屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

旭川東高応援歌 ナレーター付 

2020年03月15日 | 日常

コロナ騒動が終息する見通しがありません。
マスクが手に入りにくくやきもきしているとは思いますが、まず身を守るには手をしっかり洗うことが一番大事です。あと睡眠と食事。
高齢者(わたしは後期高齢者)はドラッグストアで「なぜマスクがないんだ!」と怒鳴ることは止めましょう。同じ年寄りとして恥ずかしくみっともない態度です。

旭川東高応援歌。ナレーターはわたしです。言葉がもごもごして聞きずらいでしょうが、次回はもっと上手くやります。

ハッピーフラッグ2020

2020年03月14日 | 日常


「ハッピーフラッグ2020」、今年の参加作品1,330枚がJRタワー1階東西コンコース、地下1階イーストアベニュー、ウエストアベニューに掲出されていた。
膀胱癌は完治したといわれたこの日(3月11日)、わたしにとって「ハッピーフラッグ」は「幸福の黄色いハンカチ」に見えるのである。

花川の「ハードオフ」でダイナミックマイクを購入し、標準プラグに3.5mm変換のミニプラグを取り付けた。
自分の音声をいれた動画を作りたいが、このままではパソコンに接続できないので一工夫が必要である。

富山が生んだ詩人・大村正次とバイオリニスト高階哲夫

2020年03月13日 | 摂津国の怪人
詩誌「日本海詩人」主宰者「大村正次」、「時計台の鐘」作詩・作曲の「高階哲夫」は共に明治29年(1896年)富山県生まれ、生地は現富山市と滑川市と隣接。その学歴も富山師範学校卆といわれ共通性がある。
但し、交流が有ったか否かは不明。「高階」は札幌に演奏旅行の際、「時計台の鐘」を作り、札幌生まれの「満寿夫人」が歌ったものという。両者には抒情性という共通点があり、北海道にゆかりがあり、皮肉にも離婚歴まで一緒との類似点がある。

「時計台の鐘」は一時教科書にまで取り上げられ、「高階哲夫」の名は有名になり、その音楽的功績に対して滑川市では「時計台のミニチュア版」を造り顕彰しているとのこと。我が恩師「大村正次」にも抒情詩の先駆けとして詩集「春を呼ぶ朝」をも含めて、光が当たって欲しいものと希求している。

摂津国の怪人

Rimshotさんのユーチューブ動画↓を紹介します。
「人に伝えていきたい日本の風景 童謡・唱歌から」


越中富山の薬屋さん

2020年03月12日 | 摂津国の怪人

中村雅宏さん制作のユーチューブ動画をお借りしました。
富山の民謡 越中とやまの薬屋さん<富山弁長囃子>


元滑川市長の中屋一博さんが富山売薬に関する昭和の5曲をCDに収め、関係者に無償で配布されたことは前回のブログで紹介したとおりです。
なお、中屋さんのブログは [なかや一博 ブログ]←をクリックするとご覧になれます。

摂津国の怪人



日本海詩人同人・松原與史郎その(二)

2020年03月11日 | 摂津国の怪人

私「怪人」の知己に富山県滑川市元市長の中屋一博さんがいる。
博学多才、ウイットに富んだ人物であり、県を代表する薬業に深く関わっておられる方である。
中屋さんは、埋没していた「松原與史郎」が作詩(昭和8年、7年日本海詩人廃刊後)した「越中富山の薬屋さん」という歌を採譜してCDを制作し関係者に無償で配布した。
作曲者は滑川出身の当時気鋭のバイオリニストで作曲者でもあった「高階哲夫」。彼も北海道とは関わり深い人であった。
中屋さんからそのCDを頂いたので次回は「なかや一博ブログ」と「越中富山の薬屋さん」の歌を紹介したいと思います。

摂津国の怪人



日本海詩人同人・松原與史郎その(一)

2020年03月10日 | 摂津国の怪人


恩師「大村正次」が主宰していた「日本海詩人」の同人に、民謡詩人「松原與史郎」がいる。詩集「あゆの風」発刊(昭和7年)の際「正次」が跋文を書いている。
民謡詩人であったが故に、作曲者との付き合いがあり、そのうちの一人富山出身の作曲者と北海道を結ぶ縁は、そののち「正次」が渡道するということにも似て富山と北海道の関係は昔から濃厚であったものと思えば興味深い。その作曲者は追って紹介したい。

摂津国の怪人





北海道スバル札幌北店 フォレスター定期点検 

2020年03月07日 | 日常



フォレスターの6ヶ月点検のため北海道スバル札幌北店に来ています。
社員さんはもとよりお客さんもマスク姿が多いですね。わたしはマスクしていないけどテーブルに着く前にアルコールジェルをつけ過ぎて手がベタベタになりました。ここのお店はきれいで好きです。セルフですが珈琲も飲めます。
点検の結果、フォレスターに異常はなかったけど、タイヤのホイルが腐食していると診断されました。来シーズンはホイルごとスタッドレスタイヤを交換しなければなりません。なんせ10年も乗ってますからね。

左はニューフォレスターです。精悍な風貌をしています。わたしだってもう十年若かったらこの車に乗りたいと思いました。

「春を呼ぶ朝」 全詩篇一覧表

2020年03月06日 | 春を呼ぶ朝


「春を呼ぶ朝」全59篇の一覧表です。
右欄のカテゴリー「春を呼ぶ朝」(57)となっているのは、一度の投稿記事に二編載せたのが三回あって、本日の「全詩篇一覧表」を含めての投稿数ということです。
奇しくも昨年のわたしの誕生日(12月11日)が第一回目の投稿となりました。でも、当初は全詩篇を紹介する積りがなかったのです。
といいながら、詩人・大村正次に惹かれてついに全編掲載することになった次第です。
しかし、旧字体で不鮮明な難読漢字が多く、解読?不能のときは同期のブログ友摂津国の怪人さんに相談させて頂きました。
ただ、目次どおりの順で詩を掲載すればよかったと少しだけ後悔しております。
大村正次はわれわれの高校時代の恩師であります。
もっとも当時は生物の担当教諭という認識でしたが、卒業して数十年、同期会で校歌のあとに歌う逍遥歌の一節が詩人・大村正次のことをもっと知りたいと思うきっかけになりました。

昭和26年発行の「蛍雪時代」に大村先生が逍遥歌を作詞されたことが掲載されているそうです。
どのように書かれていたか読みたいものですね。
ちなみに昭和26年9・10月の目次(ヤフオクのウェブ)をスクリーンショットで拡大したが、それらしき記事はないようでした。
なんせ70年も前のことですが、旭川東高逍遥歌のことが掲載された昭和26年発行の「蛍雪時代」についてご存知の方はご連絡いただければ嬉しいです。
(蛍雪時代:昭和26年9月号と10月号の目次)



雪渺茫の中に

2020年03月05日 | 春を呼ぶ朝


昨年12月11日から始めた詩集⦅春を呼ぶ朝⦆全59篇の紹介は「雪渺茫の中に」をもって最終となりました。
大村先生は昭和35年に旭川東高を退職され高岡に戻られましたが、先生の妹さんのお手紙(昭和52年:妹さんから弟さん宛てのお手紙です)によりますと「後年、兄は書道の月刊誌・臨池に漢詩をのせることになり、できると大てい私宅を尋ねて、夫、正之助とその詩についてくり返し推敲していた。」そうです。
漢詩に傾倒されたのはいつからかわかりませんが、「春を呼ぶ朝」には難解な漢字が度々出てくるので、あらためて詩人・大村正次の教養の深さに驚嘆しております。

大村正次著「春を呼ぶ朝」―故郷の電車―

 雪渺茫の中に

渺茫 雪にうづもれた
この山峡やまかひ
ひと住まぬ無垢の世界にも
生物のかすかなけはひ、、、がするよ。

沈黙 凛冽の 渓間を縫うて
チチ チチ チチ
春近い巣籠りの
小鳥の 秘かな歓喜よろこびであらう。


goo辞書:びょう‐ぼう【×渺×茫】 の解説
[ト・タル][文][形動タリ]遠くはるかなさま。広く果てしないさま。
「夕の海は―として」〈風葉・恋ざめ〉
類語:悠悠(ゆうゆう) 渺渺(びょうびょう) 茫茫(ぼうぼう)