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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

三木市別所町を歩きました。

2010年11月18日 05時16分47秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から

 おらが村・口吉川町は三木の市街地の北東にあり、旧城下町である市街地をはさんだ南西側には別所町があります。しかし市街地の向こうなので、いままで日帰り温泉『湯庵』に二度行っただけで別所町にはなじみがありませんでした。
 きのうは三木市老人クラブの『若手委員会』のお世話で『別所町ウオーク』があり、二人で参加しました。うちのの老人会長に車に乗せてもらって旧三木駅に行ってみると、参加者は120人もあり盛会です。ちなみに老人クラブなのに若手委員会というのは、団塊世代の人たちを指すそうです。でも「60歳になったから憧れの老人クラブに入ろう!」と思う人はちょっといません。古希前後のぼくらの世代が若手委員会ということになります。そんな感じでした。
 お寺や神社、祠やお堂を見ながら一時間半ほどたらたら歩きました。別所町は三木城から姫路城に通じる昔からの街道で、集落の家並みは古く、口吉川町の農家とちがい、町屋の感じが出ています。高木の十王堂には閻魔大王だけでなく10人の王が亡者を裁こうと正座していました。いかにも庶民が手づくりしたような初々しい像で、閻魔大王のおどろおどろしい雰囲気はありません。人のいないときに訪ねて一人ずつに話し掛けてみたい親しみを感じました。
 写真は『在田寺』(ありだじ)というお寺の本堂で、中央が本堂のようです。綱をぶら下げた銅鑼の横に、ワイヤーを引いて珠を繰る巨大な数珠がぶら下げてありました。珠の直径は10センチもあるでしょうか。それを引き下げると上の珠が落ちて軽い機関銃のような連続音がします。ぼくも列に並んで順番を待ち、何度も数珠を引っ張って音をたのしみました。人がいなかったらもっとつづけて遊びたかった。
 神戸の須磨ニュータウンでは三十年近く暮らし、退職後10年ほどはそれこそ縦横無尽に散歩しました。山が削られてその土は海を埋め、平らになった土地に街がつくられ、道は清掃され、街路樹はよく手入れされ、公園は木がよく茂り、家家は庭先にプランターを置いて道行く人と花を分かちあい、快適な散歩道でした。神戸の下町の子らがはじめて地下鉄で名谷駅に降り立ち、嘆声をあげて見入るほどきれいな町並みでした。
 でも田舎に移り住んでみると「昔からの道ばたのお堂や祠や木立ちは大事なんやなー」とつくづく思います。 
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3 コメント

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別所・慈眼寺・柿狩り (ひげじぃ(hige-eiei))
2010-11-18 06:21:48
毎回楽しみに見させて頂いています。
ひげじぃ (hige-jeie)
はげましていただき、ありがとうございます。 (uranoyabu)
2010-11-22 01:29:01
『ひげじぃ』さんのブログをのぞくと多方面でご活躍しておられ、「すごいなー」と感嘆しています。私のブログも訪ねていただき、ありがとうございます。ことばを掛けていただくと励みになります。三木市に移り住んで、歴史のある町はいいものだ、あちこち訪ねてみよう、という気持ちになっています。
久しぶりです (ひげじぃ(hige-eiei))
2010-11-27 03:46:35
1週間ぐらいのご無沙汰でした。
もう数日で師走ですね。
三木は田舎なので、神戸暮らしからだとちょっと淋しいでしょうが、自然があるので空気が美味いでしょ!
人情も厚いし、ちょっとお節介のところもあるでしょうが・・・・・・・でも、すきなんです。

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