大村正次は詩誌「日本海詩人」の主宰者であることは前に述べた。
大村は大正5年から岩瀬小学校から教員生活をスタートして、昭和20年(大村49歳)に金沢二中から旭川中学に着任、昭和23年に道立旭川東高の教諭(生物)となった。
わたしたちが大村先生に教えを受けたのは昭和32年~昭和35年である。
大村先生が旭川東高生逍遥歌を作詞したのは昭和26年であった。
逍遥歌は旭川東の在校生・卒業生に愛されて、同期会・同窓会では校歌と同じくらい歌い継がれているのではないだろうか。
一介の生物の教師が、どうしてここまで美しい詩が書けたのか、われわれ同期の間でも謎であったが、このときは大村先生が名の知れた詩人であったことなど知らなかったのだ。
そこで謎を解明すべく同期の「摂津国の怪人」さんが、大村先生の故郷である富山県立図書館・高岡市立中央図書館のご協力を得て大村正次に関する資料(A4で約200枚)を収集・整理し、同期のH君が富山市立図書館の資料に基づいて「大村正次の足跡・年譜・人物像・所感」(A4で4枚)を作成した。
われわれはもうすぐ大村先生が亡くなった79歳になるが、その歳になってなぜ詩人・大村正次に惹かれるのか、やはり、旭川東高生逍遥歌にはわれわれを魅了する「謎」があったからなのだと思っている。