ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

現在の中秋の名月

2024-09-17 20:29:18 | 草花

病室の7階から中秋の名月を眺めています。

 

♪病んでいても 名月は強く あかるいまる ♪ 亭主駄句  

(だいぶ幼児化しています。)

 

写真は有馬温泉!?

 

(9月17日午後8時30分)

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古代ローマの奴隷のごとく・・・・・

2024-09-15 10:09:53 | 草花

(コメント欄は閉じています。)

 

映画などで見たことですが、古代(ローマ)の奴隷は鎖に繫がれて自由を奪われていたようですが、今の小生は似たようなもので

、点滴の管に繫がれて行動の自由に制限を受けています。

楽しみにしていた17日晩の仲秋の名月は、(自宅ではなくて)7Fの病室から眺めることになりそうです。

この7Fからの眺めが中々のもので、カメラを持ってこなかったのが惜しまれます。

そこで以下の五枚はカシミールの描画ですが、晴れた日でしたらこういう眺めに浴せることになります。

木曽御嶽 ↓

 

中央アルプスと恵那山群 ↓

 

本宮山 ↓

 

桑谷山と遠望峰 ↓

 

三ヶ根山 ↓

 

上の内、木曽御嶽は未だ肉眼では見ていませんが、そのほかの山群は肉眼で確認できています。

このほかに鈴鹿山脈や伊吹山、加賀の白山なども見える位置にあるので山望のチャンスを窺っています。

 

入院中 コメント欄は閉じていますが御容下さい。

 

 

 

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黄色い顔のおっさん

2024-09-13 09:27:36 | 草花

(コメント欄を閉じています。)

一緒に生活していた家人からは何も指摘されてきませんでしたが、入院した際の医師からは即刻、「顔が黄色くなっている」・・・といわれました。

最初に案内してくれた看護師さんからは、「それ(黄色い顔が原因)で来たのかと思った。」とあっさり言われてしまいました。

ところがそういう異変には、いつも顔を見て過ごしている本人周辺は、なかなか気づかないものなんですね。

 

結果:(「じゃ じゃ~ん」)

    体内の小さい石が管内に詰まって臓器を犯している・・・・とのことで手術・入院INGです。

    現在は絶賛?3食抜き、水分補給もシャットアウトで24時間に迫ります。

    (生理食塩水とおそらく抗生物質入りの薬液の2種類点滴中)

 

撮りだめした夜空の画像を貼って短く閉じます。

6日の夕焼け ↓

 

6日の月齢3.3 ↓

 

同日の金星 ↓

 

8日の月齢5.3 ↓

 

9日 月齢6.3 ↓

 

十日 月齢7.3 ↓

 

 

ツルボ ↓

 

ツルボを移植して一年で、少しずつ花園を作り始めました。

 

中秋の名月(9/17日)を自宅で見ることが出来るのかどうか。(お医者さんは先ほど難しそうな顔をしていた。)

コメント欄を閉じていますが、ご容赦ください。退院出来てから再び自由に往来できるよう切望しています。

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久しぶりの更新 夕空など

2024-09-06 09:28:42 | 草花

台風10号が長い間雨を降らせていて、その間は画像ネタに事欠いて、ブログの更新を休んでいました。

台風が去った後も、相変わらず更新をさぼっていましたが、夕空の方が少しずつ回復してきていましたので、そちらに関心が向いていました。 

もちろん庭の草引きは精力的にこなしてはいましたが、季節は夏と秋の端境期に入って来ていて、花の方はもう少し後になるようです。

8/22日 曇り空の中で ↓

月齢18.1の寝待月でした。

 

雲が邪魔している8/23日の月 ↓

月齢19.1の更待月でした。

 

9/4日の夕空 ↓

やっときれいな夕焼け空を見られるようになってきました。

 

そして昨日(9/5) ↓

畑地に日没を見に行きましたが、肝心なところで雲が邪魔してくれます。

 

入り日の瞬間 ↓

 

残照 ↓

 

直後の雲 ↓

飛行機の雲だと思いますが、中部国際空港を目指した跡でしょう。

 

航空機 ↓

航空機は光り、飛行機雲は茜色に染まっています。

 

同じ場所で待つことしばし・・・・・

 

月が見え始めた ↓

細い月ですので、日没直後では空の明るさに負けて月は見えませんでした。20分後辺りに

やっとぼんやりと見え始まます。

 

月齢2.3の三日月 ↓

ここのところ金星も「宵の明星」として西空に輝いています。月齢2.3の月と接近して見えているので

それも嬉しい眺めです。

 

夜空になり ↓

月と金星が光り比べをしています。

なお中秋の名月は9/17(火)日で、満月はその一日後の9/18(水)日になります。

その18日には薄暮の西空ごく低いところで金星とおとめ座のスピカ(一等星)が接近して見えます。

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蓬莱橋からの帰り道 3の3(最終記事):牧之原台地の茶畑を経由してJR金谷駅まで

2024-08-26 04:12:42 | 草花

蓬莱橋を対岸に渡り終えて、小高い所から眺めたり、河原に下りて橋を見上げたりして、別れを惜しみます。

その後は70mほど山中の坂道を登って台地上に出ますが、そこは日本でも有数のお茶の産地でもありました。

橋を覗く”窓” ↓

林間にこんな場所がありました。渡って来た長い橋を望めるようです。

 

”窓”から見た橋のほぼ全景 ↓

こんな景色が待っていました。向こう岸は島田の市街になります。

 

今度は河岸まで下りて見ます。

 

ヤブミョウガ ↓ ↓

 

花と実を見ることが出来ました。

 

近づいて ↓

 

見上げます。 ↓

橋脚がすらりとしていて長いですね。

 

見納め ↓

対岸の島田市街方面まで延びた姿を見納めにします。

 

台地の上を目指す ↓

河岸から約70mの高度差は日陰の山道で涼しく上っていけました。

 

牧之原台地の上に出ます ↓

牧之原台地では茶の生産が盛んで、大井川右岸には面積5,300haに及ぶ「牧之原大茶園」が広がり、全国の茶園面積の約12%を占めています。

それは1869(明治2)年7月、最後の将軍慶喜を護衛してきた幕臣たちが勝海舟たちの命を受け、中條景昭、大草高重らが、牧之原台地での茶畑

の開墾を開始したことから始まります。
当初は大変厳しい環境の中で、筆舌につくせない苦労の連続でありました。
勝海舟は、旧幕臣たちから様々な問題に関して相談を受け、経済的な援助も惜しみませんでした。
1873(明治6)年には、仕事を失った川越人足たちも約30㏊の茶畑を開墾し始め、1878(明治11)年には約41㏊に拡張された。

勝海舟は1875(明治8)年に官職を辞した後も、影に日なたに牧之原台地開拓士族を物心両面で援助し続けました。

茶畑の開墾を支援し続けた勝海舟たちの存在を抜きに、島田市に広がる「牧之原大茶園」を語ることはできないでしょう。

「牧之原大茶園」 ↓

茶畑の間を通る車道を「日光浴」しながらトボトボと歩いて行きます。

 

スベリヒユ ↓

道沿いで見た花はこれだけだったような気がしました。ほかには林縁でカラスウリが頻繁に出て来ましたが、

真昼間ですので花は咲いてはいません。

 

金谷駅 ↓

駅の浜松よりにはトンネルがあります。旅の情緒を醸してくれますね。

 

この電車で ↓

この電車で、浜松まで行き、乗り換え、以後豊橋、岡崎で乗り換えて午後2時少し過ぎに帰宅。

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