hiroshi hara: saxophoniste

日々の思考の断片

イベール

2007-01-31 21:26:21 | sax関係
定期的に行なっている尚美の体験入学では、管弦打楽器の先生が演奏を披露したり簡単なレッスンを行なったりしている。
私もしばしば招かれていて、今度3/4(日)の体験入学では私が担当することになっている。

いつも30分程度の演奏をしているのだが、前々から何を演奏しようか考えあぐねていて、デクリュックかイベールのどちらかをメインに据えようと思っていたが、結局イベールを演奏することに決めた。
この曲は、自分の演奏家としてのバロメーターとして機会があれば演奏したい。

イベールという作曲家については、実は日本では資料も少なくあまり知られていない。
2年前、雲井雅人氏が旗揚げした「雲井塾」という講習会(私も講師として招かれた)で、作曲家の八木澤教司さんを講師として招き、イベールについての貴重なお話や楽曲分析をわかりやすく解説してくださり、大変勉強になった。

「フルート協奏曲」と「室内小協奏曲」はよく似ているどころか、同じ動機や手法を用いているところなど見ると、この二作品は一対になっている。
またこれらの協奏曲は、従来の独奏とオーケストラのための作品と言うよりは、独奏を含めたオーケストラのための作品と言うことができ、オーケストラも独奏と対等な関係にある。

室内小協奏曲では、その名のとおり編成や作品の規模がコンパクトに仕上がっているのだが、フルート協奏曲を聴くと、これらの作品の特徴をはっきりとらえることができるのではないだろうか。

現代では、先人たちの名演奏をたくさん聴くことができるが、その中でも初演したミュールの演奏は突出している。
技術、音楽性はもちろんすばらしいが、できたばかりの新鮮な演奏ということ、またこの時代の世相なのか、オーケストラも含め、とても「粋な演奏」なのも要因の一つなのではないだろうか。

後生の我々は、この作品をミュールが感じたような新鮮、斬新な印象を抱き、またこの時代の「粋な精神」を感じるのは難しいのかもしれない。
どのようにこの作品に接し、どんな演奏になるのか、不安でもあり楽しみでもある。

本番は体験入学の中の余興なので、体験入学にお越しの中高生対象になる。

基礎練習

2007-01-30 21:36:47 | sax関係
今日は自宅で久しぶりに音階練習をした。

個人差があるとは思うが、私は音階練習を大事にしている。
それはなるべく部屋に誰もいない独りきりの状態で行いたい。

部屋に誰かがいたとしても練習内容は変わらないが、意識するものが変わってしまう。
人がいると、否応なく出てくる音に対して意識してしまい、すなわち楽器の外側に対して意識してしまう。
それに対し、独りで練習しているときには、そのような意識はもちろん、音が出てくるために身体がどのような状態になっているのか、またどのような状態になるべきかという、楽器の内側に対して意識することができるのだ。

音階練習をしながら、身体の変化や動きを楽器に結び付けて楽器を身体に取り込む作業を行う。
それは時として音楽的でないこともある。
しかし音や演奏のイメージだけが先行してしまうと、身体の使い方を度外視してしまい、結局大きな負担がかかることになってしまう。

学生の頃は、そのような負担を体力でカバーするものだと思っていたが、あるところで限界を感じ、考え方を変えて現在に至る。

体力だけではどうしようもない部分がある。
むしろ余りある体力は、楽器への繊細な操作を妨げる可能性さえあると思う。

そういえばラリー・ティール著(大室勇一訳)サクソフォーン演奏技法の呼吸法の項でこのような文章がある。
「神様が人間という複雑な機械を発明されたときに、その機械がサクソフォーンを吹くということまで考えられたかどうかは疑わしいことです。しかし幸いにも、それにふさわしく改良する可能性の余地は残しておいてくださったので、我々は身体の種々の部分を極めて多くの方法で操作することを訓練できます。」

楽器に適応するための身体をつくらなければならないが、それは必ずしも体力や肺活量だけの問題ではなく、多岐にわたる奏法に幅を持たせることが大事だと思う。

結局はバランスが大事ということなのだろうか。

アンサンブルコンテスト愛知県大会2

2007-01-29 21:03:31 | 日常
アンサンブルコンテストの続き。
昨日は高校の部だったが、個性的な演奏や人というのは決まってサックスに多いような気がする。
ジャズをまるで本職のように吹きまくっていた男の子がいた。
彼は将来その道に進むのではないかと思うくらい凄く上手だった。

もうひとつ、曲目欄の編曲者名が「アラタ サカグチ」と日系人のようにカタカナ表記で書かれていたところがあった。
おそらく生徒たちが申請したものだと思うのだが、きっと阪口新先生のことを知らないのだろうと思う。

最近ではフランスでもミュールやデファイエを知らない若者が増えているそうだ。

そもそも演奏家は音楽史には残らず、作曲家のメッセージをひろめる媒介者にすぎないわけで、時代は流れていくものだし、知らないことは悪いことではない。
しかし、歴史の浅いサックスは作曲家だけでなく、サックスの奏法のいしずえを築いたミュールや、日本のサックスの草分けである阪口新先生の存在はぜひ知っていてほしいと思う。

それを踏まえた上で、今現役の我々がミュール、デファイエ、ロンデックス、阪口先生などから脈々と受け継がれている伝統を後生に伝えていくということなのだろうか。

アンサンブルコンテスト愛知県大会

2007-01-28 22:12:50 | 日常
今日の愛知県大会の審査を無事終えた。

なんというか、地域の特性とでもいうのだろうか。
イントネーションなど、演奏の特徴がどの団体もよく似ていて、フレーズの解釈や、陥りやすいウイークポイントなども同じだった。
曲の傾向も似たものが多かった。

そんな中でも抜きん出た素晴らしい学校がいくつもあり、今回も出演者からたくさんのエネルギーをもらった。

帰りはタイミングよく新幹線「ひかり」に乗れて、豊橋-新横浜を一時間ちょっとで帰ってこれた。

三河三谷

2007-01-27 21:10:24 | 携帯
蒲郡と思っていたら三河三谷の間違いだった.

明日はアンサンブルコンテスト愛知県大会の審査のために,今日のうちに前乗り.

取っていただいたホテルはツインのシングルユース.

私には贅沢過ぎるが,明日への投資なのか,プレッシャーを抱きつつ鋭気を養う.

先ほど山手学院木管三重奏が全国大会出場との報告をいただいた.

東関東の代表として,また山手学院の代表として,最後の舞台に挑んでほしいと思う.

私も元気をもらった一幕


練習日6

2007-01-26 22:28:02 | 日常
今日も洗足で他門下の学生をレッスンした。
他の先生から得るコメントは新鮮に感じるようで、この様にオープンな風潮はよい傾向だと思う。
学生も自分の演奏を多角的にとらえて、試験だけでなくこれからの人生に少しでも役立ててくれたらと思う。

今日は洗足で自分の練習を重点的に行なった。
少し広い部屋を借りれたので、本番モードで音の鳴りなど確かめながら練習した。

先日からリードの選択(3か3半かで)で迷っていたが、やはり3で行こうと思った。
この数ヶ月の間、マウスピースや楽器を色々試して使用していたためか、アンブシュアが緩めて、道具の違いに対応していたようで、3でも速い跳躍に対応でき、且つ音量の幅も豊かになってきたように思ったからだ。

リードのことに関しては、近々詳しく書きたいと思う。

そして明日はまた小旅行するので、またモブログ更新をしたいと思う。

修演

2007-01-25 22:14:09 | 日常
今日は洗足で補講等々。
四年生は来週卒業試験ということで、門下を問わず数人の学生をレッスンした。
私が洗足に勤務し始めたときの一年生が既に四年生になり、もう卒業しようとしているのだ。

そんな中、今日は大学院の修了演奏会が催され、二人のサックスの院生の演奏を聴いてきた。

ベリオのシュマン第7は日本初演だそうで、私自身も聴くのは初めてで興味があったのだ。
これはセクエンツァ9bにオーケストラを伴ったものだが、このような注釈的作品は、作曲のプロセスが違うと思われ、それなりに苦労するのではないだろうか。
様々なキャラクターを、オーケストラにより増幅されてとてもおもしろかった。
管楽器の修了演奏会では通常ピアノ伴奏、せいぜいクラリネット五重奏などアンサンブルでの形態が常だが、オーケストラを伴っての演奏には圧巻だった。
若者の行動力は素晴らしい。
シュマン第7にはヴァンサン・ダヴィッドが書いたサックスアンサンブルの版もあり、いつかそちらも聴いてみたい。

浄書

2007-01-24 22:51:28 | 日常
今日譜読みをしていた楽譜を見て、色々物申したくなってしまった。
それは作品に対してではなく、楽譜のレイアウトに対してだ。

今はパソコンでも気軽に楽譜が書くことができ、楽譜出版社もオンデマンドで出版しているものもある。

ただパソコンに音を打ち込み、そのままプリントすれば良いというわけではない。
レイアウトを整えなければ、とても読みづらい楽譜になってしまう。

昔は、手書きの楽譜に対して物申していたことは良くあったが、パソコンでもそれは同様なのだ。

そして昔は楽譜を書くことが上手な人が多かったように思う。
写譜屋なんていうものもあったくらいで、ちょっとした産業になっていた。

楽譜を書くことは、文字を書くことと同様に性格が出るもので、達筆な楽譜を見ると書いた人の気遣いをひしひしと感じ、曲の雰囲気と楽譜のレイアウトがセットになって印象に残っていたものだ。

ピアニストの間ではヘンレの楽譜は読みやすいと評判だが、ヘンレの楽譜を観察してみると、レイアウトはもちろん、符尾の長さ、連桁の形は五線をなるべくさえぎらないよう配慮し、臨時記号の大きさ、位置なども絶妙なバランスで、たしかにとても読みやすい。

楽譜など情報さえわかればそれで良いと言う人もいるが、譜読みを日常的に行なっている人にとっては、読みづらい楽譜は大変なストレスになるものだ。

Tc

2007-01-23 22:32:21 | sax関係
今日は自宅練習日。

中高生へのレッスンや講習会でよく話すことなのだが、
「基礎練習では、思いつくことをどのように練習しても良いが、一日のうち、なるべく2オクターヴ半の全部の音を吹くこと。そしてなるべく全部のキーを使用すること。」
ということを、私自身もなるべく実行するようにしている。

楽器は吹き手の癖に呼応し、使い込むほどに共鳴してくると聞いたことがある。
例えば、高音域を音程が高いまま、ほったらかしに練習しつづけると、そのうち音程高い状態で、楽器がよく鳴ってしまうのだ。
指使いも然りで、よく使用する指使いとそうでないものの隔たりが、徐々に甚だしくなる。
あまり使用しない指使いは、その音だけ音抜けが悪くなったり、音程が定まりにくかったりするそうだ。
中高生の楽器を見せてもらうと、はやりTfを使用しない生徒が多く、タンポがしっかり貼り付いてなかなか開かないこともある。

そんな中、実は私自身もあまり使用していないキーがある。
Tcとフロントキーだ。
(キーの名称についてはこちらをご覧ください。)

Tcはトリル等で、フロントキーは「ド-ファ」等の連結で使用するくらい。
Tcは音程が低めになり、フロントキーは音がこもるので、好まない人も多いのではないだろうか。
ただあまりにも使わないと、いつまでもそのままになってしまう。

そういえば学生の頃、ファブリス・モレッティーの公開レッスンのを受講したことがある。
そのときレッスンしていただいたリュエフのソナタで、第一楽章終止部分の「シド」という動きが続くところで、「ここは太い音色で吹くためTcを使用した方が良い。」とご教示いただいたことを思い出した。

Tc、フロントキーを使えるようになれれば、より音色や奏法が洗練されてくるのではないだろうか。

納豆

2007-01-22 21:46:59 | 日常
今日は尚美レッスン。
講師一年目だった今年度は、あずかった学生の数が少なく、帰宅も早い。
来年度からは、確実に受け持つ学生が増えるので、気合を入れなければならない。

尚美へ通勤する電車内では、よく考えごとをしたり、決め事を行なうのだが、今日は5月のフランス演奏会の曲目を考えた。
いつくかの条件や要望があり考慮しつつ悩んでいたのだが、概ね決まりそうだ。

帰りがけにいつもスーパーで買い物をして帰るのだが、納豆が棚から消えていて驚いてしまった。
先週から某テレビ番組で納豆が取り上げられたり、それがでっち上げだったりと、いろいろあったわけだが、そもそも私は毎日安価な納豆を食していて、この事態には少し困っているのだ。
ごく稀に高価な納豆なら売れ残っていることがあるが、いつも3パック98円で買えていたのに、この現実には釈然としない。
安価納豆早く帰ってきて欲しいと思うこの頃。