常念が見える部屋から

ここから北アルプス常念岳が眺望できます。
季節の移ろいに写真を添えて発信します。

ぼんぼり

2011年02月16日 | 季節の便り

 

上雪が降って、晴れた朝の気温は真冬並みである。

夜明け前 南の山の端にさそり座が首を延して現れた、オリオンが西の空に姿を消すのを待っていたのだという。

雪をかぶって静かな裏山で梟が間隔をおいて鳴く 、ゴロスケと小さく鳴いて溜息のようにホーと吐きだす。

「雪はすべて覆い隠してくれるから好きです」と言った人がいた。

雪の灯りで書を読むことはともかくとして、この雪明りの光源はどこから来るのだろうと思う。

雪をろうそくの変わりにして雪洞(ぼんぼり)を作ったらどうだろう、紗布に包まれた雪が淡く光る様におもえてきた。

 

 

 

 

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マニラ湾

2011年02月15日 | 旅先の風景

クチナシの花?

宿泊したホテルの前は夕陽が美しい事で知られるマニラ湾が広がる。

ホテル玄関の植込に咲く白い花はクチナシと勝手に決めたけれど、何となく薄汚れた感じがする空気の中に埋もれたのだろう

芳しい香りはなかった。

ホテルと湾岸公園の間を交通の激しい幹線道路が走っている。

数少ない信号付きの横断歩道を渡って、ヤシの並木が続く海岸公園に辿りつく。

しかし そこにはゆったりと落日を鑑賞できる場所はない。

もの売りや物乞いがたむろし、植え込みの陰にぼろを纏って横たわりながら目を光らす男や女がいた。

ポニーに引かせる二輪馬車がしつこく乗車を迫る、ガイドからこの手の誘いに乗ると非情に危険だと強く言われていた。

馬車で夕陽の海岸を揺れてゆくのも悪くないと思いつつも腰が引ける。

先入観とは恐ろしいもので、馬車曳きがすべて悪党に見えてくる。

以前来た時、馬車に乗って街を巡った、軽快な蹄の音を立てながら南の街の路地から路地を渡った。

私たちが所望した果物を求める為果物屋さんに停止し 、旨い果物の選び方を教えてくれて、その上店主に交渉し沢山のおまけをつけて貰った。

 そのことで 私とフィリッピンの距離が一挙に縮まって、今度の5回目の訪問につながったのだろう。

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マニラにて

2011年02月14日 | 旅先の風景

 マニラ湾の夕陽

南国での4日間は慌しく終わり、昨夜12時雪の信州に帰還した。

歯科、内科、眼科の医師、看護師、薬剤師で構成される医療奉仕団が、二日をかけて4か所を巡回し、6千数百人の治療にあたる。

当初掲げた医療困窮者を救うという本来の目的は薄れた様に思えた。

患者のほとんどは私が見た限り健常者に近い人達である。

短時間の通訳を介した問診で、内科は内用薬を処方され投薬を受ける、眼科は点眼薬と老眼鏡を貰い最後にタオルを渡され嬉々として帰る。

歯科はひたすら抜歯する、乱暴な様だがそれ以外の治療方をここでは実施不可能である、 歯科衛生士さんが熱心に正しい歯磨きを教えるのだけれど、はたして何人が実行できるのだろう。

私は眼科を担当した、役目は診療碌(カルテ)の回収である。 

患者さんは受付を済ませ、診断を受け、点眼薬、老眼鏡、タオルを順番に受取り、最後に私のところでカルテを置いてゆく。

帰り際 一様に握手を求め、たどたどしい日本語で「アリガト」「サンキュー」と礼を言って帰って行った

しかし 信じたくないのだが、患者さんは受け取った援助物資のいくつかをお金に変えることもあるという。

多分それは事実だろう。

土産を買いにマーケットに行った折り、我々に執拗にまとわりつく中年の男がいた。

広いマーケットは迷路の様相で迷いやすい「私が案内しますからついてきて下さい」と誘う。

前回この手の甘言に乗って、法外なガイド料を捲き上げられたことがあったから断った。

とたん男は豹変し、半袖のポロシャツをまくり上げ肩口の刺青をちらつかせた。

「俺はこのマーケットのチンピラだ、そこにいる3人は俺の手下だ」いつの間にか仲間が我々を取り囲んだ。

いたるところでガードマンが目を光らせている白昼である、「集合の時間だから」とかまわずと歩き始めると、意味のわからない言葉を発して三人は後を付いて来た。

ところが、通路を隔てたデパート(シューマート)のガラスドアを押して入ると、彼らはあっさり退散していった。

巣を張ってチャンスをひたすら待つ蜘蛛のような彼らにとって我々は格好の獲物に見えたのだろう。

フィリッピンに入国した時、比国通貨ペソに交換したけれど余ってしまった、円への再交換が原則としてできない、ペソ消化の意味もあった買い物である。

あの時、彼らの親切を受け、妥当な対価を払った方が良かったのかもしれない。

彼らは働きたくとも仕事が無いのだという。 「俺はここのチンピラだ」と肩の刺青をちらつかせて凄む彼らも本当は善人なのだろう。

 

 

 

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下駄と春の雪

2011年02月09日 | 季節の便り

 

春の雪が降っている、久しぶりの潤いである。

 下駄が日常に使われていたころ、春の雪には難儀した。

粘着性のある春の雪は歩く度に下駄の歯の間に張り付いて、雪だるま式に厚みをまして高くなる。、

しばらく歩く間に、下駄の高さは天狗様の履く1本歯の下駄のように5寸(15センチ)近くにもなって立ち往生する。

電柱や石垣を蹴る様にして、溜まった雪を落とすのだけれど、春の雪は容赦なく下駄の裏に張り付いて来る。

仕方ないから下駄を両手にぶら下げて、足袋はだしで歩いた。

 今日夕刻雪の降らない国へ立つ、4日間のボランティアである。

 

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樫の木のドングリ

2011年02月08日 | 季節の便り

ルエリアが咲く頃落ちるドングリ

駐車場の隅に鳩が数匹、日課のように来て何かを盛んに啄ばんでいる。

外に出て見ると無数のドングリが散乱している、見上げると枝が張り出した隣家の樫の枝にドングリがたわわに実り、風が吹くと音を立てて落ちた。

10ケ程拾うと掌にずっしりと重い。

ドングリといえば秋の山のクヌギかナラである、常緑の樫に実が成るのは温暖な地方に限られていた様に思う。

本州の温暖な海岸地帯の旅行で拾った、樫ドングリは発芽しても寒さに越冬できず枯れた。

拾ったドングリを植えてみよう。今度は育つかもしれない。

 

 

 

 

 

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ドラセナ 幸福の木

2011年02月07日 | 季節の便り

 

12年ほど前になる、大先輩に勧められてしぶしぶある団体に入会した。

厳かな入会式があって、記念品として掌に乗る程の小さな鉢植えをいただいた。

丸太状の幹に瑞々しい新芽が三つついて、確か「幸福の木」という白いネームプレートが差し込まれていたように思う。

冬は室内に取り込み、成長に合わせて二年ごとに大きな鉢に植え替えた。

ドラセナは背丈を優に超えて、尚 日々成長している。

現在 部屋に茂る植物の多くが、その会の縁の方々からで頒布された珍しい植物達である。

 

 

 

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日々多忙

2011年02月06日 | 季節の便り

 折鶴蘭

年度末が近付いて忙しさが増してきた。

以前はもう少し手際よく片付けられた事が、もたつき始めた。

パソコンの入力ミスや操作ミス、せっかく作ったファイルが行方不明ななったり削除してしまったり、てんやわんやは焦るほどひどくなる。

新しい用向きは断ればよいのだけれど、新しい事はえてして面白いから始末が悪い。

 

 

 

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立春大吉

2011年02月04日 | 季節の便り

 春霞 針の木岳

 

立春大吉 春の兆しが濃く立ちこめて、嬉しくなる季節なのに、今年は各種の催しや行事が重なってなかなか気分爽快とは成り難い。

個人的には今春、53年間の勤務生活に区切りをつけて、自由な時間を存分謳歌するつもりであったけれど思うようには行かないものだ。

それでも4月からの可処分時間は、今までと比較にならないほど潤沢である。

多分退屈することはないと思うが、この筋の先輩は言う「やることがいくらあっても、やらなければ退屈する」名言である。

ブログで出会う達人各位の、素晴らしい生き方が大いなる励みであり良き師である。

 

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節分 ルエリア咲く

2011年02月03日 | 季節の便り

 

ルエリア咲く

今日は寒が終わるという節分である、当時の小学校は正月休みが終わってしばらく通学すると、1月末から10日程の寒中休みが始まり、その楽しい休みは節分で終わった。

日足が伸びて、光が濃くなった原っぱに出て、小川の暖かい湧水に繁茂する支那芹(クレソン)を摘んだ、枯れ草の中で水中の緑が嬉しかった。

摘み集めたクレソンは節分のささやかな夕餉に彩りを添えた。

今朝 節分を待っていたかのようにルエリアが咲いた、花を窓辺に置いて朝日射す常念を配して1枚、春の記念写真を写した。

 

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新しい巣箱

2011年02月02日 | 季節の便り

 

野鳥の巣作りにはまだ間があると思っていたが、巣箱は早く設置した方が入居率が高いと隼人君が云うので、沙羅の幹に取りつけた。

側面の板を外せばガラス張りで中の様子が一目できる。

この仕掛けが野鳥に受け入れられるかどうか解らない、観察者の都合で作られた巣箱である。

雛鳥の成長が日々観察できたら、鳥と人の距離が縮まって間接的に野の鳥にも恩恵が及ぶかもしれない。

 

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