古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

父の『引揚げ記』 (17)

2017年10月23日 00時16分04秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 台風が来て、稲刈りのすんでいない田んぼの被害が心配です。畑も水びたしです。しばらく入れないので裏山の仕事をします。
選挙が終わり、対抗軸を四分五裂状態にして、自民党は安泰です。こんな政治のレベルで、いまの国際社会で、しっかりした外交ができるか心配です。



  昭和二十年八月十五日 朝鮮の山奥で (17) ※用字、仮名遣いは原文のまま

 京城に着くとさすがに朝鮮の中心地だけあって、どちらを向いても人ばかりでごった返している。駅前に出ると、そこに飯を売っている露店があった。私はすぐ飛びついて二杯平らげ、人間らしい心持ちになった。一杯五円だから十円払った。
 早速今夜京城に宿を探さねばならぬとあちこち旅館を探し廻った。以前宿った事のある日本人旅館を訪ねて泊めてもらうように頼むと、
「何県の人か」と聞く。
「鳥取県」
「生憎だけど現在室が皆詰っていて泊める事ができない」
「女中部屋でもいいから」
「女中部屋も一杯です」
 とすげなく断られてしまった。仕方なく次の旅館を探す。あちらの旅館に頼んでもこちらの旅館に頼んでも、皆断られてしまう。探して探してやっと一軒の朝鮮人旅館を見つけた。
 一日の宿泊料は十五円だという。それも二人で一室に泊ってほしいと云う。私の財布には五百円位しか持っていなかったが、とにかく眠る家が出来たので私は幸福であった。その夜はぐっすり眠った。
 翌朝京城の街に出て歩いてみると、戦時中不自由をしていた品々が、あちらこちらの露店で売り出されている。パン、たまご、砂糖等の食料品や衣料品も何でも揃う。値段は少し高いが、品物ならどんな物でも売っている。戦時中だれが一体こんな物を隠し持っていたのかと不思議な事である。
 色の白いアメリカの男も女も、意気揚々と通りをかっ歩している。戦時中決して手に入らなかった煙草も山のように袋に詰められて、道路に投げ出されて、人びとに踏まれている。中にはその散らかっている煙草を箒で掃いて持ち帰る者もいる。いろいろな品物がこんなにたくさんあると思えば、何も買う気にならない。
 全財産の五百円がなくならない間に、もっと安い宿に引っ越さねばじきになくなってしまう。私達はいつ日本に帰れるかその目途がつかない。私は毎日毎日安い宿とか下宿を探したが、どこにもそんな宿はなかった。
 私の宿っている旅館の主人はどこから買ってきたのか知らないが、たくさんの軍服を買ってきて、ばらばらにほぐしている。そしてきっと何かに仕立て直してまた売り出すに違いない。
 毎日毎日同じような日が繰り返されている間に、私の財布は次第に淋しくなって、もう二百円になってしまった。これ以上この旅館に泊っていることは出来ないなあ、と思っていると、旅館の主人が私にこんな事を云った。
「もう日本人はどこかに行って下さい。朝鮮人がたくさん泊りたくて困っている」
 ちょうど私の財布も淋しかったので、荷を背負って街にさまよい出て宿を探す。あちらこちら一日中探し廻ったが、どこにも泊る宿は見つからなかった。
 行くところもないので、ふらふらと駅に辿りつき、駅前の広場の地べたにうずくまった。寒い風が私の上を吹き抜けてゆく。眠るともなく起きるともなくうとうとしている間に夜が明けた。
 こうなっては仕方がない。いっそ春川へでも行こうと思いつき、春川への切符を求めようと駅に行ってみると、駅は既に切符を買う人々で長蛇の列が作られていて、待つ人ばかりである。聞けば昨夜から列が作られたということであった。
 私は列の終りについたが、どうせ私のところまでは切符は売らないだろうと案じながら待っていると、私の後にもたくさんの列が出来る。二時間も待っていると、汽車が来た。先頭の方は大分汽車に乗る事が出来て、少し列が進む。とうとう朝から待って、午後三時までも待ったのだが、まだまだ列の長さはなかなか縮まらない。暑い夏の日はじりじり照りつけて汗が流れる。
 この時ふと先方を見ると、私の知っている日本人が見える。その方を一心に見つめていると、その人も私の方を見ている。目と目が合うと二人は驚いた。どうしてこんなところで出会ったのであろう。それは伊川で一緒にいた日本人だったのである。
 その人は私のところに歩いてくると、
「どうしてこんなところにいるのか」ときいた。
「私は泊るところがなく困って、春川へ行くのだ」
「今私達伊川に住んでいた人々は皆、京城の第一高女に集って暮らしているんだ」
 その人は第一高女に行く道順を教えてくれた。
 私は深く感謝して、その第一高女を目指して歩き出した。幾度も道を尋ねて、やっと第一高等女学校を見つける。
 中に入って見るとなる程、伊川から引揚げた人々が皆それって暮らしていた。そして私を見て、その無事である事を祝福してくれた。
「お前はもうソ聯兵にやられたという噂であった」とある人は云った。   (つづく)
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