兵法、計略の続きです。
1941年、邠県(ヒンケン)(陜西省咸陽市彬州市)において再発見され、時流に乗って大量に出版された。様々な時代の故事、教訓がちりばめられているため、中国では兵法書として世界的に有名な孫子よりも民間において広まり、学校での教育も相まって現代人の思想や行動原理にも影響を与えている
戦術とは関連が薄い内容も含まれ、権威付けのために易経からの引用を使って解説しているなど、純粋な兵法書としては荒削りな部分が見られるためか、孫子などの武経七書と比較し軍事面では評価が低い。
- 無中生有- 偽装工作をわざと露見させ、相手が油断した所を攻撃する。
- 暗渡陳倉- 偽装工作によって攻撃を隠蔽し、敵を奇襲する。
- 隔岸観火 - 敵の秩序に乱れが生じているなら、あえて攻めずに放置して敵の自滅を待つ。
- 笑裏蔵刀- 敵を攻撃する前に友好的に接しておき、油断を誘う。戦いで分が悪くなると「和平」に持て行きますが、和平を謳っておきながら、油断させて敵が退いている途中で攻撃して殲滅してしまうなんてあります。項羽と劉邦が戦って、項羽が所謂「四面楚歌」になった時に、和平を持ちかけますが、項羽が楚の国に退いている途中に追い打ちをかけて項羽は自害して果てました。こんなのもこれに当たりますかね。
- 李代桃僵- 不要な部分を切り捨て、全体の被害を抑えつつ勝利する。
- 順手牽羊- 敵の統制の隙を突き、悟られないように細かく損害を与える。
攻戦計
(相手が一筋縄でいかない場合の作戦。)
打草驚蛇- 状況が分らない場合は偵察を出し、反応を探る。西遊記の中で猪八戒がむやみと草を叩いている処があります。悟空がそれを見て大笑いして詰ってました。
借屍還魂- 死んだ者や他人の大義名分を持ち出して、自らの目的を達する。ちょっと飛躍ですけど、諸葛亮が自身が死んだあと車椅子の括り付けさも生きているように見せて司馬懿を混乱させた。「死せる孔明生ける仲達を走らす」なんてのはこれに当たるかも。
混戦計
(相手がかなり手ごわい場合の作戦。)
仮道伐虢- 攻略対象を買収等により分断して各個撃破する。
併戦計
(同盟国間で優位に立つために用いる策謀。)
- 偸梁換柱- 敵の布陣の強力な部分の相手を他者に押し付け、自軍の相対的立場を優位にする。赤壁で戦力で劣る劉備軍が諸葛亮の「大喬・小喬」の入知恵で孫権軍を曹操軍に当たらせた。
- 指桑罵槐- 本来の相手ではない別の相手を批判し、間接的に人心を牽制しコントロールする。
- 仮痴不癲- 愚か者のふりをして相手を油断させ、時期の到来を待つ。
- 上屋抽梯- 敵を巧みに唆して逃げられない状況に追い込む。
- 樹上開花- 小兵力を大兵力に見せかけて敵を欺く。これはよく伏兵を置く時に用いますよね。旗竿や鳴り物を鳴らしてさも大勢がいるように見せかけます。またその逆でわざと大人数がいると見せかけてその実本当に大人数を配置しているなんてあります。
- 反客為主- 一旦敵の配下に従属しておき、内から乗っ取りをかける。
敗戦計
自国がきわめて劣勢の場合に用いる奇策。
美人(女)の計- 土地や金銀財宝ではなく、あえて美女(傾国・傾城)を献上して敵の力を挫く。三国の時代、貂蝉と言う絶世の美女がいまして、当時親子の縁を結んでいた董卓と呂布の二人同時にこの美女を貢ぎました。当事者たちは自分こそが貂蝉と連れ合いと思い込み、挙句に呂布は董卓を亡き者にしてしまいました。その後、貂蝉は自害してしまいます。董卓の亡骸は、兵士が面白がって腹に「ろうそく」を立てて火を灯した所,一昼夜半燃えて尽きたとあります。
空城の計- 自分の陣地に敵を招き入れることで敵の警戒心を誘い、攻城戦や包囲戦を避ける。諸葛亮がよく行った計でわざと門を開けて中に火薬等を敷き詰めて琴を弾いて敵を導き入れて殲滅させる計。敵が訝って用心して攻め入らないようにする場合もあります。(これは自軍の戦力が劣っているような時に使われる、孔明のような名の通った者の方がより掛かり易い。
反間の計 - スパイを利用し、敵内部を混乱させ、自らの望む行動を取らせる。昔の中国は四方を塀で囲まれた城塞都市ですが、その城内に忍び込み「火を放って」混乱させるなんてあります。
苦肉の計- 人間というものは自分を傷つけることはない、と思い込む心理を利用して敵を騙す。
『三国志演義』の赤壁の戦いにおいて描かれ、黄蓋が周瑜に献じた偽計である。周瑜率いる劉備・孫権の連合軍は曹操軍の艦隊を焼き払うためこの奇策を実行し成功させた。
赤壁に布陣した連合軍に対し、曹操軍は3倍という兵数であった。周瑜配下の黄蓋はこの劣勢を前に有力な対抗案を出せないとして司令官である周瑜を罵倒。これを咎めた周瑜は兵卒の面前で黄蓋を下半身鞭打ちの刑に処した。これにより重傷を負った黄蓋は、敵である曹操軍に投降を申し出る。一連の出来事は間者が報告していたため、曹操はこれを受け入れて一旦自軍へ招く。しかし黄蓋の書面を見て策を看破し、「私を苦肉の計で騙そうというのか」と言うが、孫権軍の使者である闞沢が曹操を諭し黄蓋を受け入れてしまった。