古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

父の『引揚げ記』 (19)

2017年10月25日 01時30分14秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 雨が降り続いたので稲刈りがまだ残っています。きのうはどんより曇った日でした。それでも「稲刈りをすませよう」と薄暗くなるまでコンバインが動いていました。水はけのわるい田んぼはコンバインがめり込んで刈れないので、手で刈った稲をコンバインのところに持っていって脱穀していました。「稲刈り」はまだ残っています。しばらく雨が降りませんように。ぼくたちも畑仕事。道子さんは親株からイチゴの苗をとって仮植えしました。ぼくは電気柵のポール(台風で折れた)を修理しました。

 昭和二十年八月十五日 朝鮮の山奥で (19)

 この汽車は連絡船の出る釜山まで殆ど駅に止まらず、したがって人の入替もない。引揚者ばかりの汽車である。だから立った人は一日中立ったままの姿勢でいるより仕方なかった。或る人は楽しそうに日本であった事を話しているし、また或る人は敗戦日本の恐ろしさを話している者もある。それ等の人々の懐かしい日本へ、憧れの内地へ、新しい希望を乗せて、この汽車はひた走りに走る。
 私は大邱でリンゴを一籠買い、たった一つの日本への土産にする事にした。お腹がぺこぺこになる夕方になって、やっと釜山に到着した。
 その夜は釜山の小学校で一夜を明かす事になり、何千人かの引揚者に学校の講堂が割り当てられた。その講堂には朝鮮のあちこちから引揚げて来ているので、別の知人に会ったり親戚の人が顔を合わせたりして、そこで大きく話が弾んだ。そこで敗戦当時の朝鮮のあちこちの様子を聞かされた。
 朝鮮全土から集ってきた日本人であるから、その数は大変なものである。到底連絡船に乗れないから順番を待っていなくてはならなかった。明日出発する連絡船に乗れる人々は嬉しさ一杯で荷物をまとめていた。私達一行はその小学校で二日程待たされた。
 いよいよ明日出発の番が廻ってきたという話を聞かされた時は、天にも上る嬉しさであった。その夜の午前二時に釜山港に集合するように通知があったので、十二時を過ぎると寝てはいられない。電気はないが蝋燭の火で荷造りを整えて、釜山港へと向う。引揚げの人々は、京城を出発する時以上に荷物が重くなって、もっともっとたくさんになっている。軍隊の寝る時に使用する毛布など持てるだけの物は皆持った。
 背一杯、両手にトランクを下げた奥さんや娘さんがいるかと思うと、前と後に荷を振り分けて担い、両手にうんとこさ持った男もいる。皆が力のある限りの荷物を持っていた。
 引揚げの列はゆるりゆるりと進み、やっと連絡船に乗る事ができた。連絡船に行く道の両側には、日本から引揚げて来た朝鮮人が、地べたに枕を並べて眠っていた。
 やっと船に乗る事ができたが、皆が自分の座る場所、自分の家族が落着く場所を見つけるために必死の争いで、まるで餓鬼道の有様である。私もやっと座る場所を見つけたが、あまりに狭いので座ったまゝ動く事もできない。夜になると横になって眠ってしまうので、余計に場所が狭くなる。時々便所に立つ人があると、近所の人々は手や足を大きく伸ばして、吐息をつく位が関の山であった。そして近所の人々は、いろいろな話を話す事で時の移るのを忘れようとしていた。
 すると突然、大きな声で叫ぶ者があった。
「海のこの辺では機雷がいくつかあるから若しもの事があったら、どうか覚悟して下さい。その為にこの船は、下関には着かないで仙崎港へ着きます。若しもの事があったら、そこの棚に浮袋があるから、これを使ってください」
 棚を見上げると、なる程そこに浮袋があるが、その数はほんの僅かであった。いよいよ日本に帰れると喜んでいたのに、こんなところに難関が残っていようとは思いも寄らなかった。噂によれば昨日も軍隊の家族を乗せて帰る連絡船が下関に着こうとしたら、機雷に触れて全部死んだという事であった。一同の者が不安に思っていると、
「日本が見える」
 と大声で叫ぶ者がある。皆総立ちになって、小さな船の窓から覗いた。
 なる程緑の山が、遥か彼方にうすく霞んで見える。一斉に皆が自分の荷物をまとめ出した。憧れの日本へ帰れる。心が浮き浮きして、じっと座っていられない。それから一時間程たって船は止った。窓から覗いてみると、日本の陸地はまだ遠い彼方である。
 ここから小さい船に乗り換えて、陸地に行くというのである。さて小さい船であるから、なかなかその船に乗り換える順番が廻ってこない。重い荷物を背にして長い列について番を待っていると、一時間ばかりして大きな連絡船の船腹が開かれて、そこから小船に跳んで移るのである。 (つづく)
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