ、シュジシ、シュチシ、スズシなど様々に言われるが質志(しづし)という地名とかかわりがあるのではないかと思う。P1020183_2 P1020182

大杉のある社殿と案内の看板。「シュチシ」はアイヌ語で麓という意味があるという説もあるとか。



 神社の前の橋を渡ると猪鼻(いのはな)に向かう府道への近道となる。この冠石峠(かむろいしとうげ)に至る坂道には道の脇に古い地蔵さまがある、きっと過去の街道筋なのだろう。峠を越えると左手に産廃処理場が現れ、その先に目的の猪鼻岩が見えてくる。P1020184_2

大事にされている地蔵さんだが、木の枝で作った籠のようなものは一体何だろう。


 昨年6月にこの地を訪れたときは、猪鼻の左の穴には畑に使う資材などが保管されていたが、今回は随分きれいに掃除されており、中まで入って観察することができる。ざっと見た後、その向かいにある西山さんのお宅を訪問する。
 「猪鼻岩についてお聞きしたいのですが」といきなり妙な格好の人間が訪問したにもかかわらずご主人は親切にお話し頂き、「この本にいろんなことが書いたるから読んでみな」と一冊の本を貸して頂いた。P1020186
 
西山さん宅から見た猪鼻岩。府道ができる前までは岩のあたりまで田んぼだったそうだ。元の街道は家の下を通っている1m余りの小道、進駐軍のジープもここから上へは入れなかったそうだ。


 「産土今昔夜話」(うぶすなこんじゃくやわ)という本は地元の西山柿風と言う方が1986年に猪鼻村の歴史や昔話などについてまとめて自費出版されたもののようである。門外不出のものを特に一部公開するとあり、差し障りの無さそうな部分のみ後日紹介したい。猪鼻岩の顛末とこの本の中身については、別項で紹介の予定である。つづく

今日のじょん:久々にユキちゃんが来たので、「出してくれい」と騒がしい。出しちゃると当座頑張って遊ぶのだが、やがてしらっとしてしまい、今度は「入れてくれい」と言う顔でドアからのぞいている。冷めてしまった恋人同士を見ているようでつらいものがある。P1020215

当座は仲良く遊ぶのだが、、、、。

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晴徨 大原・猪鼻・加用(1) 7/13

2012-07-14 | 晴徨

2012.7.13(金)曇、俄雨

 雨の日は読書に勤しみ、晴れた日には彷徨うというのがわたしの生活のコンセプトである。ところが雨の日はともかく、晴れの日、特に休日は生活に追われてバタバタと過ごしている。
本部ブログのカテゴリーも雨読は充実しているが、晴徨はカテゴリーも無い状態であった。体重も増加してきたことだし、ここは一つ健康対策も兼ねて晴徨を実践することにした。

 じょんのび村スタート 11:45
 阪鶴街道質山峠分岐 12:40
 台頭グリーンロード休憩所 13:20~13:30 昼食
 大原神社            13:40~13:50
 酒治志神社       14:26
 猪鼻岩          14:50~15:00
 加用            15:31~15:48        
 上川合           16:12
 じょんのび村       18:00
 
 走行距離 61Km 峠数大小7個

 今回の目的はとにかく走ってみること、雨が降りだしたら帰ってこという気楽なものだったが、必要備品は行方不明だし、自転車の整備はできていないし大慌て。
 最も準備不足なのがエンジンで、広域農道の峠ですでに息が上がっている。ギヤはとっくに最ロウギヤで情けないったらありゃしない。上谷厄神社から西原を通って27号線に出るのが最短なんだが、昼飯のおにぎりを購入するところが無い。やむなく綾部まで出てミツマルで購入する。怪しげな87円のおにぎり3個買って再スタート。
 わたしの晴徨ライドのやり方は、なるべく旧道を走ることである。車で走るときは新道で良いのだが、自転車の場合は旧道に限る。遠回りになることあるが、必ず嬉しい発見がある。新道には全国どこにいっても同じ景色のチエン店が展開しているだけである。綾部から京都方面に向かう道は今でこそ国道27号線だが、かつては由良川左岸の阪鶴街道(阪鶴鉄道沿いの街道という意味だろうか)を使っていたそうである。P1020160
 



 27号線から、旧綾部大橋を渡り、左折すると古い街道沿いとなり、すぐに質山峠から大原に向かう道に出合う。「右 大原ゑ 左 わち」の古い道標に出合う。右に道をとりすぐに国道173号線に出る道と旧の質山峠の道に出合う。ここも旧道を通りたいのだが、クリーンセンター下まではともかく、その先の通行が不安なので173号線を通ることにする。何ヶ所か国道から眼下に旧道が見えるが、草ぼうぼうで走る気がしない。草の無い冬か春のシーズンに再度挑戦してみたい。P1020162 P1020164_3
 
173号線から旧道が見え隠れ。



 台頭のロードパークで休憩し昼食をとる。ここはわたしのバイク初恋号で3回通過しているのだが、2006.7.19はチエン切れで傷心の通過、2007.5.21は日本一周達成記念日で喜びの休憩、そして今日は単なる晴徨というところだ。
 昼飯を食っていたら捨て猫だか寄ってきた。尻尾が切ってあるので飼い猫だったのかなあなどと想像するが、おにぎりをやっても食べないので、近所の猫かもしれない。P1020168_2




P1020171 Img_5893


おんなじ場所で日本一周達成時(右)。
えらい肥えてるで。 

 早々にスタートし大原神社に向かう。もし天候が崩れたら蛇ヶ谷に向かい、持つようだったら三宮から猪鼻、加用から上川合に出て、質山峠から帰ろうと決めていた。どうやら天気は持ちそうなので、奉納絵馬や大原志(おばらざし)の投句を見て大原神社をあとにする。
P1020173
わたしの句は今月の発表では無かった。


P1020174 P1020178 P1020179


 

 古い絵馬がいっぱいあって圧巻、大原八景も巡ってみたい。


今日のじょん:昨日のじょんだが、パトカーや消防署のサイレンに反応する。救急車にはときたまで、何が違うのか何かあるんだろう。「え~こえ」と囃すとアンコールが聞ける。P1020156 
ウオ~~ン
え~こえ


P1020157ウオ~~ン



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